『女神の試練』当日の明け方、僕はリンドブルム近郊の森でデルタと戯れていた。
「ワンちゃんこちら、手の鳴る方へ~♪」
「な、なんだ!?」
「ア"ア"ァ"ァァアアアッ!!!」
「ギャァァアア!」
殺意マシマシで僕に襲い掛かってくるデルタの攻撃を、僕は全て紙一重で躱していく。
回避されたデルタの攻撃は、そのまま近くにいた盗賊をいとも簡単に切り裂いた。
今僕たちがやっている遊びは『
僕にタッチできたら勝ちの至極単純なゲームだ。
元々このゲームは、デルタにフェイントや先読みの大切さを教えるためのものだったが、デルタは魔力で強化された己のスピードだけで僕の動きを捉え始めたのだ。
少し本気を出して避け始める僕を、更なる強化で捉えようとするデルタ。
そのときは結局、デルタの膨大な魔力が切れるまで避け続ける羽目になったが、なんだかんだ僕の訓練にもなったので、訓練メニューとして正式採用された数少ないゲームだ。
「ほらほら、こっちこっち~」
「く、来るなー!」
「ア"ア"ァ"ァァアアアッ!!!」
「ギャァァアア!」
僕は逃げてる途中に見つけた盗賊団を盾にしながらデルタの攻撃を避け続けている。
それでもデルタの攻撃が緩むことはないけど、盗賊たちの戦利品も徴収できるので積極的に巻き込んでいるのだ。
その後もスライムスーツを伸ばして戦利品を回収しながらデルタの攻撃を避け続けた。
「デルタ、もうこの辺で終わりにしない?」
「嫌ッ!」
「だってこの辺の盗賊は全て狩り尽くしちゃったよ?」
「嫌ッ! やるの!」
ゲーム開始時は深夜だったのに、もう既に日が昇り始めてしまっている。しかもこの森の盗賊は全て狩り尽くしてしまって、これ以上の臨時収入は望めない。
そして何より、もう疲れた。
デルタの中ではタッチ=ヒットになっているのか知らんけど、人間一人容易く両断できる威力でタッチしようとしてくるし……僕だって当たったら少しは痛いんだぞ?
仕方ない、少し乱暴に止めよう。
「ッ!」
――ドゴンッ!
デルタの頭上から不可視の魔力体で押さえつけようとしたら、その前に気取られて距離を取られた。
手加減したとはいえ、なんでこいつは魔力体が完成してから動き出すまでの0.1秒にも満たない隙に動けるのだろうか……。
魔力探知を使った状態ですら避けるのは難しいはずなのに、魔力探知なしの野生の勘だけで避けられた……ちょっと悔しい。
仕方ない。この手を使うか。
「よし、デルタ、ゲーム変更。ご褒美ゲームをしよう」
「ご褒美! シヴァさまが何でもする!」
「僕に勝てたらね」
「シヴァさまが何でも言うこと聞く!」
「僕に勝てたらね」
「やったぁ! ゲームするー!」
ご褒美ゲームとは、正式名称『
勝者が敗者に何でも1つだけ命令を下せるゲームの総称である。デルタには難しいので『ご褒美ゲーム』と分かりやすく言っている。
デルタはこれに100%釣られるから説得自体は簡単だ。後は勝つだけ。
ちなみに、『ファシストゲーム』でデルタが何を要求してくるか全く読めないので、僕は常に全力で叩き潰すようにしている。万に一つも負けはない。
「そうだな……今から競争して先にアルファにタッチした方が勝ちってことにしよう」
「アルファさま?」
「そう、アルファ様。勝負の判定はアルファ様にしてもらおう。わかった?」
「わかった! 行ってくる!」
「待て」
「キャンッ!! 尻尾ダメ!!」
このわんこはいつになったら学習するのだろうか。
痛みで間違いを覚えないのは生物として大丈夫なのかと少し不安になってくる。
「ごめんごめん。でもデルタ、ズルはダメだ。ズルをしたらデルタの負けになってしまうよ」
「うぅ、ごめんなさいなのです……」
「よしよし、いいこいいこ」
上目遣いで瞳を潤ませるデルタの頭を軽く撫でた。純粋なだけでいい子なんだよ、うん。
デルタに限らず『シャドウガーデン』の子たちは頭を撫でられるのが好きなので、褒める時や慰める時は昔からよく頭を撫でてあげているのだ。今も気持ち良さそうに頭を手に擦り付けてきている。
「僕が手を叩いたらスタートだ。わかった?」
「わかった!」
「よし、じゃあスタート」
パンッと手を叩いたと同時に、僕は音を置き去りにして駆け出した。
◆◇◆◇◆
『女神の試練』が開催される競技場。
円形上の舞台を取り囲むように設置された観客席には多くの民衆が押し寄せ、今か今かと開催の合図を待ちわびていた。娯楽が少ないこの世界では、戦いこそが最上の娯楽なのだ。
僕は観客席の少し高台に造られた貴賓席より更に上、観客を雨から守るために取り付けられた屋根の上から会場全体を見下ろしていた。
「うぅ、アルファさまに怒られたのです……」
あぐらをかいて座る僕の膝の上にはデルタの頭が乗っている。
それを適当に撫でながら、先ほどあった事を思い出す。
勝負自体は僕の圧勝だった。
本気で走った僕は音速を超えるので、ただ肉体強化するだけのデルタにスピードで負けるなんてことは有り得ないのだ。
アルファにタッチするついでに「計画楽しみにしてるよ~」の意を込めてデルタにするようなノリで頭を撫でてあげていたのだが、その最中にデルタが乱入。アルファにタッチ(攻撃)を仕掛けたデルタは案の定アルファにブチギレられてしまったのだ。
正直、あそこまで怒るアルファは見たことがなかった。
泣きながら謝罪するデルタを横目に見ながら、僕はアルファは絶対に怒らせないようにしようと心に決めた。
そして現在、デルタは待機を命じられ、僕はデルタのお守り兼待機中だ。
作戦の詳細は分からないが、僕は好きに動いていいらしいのでタイミングがあったら存分に『絶対的な強者』ムーヴをするつもりだ。
来賓席にはメインキャラが何人かいるから気を配っておこう。
「女神ベアートリクスよ、我が祈りに応え、ここに集いし戦士たちに試練を授けたまえ!」
ハゲがそう宣言したと同時に、競技場の床から古代文字が浮かび上がった。古代文字はそのまま白い光を放ちながら展開し、競技場全体を呑み込む光のドームを成形した。
挑戦者がこのドームに入ると聖域が相応しい戦士を選び戦いが始まる。一度戦いが始まればどちらかが戦闘不能になるまで外部からの干渉を受け付けず、死者が出ることもあるらしい。
そうこうしているうちに一人目の挑戦者が紹介されてドームの中に足を踏み入れた。
しかし何の反応もない。
最低限の実力がなければ、戦うことすらできないのだ。
僕は入れ替わり立ち代わり現れる騎士たちをぼーっと眺めながら、デルタの頭を撫で続けた。
◆◇◆◇◆
覚えのある青紫色の魔力の光に照らされて、僕とデルタは目を覚ました。
あれから数十組ほど見ていたが、アンネローゼという剣士以外誰も古代の戦士を呼び出せなかった。
定期的に鳴る鐘の音、夕暮れ時の生暖かい日差し、繰り返される入場と退場は思った以上に退屈で、デルタの寝顔を観察していたらいつの間にか僕まで寝落ちしてしまっていたようだ。
会場の方に目を向けると、競技場のど真ん中にシャドウが立っていた。何してんのん?
「我が名はシャドウ……陰に潜み、陰を狩る者……」
シャドウは漆黒の剣を天に掲げた。
「聖域に眠りし古代の記憶を、今宵、我らが解き放つ……!」
シャドウが剣を薙ぐと同時に、古代文字が反応して人型を形成していった。
そして光が収まったそこに、一人の女性の姿があった。
長い黒髪に鮮やかなヴァイオレットの瞳。身に付ける黒いローブは薄く、中に着る深い紫色のドレスと白い肌が透けている。まるで彫刻が動き出したかのような芸術的な美がそこにあった。
「あの女、なかなかの魔力量だな。俺やシャドウに迫る勢いだ」
魔力量はこれまで見てきたどんな人間よりも多かった。
過去にこれほどの魔力量を持った人間がいたことに正直少し驚いた。
「シヴァさまはあの女、知ってるのです?」
「知らん。俺は歴史には疎いからな……答えてやったらどうだ、アルファ?」
「ッ!」
「あら、やっぱり気付かれていたのね」
夜の闇の中からスライムスーツに身を包んだアルファが現れた。
デルタはアルファが現れる直前に察知して僕を盾にするように身を隠した。未だアルファが怒っていると思っているらしい。
「彼女の名はアウロラ。嘗て世界に混乱と破壊をもたらしたとされる世界最悪の魔女」
混乱と破壊か……僕もそっちにするかちょっと迷ったな~。
結局、対を成す2つの要素を持ってた方がかっこよくない? ということで破壊と再生を司ることにした。今となっては他者の治療とかするしそっちにしてよかったと思っている。
競技場に立つ両者を見下ろすと、既に静かに戦いを始めていた。
僅かな重心の移動、目線、それら全てを使ってフェイントや牽制を繰り返している。この時点ではシャドウの方に軍配が上がっていた。
「始まるぞ」
先手はシドが譲る形でアウロラが取った。
シャドウが前足を引くと同時に、その足跡から赤い槍のようなものが突き出た。
その赤い槍は二股に分かれて左右から襲ってくるが、シドは苦もなく躱す。
「あれは血液か」
「ええ、吸血鬼が使う技ね」
血液は自分の身体の一部なので魔力伝導率は当然高い。
つまり、僕たちがスライムスーツでやっていることを彼女は自前の血液でやっているということだ。普通の人間がやったら即死だが、血を失っても生きていける吸血鬼ならではの戦い方らしい。
ということは、彼女は吸血鬼なのか。
次から次へと不規則に襲い掛かってくる血の槍を、シドは全て避け続ける。
戦いが始まってからどれだけ時が経ったか分からないが、シドからは一度も攻撃を仕掛けていなかった。
「……やはりな」
「シヴァ?」
アウロラは確かに強い。
戦いという対話が成立する数少ない人物だろう。
だが、所詮は記憶。
戦いの経験や記憶を読み取ったところで、その人の力を全て模倣できる訳がない。そもそも意思の主導権が他者――聖域に渡ってしまった時点で、本来の力を出せているのかすら怪しい。
心なしかシドの顔も少し残念そうに見える。
「あれではただの傀儡だな」
「そう……。だからシャドウはアウロラを……」
避けに徹していたシャドウが、一瞬のうちにアウロラの懐に潜り込む。
アウロラはどこか安心したかのような微笑みを浮かべて結果を受け入れた。
「残念だよ。全力の君と戦いたかった」
鮮血が舞い散る中、アウロラに向けられたシドの声は僕の耳にも届いた。