途切れた旋律の先で   作:ピックって高くね…?

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第7話 セカイの残響

 

 

 夜の街を歩く人々の声が遠ざかり、棗はただ一人、足を止めていた。
 胸の奥で、昼間から鳴り止まないざわめきが続いている。

 ――セカイ。

 あの日を境に、二度とその名を口にすることはなかった。
 あの“音”が途絶え、伊波藍がこの世からいなくなったあの日から。

 

 ——あの頃、確かに“セカイ”は存在していた。
 音が重なり、言葉が混ざり合い、誰もが自分の居場所を見つけられた。
 だが、伊波藍が逝ったあの日を境に、そのセカイは音を立てて崩れ落ちた。
 ステージも、練習室も、彼らの心にあったはずの浜辺の風景さえも。

 

藍と仲が良かったミクも、いつものように笑いながら消えた。

 『藍ちゃんが寂しがるから、もう行くね!』

なんて口にして、俺たちのことを置いていった。

 

 残された楽譜のタイトルは、白紙に戻っていた。
 それまで藍が名付けた曲名はすべて消え、ただ“untitled”の文字だけが、無言のままそこに残っていた。
 何も言葉を残さずに去った藍が、最後に伝えた沈黙。
 それが、彼らにとっての“終わり”の合図だった。

 


 あの場所に戻ることは、過去を掘り返すことに等しい。

 だが、誉はあえてその言葉を口にした。
 「今夜、セカイに来てくれ」と。

 逃げる理由も、行かない理由も、もうない。
 ――行くしかないだろう。

 深く息を吸い、棗はプレイリストの奥に眠る『untitled』を選択した。

 

 * * *

 

 気づけば、そこはもう現実ではなかった。
 

柔らかな光に包まれた空間。


終わりのないステージと、漂うような旋律の残響。

 “セカイ”――それは、彼ら三人の音楽が生まれ、そして終わった場所。

かつては陽光にさらされた浜辺だったそれは、今では月明かりに照らされた幻想的な空間へと変化していた。

 

 ステージの中央には、既に誰かが立っていた。
 

 小豆沢誉。


 手には、あの頃と変わらないギターがあった。

 

「……来たか」

 

 その声は静かで、それでいて確かな決意を含んでいた。

 

 「まさか、お前がここに先に来てるとは思わなかった」


 

 「僕もだよ。もう二度とここに立つことはないと思ってた」

 

 視線は手に持つギターに。

 

 「ギター、持ってきたんだな」

 

 「お前こそ」

 

 棗の手には、あの頃のベースが握られている。

 互いに言葉を失う。
ただ、響くのは波の引く音だけ。

 棗がゆっくりと問いかける。
 

 

 「……で、話ってのは?」

 

 誉は少し俯いてから、目を上げた。
その瞳の奥に、確かに迷いと痛みがあった。

 

 「棗。――IAには会ったか?」

 

 「IA……?」


 

 突然出てきた名に、棗の眉がわずかに動いた。

 

 「大学の帰りに出会った。歌を歌う灰髪の少女だ。……けれど、最初に声を聞いたとき、信じられなかった」

 

 誉は小さく息を吸い、指先で弦を弾いた。
 その旋律は、かつて藍が歌っていた曲のイントロだった。

 

 「その歌声が――藍に、あまりにも似ていたんだ」

 

 棗の心臓が跳ねる。


 懐かしい、そして痛いほどに鮮明な記憶が胸を突き上げる。


 藍の笑顔、彼女の声、そして最後に交わした約束。

 『次は、もっといい曲を作ろうね。』

 あの日、交わしたはずの言葉。


 果たされることなく、途切れた旋律。

 

 「……そのIAが、藍の“残響”なのか?」

 

 「分からない。彼女が、僕をこのセカイに導いた」

 

 藍の活発さを象徴するような陽光は消え、浜辺に打ち付ける波も静かだ。まるで、藍を亡くして熱を失った自分たちのように。

 

 「正直言って、彼女が何者なのかはわからないし、どうでもいい。でも、あの歌を聞いた瞬間、また弾かなきゃと思った」
 

 

誉はそう言って、ギターを構える。

 

 「お前に言いたかったのは、それだけじゃない。
――もう一度、音を合わせないか」

 

 その一言に、棗は目を見開いた。

 

 「……俺たちが、か?」

 「そうだ。あの日の続きを、今度こそ」

 

 セカイの空気がわずかに揺れる。
 まるで、失われた旋律が再び息を吹き返そうとしているようだった。

 棗はゆっくりと目を閉じ、懐の中のピックを握りしめる。

 ――もう一度、あの音を。

 ゆっくりと目を開け、誉の隣に立つ。


 二人の視線が交わる。


 長い沈黙の後、棗が小さく笑った。

 

 「……勝手に先行ってんじゃねぇよ」


 

 「悪い、待ちくたびれたんだ」

 

 軽口を交わした次の瞬間、二人は弦を鳴らした。


 違う音が、同じ場所で重なる。


 懐かしく、そして新しい響き。

 その旋律が空へと昇ったとき、遠くでかすかな声が聞こえた。

 

 ――“また、会えたね”

 

 棗と誉は同時に顔を上げる。


 セカイの光の中、淡く透けるように立つ少女。


 その姿は、かつての仲間――伊波藍に、あまりにも似ていた。

 

 「お前は…」

 「やはり君か、IA」

 

こちらを見て微笑む少女の髪は、月明かりに反射して銀色のようにも見える。

 

 「久しぶり、誉。棗は初めましてだよね?」

 

 「…ああ、そうだな。知ってるみたいだが、浅葉棗だ」

 

 「うん、知ってる。会えて嬉しい」

 

 IAは静かに二人の間に歩み寄った。

 その足取りは、まるで波打ち際を踏みしめるように、音もなく柔らかい。

 近づくほどに、その姿が藍と重なっていく。

 

 けれど、その瞳には――藍のものとは違う、確かな“今”が宿っていた。

 

 「よかった。これで、Rebearlion復活だね。ねえ、また三人で音を奏でてよ。あのときみたいに、心を重ねて」

 

 その声に、誉はわずかに目を伏せる。

 懐かしさと痛みが、胸の奥で静かにせめぎ合っていた。

 それでも彼は、ゆっくりと首を横に振る。

 

 「……いや、再結成はしない」

 

 IAの瞳が一瞬だけ揺れた。

 

 けれど誉の声には、迷いよりも、どこか穏やかな確信があった。

 

 「Rebearlionは、あの時で終わりだ。もうライブでの演奏はしない」

 

 

 

 

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