賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい   作:パラレル・ゲーマー

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第167話

 中国貴州省の深い山奥。

 雲霧に覆われたその村は、数千年の時が止まったかのような静寂と、そして逃れようのない貧困の中にあった。

 棚田は痩せ、若者たちは沿岸部の工場へと出稼ぎに行き、村に残る者は老人と子供ばかり。

 そんな村の片隅で、陳 暁(チェン・シャオ)は、ひび割れた大地に鍬(くわ)を打ち込んでいた。

 

 十八歳。

 本来ならば大学入試(ガオカオ)を目指して机にかじりついているべき年齢だ。

 だが、病身の父と幼い妹を抱えた彼に、そんな贅沢は許されなかった。

 彼の未来は、この黄色い土と共に朽ちていくことだけが決まっているように思えた。

 

 あの日までは。

 

 村の広場にある唯一のスピーカーから、党中央の緊急放送が流れたのは昼下がりのことだった。

 『――同志諸君。世界は変わった。偉大なる指導者とKAMIとの対話により、我が国にも“富”と“力”への扉が開かれた』

 

 ダンジョン。

 その言葉の意味を陳は理解できなかった。

 だが、その翌日、村から山を二つ越えた先の谷底に、巨大な石門が出現したという噂が届いた時、彼は鍬を捨てた。

 「行かないでくれ」と泣く母の手を振りほどき、彼は祖父が遺した錆びた大鉈(マチェット)一本を腰に差して家を飛び出した。

 

 それが後に「中華の武神」と呼ばれることになる男の、あまりにも粗末な第一歩だった。

 

 ***

 

 ゲートの前には人民解放軍が駐屯していた。

 だが、彼らは民間人の立ち入りを拒まなかった。

 むしろ、トラックの荷台に乗せてきた簡易な防具を配り、「国家のために資源を持ち帰れ」と檄を飛ばしていた。

 中国政府のダンジョン戦略は、人海戦術による初期資源の徹底回収だったのだ。

 

 陳は震える足でゲートをくぐった。

 F級ダンジョン『黄土の迷宮』。

 中は薄暗く、湿った土の匂いがした。

 

「ギャッ!」

 

 最初の敵は、緑色の小鬼、ゴブリンだった。

 陳の心臓が早鐘を打つ。

 恐怖で足がすくむ。

 だが、脳裏に浮かんだのは、腹を空かせて泣く妹の顔だった。

 

「うおおおおおおッ!」

 

 彼は叫び、目をつぶって大鉈を振り下ろした。

 グチャリという嫌な手応え。

 目を開けると、ゴブリンは光の粒子となって消え去り、そこには黒い小石――魔石が転がっていた。

 

 彼はそれを拾い上げた。

 震える手で握りしめたその石は温かく、そして何よりも「金」の重みがした。

 買い取り所での価格は、彼が畑仕事で稼ぐ一ヶ月分に相当した。

 

「……稼げる。俺は稼げるんだ」

 

 その日、陳は変わった。

 彼は日の出から日没まで、狂ったようにダンジョンに潜り続けた。

 錆びた大鉈は刃こぼれし、服は泥と汗にまみれた。

 だが、彼が持ち帰る魔石の量は、日を追うごとに増えていった。

 

 一週間後。

 村の駐在共産党書記が陳の家を訪れた。

 

「陳同志。君の働きぶりは報告を受けている」

 

 書記は陳の汚れた手を固く握りしめた。

 

「君が納めた魔石の量は、この地区の平均の五倍だ。素晴らしい。これぞ労働者の鑑、現代の模範的英雄だ」

 

 書記は一枚の推薦状を陳に手渡した。

 

「君のような若者を、この山奥に埋もれさせておくわけにはいかん。

 成都に行け。あそこには党が運営する『探索者育成センター』がある。

 そこで正式な訓練を受け、より高いレベルを目指すのだ。

 君の力は君一人のものではない。国家のものだ」

 

「国家……」

 

 陳はその言葉を反芻した。

 貧しい農民だった自分が、国家に必要とされている。

 その事実は、彼の胸に熱い火を灯した。

 

「行きます。俺はもっと強くなります」

 

 彼は家族に別れを告げ、軍用トラックに揺られて成都へと向かった。

 その背中には、一族の期待と、そして国家という巨大なシステムの一部となる覚悟が背負わされていた。

 

 ***

 

 四川省成都。

 山間部を切り拓いて作られた『国立探索者育成基地』は、熱気と怒号に包まれていた。

 ここに集められたのは、全土から選抜された数千人の若者たち。

 陳と同じく、貧困からの脱出を夢見る農民、工場の労働者、あるいは身寄りのない孤児たちだ。

 

 訓練は過酷を極めた。

 早朝からの走り込み、軍事教練、そして実戦形式のダンジョン攻略。

 KAMIからもたらされた「レベルアップ」という概念は、ここでは徹底的に管理された「生産工程」として扱われていた。

 

「休むな! 魔石を拾う手は止めるな!」

「レベルアップした者は申告せよ! 直ちにステータス測定を行う!」

 

 教官たちの罵声が飛ぶ中、陳は黙々と槍を振るった。

 大鉈はもうない。

 支給された制式装備の長槍が、彼の新しい相棒だった。

 

 彼は才能があった。

 あるいは、生きるための執着心が、才能という形をとって現れたのかもしれない。

 F級ダンジョンの深層で、彼は誰よりも早く敵の動きを読み、誰よりも正確に急所を突いた。

 レベルは瞬く間に5を超え、10に達した。

 

「陳 暁。レベル12到達。クラス:槍術士。評価:A」

 

 半月後の査定で、彼は同期の中でトップの成績を叩き出した。

 その彼を、基地の視察に訪れていた党の高級官僚が呼び止めた。

 

「君が陳か。良い目をしている」

 

 官僚は陳の肩に手を置いた。

 

「君の活躍は北京にも届いている。

 君は知っているか? アメリカでは探索者が自分の利益のためだけに動いていると。

 だが我々は違う。我々の力は人民のためにある。

 君が稼いだ魔石が砂漠を緑に変え、病人を救い、国の科学技術を進歩させるのだ」

 

 官僚は陳の胸に赤い星のバッジをつけた。

 

「期待しているぞ。君は次世代の『青龍(チンロン)』の中核を担う人材だ。

 次はD級だ。そこは死地だが、君なら越えられると信じている」

 

「はいッ! 党と人民のために!」

 

 陳は直立不動で敬礼した。

 洗脳と言えばそれまでかもしれない。

 だが、彼にとってそれは、自らの存在意義を確認する唯一の道だった。

 彼はもはや、ただの金を稼ぐ労働者ではなかった。

 国家の剣。英雄候補生。

 その自負が、彼をさらなる高みへと押し上げた。

 

 ***

 

 季節が巡り、E級ダンジョンでの激闘を経て、世界はD級の時代へと突入していた。

 陳は特殊攻略部隊『紅旗(ホンチー)小隊』の隊長に任命されていた。

 部下は十名。全員がレベル15を超える精鋭だ。

 

 彼らが挑むのは、広西チワン族自治区に出現したD級ダンジョン『絶望の岩山』。

 切り立った崖と、空を舞うハーピーやグリフォンといった飛行型モンスターが支配する高難易度エリアだ。

 

「隊長! 上空からグリフォン三体! 魔法攻撃が来ます!」

 

 部下の悲鳴に近い報告。

 だが、陳は動じなかった。

 彼の全身は、国家予算を投じて揃えられた最新鋭のD級レア装備で固められている。

 耐性は完璧。ステータスは極限まで高められている。

 

「慌てるな。陣形維持(フォーメーション・キープ)」

 

 陳は静かに命じると、愛用の槍――ユニークアイテム『雷轟の長槍』を構えた。

 これは彼がE級ダンジョンのボスからドロップさせた、中国全土でも数本しかない至宝だ。

 

「――落ちろ」

 

 彼が槍を突き出すと同時に、紫電がほとばしった。

 スキル『雷光一閃』。

 一条の雷が空を裂き、先頭のグリフォンを撃ち抜く。

 魔物は断末魔の悲鳴を上げる間もなく炭化し、光の粒子となって消えた。

 

「突撃(チャージ)!」

 

 陳が跳ぶ。

 強化された脚力で岩壁を駆け上がり、残る二体の懐へと飛び込む。

 槍が舞う。

 それは武術の演舞のように美しく、そして致命的だった。

 

 数分後。

 岩山は静寂を取り戻した。

 地面には山のような魔石とドロップ品が転がっている。

 

「……全滅確認。回収を急げ」

 

 陳は息一つ乱さずに言った。

 そのレベルは、ついに『20』に達していた。

 

 レベル20。

 それは現時点での人類の到達点(キャップ)に近い領域だ。

 並行世界のデータによれば、トラックと正面衝突しても無傷でいられるほどの肉体強度。

 彼は歩く戦略兵器となっていた。

 

 その夜、野営地に戻った陳の元に北京からの直通電話が入った。

 受話器を取った彼の手が、緊張で震えた。

 相手は党中央軍事委員会の高官だった。

 

『――陳 暁 同志。D級ダンジョンの制圧、見事であった。

 君の功績は国家一級英雄勲章に値する』

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

『つきましては明後日、北京へ来たまえ。

 君に会いたいという御方がおられる』

 

「……どなたでしょうか?」

 

『周 錦平 国家主席だ』

 

 陳は呼吸を忘れた。

 雲の上の存在。この国の頂点に立つ男。

 その彼が、一介の探索者である自分に会うというのか。

 

『これは面談ではない。謁見だ。

 粗相のないようにな』

 

 電話が切れた後も、陳はしばらく動くことができなかった。

 貴州の寒村で泥にまみれていた少年が、今、天に届こうとしている。

 その現実味が、彼を震わせていた。

 

 ***

 

 北京中南海。

 紅い壁に囲まれたその場所は、中国の心臓部であり、権力の聖域だ。

 陳は真新しい礼服に身を包み、幾重もの検問を通過して奥の院へと足を踏み入れた。

 緊張で喉が渇き、心臓が破裂しそうだった。

 

 案内されたのは、湖のほとりにある静かな東屋(あずまや)だった。

 警備兵が下がり、彼一人が残される。

 初冬の風が湖面を揺らしている。

 

「――待たせたな」

 

 背後から穏やかな声がした。

 陳が弾かれたように振り返ると、そこにはテレビや肖像画でしか見たことのない男が立っていた。

 周 錦平 主席。

 彼は供も連れず、ラフな人民服姿で、手には湯気の立つ茶器を持っていた。

 

「しゅ、主席! 陳 暁、ただいま到着いたしました!」

 

 陳は直立不動で敬礼した。声が裏返る。

 周は優しく微笑み、手招きした。

 

「楽にしたまえ。今日は公務ではない。

 ただ、我が国が生んだ若き英雄と、少し話がしたかっただけだ」

 

 周は石のテーブルに茶器を置き、陳に対面に座るよう促した。

 主席自らがお茶を注ぐ。

 その動作は流れるように美しく、隙がなかった。

 

「飲みなさい。福建省の鉄観音だ。魔石を使って栽培された特級品だよ」

 

「は、はい! いただきます!」

 

 陳は恐縮しながら茶を啜った。

 香ばしい香りと濃厚な甘みが口いっぱいに広がる。

 これが権力の味か。

 

「陳同志」

 

 周が静かに切り出した。

 

「君のレポートは全て読んでいる。

 貴州の農村から身を起こし、わずか半年でレベル20に到達。

 その不屈の精神と、党への忠誠心。実に素晴らしい」

 

「もったいないお言葉です。全ては党と国家の導きのおかげです」

 

「謙遜はいらんよ」

 

 周は茶を啜った。

 

「システムや装備を与えることはできる。だが、それを使いこなし、死線を越える勇気を持つのは君自身の資質だ。

 君のような若者がいてくれるからこそ、私は安心してこの国の舵取りができる」

 

 周の視線が、陳の腰にある『雷轟の長槍』に向けられた。

 

「その槍。君が手に入れたユニークアイテムだね?」

 

「はい。この槍は、私の魂の一部です」

 

「うむ。力強い言葉だ」

 

 周は頷いた。

 

「だが忘れてはならない。力とは使い手によって、薬にも毒にもなる。

 アメリカを見たまえ。個人の欲望に任せた結果、社会は分断され、混乱している。

 日本はどうだ? 議論ばかりで何も決まらず、若者たちは方向性を見失っている」

 

 周は鋭い眼光で陳を見据えた。

 その瞳の奥には、KAMIから授かった『分身』によって倍増された底知れない知性の光が宿っていた。

 

「我が国は違う。

 我々は個人の力を、全体の幸福のために統合する。

 君の槍は、君の敵を倒すためだけにあるのではない。

 14億の人民を守り、中華民族の偉大なる復興を切り拓くための、国の槍なのだ」

 

 その言葉は、陳の胸の奥底に突き刺さった。

 そうだ。自分は一人の冒険者ではない。

 この巨大な国家の最前線に立つ守護者なのだ。

 

「承知いたしました、主席」

 

 陳は涙をこらえながら答えた。

 

「この命尽きるまで、国家の槍として戦い抜くことを誓います」

 

「うむ。頼もしい」

 

 周は満足げに微笑んだ。

 

「これから先、ダンジョンの階層はさらに深くなる。C級、そしてB級。

 そこは未知の領域だ。我々の想像を絶する脅威が待っているだろう。

 だが君には、その先陣を切ってほしい。

 君の背中が、後に続く数百万の若者たちの道標となるのだ」

 

「はいッ!! 必ずや!」

 

 周は腕時計を見た。

 

「……おっと、もうこんな時間か。

 すまないな、次の会議が待っている。

 ロシアの大統領と、少々厄介な話をしなくてはならなくてな」

 

 周は立ち上がった。

 その背中は陳よりも一回り小さく見えたが、そこには世界の重圧を支える巨人のような風格があった。

 

「頑張りたまえ、若者よ。

 中華民国は、君のような若者が次世代を担うんだ」

 

 周は軽く手を振り、東屋を後にした。

 SPたちがすぐに彼を囲み、足早に去っていく。

 

 陳はその背中が見えなくなるまで、直立不動で見送った。

 

 風が吹いた。

 湖面が波立ち、彼の髪を揺らす。

 

「……やるぞ」

 

 陳は拳を握りしめた。

 かつて鍬を握っていたその手は、今、魔力を帯びた鋼鉄のように硬く、熱かった。

 

 貧困も絶望も、もう過去のものだ。

 自分には力がある。目的がある。

 そして信じるべき国家がある。

 

「俺が中国を背負うんだ」

 

 その決意は彼をさらなる高みへと――おそらくは人類未踏の深淵へと――導いていくだろう。

 中国という巨大な龍の、最も鋭い牙として。

 

 陳 暁の物語は、ここから本当の意味で始まるのだ。

 彼は振り返り、まっすぐに前を見据えた。

 その瞳には燃えるような野心と、一点の曇りもない愛国心が輝いていた。

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