昼時を過ぎた頃、私がカウンターでアイスティーを飲んでいると飲料の在庫確認に行った先輩が顔面を蒼白にして戻ってきた。
「ど、どうしたんですか!?」
「……在庫が切れた」
「え!?」
先輩はキッチン内を見渡しメモ帳のような物を取り出すと、ボールペンでさらさらと文字を書いていく。
乱雑にそれを千切ると、財布とメモ用紙を私に突きつけた。
「頼む一色。おつかいしてきてくれ」
「わ、わかりました!急いで買ってきますね!」
「あぁ、至急でよろしく頼む」
喫茶店のような飲食店で在庫が切れてしまうのは死活問題だ。
迅速な対応と居心地の良さを提供するのがこの喫茶店の売りなんだから!
私は直ぐに厚手のコートを羽織り店を飛びたした。
先輩の力に微力だけどもなれるんだ。
こんなことで恩を返せるなんて思えないけど、先輩のためならなんだって一生懸命にやるって決めたんだ。
私は小走りを辞めずにメモに目を移す。
【MAXコーヒー3箱】
……。くしゃ
「……」
……、とりあえず買いに行こう。
……
…
.
多くの品々が並ぶディスカウントショップ。
平日の昼過ぎの時間帯のためか、店内は比較的空いている。
飲料コーナーのまとめ売り売り場を散策してみるが、どうしてもMAXコーヒーの箱売りが見つからない。
人気ないのかぁ。
「あれ?一色さん?一色さんじゃないか!」
「え?……っ、あ、た、田中さん」
スラリと伸びた背筋に整った顔。
スーツを着た彼は誰が見てもイケメンだと言わせる雰囲気を醸し出している。
左腕に付けた高圧的な金の時計が苦々しく私の心を強く縛り付けた。
尖ったリーガルシューズが私の目に焼きつく。
滑らかで優しい口調が私の頭を痛ませる。
「心配してたんだよ?飲み会の後、庄司と2人でどこか行ったろ?しかも次の日から会社にも来なくなったし」
「……あ、ぁの」
「庄司に聞いても何も言わないし。皆心配していたんだからね?」
彼の目が嫌いだ。
いやらしく品定めをするような視線が。
彼の口が嫌いだ。
出る言葉に本心がまったくない言動。
彼の全てが嫌いだ。
自分の思い通りに全てが動くと思っている態度。
田中さんとの再開で、開きかけていた心の扉が強く引き戻されるように。
視界がぐにゃっと曲がるように。
短い時間を共にした先輩が消えていくように、目の前がグレーになっていく。
「どうしたんだい?具合でも悪いの?あっちで休もうか」
彼の手が私の肩に回ろうとした。
慣れた手つきで女性にスキンシップを図る。
彼はそうゆう人種の人間だ。
彼に触れられたら、きっと私の世界は黒く染まる。
声も出せない。
脚も動かない。
そう考えていたとき。
「おい、一色。数量間違えたわ。3箱じゃなくて5箱な。やっぱり携帯がないと不便だわ」
「……せ、先輩」
喫茶店の制服を着た私の先輩。
どこに居ても、何をしてても、先輩は必ず私の前に現れる。
暗い底に辿り着いてしまっても、先輩は迎えにきてくれる。
冷め切った心を溶かすように店内の喧騒が聞こえてきた。
手の指から力が抜け、爪痕を5つ残した手の平を見て冷静になる。
こんなにも強張っていたんだ。
「流石に5箱は1人で持ち帰れないだろ?」
「はは、あはは!3箱でも無理ですよ!それに、MAXコーヒーの箱売りなんてないです!」
「……あ、えっと。一色さん?彼は……」
その場で置き去りになっていた田中さんが笑顔を取り繕いながら私に話しかけてきた。
私は田中さんを正面から見据えて下から上まで眺めてみる。
脚はよく見たらそんなに長くない。
少し猫背気味かも。
顔だって、70点くらいだ。
「あーあ、なんで私、こんなに怯えてたんだろ」
「?」
「田中さん、私、もう会社辞めたんで。これからは街で会っても声を掛けないでくださいね」
私は田中さんに背中を向けて、先輩の隣に歩み寄る。
ここが私の定位置だから。
今後会うことはないんだ思うとスッキリした。
もう立場なんてない。
この人なんて怖くない。
先輩だってそばに居てくれる。
むしろ仕返ししてやりたいくらいだ。
「……本当に箱売りがないなんて。経営破綻しても知らんぞ。仕方ねぇ、他の店に行くぞ、一色」
「えぇー、ネットで注文すればいいじゃないですかー。そんなことより、これからどこか行きましょうよ!」
「そんなことよりだと?……行かねぇよ。店閉めてねぇんだから」
寒空の下、私は先輩の隣を歩み続けた。
薄着の先輩に、今度は私がマフラーを巻いてあげる。
先輩が少し照れながら言った言葉に、私はコートも要らないくらいにあったまってしまった。
ありがと
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