絶対的な強者になりたくて!   作:稲荷狐心

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気付いている人もいるかもしれませんが、シヴァのフォントが読みにくかったのがやはり気になったので廃止しました。


27話 『緻密』が生まれた日

「バカな……負けた、だと……!?」

 

 アウロラが光の粒となって消えていくのを、ネルソンは呆然と眺めていた。

 

 ネルソンの目には最後の瞬間までアウロラが優勢に見えていた。

 それが一瞬で勝敗が逆転してしまったのだ。ネルソンだけでなく、会場のほとんども同じ気持ちだろう。

 

 先ほどまでの激闘が嘘だったかのように会場が静まり返る中、シャドウは漆黒のコートをひるがえし競技場から飛び立った。

 

「ま、待て! 追え、逃がすんじゃない!」

 

 ネルソンが待機している聖騎士に向かって叫ぶが、その直後、会場を揺らすほどの地響きが鳴った。

 

 ――ビシッ!

 

「なッ!?」

「なに?」

 

 競技場を囲っていたドームにヒビが入り、ネルソンが驚愕の声を上げる。

 そして何度か『女神の試練』に出席しているアレクシアも初めて見る現象に困惑を隠せずにいた。

 

 ――パリンッ!

 

「なッ!?」

 

 ドームが勢いよく砕け散り、気付けばアレクシアたちの目の前に紋章が浮かんでいた。

 紋章は瞬く間に変形し、会場全体を飲み込んでいく。

 

 しばらくすると目の前に、幾何学模様が描かれた巨大な光の壁が出来上がっていた。

 

「これは……」

「巨大な……扉?」

 

 ローズの呟きにアレクシアが続ける。

 アレクシア自身、何故目の前のこれを『扉』と表現したかは分からなかった。しかし、なんとなく自然とそう口に出していたのだ。

 

「まさか……シャドウに聖域が応えたというのか……!?」

「司教様?」

「応えたとは……?」

 

 ネルソンが呆然と呟いた言葉にアレクシアとローズが反応する。

 始めは誤魔化そうと口ごもるネルソンだったが、下手に誤魔化すのは悪手だと判断して、知られても問題のない範囲で説明を始めた。

 

「ご存じの通り、今日は年に一度、聖域の扉が開かれる日です」

「聖域の扉は、大聖堂の内部に秘されていると聞きますが……」

「扉とは実体のある、それ1つを指すものではないのです。あのように自在に形を変え、ある場所を変え、求める者、資格ある者に応じて相応しい姿で映し出されます。すなわち招かざる扉、召集の扉、そして歓迎の扉……あの扉が何の扉なのかは入ってみるまで分かりません」

 

 ネルソンの説明が終わると同時に、光の扉が更なる光を放ち始めた。

 

「いかん、扉が開いてしまう! 信徒たちを外に出せ! 扉に近づけさせるなっ!」

 

 ネルソンの指示を受け、係の者が観客たちを外へ誘導していく。

 来賓客も順に避難していき、最後にネルソンを含めたアレクシア、ローズ、ナツメの四人がその場に残った。

 

「さあ皆様にも万一のことがあっては……ご退出を」

 

 ネルソンがそう言った瞬間、ローズとアレクシアは剣を抜いて構えた。

 

「ひぃぃ……」

「いったい、何を……!」

「はわわわ……」

 

 ナツメとネルソンが狼狽える。

 そして辺りを見回すと、いつの間にか周囲は黒ずくめの集団に囲まれていた。ローズとアレクシアでさえ直前まで気配すら察知できなかったのだ。

 

「き、貴様等……まさか『シャドウガーデン』か!?」

 

 黒ずくめの集団の中から一人が歩み出て、アレクシアとローズに視線を向ける。

 

「悪いけど、扉が閉まるまでの間いい子にしていてね。お嬢様方」

 

 その鈴が鳴ったかのような美しい声に2人の肩が震えた。

 まるでこの夜に君臨しているような、圧倒的な存在感を感じた。

 

「イプシロン、後は任せるわ」

「了解しました、アルファ様」

 

 先ほどまで誰もいなかったはずの空間から、イプシロンと呼ばれた豊満な身体の女性が姿を現した。

 

「デルタ」

「はいなのです」

「待て、聖域に入るんじゃない!」

 

 ネルソンの叫びを無視して、アルファと呼ばれた女は黒ずくめの集団を引き連れて光の扉の奥に姿を消した。

 

「何をするつもりなのです、あなたたちは!?」

「あなた方には扉が閉まるまでの間、大人しくしていてほしいだけ。ただし、そのハゲには一緒に来てもらうがな」

「聖域で一体何をするつもりだ!」

「何をするかではなく、そこに何があるかだ」

 

 イプシロンはローズたちを視線だけで牽制する。

 透き通った湖のように美しい瞳が、油断なく2人を見据えていた。

 

「(この女も強い……しかし、いざとなったら……!)」

「動くな」

「ひゃあああ!」

「動くとその女がどうなっても知らないわよ?」

 

 イプシロンはローズとアレクシアから伝わる僅かな敵意を読み取った。彼女の視線の先には、黒ずくめの女に捕らわれたナツメの姿があった。

 

「ナツメ先生!」

「見捨てるのもアリよね?」

「ダメですよッ!」

 

 アレクシアの進言をローズは断固として切り捨てた。

 

「わ、私は大丈夫ですぅ! だから心配しないでくださいぃ!」

「うさんくさ」

「わかるわー、その気持ち」

 

 誰かの呟きが聞こえたような気がした。

 

「我々も内部へ向かう。来いハゲ。そこの女も……」

「ふんっ! ()きたければ貴様だけで()くが良いわ……あの世へな!」

 

 ネルソンが抵抗しイプシロンの気が一瞬だけ引き惹きつけられた。

 

「やれ、処刑人ヴェノムよ!」

 

 その気の逸れた一瞬の隙を突き、突如現れた黒い影が咄嗟に避けるイプシロンを正確に切り裂いた。

 

 一秒が何十秒にまで引き延ばされた極限の集中の中で、イプシロンは自身の胸が斬られるのを見つめていた。

 そしてイプシロンの脳裏に走馬灯のように過去の出来事が流れていく。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 

 イプシロンはエルフの名家の生まれだった。

 昔から気が強く、自分が優れていると疑わなかったし、その優れた面を他人に見せつけずにはいられない性格だった。

 

 事実、彼女は家柄も良く、美しく、頭も良く、武芸にも秀でていた。

 プライドも高く、そのプライドに見合った能力を持っていた。

 

 だからだろう。

 <悪魔憑き>となったあの日、その全てが崩れ去った瞬間、誰よりも彼女は打ちひしがれた。

 

 死んでしまいたい……でも、死ぬのは怖い……。

 全てを失い、生きる意味を失っても必死に生にしがみつく毎日。

 

 そんな彼女の前に、彼は現れた。

 

「よもやこの様な山奥に、死に体のエルフがいるとはな……」

 

 空中に浮く黒ずくめの彼を見たとき、イプシロンは己が死を覚悟した。

 ついに死神が命を刈り取りに来たのだと。

 

 これで、楽になれるのかと。

 

「……死にたいか?」

 

 彼は今にも死にそうなほど衰弱しているイプシロンを真っすぐ見つめて問いかけた。

 

 朦朧とする意識の中でイプシロンは思案する。

 

 死にたい……?

 

 死にたい。

 

 何故?

 

 死んだら、楽になれるから。

 

 ……ほんとに?

 

 何故楽になれる?

 

 何もかも忘れるから?

 

 自分を捨てた両親も、手の平を返した友人も、口汚く罵った使用人も、殺そうとしてくる大人たちも、何もかも忘れて楽になれる?

 

 そんなのは嫌だッ……!

 

 この痛み、苦しみ、怒り、恨み、何一つ忘れてなるものかッ……!

 

「キヒッ、力が欲しいか?」

 

 それは悪魔の囁きだった。

 だが、彼女は迷うことなく力を求めた。

 

 力さえあれば、自分を捨てた者たちに復讐ができる。

 嬲り、苛み、殺し、生まれてきたことを後悔させてやれる。

 

「ならばくれてやる」

 

 そして、甘美な金色の魔力が彼女を包んだ。

 

 その光を、温かさを、イプシロンは今でも忘れることなく覚えている。

 どこか懐かしく、温かく癒すような光に、いつしかイプシロンは涙を流していた。

 

「この世界の真実を教えてやる。付いて来い」

 

 地に降り立ち、先に進むシヴァの背をイプシロンは追いかけた。

 

 何もかも失くした自分はただ醜かった。

 そんな醜い自分が救われて、本当の自分を認められたような気がしたのだ。

 

 家柄も、美貌も、能力も必要なかった。

 大切なものは他にあったのだ。

 

 そして彼女は世界の真実を知り、4人の先輩ともう1人の主に出会い、前言を撤回した。

 

 確かに家柄は必要なかった。

 しかし、能力は必要だった。

 

 得意だった武芸は下から2番目だった。

 この先どうやっても勝てないだろう化け物と完璧超人がいた。

 

 誇っていた頭脳も下から2番目だった。

 頭脳特化と完璧超人に自信をへし折られた。

 

 このままではイプシロンに立場はない。

 

 何よりも美貌が必要だった。

 だからイプシロンは『それ』に出会った瞬間、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

 

 スライムボディスーツ。

 

 一目でその可能性を察知したのだ。

 

 これは盛れる、と。

 

 次の日から、シヴァと共に魔力操作の訓練に特に精を出した。

 その時間はイプシロンにとって、敬愛するシヴァとの時間も得られてスライムボディスーツの扱いも上達する、まさに一石二鳥の時間だった。

 

 シヴァに言われた「常日ごろからスライムで遊んでるといいよ」という助言を盾に、イプシロンはその日から常にスライムボディスーツを身に付け、少しずつ、少しずつ盛っていった。

 

 少しずつ、疑われないように、しかし成長期だからちょっぴり大胆に。

 

 そしてある程度大きくなったとき、彼女は気付いた。

 

 ――質感が足りない!

 

 スライムはあくまでスライムなのだ。

 本物とは質感が違う、揺れが違う。

 

 イプシロンはその日からベータを目の敵のように観察し、数日でスライムを完璧に制御し揺れと感触を再現するまでに至った。

 この時点でイプシロンの魔力制御はアルファも唸るほどにまで極まった。

 

 そして彼女は『緻密』のイプシロンと呼ばれ、皆に一目置かれるようになったのだが、それは既にどうでもよかった。

 ただ、シヴァに褒められたのは跳び回るほど嬉しかった。

 

 だが、喜んでばかりもいられなかった。

 イプシロンは日々ベータを観察し戦慄していたのだ。

 

 ――こいつ、まだ大きくなりやがる!?

 

 それは戦いだった。

 天然と人工の仁義なき戦い。

 

 胸を盛って戦いに勝利し、バランスを取るためお尻を盛った。更にスライムでお腹を締め付けくびれを作り、更にシークレットブーツで脚を延ばし八頭身スタイルを手に入れ、更に……と、細かいところを挙げればきりがない。

 

 要するに彼女は、スライムボディスーツによって究極完璧な肉体を手に入れたのだ。

 

 そこには果てしない努力と、誰にも悟られない油断なき心構えと、憎き好敵手の存在があった。

 そして何より、敬愛する主たちへの想いがあった。

 

 イプシロンの『緻密』は副産物に過ぎない。

 彼女の真の力は、その厚盛りしたスライムによって得られる驚異の物理防御力にあるのだ。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 

 舞い降りた影が剣を振り下ろし、彼女の努力の結晶が斬られていく。

 スライムボディスーツの最も柔らかい2つの塊が宙を舞った。

 

 瞬間、イプシロンは覚醒した。

 

 ――こんなところでッ……!

 

 宙を舞う2つの塊に残った魔力を操作してその形を保つ。それと同時に魔力を引き寄せ、瞬時に元あった場所に接着した。

 肉体から離れた魔力を完璧に操り制御するその技術はまさに神業である。

 

 最後にプルンっと揺れまで再現して復元する。

 これが『緻密』のイプシロンなのだ。

 

 ――バレてたまるかあぁぁあああ!!!

 

「よくやった、処刑人ヴェノムよ……あれ?」

 

 ネルソンは斬られたはずのイプシロンを二度見した。

 しかし目の前には、無傷のままのイプシロンと無残に切り刻まれた肉塊だけ。

 

「見たか……?」

「え……?」

 

 圧倒的な迫力を放つイプシロンの声に、ネルソンはカタカタと膝を震わせる。

 

「何か、見たか……?」

「ひぃッ、な、ななな何も見てないッ! 何もと言うがあああ!」

「来い、ハゲ」

 

 ネルソンの頭を鷲掴んだイプシロンは、そのままネルソンの体を引きずって扉の奥に姿を消した。

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