大枠に羽目られた透き通る窓の外には地平線をなぞるように輝く街光とビル街が描かれる。
落ちたら死ぬ、なんて生易しい言葉では表現が効かないくらいに高い位置から見下ろす景色は、まるでプールの底を覗くように揺らいでいた。
待ち人は私達の到着よりも先に着いていたらしい。
ただ、私達が遅刻したわけではない。
先輩は急ぐ様子もなく、ボーイに促されるままに脚を動かした。
「比企谷さん、お久しぶりね」
「……はい」
「ふふ、相変わらず無愛想ね。……あら?そちらの方は……」
雪ノ下先輩や陽乃さんに似てるといえば似てる。
立ち振る舞いなんかは雪ノ下先輩にそっくりだ。
いや、雪ノ下先輩がこの人に似たのか。
細い身体にも関わらず、幹のように一本の線を感じさせる姿はまるで大樹のように凛々しい。
2人の娘を持った人とは思えない若々しさと気品を目の前に私の脚は竦んでしまう。
「妹です。就活の練習に連れてきました」
「あ、は、はい!比企谷 小町です!よろしくお願いします!」
「へぇ、あなたが……。仲が良いのね。うちの娘達に見習わせたいわ」
雪ノ下先輩のお母さんと会うにあたり先輩は私に…
『今日一日、小町の振りをすることを認める』
と言いつけられた。
深く理由は聞かなかったが、先輩がそう言うのならそうした方が良いのだろう。
少なくとも、会食の場に知らない女を連れてくるよりは妹で通した方が体裁が効くのかもしれない。
優しく微笑みながら談笑を始めた雪ノ下先輩のお母さんを前に、先輩はどこか警戒しているように言葉を選んでいた。
「比企谷さん。うちの娘達が迷惑を掛けていないかしら?」
「掛けられてますね。親子3人、揃いもそろって面倒な人達です」
「あら、それは大変。私からも言っておくわね。2人に」
「……。それで、何か用があるんじゃないですか?」
「唐突ね。どうしてそう思うの?」
「逆になんでそう思わないんですか?あなた程忙しい人が、わざわざ時間を作ってまで場を設けたんだ。そう思うのは当然でしょ?」
「別に時間なんて幾らでも作れるわ。まぁ、用事と言うよりもお説教の方が正しいけど」
滞りなく流れる会話に間が空いた。
周りの雑踏もそれに合わせたように静かになる。
雪ノ下先輩のお母さんは、冷たい視線で先輩を見つめながら言葉を続けた。
「あの物語。私が望んだ結末じゃないわ。物語だからこそハッピーエンドを感じたいのだから」
「……。現実主義なんですよ。フィクションだからこそ、それはシビアに書こうと思いまして」
「あら、私へのあてつけかと思ったけど」
「思い過ごしですね。興味がないなら読まなければいい」
「興味はあるわ。じゃなきゃ、あんな約束しないもの」
淡々と興じられる会話の押収。
トゲのある言葉に、エッジの効いた回答。
そして、私の知らない”約束”。
先輩はその言葉を聞くと、少し考えるように口を閉じた。
私は妹としてここに居る。
だからこそ、先輩の背中を後押しするようなことを言っても、先輩の盾になっても間違った振る舞いではない。
ただ、一色いろはとして、そこまで立ち入って良いのかは分からなかった。
「あなたの興味が失われていなくて良かった。言っておきますけど、約束の反故は許しませんよ」
「ふふふ、雪乃にあなたがそこまでして守る価値があるのかしら?」
「……。守っているつもりはありませんが」
先輩は口ごもるように小さな声で呟いた。
何をしているのかは不明だが、先輩はあの人を守るために何かをしようとしている。
きっと、それは最善の策で、先輩1人が犠牲になるだけで解決する事案。
「たかが高校の部活動、……奉仕部と言ったかしら。そんなもののために、あなたは物語を書き続けるのね」
冷えた視線、だが、どこか優しさを含んだ声色に、私は雪ノ下先輩のお母さんを睨みつける。
「奉仕部を……、先輩達をバカにすることは私が許しません」
「あら?……ふふ、随分と好かれているのね」
「先輩達が作ったあの部活は、あなたには分からないような価値がある。とても素敵な物です」
「……私には分からない。…、比企谷さんの周りには面白い人が集まるのね。雪乃や陽乃が執着する理由もわかるわ」
「少なくとも、分かろうともしない人がバカにしていいわけがないんです」
「……、本当に面白いわね。一色いろはさん」
もう誤魔化しても意味がないようだ。
この人は私を知っていた。
知っていたのに妹と騙された振りをし、尚も無関心だったのだ。
「比企谷さん、約束は守ります。次回作も期待してるわね。せめて、物語くらいには救いがあるように」
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