翌日、肌寒さで目が覚めた。
「ふぁ……寒い」
流石に吐く息は白くならなかったけれど、肌に触れる、透き通るような空気は冷たい。
隣で寝ていた筈のシシルさんの姿はなくて、ぶみゃが丸まって寝ているくらい。
私はほう、と息を吐き出して、ベッドの側の窓へと近づく。
「あれ、暗い……」
二重の窓のおかげで曇りもしていない景色は、まだまだ薄暗い。
これも氷の天井があるからだろう。
ただ、街はもう動いてるようで、分厚い壁も通り越して工房や街からの金属音が鳴り響いてくる。
重く冷たい、沈んでいくような空気に響く賑やかな音。
見た目も音も、つんとする金属の臭いも……何もかも魔女の星とは違う。
私、違う星に来たんだなぁ。
「これが氷の星の朝なんだね」
「……みゃ……」
振り返ったら、ぶみゃは寒いのか寝不足なのかまだ丸まってる。
場所が変わっても、ぶみゃは変わらないようである。
「ふふっ……よし、頑張るぞー!」
シシルさんに借りた寝巻からローブに着替えて、準備万端!
「さ、ぶみゃ行くよ!」
「みゃ……」
「もう。ま、運べばいいか」
「みゃあああ」
渋るぶみゃを浮遊魔法で運びながら、ヴァルさんの所へと向かった。
「やあユミル、起きたか……って、浮いてる……」
「いい朝ですね、ヴァルさん」
「あ、ああ。そうだな……体調は大丈夫か?」
「はい!」
「みゃああ」
溶かしたばかりの温かい水で顔を洗えば一気に目も覚めた。
朝ご飯にミルク粥と、カドポポのお肉をいただいて……お肉美味しい……。
これでエネルギーも充填完了!
「じゃあ行こうか」
「はーい!」
そうして、いよいよ私は星龍商会のある都市――
「……あ、ヴァルさんとビビちゃん、どこに座らせよう」
「そうそうそれなんだが、昨日君たちが寝た後に俺も気が付いてね。もうあのコンテナは使えないだろ? だからこれを用意したんだ」
そう言ってヴァルさんが指さした先には、不思議な形の椅子があった。
普通の椅子の半分くらいの背もたれの椅子で、足の部分は四角い筒状になっている。
「これは?」
「臨時の後部座席だ。この筒に箒を通せば固定できるようにしてある。急造だから心許ないけど……結界で周囲を覆うなら君の速度にも耐えられると思う」
「わあ、便利そうですね!」
昨日は魔法で固定してたけど、これなら魔力を節約できる。
こういったものもすぐ作れちゃうなんて、流石職人さん。
「この背もたれは倒せるようにしてあるから、荷物置きにも使えると思うよ。そして、これ」
ついで取り出したのは大きな容れ物……これ、鞄?
肩紐と背中側以外は硬そうな材質で造られた、片側に膨らんだ球体状。
どうやら透けて中が見えるようになってるんだけど、そこには粘体君が入っていた。
「これ……」
「ビビの粘体が入る鞄だ。一緒に試しながら作ったから、問題なく使えるよ」
『粘体は足が遅いですから、普段はこれで運んで貰えると助かります』
「なんと!」
そこまで考えてくれてたなんて……。
ヴァルさん、本当にいい人だなぁ。
「ありがとうございます! どっちも大事にします。でも、大事な金属を使ったんじゃ……」
「いやいや、端材――もう使わなくなった素材を再利用したものだから、気にしないでくれ」
「……そうなんですか?」
なら良かった。
せっかくヴァルさんが命を賭けて採ってきた石だもの。
私たちに使うなんて勿体なさすぎるよね。
「そうそう、鉱石はウチ以外の店や鉱山にも回せそうだよ。色々と止まっていた作業が動き出した。君たちのおかげだ」
「……!!」
そっか、外が騒がしかったのは私の鉱石がきっかけだったんだ。
それは……とっても誇らしいな。
「良かったです……!! やったね、ぶみゃ、ビビちゃん」
「みゃ」
『
魔女の魔法は誰かの役に立てる力なんだ。
それが嬉しくて、やる気と元気が身体に漲ってくる。
「ははっ、じゃあ、最後にもう一仕事だけ頼むよ」
「はい!」
浮かせた箒に椅子を取り付けて、昨日よりしっかり拘束されたザメニ一家を後ろに固定する。
箒が浮かび上がった途端に、シシルさんたち見に来ていた工房の人からどよめきが上がる。
「……本当に箒が浮いちゃった……」
「それだけじゃないですよ! ヴァルさん、どこから出れば?」
「そのまま行っていい。速度を出すのは外に出てからで」
「了解です!」
開いた大きな入口から外に出て、一気に建物の上まで浮かび上がる。
「気を付けてねー!」
「はーい! ありがとうございます!」
手を振るシシルさんに笑顔で応えて。
私は準備を整える。
「発射角度、ヨーシ。障壁展開、ヨーシ。……エンジン点火、ヨーシ! 全速全力、ご安全に……!! 行きますよー!」
「ぶみゃ!」
皆に見送られながら、私たちは再び氷の谷の上へと飛び上がった。
視界は再び、真っ白な氷の谷に埋め尽くされる。
「わっ、凄い。もうルステルが見えない」
分厚く複雑に上下する巨大な渓谷。
その下にひっそりと建てられた氷下街は、氷に隠れて影すら見えない。
こうしてみたら、あの街が幻だったと思える程。
『なるほど、その氷下街の関係者以外は場所も分からないということですね』
「そうだな、氷下街にはそういった利点もある。まあ、どの企業にも知られてるからあまり意味はないけど」
「……じゃあ、この見えてる中に氷下街があったりするんですか?」
「もちろん。例えば、あの奥にある谷に隣の街があるよ」
「……全然分からないですね……」
こうして見渡す氷のどこかに別の街があって、そこにはヴァルさんたちみたいな人が沢山暮らしてるのだ。
不思議だなぁ……。
「あれ? じゃあ
「……大丈夫、都市は空からでもちゃんとわかるから、気づかないことはないよ。あと、飛ばしすぎないでね……」
あ、わかるんだ。なら気にせず進んで大丈夫かな。
「ふんふん、分かりました! ビビちゃん、お願い」
『
寒さと空気抵抗用に薄めに張った結界に、ビビちゃんが情報を映し出す。
その示された方角へと箒を向けた。
『展開完了。ナビゲート開始します』
「よろしく! じゃあ、出発ー!」
再びエンジンに火を灯して、遥か広がる氷の大地を飛んでいくのだった。
***
ルステル氷下街から飛び出していく青い光。
それを観察している者たちがいた。
『対象が移動を開始する』
『了解』
素早くそう回答し、光学機器のみに留めていた出力を機体全体に回す。
途端に凍える程冷えていたコックピットが暖まりはじめ、身体の底から安堵の息が漏れる。
……任務とはいえ、この氷山の中に潜むのは勘弁願いたいものだ。
光を帯びた各種モニタに目を配りながら機体を起こす。
ここからは最大限距離を保っての尾行に入るのだが……。
『奴の移動手段は、やはり例の?』
『ええ、掃除用品――箒です』
『……理解し難いな。どうして箒が飛ぶ?』
思わず漏れた愚痴だが答えはない。
当然だ、こんなこと現実であっていい筈がないのだ。
それでも手は止めず、最大望遠で監視していたモニターでその掃除用品を捕捉する。
……本当に箒だ。
そこに生身の人間が2人と……あれは猫か? そして緑の……なんだあれは?
「幻覚でも見てるのか……?」
そう信じたい光景が繰り広げられているが、今は任務中。
凄まじい速度で加速を始めた箒を見失わないよう、こちらも可能な限り消音・低空で移動を始めた。
「……速いな」
こちらも情報通り。なんで箒があんなに速く飛ぶ?
全く信じ難い……。
『追跡を開始する。作戦開始は合図を待て』
アレが何かは分からないが、こちらも任務。
果たすべき役割を済ませるとしよう。
***
約2時間の飛行を終え、私たちは目的の場所へと辿りついた。
『間もなく目的地です』
「え、本当? 景色、なんにも変わらないけど……」
見た目は変わらずどこまでも深く高い氷の渓谷。
そこに聞いていた都市の姿はないけれど……。
「あ、でも音は聞こえるね。どこだろう」
「あの山の向こう側だな。少し高度を上げてみてくれ」
「はーい! ……わっ!」
ヴァルさんの指示で越えた山の向こう。
深く開いた谷間に、とってもおっきな都市が浮かんでいた。
ルステルと違って、赤を基調にした金属の床。
そこには沢山の建物が並んでいて、飛空艇や車が沢山動き回っている。
流石に小さくて見えないけれど、もっとそれ以上の、沢山の人がいるのだろう。
真っ白な氷の谷に浮かぶ赤色の浮遊都市。
不思議な程に色鮮やかなそれが――目的の場所だ。
「あれが、
『谷間に築かれた六角形の地盤。それが壁に沿って錘状に狭まっていく――地形に即した形とはいえ、不思議な形状の都市ですね』
「そう……なのか? 俺は氷下街とこれしか知らないから分からないが……」
私も魔女の家しか知らないけど、これはとても特殊なんじゃないだろうか。
「……あ、ヴァルさん。こっちに何か飛んできますよ」
「ああ、迎えの飛空バイクだろう」
エンジンの甲高い音を鳴らしながら、こちらも赤を基調とした、1人乗りの超小型艇がやって来る。
私たちの前で停止すると、船から声が聞こえてくる。
『ヴァリアノ様、そして箒の運び人様。誘導しますのでついてきてください』
「わかった! 案内感謝する」
そのまま後についていって、とても大きな建物の前に着陸した。
上から見た限り多分この都市の中でも一番大きなそこが、星龍商会の拠点みたい。
「建物も真っ赤……」
「星龍商会は朱を好む企業でね。後は名前の通り龍――見て、あそこ」
「え? わっ、凄い」
ヴァルさんが示した壁には金の美しい登り龍が描かれている。
壁をなぞる様に描かれたその龍は、今にも動き出しそうだ。
呆然と見上げていると、ばたばたと中から人がやってきた。
「ヴァリアノ様」
「ああ、シファさん」
シファと呼ばれた青髪の女性が、こちらを見て笑みを浮かべた。
すっと背筋の通ったカッコいい人で、ちょっと吊り上がった目元は少しだけ怖さも感じる。
「ザメニ一家は私の方で預かりますね」
「すまない、助かるよ」
「いえ、厄介な連中を捕まえてくれたのですから、こちらが感謝する案件ですよ。さあ、こちらへどうぞ」
他の人に案内されて、建物の中を進んでいく。
沢山の人たちが行き交っていて賑やかだ。
ルステルも賑やかだったけど、こっちは建物の中がとっても暖かく、通り過ぎる人も薄着で……その、身綺麗なのだ。
この星龍商会は
ヴァルさんの言う通り、ここの人たちはきっと豊かな生活を送っているんだろう。
……でも、そんなことより!
「あの、ヴァルさん、まさか龍って実際にいるんですか!?」
あんなに迫力のある龍が描かれるんだから、もしかしたら――。
ただ、その問いには思わず噴き出したといった笑いが返ってきた。
「いや、いないよ。龍はあくまで空想上の怪物さ」
「そうなんですね……」
……残念。
むう、龍にも会ってみたかったのに。
でも海賊には会えたし、怪獣もきっといるよね。
「……いや、あー」
「……?」
あー? あーって何?
「一応、いなくもないのか……」
「え? それって……」
「――こちらです」
会話は、案内してくれた人の声に掻き消されてしまった。
いつの間にか建物の奥までやってきていたようだった。
目の前には重厚な真っ黒の扉。
金の装飾が美しいそれが開かれ、その奥に足を踏み入れると――。
「――ようきたな、
なんだかとっても大きく豪華な艶のある机が奥に鎮座していて。
そこに、真っ黒な髪の美少女が座っているのだった。
「ティハンさん、ご無沙汰しております」
「そうじゃ。中々顔を見せんから心配しておったぞ。ほら、座れ」
「はい。ユミル」
「あ、はい」
ヴァルさんについていって、柔らかな椅子に腰かける。
机の前、向かい合わせに置かれたとっても高そうなソファの対面に、ティハンさんが腰かける。
身体にぴったり合った、装飾鮮やかなドレスを纏ったその人は、細長い煙管から紫煙をくゆらせている。
「改めて、よく生きて帰った。あの小惑星帯から生還したのは、これで3例目じゃな」
「……そうですね。まさか生きて帰れるとは、夢にも思いませんでした」
「それを成したのが、お主――ユミルと言ったな?」
「はい! ユミルです。で、こっちが猫のぶみゃ。あとは粘体のビビちゃんです」
「……そいつらは、その、生き物なのか?」
「ぶみゃ!」
恐る恐るといったティハンさんの問いに、元気な鳴き声を返してる。
『ビビは
「……魔女? AI? ああ、その猫の背負ってる奴か……ああ?」
納得しかけて、また首を傾げた。
「やっぱり、私たちって変なんだ……」
「……まあ、特殊ではあるな」
そうなんだ……。
ティハンさんは偉い商人さんみたいだから、魔女のこととか色々と知ってると思ったけど……駄目かあ。
「……おほん、ともかく主らがこの
「いえいえ……
「ああ。ティハンさんは爺さんの代の馴染みと言っただろう?
「……なるほど!」
――
この宇宙に2つある人の種類――原種と新種。
前者が
そして新種――
繁殖のために寿命を半分以下に短くされた
そうした星々が発展を遂げ、巨大な宇宙国家を形成していき――今日の宇宙がある。
つまりティハンさんは
「子のない儂にとってはこやつが孫みたいなものでな。生きて帰ってきてくれてホッとしておるのよ。ザメニ一家もよくやった。あいつ等には手を焼いていての。報酬は期待してくれ」
「ありがとうございます!」
微笑む顔は優し気だ。
「さて、報酬はそれでいいんじゃが、折角だから少し話をしていかんか?」
「話ですか?」
「おう。お主らがこの
「それは……」
ちらと見たヴァルさんが優しい顔で頷く。
「話してくれ。俺に教えてくれたことも」
「そういうことなら分かりました!」
『では、ビビからあらましをご説明します』
「うむ、頼む。その前に茶菓子を持ってこさせよう。我ら星龍商会の粋を集めた甘味を堪能せい」
「……!!」
お、お菓子のタワーが出てきた……!
3段あるお皿にたっぷりお菓子が詰まってる。焼き菓子に、見たことのない真っ黒なお菓子など盛りだくさん。
これは……集中して味わわねば……!!
ビビちゃんの話を聞きながら、私はとっても美味しいお菓子を堪能するのだった。
「――成る程のう。そうしてお主らは小惑星帯を抜けたんじゃな」
「はい! 楽しかったです!」
「……そ、そうか」
そうして、しばらくの間ビビちゃんの語りを聞きながらのお茶会が進んだ。
ティハンさんは驚いたり唖然としたり、最後は大笑いしながら話を聞いていた。
ちなみに、岩が熱に反応する、というところはビビちゃんもヴァルさんも話さなかった。
最初はなんで? と思ったのだけど、よく考えれば隠さないと皆あの小惑星帯を抜けられちゃうんだよね。
私たちが不在の魔女の星に誰かが行くのは……嫌だ。
だから私も黙っておくことにした。
「つまり主らは、調査がてらの旅の途中、というわけじゃな」
『
「なるほどのう……ん? 入れ」
扉が叩かれ、先ほどのシファさんが入ってきた。
素早くティハンに近寄るとなにやら耳打ちをしている。
「――そうか。わかった」
そのままシファさんは出ていってしまったけど……。
「ユミル。ザメニ一家の報奨金と運賃はそのまま渡せばいいか? 口座は持っておらぬようだし」
「あ、はい。それでお願いします!」
……口座? よくわかんないけど、貰えるならなんでもいいよね。
「ふむ、了解した。それで……ユミル、その操船の腕を見込んで、一つ仕事をしてみんか?」
「え?」
偉い商人さんが私に?
荷を運ぶ人なんていっぱいいると思うんだけど……。
「私でいいんですか?」
「今の話を聞いて、お主らならあるいはと思っての。なに、報酬は弾む。それに……気に入ると思うぞ?」
『一体、何をすれば?』
「この氷の谷の奥に巣食う怪物。その巣に行って欲しいのよ」
「……怪物!?」
こちらを見て、ティハンさんはにんまりと微笑むのであった。