賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい   作:パラレル・ゲーマー

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第168話

 極北の大地、ロシア連邦。

 鉛色の空から、重く湿った雪が絶え間なく降り注ぎ、全てを白く覆い隠していく長い冬。

 かつて、この国の若者たちにとって冬とは、閉塞の季節だった。

 外に出れば、凍てつく寒風が肌を刺す。遊ぶ場所も、働く場所も少ない。

 彼らに残された逃げ場は、暖房の利いた狭いアパートの一室か、あるいは地下にある薄暗いインターネットカフェ(ゲーミングクラブ)しかなかった。

 高価なグラフィックボードを搭載したPCのモニターに向かい、ヘッドセットを装着し、仮想現実の戦場で銃を撃ち、魔法を放つ。

 「eスポーツ大国ロシア」。その輝かしい称号の裏には、現実世界(リアル)に希望を見出せない若者たちの、行き場のないエネルギーと鬱屈が渦巻いていた。

 

 だが、今のロシアは違う。

 モスクワ、サンクトペテルブルク、ノヴォシビルスク。

 主要都市の繁華街から若者たちの姿が消えたわけではない。彼らの「ログイン先」が変わっただけだ。

 モニターの中の戦場(サーバー)から、地下深くに広がる本物の迷宮(ダンジョン)へと。

 

 ***

 

 モスクワ郊外、F級ダンジョン『凍土の地下墓地』ゲート前。

 氷点下20度の外気などものともせず、そこには数千人の若者たちが熱気と共に列をなしていた。

 

「――おい、イワン! 昨日のレイド(攻略)はどうだった?」

「最高だったぜ! ドロップ運が神がかっててよ、魔石だけで日当3万ルーブル超えたわ!」

「マジかよ! 俺も今日は本気出すわ。新しい斧、買ったんだ」

 

 彼らの装備はちぐはぐだ。

 厚手のダウンジャケットの上から、革製の防具や建設用のヘルメットを装着している者。

 通販で買った安物の剣や、実家の納屋から持ち出したハンマーを改造した武器を持つ者。

 だが、その顔つきは、かつてモニターの前で見せていた死んだような目ではない。

 ギラギラとした生気と欲望に満ちた、捕食者の目をしていた。

 

「行くぞ! ログインだ!」

 

 彼らはゲートをくぐり、ダンジョン内部へと雪崩れ込んでいく。

 内部は外気よりは幾分かマシな気温だが、それでも冷気が漂う石造りの回廊だ。

 そこにスケルトンやスノー・ゴブリンといったモンスターが湧き出す。

 

「敵影確認(コンタクト)! 12時方向!」

「タンク前へ! キャリー(火力役)は後ろから魔法撃て!」

「了解(ラジャー)! オラァッ! ヘッドショット!」

 

 飛び交うのはFPS(ファーストパーソン・シューティング)ゲームのスラング。

 だが、そこで起きているのは紛れもない現実の暴力だ。

 若者が振るうハンマーが、スケルトンの頭蓋を粉砕する。

 骨が砕ける感触。手に伝わる衝撃。

 そしてモンスターが光の粒子となって消滅した後に残る、確かな質量を持った戦利品。

 

「……たまんねえ」

 

 アレクセイ(20歳)は、拾い上げた魔石を握りしめ、恍惚の表情を浮かべた。

 彼はかつて某FPSゲームの地域大会で優勝するほどの腕前だったが、プロにはなれず、無職のまま実家で燻っていた。

 だが今は違う。

 

「ゲームなんか目じゃないな、これ」

 彼は荒い息を吐きながら笑った。

「解像度(グラフィック)は無限大。遅延(ラグ)もなし。何より敵を倒した時のこの脳汁が出る感じ……。他の遊びが全部、子供騙しのおままごとに思えてくるぜ」

 

「違いない!」

 仲間のセルゲイが同意する。

「それにゲームでいくらキル数を稼いでも、親父には『働け』って怒鳴られるだけだったが、こっちは違うからな」

 

 彼らは知っていた。

 この「最高の遊び」が、今や崩壊寸前の家計を支える、最も効率的な労働であることを。

 

 ***

 

 その頃。

 モスクワ市内の集合住宅(フルシチョフカ)。

 古びたキッチンのテーブルには、湯気の立つボルシチと黒パン、そしてささやかながら肉料理が並べられていた。

 母親たちが満足げに紅茶をすすりながら談笑している。

 

「あら、ターニャ。今日はご馳走ね」

「ええ。息子のサーシャがね、また稼いできてくれたのよ」

 

 母親はテーブルの端に置かれた小瓶を指差した。中には黒く輝く小石――魔石が数個入っている。

 それを換金すれば、夫の年金一ヶ月分に相当する金額になる。

 

「あの子、前までは一日中部屋に籠もってピコピコとゲームばかりして……。

 『軍隊にでも行って根性を叩き直してもらえ』って毎日喧嘩していたのよ。

 でもダンジョンができてからは、見違えるようになったわ」

 

「ええええ。うちのボリスもそうよ」

 向かいに座るタチアナが深く頷く。

「朝早くから友達と出かけて、泥だらけになって帰ってくるの。

 『母さん、これで美味い肉を買ってくれ』って現金を渡された時は、涙が出ちゃったわ」

 

 彼女たちは、壁に掛けられたカレンダーの横にあるウラジミール大統領の肖像画を見上げた。

 

「流石は皇帝陛下(ツァーリ)ね!」

 彼女は感嘆の声を上げた。

「陛下がKAMI様と交渉して、この国にダンジョンを持ってきてくださったおかげよ。

 若者には仕事を、老人には暖房を。

 まさに偉大なる指導者だわ」

 

「そうね。西側の連中は『野蛮だ』とか言ってるらしいけど、負け惜しみよ」

 タチアナも胸を張った。

「うちの子たちが稼いでくる魔石が、ロシアを再び強くするのよ。

 ……あの子たち、本当に楽しそうだしね」

 

 母親たちは微笑み合った。

 子供がゲームではなく命がけの戦闘に夢中になっていることへの危惧は、そこにはない。

 ロシアの母は強い。生きる力こそが正義であり、家に食料と暖かさをもたらす者は誰であれ英雄なのだ。

 

 ***

 

 ダンジョン内部。

 アレクセイたちのパーティは、順調に階層を降りていた。

 F級ダンジョンの深層。ここからは敵の数も強さも増してくる。

 

「前方クリア。……げっ」

 

 先行していたスカウト役のディミトリが舌打ちをして戻ってきた。

「どうした?」

「軍人だ。正規軍の連中がいる」

 

 通路の先、開けた広場を占拠している一団がいた。

 ロシア連邦軍の最新鋭戦闘装備に身を包み、統率の取れた動きでオークの集団を殲滅している小隊。

 彼らの戦闘は「遊び」ではない。「作業」であり、「任務」だ。

 無駄のない射撃、冷徹な近接戦闘。楽しんでいる様子など微塵もない。

 

「……ちっ。遭遇しちまったか」

 アレクセイが顔をしかめる。

 彼ら若者にとって軍人は複雑な存在だ。

 国の守護者として敬意は払う。

 だが同時に、徴兵制という名の「自由の剥奪者」であり、自分たちの気ままなダンジョン生活を脅かす存在でもあった。

 

 軍の小隊長らしき男がこちらに気づいて視線を向けた。

 アレクセイたちは反射的に背筋を伸ばし、敬礼した。

 

「ご苦労さまです、同志!」

 

 それは学校教育で叩き込まれた条件反射だった。

 小隊長は彼らの装備と、腰にぶら下げた魔石袋を一瞥し、無表情に頷き返した。

 

「……民間人か。

 この先は『スノー・オーガ』の目撃情報がある。遊び半分なら引き返せ」

 

「はッ! 忠告感謝します!」

 

 軍人たちが去っていくのを見送り、彼らはほっと息をついた。

 

「……ふぅ。ビビった」

「勧誘されなくてよかったな。この前、別のパーティの奴が『君いい動きだね。軍でその才能を活かさないか?』ってスカウトされたらしいぜ」

「勘弁してくれよ」

 

 アレクセイは斧を担ぎ直した。

「俺たちはさ、この『俺TUEEE』感が楽しいわけよ。

 自分の強さがダイレクトに結果に出る。誰にも指図されず、好きな時に潜って、好きな時に帰る。

 それがいいんだよ」

 

「そうそう。軍隊に入ったら『ガチ戦争』だろ?」

 別の仲間が言った。

「上官の命令で突撃して、捨て駒にされるなんて御免だね。

 俺たちは無双したいだけなんだよ。英雄ごっこでいいんだよ」

 

「違いない」

 

 彼らは笑い合った。

 ロシアの若者たちは愛国者ではあるが、盲従者ではなかった。

 ダンジョンという「自由」を知ってしまった彼らは、国家という巨大なシステムに組み込まれることを本能的に拒否し始めていた。

 

「よし、気を取り直して稼ぐぞ!」

「軍人が行ったルートとは別の道を行こう」

 

 彼らは再び、自分たちだけの冒険へと走り出した。

 

 ***

 

 だが、このダンジョンには、無邪気な若者たちや規律正しい軍人たちとは異なる第三の勢力が潜んでいた。

 『ロシアン・マフィア』。

 彼らもまた、このゴールドラッシュを見逃すはずがなかった。

 

 通路の奥、一般の探索者が近づかないような狩り場。

 そこに黒いロングコートを着た十数人の男たちが陣取っていた。

 彼らの手には、アメリカの闇ルートから仕入れた最新鋭の殺戮兵器――『魔導拳銃(マジック・ガン)』が握られている。

 

「――湧いたぞ」

 

 リーダー格の男、ボリスが低く告げる。

 空間が歪み、ダンジョンの壁から『アイス・ゴーレム』が出現する。

 物理攻撃が効きにくい強敵だ。

 

 だが、ボリスたちは眉一つ動かさない。

「処理しろ」

 

 バスンッ! バスンッ! ズドォォン!!

 

 乾いた発射音と共に、銃口から真紅の炎弾が放たれる。

 『富のオーブ』によって強化された銃火器は、ゴーレムの堅牢な氷の装甲を、熱したナイフでバターを切るように貫通し、内部から粉砕した。

 

「グオオォォ……ッ!」

 

 ゴーレムは崩れ落ち、光の粒子となって消えた。

 後には高純度の魔石と、いくつかのドロップ品が残された。

 

「回収」

 ボリスの指示で部下たちが手際よくアイテムを回収していく。

 彼らはKAMIが定めたルールを熟知していた。

 ダンジョン内では探索者の行動は全てボディカメラのようなシステムで監視されている(あるいはKAMIが見ている)。

 ゆえに、ここでのPK(プレイヤーキル)や強奪は御法度だ。

 一発でライセンスを剥奪され、このドル箱から締め出される。

 

「ボス。向こうの通路でガキの集団がはしゃいでますぜ」

 部下の一人がニヤニヤしながら報告する。

「『レア出たー!』とか叫んでます。カモれるんじゃないですか?」

 

 ボリスは冷ややかな目で、遠くの通路を歩くアレクセイたちの背中を一瞥した。

 

「……放っておけ」

 

 彼は煙草に火をつけた。

「今はまだ中で騒ぎを起こす時じゃない。KAMIの機嫌を損ねて出禁になるリスクは冒せん。

 ここでは我々もただの優良な探索者だ。

 ……今はな」

 

 彼は回収した魔石の山を見つめた。

 組織的な火力と統率力で、彼らは一般人の何十倍もの効率で資源を吸い上げている。

 これだけでも十分な利益だ。

 

「ガキどもははしゃいでるが……」

 ボリスは煙を吐き出した。

「今がボーナスタイムだ。

 いずれ国が規制を強めれば、この自由な市場も終わる。

 それまでに稼げるだけ稼ぐぞ」

 

「へい、ボス」

 

「それに」

 ボリスの目が爬虫類のように細められた。

「奴らがもし『ユニークアイテム』のような分不相応な宝を手に入れたら……。

 その時はダンジョンの外で『商談』を持ちかければいいだけの話だ。

 丁重にな」

 

 彼らは淡々と、そして確実にダンジョンというシステムを利用していた。

 ダンジョン内ではルールを守る模範的な探索者。

 一歩外に出れば冷酷な捕食者。

 その二面性を使い分けながら、マフィアたちはロシアの地下経済を肥え太らせていく。

 

 ***

 

 夕暮れ。

 シベリアの空が紫に染まる頃、ダンジョンから帰還する人々の波はピークに達していた。

 

「いてて……今日は派手にやられたな」

 アレクセイが包帯を巻いた腕をさすりながらゲートを出てきた。

「でも見ろよ、これ! D級の魔石だぞ!」

 ディミトリが拳大の魔石を誇らしげに掲げる。

 

 彼らの顔は泥と血で汚れ、疲労困憊している。

 だが、その表情は晴れやかだった。

 彼らは今日も生き延びた。

 そして昨日よりも強くなり、昨日よりも豊かになった。

 

「帰ったら母ちゃんにケーキでも買って帰るか」

「いいね。俺は新しいブーツを買う金を貯めるよ」

 

 彼らは肩を組み、雪道を歩き出した。

 その背中には、かつての「絶望した若者」の影はない。

 自分の力で人生を切り拓く、逞しい生活者の姿があった。

 

「ダンジョン楽しすぎだろ!!」

「他の物がお遊びに思えてくるわ!」

 

 その純粋な叫びこそが、今のロシアを動かす最も熱いエンジンだった。

 凍てつく大地の下で、熱狂の炎は明日もまた激しく燃え上がることだろう。

 

 そして、その狂乱と計算のすべてをはるか上空から見下ろすKAMIは、満足げに呟いた。

 

「……ふふ。ロシアもなかなかたくましいじゃない。

 環境が違えば、遊び方も変わる。

 これだから人間観察はやめられないわね」

 

 彼女は次の「試練」の準備をしながら、楽しそうに笑った。

 神のゲームは、まだまだ終わらない。

 

 

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