途切れた旋律の先で   作:ピックって高くね…?

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第3話 遠く離れた調べ

 

 弦を押さえる指先が、いつになく重く感じた。

 

 同じフレーズを繰り返しているのに、どこか空虚だ。

 

 

 “音”は、こんなにも不安定なものだったか。

 

 

 ――いいや、違う。

 

 本当は、俺のほうが不安定なんだ。

 

 

 ◇

 

 

 大学に入ってから、俺は音楽スタジオでバイトを始めた。

 

 表向きは「機材管理とメンテナンス」。

 

 だが、実際は機材トラブルの修理や、音響調整の手伝いも多い。

 

 

 音楽を完全に捨てきれなかった俺にとって、ここは“逃げ道”みたいな場所だった。

 

 演奏はしなくても、音の傍にはいられる。

 

 それで十分だと思っていた。

 

 

 そんなある日、スタジオの受付で見慣れない顔を見かけた。

 

 

 「……今日からバイトに入ります、日野森志歩です」

 

 宮益坂女子の制服を身に纏った、灰色の髪を短く揃えた少女。

 

 落ち着いた目つきのくせに、どこか不器用そうな笑みを浮かべていた。

 

 

 「俺は浅葉棗。機材担当。困ったことがあれば、言ってくれ」

 

 「はい、よろしくお願いします」

 

 

 その返事がやけに真っ直ぐで、少し戸惑ったのを覚えている。

 

 

 ◇

 

 

 それからしばらくして、志歩が練習ブースの前で困った顔をしていた。

 

 どうやら、スタジオ備え付けのアンプの接触が悪く、音が途切れているらしい。

 

 「貸してみろ」

 

 俺は何も言わずにしゃがみ込み、ケーブルを差し替え、ノブを微調整した。

 

 軽くベースを弾いてみる。

 

 ――“ドゥン”。

 

 芯のある低音が、部屋の空気を震わせた。

 

 志歩が目を丸くした。

 

 「すご……!浅葉さん、ベース弾けるんですか?」

 

 「少しな。昔、やってた」

 

 「その“少し”のレベルじゃないですよ、それ」

 

 素直な反応に、思わず口元が緩む。

 

 褒められて嬉しいなんて、何年ぶりだろう。

 

 

 彼女は少し考え込んでから、思い切ったように言った。

 

 「……私、ベースやってるんですけど、よければ今度教えてくれませんか? ……もっと上手くなりたいんです」

 

 「俺に教わっても、いいことなんてないぞ」

 

 「それでも、お願いします」

 

 真剣な瞳に、俺はそれ以上の言葉を失った。

 

 結局、“一度だけ”という条件で引き受けることになった。

 

 

 ◇

 

あれから結局、バイト終わりにベースの面倒を見ることが続いている。

 

断ると今後の仕事に支障が出るとか、思いのほか志歩の呑み込みが早いこととか、理由をつけようと思えば色々とある。

 

単に、断る理由がなかったから、というのが正しいのだろう。

 

 「……そこ、指の押さえが浅い。もう一度」

 

 「はいっ」

 

 音がずれて、再び鳴らす。

 

 軽く首を傾げて、眉をしかめる彼女。

 

 「難しいな……。同じ音を出してるつもりなのに、毎回違う」

 

 「当たり前だ。人間の指は機械じゃない。でも、その“違い”をどう音にするかが、演者の個性だ」

 

 そう言いながら、俺は手を伸ばして指板を指し示す。

 

 志歩の指先が震えた。

 

 「……浅葉さんって、音楽のことになると、優しいですよね」

 

 「優しい?俺が?」

 

 「うん。教え方が。……普段はちょっと怖いけど」

 

 思わず苦笑が漏れた。

 

 “優しい”なんて言われたのは久しぶりだった。

 

 

俺にそう言うのは、藍と誉だけだったから。

残された一方さえも、手放したのは、間違いなく俺だったけれど。

 

 

 ◇

 

 

 休憩中、志歩がベースを膝の上に乗せたまま、ぽつりと呟いた。

 

 

 「……浅葉さんって、昔バンドやってたんですよね」

 

 「誰に聞いた?」

 

 「パートの主婦さんが。“いい腕だったけど、急にやめた”って」

 

 あのおしゃべりばあさんか。

 中高時代は三人でよくここに通っていたからな。

 何も聞かれなかったから、とうに忘れていると思っていたのだが。

 

 「…やめた理由とかって、聞いてもいいやつですか?」

 

 俺はしばらく黙ってから、答えた。

 

 「支柱がなくなった、っていうのかな。俺たちが音楽を続けていた根本的な理由が、突然ぽっかりなくなっちまったんだ」

 

 あのとき、藍を侮辱した女を殴って…誉とも感情をぶつけ合って…そこまでやってようやく、藍が死んだことを実感した。

 

__いや、本当に実感して絶望したのは……

 

俺たちのセカイが消えたときだろう

 

 

「……すまん、これ以上は言いたくない」

 

「いいです。無理言ってすみません」

 

志歩は本当に気にしてなさそうだった。

 

「志歩は、幼馴染と組んでるんだったか」

 

「はい。小さい頃からの…大事な友達たちです」

 

「そうか…大事にしろよ」

 

俺みたいにはならないようにな。

 

思わず口から漏れ出たその言葉は、志歩に聞こえたのだろうか。

 

 

 ◇

 

 

 練習が終わり、機材を片づけていると、志歩が声をかけてきた。

 

 「浅葉さん、次の私たちのライブ、来てもらえませんか」

 

 「……俺が?」

 

 「はい。練習を見てもらった成果を見せたいのもそうですけど、私たちの“今の音”を、聴いてほしいんです。きっと、何か変わると思うから」

 

 その言葉が、胸の奥に静かに落ちた。

 どこか、自分も変化を求めていたのかもしれない。不思議とすんなり了承した。

 

 志歩も少し拍子抜けしたようだったが、どこかほっとした様子で帰宅していった。

 

 

 自分も荷物をまとめ外に出ると、夜の空気が少しだけ温かかった。

 

 遠くのスタジオから、誰かの歌声が響く。

 

 

 ――演奏したい。

 

 

 そう感じたのは、いつ以来だろう。

 若い熱を前に、触発されたか。

 

 ポケットの中のピックを握りしめながら、

 

 俺は小さく息をついた。

 

 「……会うべきか」

 

 その声は夜の中に溶けていったが、

 

 確かに、心の奥で何かが――再び鳴り始めていた。

 





日が空くとエタると思ったので爆速で完結まで書きました。全8話です。
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