途切れた旋律の先で 作:ピックって高くね…?
弦を押さえる指先が、いつになく重く感じた。
同じフレーズを繰り返しているのに、どこか空虚だ。
“音”は、こんなにも不安定なものだったか。
――いいや、違う。
本当は、俺のほうが不安定なんだ。
◇
大学に入ってから、俺は音楽スタジオでバイトを始めた。
表向きは「機材管理とメンテナンス」。
だが、実際は機材トラブルの修理や、音響調整の手伝いも多い。
音楽を完全に捨てきれなかった俺にとって、ここは“逃げ道”みたいな場所だった。
演奏はしなくても、音の傍にはいられる。
それで十分だと思っていた。
そんなある日、スタジオの受付で見慣れない顔を見かけた。
「……今日からバイトに入ります、日野森志歩です」
宮益坂女子の制服を身に纏った、灰色の髪を短く揃えた少女。
落ち着いた目つきのくせに、どこか不器用そうな笑みを浮かべていた。
「俺は浅葉棗。機材担当。困ったことがあれば、言ってくれ」
「はい、よろしくお願いします」
その返事がやけに真っ直ぐで、少し戸惑ったのを覚えている。
◇
それからしばらくして、志歩が練習ブースの前で困った顔をしていた。
どうやら、スタジオ備え付けのアンプの接触が悪く、音が途切れているらしい。
「貸してみろ」
俺は何も言わずにしゃがみ込み、ケーブルを差し替え、ノブを微調整した。
軽くベースを弾いてみる。
――“ドゥン”。
芯のある低音が、部屋の空気を震わせた。
志歩が目を丸くした。
「すご……!浅葉さん、ベース弾けるんですか?」
「少しな。昔、やってた」
「その“少し”のレベルじゃないですよ、それ」
素直な反応に、思わず口元が緩む。
褒められて嬉しいなんて、何年ぶりだろう。
彼女は少し考え込んでから、思い切ったように言った。
「……私、ベースやってるんですけど、よければ今度教えてくれませんか? ……もっと上手くなりたいんです」
「俺に教わっても、いいことなんてないぞ」
「それでも、お願いします」
真剣な瞳に、俺はそれ以上の言葉を失った。
結局、“一度だけ”という条件で引き受けることになった。
◇
あれから結局、バイト終わりにベースの面倒を見ることが続いている。
断ると今後の仕事に支障が出るとか、思いのほか志歩の呑み込みが早いこととか、理由をつけようと思えば色々とある。
単に、断る理由がなかったから、というのが正しいのだろう。
「……そこ、指の押さえが浅い。もう一度」
「はいっ」
音がずれて、再び鳴らす。
軽く首を傾げて、眉をしかめる彼女。
「難しいな……。同じ音を出してるつもりなのに、毎回違う」
「当たり前だ。人間の指は機械じゃない。でも、その“違い”をどう音にするかが、演者の個性だ」
そう言いながら、俺は手を伸ばして指板を指し示す。
志歩の指先が震えた。
「……浅葉さんって、音楽のことになると、優しいですよね」
「優しい?俺が?」
「うん。教え方が。……普段はちょっと怖いけど」
思わず苦笑が漏れた。
“優しい”なんて言われたのは久しぶりだった。
俺にそう言うのは、藍と誉だけだったから。
残された一方さえも、手放したのは、間違いなく俺だったけれど。
◇
休憩中、志歩がベースを膝の上に乗せたまま、ぽつりと呟いた。
「……浅葉さんって、昔バンドやってたんですよね」
「誰に聞いた?」
「パートの主婦さんが。“いい腕だったけど、急にやめた”って」
あのおしゃべりばあさんか。
中高時代は三人でよくここに通っていたからな。
何も聞かれなかったから、とうに忘れていると思っていたのだが。
「…やめた理由とかって、聞いてもいいやつですか?」
俺はしばらく黙ってから、答えた。
「支柱がなくなった、っていうのかな。俺たちが音楽を続けていた根本的な理由が、突然ぽっかりなくなっちまったんだ」
あのとき、藍を侮辱した女を殴って…誉とも感情をぶつけ合って…そこまでやってようやく、藍が死んだことを実感した。
__いや、本当に実感して絶望したのは……
俺たちのセカイが消えたときだろう
「……すまん、これ以上は言いたくない」
「いいです。無理言ってすみません」
志歩は本当に気にしてなさそうだった。
「志歩は、幼馴染と組んでるんだったか」
「はい。小さい頃からの…大事な友達たちです」
「そうか…大事にしろよ」
俺みたいにはならないようにな。
思わず口から漏れ出たその言葉は、志歩に聞こえたのだろうか。
◇
練習が終わり、機材を片づけていると、志歩が声をかけてきた。
「浅葉さん、次の私たちのライブ、来てもらえませんか」
「……俺が?」
「はい。練習を見てもらった成果を見せたいのもそうですけど、私たちの“今の音”を、聴いてほしいんです。きっと、何か変わると思うから」
その言葉が、胸の奥に静かに落ちた。
どこか、自分も変化を求めていたのかもしれない。不思議とすんなり了承した。
志歩も少し拍子抜けしたようだったが、どこかほっとした様子で帰宅していった。
自分も荷物をまとめ外に出ると、夜の空気が少しだけ温かかった。
遠くのスタジオから、誰かの歌声が響く。
――演奏したい。
そう感じたのは、いつ以来だろう。
若い熱を前に、触発されたか。
ポケットの中のピックを握りしめながら、
俺は小さく息をついた。
「……会うべきか」
その声は夜の中に溶けていったが、
確かに、心の奥で何かが――再び鳴り始めていた。
日が空くとエタると思ったので爆速で完結まで書きました。全8話です。
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