退廃のアンサンブル 作:奏を守り隊
「ごほっ、ごほっ……ぁ……くっ……」
硬い床の上で、大きく咳をして目が覚めてしまった。最近掃除をしていないからか、かなり埃っぽい。ただでさえ喘息なのにこうも空気が澱んでいては床で寝れるはずもない──とは言っても、昼頃から寝落ちして数時間は倒れていたらしい。重い身体を、妹と同じくらい細い腕で支えて上半身を起こす。
「……今……四時か。ちょうど良い時間かな」
細い四肢に力を入れて立ち上がる──と、破り捨てたスケッチブックを踏みつけた。そこに書かれているのは、いつも書き殴ってる僕の絵。銀髪の女性の──記憶の中の母親の絵。
ため息が出る。イメージと全然違う。技術的には問題ないと自負しているが、感情的な面が全く揺さぶられない。僕の胸を埋め尽くす哀愁を何一つ筆に乗せられていない。こいつも不良品だ。
「ごほっ……はぁ、いつまでもうまくいかないね」
絵を丸めてゴミ箱に捨てる。部屋中に全く同じ絵が散乱し、そのどれも僕にとって一様に不良品だ。こっちも進展なし──僕はシンセサイザーに繋がったパソコン近くに広げた楽譜を手に取る。
近場の電子ピアノで弾く──ああしっくりこない。無感情に、楽譜を破り捨てた。こんな凡庸な音、全く価値を感じない。
「はぁ……いつも通り。仕方ないな……ごほ、体調は安定してるし、今日は学校行くか……」
神山高校定時制。貧弱で病がちな僕でも無事今年で卒業できそうな学校。ここまできて留年なんて冗談になってない。
ボサボサの銀髪を手櫛で整えて、ヘアゴムで適当に一本に縛る。前髪がさらりと落ちて目にかかった。髪は長い方が好きだ。自分の青い目と、綺麗な顔立ちも好きだ。母さんと妹によく似ているから。
身だしなみを整えた僕は制服に着替え、フラつく足で部屋を出た。
「あ……お、おはよう、兄さん……」
「……おはよう、奏。この時間に起きてるなんて珍しいね。それとも寝てない?」
「ううん、今起きた……」
リビングに降りた所で、僕の唯一残った家族──妹の奏がもそもそと食事をしていた。僕が余裕ある時に作り置いたものと、僕たちによくしてくれる望月さんが作ってくれた品々。僕も何も食べていないが、今はかなり食欲がない。緩慢な動きで、目覚ましの水道水をコップに汲む。
「兄さん、身体は大丈夫?」
「大丈夫だよ……ごほ。いつも通り」
「うん……無理しないでね」
僕の身体を慮る奏だが、その声や表情は少し固い。怖がっているような、探っているような雰囲気。
昔のように仲良くしてやりたい。一緒に住むたった一人の家族なのだから。だが、僕にこの子の心を埋めてあげられるような言葉は出せない。
だから描き、そして曲を作る。失ったもの全てを再現するために──それは茨の道だけれど。
「お前こそ、無理しないで。25時までもう少し寝ていたら?デモはできているんでしょ?」
「うん……でも、つくりつづけなくちゃ」
「……そう。まあほどほどに」
作曲を前にしたこの子は梃子でも動かない。寝起きだと言っていたし、多少は大丈夫か。
水を飲み干して、僕は踵を返す。リビングのドアノブに手をかけて、顔だけ妹の方に振り返った。
「行ってきます」
「うん、いってらっしゃい、兄さん」
奏に手を振る。そして、合わせるでもなく二人で声を揃えて言った。
『25時、ナイトコードで。』
★★★★★
「──その栄誉を讃え、ここに賞します。全国定時制絵画コンクール最優秀賞、
「…………」
今日表彰式があったことを忘れていた。覚えていたら来なかった。今日は爆発にも巻き込まれなかったし、良い子だけどうるさい彼にも会わない良い日だと思っていたのに。
良いことだろうと、定時制の少ない生徒も前だけだろうと、こうして人前に出ないといけないのは嫌いだ。形式的な文言で僕を讃える校長の手より、賞状を頂く。
「素晴らしいよ宵崎君、さすがだね!これなら、私たちも胸を張って君を芸大に推薦できるよ!」
「……ありがとうございます」
さっさと席に戻りたくて、僕は適当に頭を下げる。妙に上機嫌な校長に送り出されて自分の席に帰り、一瞬で疲弊した身体で腰を下ろす。作品を人に見せるのは構わないけれど、僕まで人前に晒されるのは本当に慣れない。
席に戻った後、校長が長い話をしてすぐに表彰式は終わった。僕一人のために集会なんてしなくてよかったのに。
賞状を丸めて、周りの生徒たちの流れに沿ってそそくさと教室に戻ろうとする。だが──
「宵崎先輩!」
「……東雲さん」
俗と僕の背中に、ハスキーな声がかけられる。よく覚えのある声を無視するわけにもいかず、緩慢に振り返った先には、やはり後輩の東雲絵名さんがいた。なんだか苦虫を噛み潰したような表情で僕を見ている。
彼女も僕と同じコンクールに絵を出している。だが先ほどの表彰式で名前を呼ばれなかったということは──まあ、そう言うことだろう。
「最優秀賞なんて流石ですね。先輩に絵を教えてもらっている身として私も鼻が高いですよ」
「……はは。そんな怖い顔で言われてもね」
率直に言って、僕は彼女の扱いがあまり得意じゃない。気が強いし、なんだか僕のことを目の敵にしている気がする──詳しくは聞いていないが、東雲さんは自分の絵の才能にコンプレックスを抱えているように思う。故に、嫉妬や羨望──そう言う感情を僕に向けていているのがわかる。そうして人に意識されるのは、あまり好きじゃなかった。
「2年連続で最優秀賞とか……何でそんな当たり前みたいに取れるんですか。私と違って……」
「ごほっ……はあ、巡り合わせだよ。多分ね」
彼女と知り合ったきっかけは大したことじゃない。今日のように、コンクールで最優秀賞を取った僕の絵を見て、彼女が話しかけてきて、なし崩し的に東雲さんに絵を教えることになった。僕も自分に行き詰まりを感じているから、渡りに船といった気分で了承したのだ。
初めは人に教えることなど興味を持てなかったが、彼女は必死に僕から技術を盗んでいき、ゆっくりでも力を伸ばしている。人の成長を見るのは存外楽しくて、自分でも意外だが、性格的には合わない部分も多いのにこうして1年以上縁が続いていた。
「巡り合わせって、そんな適当な……これだからできる奴は……あーもう!先輩!今日も講義してくれますよね!?」
「ごほ……ごめん、今日は無理。夜は妹のご飯を作ってあげないと」
「う……家族のことなら仕方ないか……」
東雲さんは力無くため息をつく。ちょっと心が痛むが仕方ない。
それに、別にいいだろう。顔を合わせて授業はできないが、どうせ
「あっ、もう授業始まっちゃうじゃん!それじゃあ先輩、明日とか明後日は空けておいてくださいよ!」
「ああ善処する。じゃあね」
時計を見て、東雲さんが2年の教室へと消えていった。
さて、僕も行こう。いくら芸術で結果を出していても、授業態度が悪すぎれば推薦はもらえないから。
☆☆☆
「……うん」
深夜。僕は自室で、ブルーライトを全身に浴びていた。
パソコンで立ち上げているのは作曲サイト。頭の中で既に骨組みはできている、あとはそれを出力するだけ。独り言を漏らしながら、カチ、カチと規則的なクリック音が静寂に響き渡る。
「……ああ、違うか?」
時折、パソコンのポップアップ通知が降りてきて、否応にも目に飛び込んでくる。
『
褒められるのは人並みに嬉しい。だけど──僕は眉間に力が入る。
あの程度の曲が、こんなに評価されていいのだろうか。
「……はあ」
そのまま作業に没頭していたが、独特の通知音で意識を引き戻される。時計を見ると既に25時を回っていた。
一旦作業の手を止めて、パソコンのボイスチャットアプリ──『ナイトコード』を立ち上げる。ヘッドホンをつけ、いつも通りの操作を経て、軽く咳払いして喉の調子を整えた。
軽いクリック音と共にVCルームへ入る。聞き馴染みのある複数の声が、一気に流れ込んできた。
『ごめん、ちょっと遅くなっちゃった』
『あ、雪!おつかれー、昼間大変だもんね、えななんと違って』
『どういう意味?私だって大変よ』
『……
四人の少女の声。明るく優しい声の『雪』、楽しげでテンションの高い『Amia』、気の強そうでな芯のある『えななん』、細く、だが存在感のある『K』──Kに所在を聞かれた僕は、ミュートを解除して囁く。
『今来たよ』
『25時、ナイトコードで。』インターネット上で活動する謎多き音楽サークル──つまり僕たちのこと。Kと
とおさんの音楽を引き継ぐあの子が中心となって作り上げた音楽なんだ、僕が敵うはずもない。むしろ、それが嬉しく思える。
『よかった。音源できたから、ミックスお願い。ファイル送るね』
『うん』
そう言って、Kから音楽ファイルが送られてくる。それを開けば、いつものような素晴らしい音楽が僕の耳を癒してくれる。
Kの曲──奏の曲、妹の曲。父さんと同じ、優しい音色の歌。あの日から悲しみの重さがその音に混じっているけれど、それでも温かさは消えていない。
『それじゃあ、全員揃ったし改めて作業始めよっか!』
『そうだね、滞りなく進めば今日でほとんど完成まで持っていけるかな?』
Amiaと雪の声がする中、僕はKから送られてきた音源を調整する。割れ物を扱うように、彼女の音の良さを存分に発揮できるように、心を込めて向き合う。妹と共に、父さんのような曲を作り上げたいと言う一心で──僕と奏が失った全てを、取り戻したいと言う一心で。
プロフィール
名前:宵崎照
性別:男性
誕生日:4月5日
身長:161cm
学校:神山高校(夜間定時制)3-B
趣味:芸術創作全般
特技:絵・作曲
苦手なこと・もの:激しい運動、体力を使うこと
『25時、ナイトコードで。』の作詞作曲補佐・MIX担当。
同じサークルで活動するKの実兄。妹のことをよく気にかけているが、距離感を掴みあぐねている。同じ人物モデルの絵を何枚も描き破り捨てる、納得のいかない楽譜を燃やすなど、自分の創作物に異様な想いを持っている。