薄暗い地下道を1人の男が歩いていた。
歳は30代半ばを過ぎた頃だろう。鍛えられた体躯に鋭い眼差。灰色の髪をオールバックに纏めている。
彼の足は地下道の突き当たりで止まった。目の前には厳重な鉄の扉の脇に2人の兵士がいる。
「カゲノー男爵家の娘はここか」
「この中です、オルバ様」
問いかけられた兵士はオルバに敬礼し、扉の鍵を開けた。
「お気をつけ下さい。拘束していますが、非常に反抗的です」
「ふん、私を誰だと思っている」
「っ! し、失礼しました!」
オルバは扉を開け、部屋の中に入った。
そこは石造りの地下牢だった。壁に固定された魔封の鎖に1人の少女が繋がれている。
「クレア・カゲノーだな」
オルバの呼びかけに、クレアと呼ばれた少女は顔を上げた。
美しい少女だった。
寝ているところを連れ去られたからか、薄いネグリジェ姿で、豊かな胸の膨らみと瑞々しい太ももが覗いている。絹のような黒髪は背中で切りそろえられ、気の強そうな目がオルバを睨み上げた。
「あなたの顔、王都で見たことがあるわ。確かオルバ子爵だったかしら?」
「ほう、昔近衛にいたが……。いや、ブシン祭の大会でか」
「ブシン祭ね。アイリス王女に無様に斬られていたわ」
フフ、とクレアは笑った。
「ふん、試合という枠内ならばあれは別格だ。もっとも実戦で負けるつもりはないがね」
「実戦でも変わらないわ。決勝大会一回戦負けのオルバ子爵様?」
「ほざけ。決勝の舞台に立つことがどれほどの偉業か分からぬ小娘が」
オルバはクレアを睨みつけた。
「私なら後1年で立てるわ」
「残念だが、貴様に後1年はない」
――ガチンッ!
クレアを繋ぐ鎖が鳴った直後、オルバの首筋ギリギリで彼女の歯が噛み合わされた。オルバが僅かに首を傾けなければ、頸動脈を噛み切られていただろう。
「1年後生きていないのは果たしてあなたか私か。試してみる?」
「試すまでもなく貴様だ、クレア・カゲノー」
獰猛に笑うクレアの顎を、オルバの拳が打ち抜いた。
クレアはそのまま石壁に叩きつけられ、しかし変わらぬ強い瞳でオルバを見据える。
オルバは手応えのない拳を下ろした。
「後ろに跳んだか」
「あら、蠅でもいたかしら?」
「ふん、高い魔力に振り回されるだけではないらしいな」
「魔力は量ではなく使い方だと教わったわ」
「いい父を持ったな」
「あのハゲに教わることなんてないわ、セイに教わったの」
「セイ……? セイ・キョーシャか」
「魔力量は大したことないのに、戦えば毎度ギリギリの戦いになるの。鍛錬も真面目に受けていないのに実力はこの私と同等。それに加えて私はいつもセイから剣を学んでいる。ほんっとに腹立たしいったらないわ」
言葉は強いが決して心の底から恨んではいないのだろう。
クレアはどこか清々しく、いたずらっぽい笑みを浮かべてそう言った。
「ふん、いい友を持ったな。さて、無駄話はこのぐらいにして……」
オルバは言葉を切ってクレアを見据えた。
「クレア・カゲノー。最近身体の不調はないか? 魔力が扱い辛い、制御が不安定、魔力を扱うと痛みが走る、身体が黒ずみ腐りはじめる、そういった症状は?」
「わざわざ私を連れ去って、やることは医者のまねごと?」
クレアは艶やかな唇の端で笑った。
「私もかつては娘がいた。これ以上手荒な真似はしたくない。素直に答えてくれることがお互いにとって最善だろう」
「それって脅し? 私は脅されると反抗したくなる性質なの。たとえそれが非合理的であったとしても」
「素直に答える気はないと?」
「さて、どうしようかしら」
オルバとクレアはしばらく睨み合った。
静寂を先に破ったのはクレアだった。
「いいわ、大したことじゃないし答えましょう。身体と魔力の不調だったかしら? 今は何ともないわ。鎖に繋がれてさえいなければ快適そのものよ」
「今は?」
「ええ、今は。1年ぐらい前かしらね、あなたの言った症状が出ていたのは」
「……なに、治ったというのか? 勝手に?」
オルバが知る限り『アレ』が自然に治ったという事例はない。
「そうね、特に何も……あ、そうそう。弟にすとれっち? よくわからないけど、それの練習させてくれとか頼まれて、なんだか終わったらとても調子がよくなっていたわ」
「すとれっち? 聞いたことがないな……。だが症状が出ていたということは、まず適合者で間違いないか」
「適合者……? どういう意味よ」
「貴様は知る必要のないことだ。どうせすぐ壊れる。ああ、貴様の弟も調査す……」
オルバがそこまで言った瞬間、彼の鼻骨に衝撃が走った。
「ぐっ!?」
オルバは扉まで後退し、鼻血を押さえてクレアを睨む。
「クレア・カゲノー、貴様……!」
四肢を鎖で拘束されていたはずの彼女だったが、右手首の鎖だけがどういうわけか外れて、そこから血が流れ出ていた。
「手の肉削いで、指も外したかっ……!?」
彼女を拘束していた鎖はただの鎖ではない、魔封の鎖だ。つまりクレアは純粋な筋力だけで、己の手の肉を削ぎ落とし、骨を砕き拘束を外し、オルバを殴りつけたのだ。
その事実にオルバは驚愕した。
「あの子に何かあったら、絶対に許さない! お前も、お前の愛する人も、家族も、友人も、全て残らず殺してっ……!?」
オルバの全力の拳がクレアの腹を殴りつけた。魔封の鎖に繋がれている彼女に、魔力で強化されたオルバの一撃を防ぐ術はない。
「小娘がっ……!」
オルバは吐き捨て、クレアは崩れ落ちた。
クレアの右手から流れ落ちた血が床に赤黒い染みを作る。
「まあいい。これで分かる……」
オルバが呟きその血に手を伸ばす。
その時、兵士が息を切らせて扉を開けた。
「オルバ様、大変です! 侵入者です!」
「侵入者だと!? 何者だ!?」
「分かりません! 敵は少数ですが、我々では歯が立ちません!」
「くっ、私が出る! お前たちは守りを固めろ!」
オルバは舌打ちして踵を返した。
◆◇◆◇◆
オルバがそこに着くと、すでに辺りは血で染まっていた。
この重要施設を守る兵たちが、弱いはずがない。中には近衛に匹敵するほどの実力者もいた。それが……。
「どうして、こんな……!」
この地下施設のホール、唯一外の光が差し込むそこは、無数の死体が転がっていた。
全て一太刀。
圧倒的な実力差によって斬り伏せられていた。
「貴様等が……!」
オルバが睨みつけるその先に、黒いボディスーツに身を包んだ集団がいた。身体の膨らみから見て、いずれも小柄な少女だ。
全部で5人。しかし月明かりでのみ照らされるこの空間では、目を懲らさなければ見失いそうになるほど気配が希薄だ。
彼女らは類い希な魔力制御によって、その気配をコントロールしているのだ。
いずれも自身に匹敵し得る実力者。オルバはそう認めた。
その中の一人、全身に血を浴びた獣人と思われる少女が、月光の下でオルバを見据えていた。
「っ……!」
その瞬間、オルバの本能が萎縮した。
理由はない、ただ危険だと。そう伝えてきた。
全身の黒いボディースーツは浴びた血を滴らせ、ぽたりぽたりと床に跡をつける。
「何者だ、何が目的だ?」
オルバは動揺を抑えて言った。自身に匹敵する実力者が不幸にも5人いるのだ。
戦闘は下策。
オルバは自身の不運に嘆きながらも、打開策を探る。が、しかし、血濡れの少女はオルバの言葉を聞いていなかった。
嗤った。
血濡れの少女はただ嗤った。
狩られる……! とオルバが本能的にそう感じ取った瞬間、別の少女が前に出た。
「下がりなさい、デルタ」
その一言で血濡れの少女の動きが止まり、そのままあっさりと後ろに引いた。
オルバは安堵の息を吐いて見送り、入れ替わるように前に出た少女を見据える。金色の髪を持つ美しいエルフの少女だった。
「我等は『シャドウガーデン』……陰に潜み、陰を狩る者」
「『シャドウガーデン』だと……?」
オルバには聞き覚えのない組織名だった。
「目的は……『ディアボロス教団』の壊滅」
「なっ……!?」
オルバはその少女から発せられた言葉に目を見開いた。
『ディアボロス教団』。その名はこの施設でも、オルバを含め数人しか知らない名だった。
少女はオルバの反応を見て満足げに笑みを浮かべる。
その様子にオルバは自身の失態を悟った。
自身が動揺したことで、自分が『ディアボロス教団』と関りがあることを自らが証明してしまったのだ、と。
「我々は全てを知っている。魔人ディアボロス、<ディアボロスの呪い>、英雄の子孫、そして……<悪魔憑き>の真実を」
「な、何故それを……! 一体、どこで知ったッ!」
その少女が言った言葉の中には、オルバですら最近知らされた内容もあった。外部に漏れるはずのない、決して漏れてはいけない極秘事項だった。
オルバは剣を抜き放ち、エルフの少女に襲い掛かる。
目的は生存。
『シャドウガーデン』なる組織の存在を本部に持ち帰るため、オルバは前に出る。少しでも隙を作って、この場から離脱するために。
しかし少女は容易くその剣をいなし、斬り返す。
オルバの頬が裂け、血が舞う。だが、オルバは止まらない。何度避けられても、何度斬られても、オルバは剣を止めず勝機を探る。
致命傷はなかった。
彼女は情報を聞き出すまで殺すつもりはないのだ、オルバはそう見抜き、嗤った。そこに勝機を見出したからだ。
何度目かの空振りの後、ついにオルバは胸を斬られ、たまらず後退した。その隙に懐から瓶を取り出し、中の錠剤を飲み込んだ。
瞬間、不気味な赤黒い魔力がオルバの体から暴風のように溢れ出し、空気を震わせる。
オルバの肉体が一回り膨張し、肌は浅黒く、筋肉は張り、目が赤く光る。そして何より、魔力の量が爆発的に増加していた。
「っ……!」
予備動作なく薙払われたオルバの剛剣を、エルフの少女は瞬時に防ぐが、その衝撃に顔をしかめて、跳ね飛ばされるようにして距離を取る。
「面白い手品ね」
「クッ……!」
オルバは、これでも足りないのかと、エルフの少女の力量に驚愕した。そこそこの強者であっても、先ほどの一撃は反応すらできずに終わっていただろう。
倒すのは無理だ、と判断したオルバが逃走を強行しようとして剣を振り上げた瞬間……。
――チリンッ
鈴の音が響いた。
【セイ・キョーシャ】
サイの二歳年上の姉。
魔力量は上の下くらいだが動体視力と観察眼がずば抜けており、実力はクレアに並ぶ。
手合わせの時、サイが咄嗟に出してしまう受け流しや足運びを見て盗み、魔力に頼らない技術を身につけている。