ミドガル王国の代表する名所の1つに数えられる闘技場。そこは2年に一度開催されるブシン祭で使用するために建てられた、王城に次ぐ堅牢さを誇る大型建造物である。
魔剣士同士の戦いにも耐えられるよう設計させたその闘技場は、小規模な破壊こそ何度か見られたが、過去一度も大規模な破壊が成されたことはなかった。
そんな丈夫な王都闘技場が今、崩壊の危機に瀕していた。
壁や床には大きな亀裂が入り、まるで長年放置された廃墟のように、今にも崩れ落ちてしまいそうなほど心許ない。観客たちはその場に蹲り、今もなお吹き荒れる暴風から身を守っていた。
アイリス・ミドガルもまた、その場でなんとか耐え凌ぐことしかできていなかった。衝撃に目を細め、この破壊の発生源であるリング中央へ視線を向けて、その光景に目を疑った。
「触れて、ない……ッ!!?」
ジミナの振り下ろした剣と、ビモクの抜き放った刀が磁石のように互いに反発し合っていた。稲妻が走り、衝撃波が生まれ続けて闘技場全体に破壊を伝播させていく。
やがて剣と刀の間の空間が歪み、衝撃がその一点に収束する。
直後、空間そのものが爆ぜたかのような轟音と共に、ビモクとジミナの身体を凄まじい衝撃が吹き飛ばした。
——ドガァァァアアン!!!
地揺れにも似た衝撃を最後に、破壊が収まった。
「っ……騎士団は民間人の避難を最優先に! 急いでッ!!」
「は、はい!」
アイリスが常駐していた騎士団に指示を出す。試合が再開すれば、魔剣士はともかく一般人には耐えられない。そのため迅速且つ慎重に、観客の避難を済ませる必要があったのだ。
一通り指示を出し終えたアイリス自身も避難誘導に参加しようとした時、貴族たちの間にどよめきが広がった。
「っ、あなたは、ローズ王女……!」
特別観覧席に現在指名手配中のローズ・オリアナが現れたのだ。
ローズ王女の件はオリアナ王国から正式に国内問題として処理するという旨を通達されていた。そのためアイリスたちミドガル王国の騎士達は、表立って捕縛することはできない。
ただし、それはローズがミドガル王侯貴族たちへ危害を加えていない場合に限る。
咄嗟のことに声を上げたアイリスだったが、すぐに気を引き締め直し、そのもしもを想定して警戒態勢を取った。
「よ、ようやく戻られたのですね、我が愛しのローズ王女! ささ、陛下もお待ちかねです!」
ドエムは心の底から歓喜し、安堵した。ローズを歓迎する言葉は、そのすべてが彼の嘘偽りない本心だった。
ジミナという新たなバケモノの出現により、ドエムの胃は悲鳴を上げていた。ローズが現れなければ計画は完全に破綻していた。
周りに人がいなければ、ドエムはローズに泣いて感謝しただろう。それほどまでに、ドエムは追い詰められていた。
「ろぉ……ず……。よく……もどっ、た……」
ドエムに促され、オリアナ国王が虚ろな目をして立ち上がり、ローズに歩み寄った。
そしてローズは皆の視線を一身に受けながら、オリアナ国王の前で片膝を着いた。
「お父様、私は謝罪に参りました。今までのことを……そして、これからのことを……」
ローズは顔を伏せ、静かな声音で言った。
「私は間違いを犯し、そしてこれからも間違うでしょう。しかし、私はオリアナ王国の王女として、そしてあなたの娘として……私は、私の信じる道を進みます」
静かな、それでいて力強い言葉だった。
誰もが避難を忘れ、食い入るようにローズを見つめる中、先ほどとは違う意思のこもった瞳をした父が笑った。
「……お前の罪を許そう」
「っ!」
「っ、おい! そんな言葉は指示していないぞ! 何を勝手に……!」
片言ではない、もう二度と聞けまいと覚悟していた愛する父の優しい声音に、ローズは静かに涙を流した。そしてローズは覚悟を新たに顔を上げ、父に怒鳴り声を上げるドエムを視界に収めた。
「ありがとうございます……お父様」
「ッ!」
感謝の言葉を口にして、ローズはドエムへ襲い掛かり、愛剣を突き放った。
しかし、その切っ先はドエムを貫くことはなく、彼が咄嗟に盾としたオリアナ国王の胸へ深々と突き刺さった。
ローズは震える手で、愛する父の命が消え逝くのを感じ取った。
「ろぉ……、……おま……えを……あい——」
ローズは深々と突き刺さった細剣を勢いよく引き抜き、支えを失ったオリアナ国王はその場に倒れた。
「なっ……ん、だと……!? 躊躇いもなく、親を殺すなど……!」
ドエムは血だまりが広がっていくオリアナ国王の死体を呆然と眺めながら言った。
「人の心がないのかッ!? 貴様ッ!! 一体誰のためにこの傀儡を……!!」
怒りに顔を染め、ローズの方を見たドエムは目を見開いた。
ローズは未だ血の伝う細剣を自身の首筋に当てがっていたのだ。
「これが私の最期の務め……」
ローズはドエムの狙いが自分自身であることを見抜いていた。そのため傀儡となった父を殺すことで解放し、そして自らも死ぬことでドエムの手札と目的を同時に消し去る決意をしたのだ。
「ッッ!! 止めろぉぉぉおおお!!!」
ドエムは咄嗟に大声を上げ、教団の私兵に命じた。ローズを失うということは、計画の完全崩壊を意味していたから。
貴族たちに扮していた『ディアボロス教団』のメンバーが、一斉にローズへ跳び掛かった。
しかし、ほんの数ミリ剣を動かしただけで自死が図れるローズには間に合わない。
ローズが腕に力を入れ、首を断ち切ろうとした時……。
「——それが貴様の選択か」
深淵から響くような声が聞こえた。
そして、一人の人影が音もなく舞い降りて、ローズに襲い掛かっていた教団メンバーを一掃した。
それは先ほどまでビモクと戦っていた、ジミナ・セーネンだった。まさかの乱入に、その場の全員が目を見開く。
その中でも一際驚愕したアイリスは、咄嗟にビモクが吹き飛ばされた先へ視線を向けるが、彼の姿は見当たらなかった。
「偽りの時は終いだ……」
皆の視線を一身に受けたジミナはそう呟いて、黒い流体に包まれた。そして次に姿が見えた時には、皆はその瞳を更に大きく見開いた。
漆黒のコートに身を包んだ、現在指名手配中のシャドウその人だった。
「我が名はシャド——んんっ、違った……我が名はシャド——」
「スタイリッシュ、盗賊スレイヤーさん!?」
「え……?」
名乗りをローズに邪魔されたシャドウは、小さく間抜けな声を漏らした。
『スタイリッシュ盗賊スレイヤーさん』——それはシドがまだサイと出逢う前、修行期間中に名乗っていた偽名である。
過去にシドは盗賊狩りで戦いの経験を積んでいた際、偶然にも盗賊に誘拐されたローズを救い出したことがある。その時適当に名乗った名前が『スタイリッシュ盗賊スレイヤーさん』なのだ。
まさか今になってその名を聞くことになるとは思わなかったシドは、「そんな時期もあったなぁ」と呑気に記憶を掘り起こしていた。
「あなたはあの時から孤独を恐れず、悪と戦い続けてきた……。なのに私は……すぐに楽になりたくて、死を選ぼうとした……。まだ戦えるはずだったのに……辛くて……怖くて……」
「顔を上げろ」
「っ」
思考がマイナスへ寄っていたローズは、ハッとして顔を上げた。シャドウのフードの下から覗く瞳が、彼女の姿を捉えていた。
「貴様の戦いはまだ終わっていない」
「っ!」
ローズはその言葉を聞いて、足下に視線を向けた。そこには血だまりの中に倒れ伏す父の姿があった。
ローズは悲痛に顔を歪め、振り絞るように「はいッ!」と声を上げ走り出した。
「待て! 逃がすな!!」
ドエムが一歩踏み出そうとしたところに、シャドウがスライムソードを突き出した。
「ッ! スタッ……いや、シャドウ……! クソッ! 増援はいないのか!?」
ドエムが声を荒げるが、味方は誰一人として現れなかった。既に『シャドウガーデン』が闘技場内部に忍び込み、潜んでいた『ディアボロス教団』を全て駆逐していた。
この場に、シャドウへ挑める者は残っていなかった。
「……私がやる」
——私欲にまみれた二匹の獣を除いて。
ベアトリクスの静かな呟きが響いた。
先に飛び出したのはアイリスだった。
灰色の世界へ踏み込み、一歩目から最高速に達したアイリスはシャドウに肉薄した。
ベアトリクスは僅かに遅れながらも、アイリス以上の速度でシャドウへ迫る。そしてアイリスとほぼ同時に、シャドウに剣を届かせた。
シャドウは同時に迫る二つの神速の斬撃を、剣一本を器用に使い、完璧に受け止めて見せた。
躱すだろうと予想していたアイリスとベアトリクスは、僅かに目を見開き、その技量の高さに頬を吊り上げた。対するシャドウも愉快そうに笑みを浮かべ、青紫色の魔力を昂らせた。
そして、三本の剣の衝突によって生まれた衝撃で、特別観覧席が崩壊した。
◆◇◆◇◆
雨が降りしきる中、三人は闘技場から少し離れたとある建物の屋根の上で戦いを続けていた。
キンッ、ガキンッと金属同士の激しくぶつかり合う音が、絶え間なく鳴り響く。
アイリスの『力の流れ』を意識した不規則な軌道を描く斬撃を。
ベアトリクスの太刀とは思えないほど洗練された流麗な斬撃を。
シャドウは剣一本を器用に使い、その全てを完璧に凌ぎ続けていた。
足運びの技術、淀みない重心の移動、状況判断能力、そのどれもが至高とも言える一線級の技術の結晶。
アイリスは戦慄した。
——その完璧を超え、超越したシャドウの美しい剣技に。
ベアトリクスは興奮した。
——数百年積み上げてきた自分の剣が、通用しない強者の存在に。
しかし、二人は決して攻撃の手を緩めることはなかった。
冷や汗を垂らし、口角を吊り上げ、逆に動きのペースを加速度的に上げていく。
シャドウもその様子に、薄く笑みを浮かべた。
三人はこの戦いを、心の底から楽しんでいた。
しかし、その時間は唐突に終わりを告げる。
「ッッ!!?」
突如アイリスの膝から力が抜け、ガクッと態勢が崩れた。それに気付いたベアトリクスは、大振りを仕掛けることでシャドウを大きく後退させた。
「大丈夫?」
ベアトリクスはシャドウから視線を外さないまま、剣を支えにして膝を着くアイリスへ声を掛けた。
「はぁ……はぁ……あ、足に、力が……っ!」
荒い息をつきながら足に力を込めるアイリスだったが、膝はガクガクと笑って上手く立ち上がることができなかった。
アイリスの身体はとっくに限界を迎えていた。
気力まで使い果たしたビモクとの試合。早朝にかけて行った灰色の世界の修行。そして、激しさを増し続けるこの戦い。傷や体力は回復しても、身体に蓄積された疲労までは回復し切れていなかったのだ。
「……後は、任せて」
何度も立ち上がろうとして、その度に崩れ落ちるアイリスへ向けて、ベアトリクスは静かに言った。
「ッッ……! …………はい……ッ! お願い、します……ッ!」
アイリスは奥歯を噛み締め、震える声で言った。
数分もすれば立ち上がれるくらいには回復するだろうが、あの戦いに付いて行くほどの回復は見込めないと理解していた。
ベアトリクスがシャドウへ駆け出すのを横目に見ながら、アイリスは悔しさで自身の膝を強く握り締めた。
「(泣くな、アイリス・ミドガル……ッ! この悔しさを一滴たりとも余さず、心に刻み付けろ……ッ!!)」
込み上がってくる熱い
「(これは自分の鍛錬不足が招いた結果だ、受け入れろ……ッ! そして、二度と同じことがないよう、心に刻め……ッ! 恥として、傷として……ッ!!)」
アイリスはそう何度も自分に言い聞かせた。
しかし、アイリスはこのたった二日間で、自分より強い相手と戦う楽しさを知ってしまっていた。
そして、ビモクの時とは違い、不本意な形で中断されたシャドウとの戦い。
最後まで戦うことすらできない悔しさは、勝負に負けた時以上の苦痛だった。
「(
下唇を噛んで血を流し、膝の骨が痛みを訴えるほど強く握る。
痛みで思考を乱し、込み上がってくる熱いものを内に押し込めた。
しかし——。
「…………くやしい……っ」
ポツリと、小さな本音がこぼれ出た。
そして、それを合図にアイリスの視界が滲んでいく。
「(あぁ……だめだ……抑えられない……)」
アイリスは抑え込んでいた感情が、堰を切ったように溢れ出していくのを感じた。その時……。
——ポンっと、頭に軽い衝撃を感じた。
「っ……ビ、モク……?」
頭に伝わる確かな温もりに、アイリスはゆっくりと顔を上げ、呆然と呟いた。
ビモクはアイリスの頭の上に手を置いて、彼女の顔を覗き込むようにしゃがんでいた。
そしてアイリスに伸ばした逆の手を顎に当て、「ん~……?」と眉根を寄せて何かを考えていた。鼻先が触れてしまいそうなほど近づいたビモクの美しい顔に、アイリスは思わず目を奪われた。
しばらく無言で見つめ合った後、ビモクが「え、」と声を漏らした。
「え、もしかしてガチ泣き? マジで?」
「ッッ~~~!! 違うッ!!!」
ビモクの一言に、アイリスは羞恥で顔を真っ赤に染めて目元を腕で覆い隠した。
「ハハッ、別に隠さなくていいのに。王国最強(笑)さんでも泣くことくらいあるよ……
「ッッ~~~!! クッ、殺せ……ッ!」
「やだよ。そしたらアイリス、また泣いちゃうじゃんw」
わざわざ「2回」と強調するビモクに、アイリスは先日の救護室での一件を思い出し、羞恥で死にたくなった。
そしてその頃には、先ほどまで心の中を支配していた『悔しさ』は、鳴りを潜めていた。
「さて、これ以上虐めるとまた泣いちゃいそうだから、このくらいにして……」
「ッ、私は泣いてなどいませんッ!!」
顔を真っ赤に染めて声を上げるアイリスをしり目に、ビモクはスッと立ち上がった。
そして着ていた羽織を脱いで黒いインナー姿となったビモクは、その脱いだばかりの羽織をアイリスへと投げ渡した。未だ立つことができないアイリスは、ふわりと浮かぶそれを優しく受け止めた。
「それ、持ってて。正直めっちゃ邪魔だからさ」
ビモクはその場で軽くストレッチをしながら言った。
アイリスは受け取った白い羽織へ視線を落とした。袖口は広く、裾は膝下付近まで伸びている。
確かにこれでは動きを阻害してしまうだろうと、アイリスは納得した。
そして、それと同時に気付いた。
——これは一種の枷だったのだ、と。
それを脱いだということは、ここからが——ビモクの本気。
アイリスは顔を上げて、ビモクの背中を見た。
その背中は、 先ほどとは違って酷く鮮明に見えていた。
「私も……必ず、追いつきます。その背中に……」
自然と、そんな言葉が漏れた。
その言葉が彼らの隔絶された強さに対するものなのか、今から始まる戦いを見届けることに対してのものなのかは、正確にはわからない。あるいは両方に対しての言葉だったのかもしれない。
ただ確かなのは、その言葉に嘘はないということ。
ビモクは顔だけ振り返り、アイリスへ向けて自身の背中へグッと親指を立てた。そして、ニカッと歯を見せて笑った。
「ハハッ、ばっちこい!」
その言葉を最後に、ビモクの姿が音もなく消えた。
最終決戦前のあのシーンを入れられたことに満足です。