途切れた旋律の先で 作:ピックって高くね…?
朝、目を覚ましても、あの歌声の余韻はまだ胸の奥に残っていた。
IA――灰色の髪の少女。
“untitled”を歌っていた声。
そして、あの夜に見た“月明かりのセカイ”。
あれが夢だったのか、現実だったのかはわからない。
ただひとつ確かなのは、心の奥に封じていた何かが、確かに呼吸を始めていたことだ。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、目に痛かった。
机の上には、ほこりをかぶったままのスコアがある。
大学生になってから、ギターに触れることはほとんどなくなっていた。
――いや、触れなかった、が正しい。
あの日から、僕は音を出すのが怖くなった。
藍がいない世界で、音楽なんて意味をなさないと思っていたから。
◇
僕たち三人――小豆沢誉、浅葉棗、伊波藍。
中学の頃、音楽室で出会った。
藍が「バンドをやりたい」と言い出したのが始まりだった。
彼女は楽器がまったくできなかったけれど、誰よりも音楽を愛していた。
棗はベース。
無愛想で、でもどこか寂しそうに笑うやつだった。
僕はギターで、藍がボーカル兼作詞担当。
不器用な三人だったけど、それでも“音”が鳴っている時間だけは、世界が綺麗に見えた。
彼女が書く歌詞は、いつもまっすぐで、優しかった。
“誰かと音を重ねたい”“その音で生きていたい”――
その願いが、僕らを繋ぎ止めていたんだと思う。
高校に入って、注目されるようになった。
SNSで拡散されて、ライブにも呼ばれた。
けれど、同時に何かが崩れ始めていた。
――藍を見つめる周囲の視線。
――棗の苛立ち。
――僕の迷い。
そして、あの日。
藍と彼女の家族が事故に遭ったという知らせを聞いたのは、秋の夕暮れだった。
信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
病室の前で立ち尽くす棗の背中を、僕はいまでも鮮明に覚えている。
その日を境に、世界から“音”が消えた。
◇
音が、遠い。
かつては、ギターの弦を弾くだけで胸が熱くなった。
けれど今は、指先に触れる金属の感触すら冷たく感じる。
――藍がいなくなってから、すべての音が色を失った。
僕と棗は、惰性のようにスタジオに通っていた。
何を弾くでもなく、何を歌うでもなく。
ただ、“あの場所”を手放せなかった。
「このコード進行、藍が好きだったな」
そんな言葉を交わしても、返ってくるのは無音のままだった。
音楽に触れる意味を見失った僕らは、まるで呼吸をやめた生き物みたいだった。
それでも、スタジオの外は動いていた。
SNSには「Rebearlion解散?」という言葉が流れ、
ライブ関係者は“次”を期待していた。
藍がいなくなったことを、まるで小さなニュースみたいに消費して。
そんな中、ある日――。
二人だけの無言の集まりにも慣れてきたころ、無遠慮にスタジオの扉が開き、数人の女子が軽い笑い声を立てながら入ってきた。
棗が不快そうな顔を向ける。多分僕も似たような顔をしていたと思う。
「ねぇ、ボーカルの枠、空いてるんでしょ?」
「私たち、歌えるよ。あの子の代わりに」
その言葉に、空気が一瞬凍りついた。
今、あの女たちがなんと言ったのか。理解すると共に、湧き上がるのは名状しがたい怒りだった。
棗は無言でベースを置いた。僕は静かに立ち上がった。
「悪いけど、誰も入れる気はない」
「必要ない。ボーカルは藍だけだ」
二人揃って、拒絶するように述べた。たった一つ残された藍との繋がりは、誰にも踏み荒らされたくはなかった。
ここ暫くまともに会話をしなかった棗もそう思っているであろうことに、場違いながらも安心した。
彼女たちは断られると思っていなかったようで、呆気に取られたようだった。実際、容姿は整っていたし、バンドに入っていた経験もあるのだろう。軽薄ながらもそれなりの自負を感じられた。
それでも、僕たちのバンドには藍以外のボーカルは必要ない。
話は終わったとこちらが作業に戻った後も何やらうるさく口にしていたが、耳障りでしかなかったため無視していた。
ただ一つ、聞き逃せない言葉を口にするまでは。
「いつまでも亡くなった子の影を追って、馬鹿みたい」
――瞬間、視界が赤く染まった。
拳を握りしめ、僕の中で何かが爆ぜた。
棗より先に声を荒げたのは、僕だった。
「ふざけるな……あの子のことを軽々しく言うな!」
怒鳴り声がスタジオに響く。
けれど、棗はもう立ち上がっていた。
歯を食いしばり、震える拳を握ったまま。
「……“馬鹿”とか言ったな、今」
その低い声が、僕の怒りよりもずっと深く冷たかった。
次の瞬間、鈍い音。
彼の拳が、相手の頬を撃ち抜いていた。
鈍い音がスタジオ内に響いた。先ほどまで喧しかった彼女たちも、突然降ってかかった暴力には情けなく悲鳴をあげた。
衝撃に尻もちをつき、頬を腫らした一人へ向かって棗がもう一度拳を振り上げるのを見て、沸騰した頭が冷静になった。___なって…しまった。
「棗、やめろ!!」
僕は慌てて彼を引き離した。
でも、棗は僕の手を振り払い、睨みつけた。
「お前は、なんで止めるんだよ! あいつらが藍を…!」
「だからって、殴ったら藍が喜ぶと思うのか!!」
怒りと悲しみが入り混じって、声が震えた。
僕も殴る寸前だった。
でも、彼の拳に滲む血を見て、急に冷めてしまった。
その後、警備の人が来て取り押さえられるまで、僕らはみっともなく殴り合っていた。互いにどうしようもない感情をぶつけ合いながら。
あのとき、藍の声が聞こえた気がした。
“もう、やめて”と。
今にして思えば、ここで僕も怒りに身を任せてあの女たちを殴っていれば、また違った未来があったのかもしれない。
暴力沙汰として処分は重かった。
関係者への事情聴取、学校からの厳重注意。
僕と棗は、ニ週間の停学処分を受けた。
今にして思えば、近しい友人が亡くなって荒れていた僕らに、落ち着かせる時間を与える意味合いもあったのだろう。期間に対して、罰則は少なかった。
「Rebearlion活動停止」という紙が、スタジオの壁に貼られた。
停学明け、一度だけ音楽室に集まった。
今後のこと、バンドのこと。それぞれ一言二言だけ話して終わった。
壁を拳で叩いた音が、音楽室に響く。
棗の目が、泣いているように見えた。
「俺たちは、音楽に愛されなかったんだよ」
その言葉を最後に、僕らは残りの高校生活で話をすることはなかった。
バンドは解散した。
RebearlionのSNSは閉鎖され、アップしていた動画も削除した。
残ったのは、曲を失った“untitled”だけ。
それぞれ大学への進学が決まっても、再開の約束は交わさなかった。
棗は僕の前から姿を消した。僕もギターを部屋の奥へとしまい込んだ。
◇
大学に進み、時間が過ぎ、周囲は少しずつ前を向いていった。
でも、僕たち二人だけは違った。
風の噂では、棗は音楽スタジオでバイトをしているらしいが、僕には関係のない話だった。
――少なくとも、あの夜までは。
IAの歌声。
あの“untitled”。
消えたはずのセカイ。
そして、蘇った記憶。
もしも、藍があの歌を通して何かを伝えようとしているのだとしたら。
僕は、再び“音”に向き合うべきなのかもしれない。
でも、それは簡単なことじゃない。
棗と向き合うこと。
自分の中の“止まってしまった時間”と向き合うこと。
ベッドの上で、古びたスティックを握る。
ギターから離れたくて、でも音楽は捨てられなくて、色々な楽器に触れては辞めるのを繰り返した。ドラムもそのうちの一つだ。
乾いた木の感触が、あの日のリズムを呼び起こす。
“untitled”のイントロ――
ゆっくりと叩くと、指先が震えた。
「……音楽に、愛されなかった、か」
棗の言葉が、心の奥で反響する。
“Rebearlion”――再び生まれるための反逆。
その意味を、ようやく理解し始めていたのかもしれない。
こんな短時間でお気に入りに登録していただけるとは思いませんでした。完結まで頑張ります。