賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい   作:パラレル・ゲーマー

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第227話

 インド、ニューデリー。

 ダンジョン開放から一週間。

 この巨大な亜大陸を覆っていた熱狂は冷めるどころか、太陽のコロナのごとく燃え上がり、国家そのものを溶かして黄金の鋳型へと流し込むような、凄まじい「変容」の時を迎えていた。

 

 サウス・ブロック(首相府)の大会議室。

 かつては貧困、インフラ不備、宗教対立、そしてパキスタンとの軍事的緊張といった難問に頭を抱え、重苦しい沈黙が支配していたこの部屋は、今、まるでボリウッド映画のクライマックスシーンのような、極彩色の歓喜と制御不能なほどの自信に満ち溢れていた。

 

「――報告します! 昨日のムンバイ証券取引所(BSE)SENSEX指数は、前日比3,000ポイント高! 史上最高値を、またも更新しました!」

「ルピー高が止まりません! 対ドルレートは戦後最高水準! 外貨準備高は一週間で倍増! 国立銀行の金庫が物理的に足りません!」

「ビハール州、ウッタル・プラデーシュ州の貧困層からの税収(消費税)が前年比5000%を記録! 彼らは稼いだ金を、その日のうちに使い切っています! 凄まじい経済循環です!」

 

 次々と飛び込んでくる報告は、どれもこれもが常軌を逸した「吉報」ばかりだった。

 財務大臣のニルマラ・シタラマンは、サリーの端で嬉し涙を拭いながら、手元のタブレットに表示された垂直に伸びるGDPグラフを、愛おしそうに撫でていた。

 

「ああ……神よ。ラクシュミー(富の女神)よ……。

 我が国が……我がインドが、これほどの富に溺れる日が来るとは……」

 

 彼女の目の前にある数字は、経済学の教科書を書き換えるレベルの異常事態を示していた。

 F級ダンジョンでの探索者一人あたりの平均日収、約17万ルピー(約30万円)。

 この数字が持つ破壊力は、筆舌に尽くしがたい。

 

 従来のインドにおいて、大卒のエリート公務員や事務職の平均的な初任給は、年収にして約20万ルピーから30万ルピー程度だった。

 つまり、これまでのインド人が汗水垂らして一年間働き、ようやく手に入れていた金額を、今の探索者たちは「たった一日」で、それも棒きれ一本でゴブリンを殴るだけで稼ぎ出しているのだ。

 年収が日給になった。

 経済の速度が、文字通り365倍に加速したのである。

 

「総理!」

 首相補佐官のアグラワルが、興奮で紅潮した顔で叫んだ。

「国内の貧困ライン以下で生活していた数億人の国民が、この一週間で事実上消滅しました!

 彼らは今や、世界でもトップクラスの購買力を持つ『超・富裕層予備軍』です!

 スラム街では掘っ立て小屋が取り壊され、その場に大理石の豪邸を建てる計画が乱立しています!

 家電、自動車、貴金属……国内の在庫は全て蒸発しました!

 今は日本や中国からの輸入待ちですが、代金は全て前払いで即金!

 『金はある! 物を持ってこい!』と、国民全員が叫んでおります!」

 

 ナディ首相は、玉座のような椅子に深く腰掛け、満足げに髭を撫でた。

 その表情は、もはや一国の首相というよりは、世界を手に入れた皇帝(マハラジャ)のそれだった。

 

「うむ。善き哉、善き哉。

 これぞ『輝けるインド(India Shining)』の真の姿だ。

 いや、もはや輝くどころではない。太陽そのものだ」

 

 彼は天井を仰いだ。

 そこにはKAMIの気まぐれと、インドの神々の加護が重なって見えた。

 

「KAMI様は、我々を見捨てなかった。

 いや、むしろ我々こそが選ばれた民だったのだ。

 人口世界一という、かつては『重荷』とされたこの巨大な質量が、ダンジョンというシステムと結合した瞬間、世界最強の『生産力』へと変わったのだからな」

 

 人口ボーナス。

 その言葉の本当の意味を、世界は今、戦慄と共に目撃していた。

 10億人がダンジョンに潜れば、産出される魔石の量は日米中露の合計を遥かに凌駕する。

 質より量。

 圧倒的な「数」の暴力が、経済という戦場で完全勝利を収めつつあった。

 

 ***

 

 だが光が強ければ、影もまた濃くなるのが常だ。

 会議の話題は、隣国との緊張関係へと移った。

 国防大臣のラージナート・シンが地図を広げた。

 カシミール地方、管理ライン(LoC)周辺。

 そこには不穏な赤いマーカーが点滅していた。

 

「……総理。浮かれてばかりもいられません。

 パキスタン軍の動きが活発化しております」

 

 シン大臣の声は低かったが、そこには以前のような「危機感」や「焦燥」はなかった。

 あるのは、圧倒的な強者が弱者を見下ろすような、冷ややかな余裕だけだった。

 

「彼らは国境付近に部隊を集結させ、散発的な砲撃やテロリストの越境工作を試みています。

 国内向けのプロパガンダも激化しており、

 『インドは神の恵みを独占する悪魔だ』

 『ムスリムの同胞よ、聖戦(ジハード)に立ち上がれ』

 と煽り立てているようです。

 ……どうやら我々の繁栄を見て、嫉妬と恐怖で発狂寸前のようですな」

 

 従来であれば、これは最高レベルの軍事的危機だ。

 核保有国同士の緊張。

 即座に軍を動員し、国際社会に仲裁を求める場面だ。

 

 だが。

 ナディ首相は鼻で笑った。

 

「……ふん。パキスタンか。

 相変わらずだな」

 

 彼は手元のチャイを優雅にすすった。

 

「放っておけ。

 彼らがどれだけ吠えようが、今の我々には蚊が刺したほどにも感じんよ」

 

「はっ。軍の対応レベルは?」

 

「通常警戒でいい。

 もし撃ってきたら……そうだな。

 最新鋭の『魔導障壁(マギ・シールド)展開車両』でも並べて、花火見物でもしていろ」

 

 首相は、まるで小遣いをやるような手つきで空を切った。

 

「今の我が国には金がある。無限にな。

 あちらが砲弾一発撃つ間に、我々は魔石で強化されたトーチカを十個建てられる。

 あちらが兵士一人を送り込む間に、我々は最新の装備で武装した探索者部隊を千人配備できる。

 ……勝負にならんよ」

 

 経済力という絶対的な壁。

 戦争とは結局のところ、リソースの削り合いだ。

 無限のリソースを手に入れたインドに対し、パキスタンが挑めるはずもなかった。

 

「彼らも可哀想にな。

 隣の家が黄金の宮殿に変わっていくのを、指をくわえて見ているしかないのだから。

 ……いっそ攻め滅ぼして併合してやろうか?」

 

 国防大臣が冗談めかして言ったその言葉に、会議室がどっと沸いた。

 以前なら不謹慎極まりない発言だが、今の彼らにとってそれは「選択肢の一つ」としてリアリティを持つほどの余裕があった。

 

 だがナディ首相は、首を横に振った。

 

「いや、野蛮なことはよそう。

 KAMI様は戦争を好まない。

 『人間が減ると対価が減るから』という、実に即物的な理由でな。

 我々が武力を行使して叱られては、元も子もない」

 

 彼はニヤリと笑った。

 

「それに……もっと良い方法がある。

 北風と太陽だ。

 彼らを銃で撃つのではなく、札束で殴るのだよ」

 

 首相はアグラワル次官の方を向いた。

 

「アグラワル。

 日本政府からの提案にあったな?

 『パキスタンへの探索者枠の開放』とやら」

 

「は、はい!」

 アグラワルが慌てて資料をめくる。

「九条長官からの提案です。

 『ガス抜きのために限定的にパキスタン国民を受け入れ、彼らにも恩恵のおこぼれを与えよ』と。

 具体的には、身元が確かな者に限りビザを発給して、インド国内のダンジョンでの活動を許可するというものです」

 

「……以前なら断固拒否していたところだがな」

 内務大臣が渋い顔をした。

「テロリストが紛れ込むリスクがある。

 それになぜ敵国の国民を儲けさせてやらねばならんのだ、という国民感情の反発も……」

 

「だが今は違う」

 ナディ首相が遮った。

 その顔には、慈悲深い王の仮面を被った冷徹な支配者の笑みがあった。

 

「我々には余裕がある。

 溢れんばかりの富と、使い切れないほどのダンジョン資源がある。

 F級ダンジョンの雑魚モンスターなど、いくら狩らせても減るものではない。

 ならば……くれてやれ」

 

 彼は、まるで野良犬に餌をやるような口調で言った。

 

「パキスタンの民にも夢を見せてやろうではないか。

 国境を開け。

 ただし審査は厳格にな。

 身元がハッキリしており、政治的背景がなく、そして……『インドに感謝できる』者だけを選べ」

 

「ははっ!」

 

「彼らにインドで稼がせ、その金をパキスタンに持ち帰らせる。

 そうすればどうなる?

 彼らの家族はインドに感謝し、インドに依存するようになる。

 『インドと戦争すれば、この稼ぎがなくなる』と理解すれば、彼ら自身が戦争反対の声を上げるだろう。

 ……内部から彼らの戦意を骨抜きにするのだ」

 

 それは究極の経済的懐柔策だった。

 敵対心すらも金で買い取る。

 それができるだけの「圧倒的な財力」が、今のインドにはあった。

 

「それに」

 財務大臣のシタラマンが、計算高い目で付け加えた。

「彼らが入国すれば、滞在費や装備の購入費、そして税金(上納金)を我が国に落としていきます。

 結局のところ彼らは、我々のために魔石を掘り出す『外国人労働者』に過ぎません。

 我々の手は汚れず、懐は潤う。

 ……悪くない取引ですわ」

 

 会議室は再び、余裕に満ちた笑いに包まれた。

 かつての宿敵パキスタンさえも、今や彼らにとっては「安価な労働力の供給源」でしかなかった。

 

 ***

 

 数日後。

 インド・パキスタン国境、ワガ検問所。

 普段は両国の兵士が威嚇し合う緊張の最前線であるこの場所に、今日は異様な光景が広がっていた。

 

 パキスタン側には、数キロにも及ぶ長蛇の列ができている。

 ボロボロの服を着た若者、家族を連れた男、希望に縋るような目をした老人たち。

 彼らの手には、インド政府が発行した『特別探索者ビザ』の申請書が握りしめられている。

 

「開門ッ!」

 

 インド側の巨大なゲートが、重々しい音を立てて開く。

 そこには武装したインド兵ではなく、笑顔の入国管理官と、そして山積みになった支援物資(カップ麺や水)が待っていた。

 

「ようこそインドへ!

 兄弟たちよ、歓迎するぞ!」

 

 インドの管理官が、ヒンディー語とウルドゥー語で呼びかける。

 その態度は、かつての敵に対するものではなく、貧しい親戚を迎える金持ちの叔父のような、圧倒的な「上から目線」の慈悲に満ちていた。

 

「審査を通過した者には、すぐにスマホと初期装備を貸与する!

 パンジャーブ州のF級ダンジョン行きのバスも用意してあるぞ!

 さあ稼げ!

 そしてその金で、国にいる家族を養うがいい!」

 

 パキスタンの人々は戸惑いながらも、その門をくぐった。

 ある者は涙を流して感謝し、ある者は屈辱に唇を噛みながらも、背に腹は代えられないと頭を下げた。

 

「……ありがとう、インド」

「アッラーのご加護を……」

 

 その光景を国境警備隊の隊長室から見下ろす、インド軍の将校がいた。

 彼は冷えたコーラを飲みながら、隣の副官に言った。

 

「見たか。これが『勝者』の景色だ」

 

「はい、大佐。

 銃弾一発撃つことなく、我々は彼らを征服しましたね」

 

「ああ。

 彼らはもう我々に銃を向けることはできない。

 彼らの生活の糧は、我々が握っているのだからな」

 

 国境は開放された。

 だがそれは平和の到来ではなく、インドによる「経済的併合」の始まりだった。

 パキスタンだけでなく、バングラデシュ、ネパール、スリランカ……。

 周辺諸国の膨大な人口が、インドのダンジョンというブラックホールに吸い寄せられ、その経済圏の一部として組み込まれていく。

 

「大インド共栄圏」。

 かつて夢想されたその概念が、魔石と欲望の力によって現実のものとなりつつあった。

 

 ***

 

 その頃。

 東京・永田町、首相公邸地下。

 

 九条官房長官と沢村総理は、インドからの報告書を読み、複雑な表情を浮かべていた。

 

「……やりましたな、インド政府」

 九条が、感心とも呆れともつかない声で言った。

「パキスタンの受け入れを決めました。

 それも、これ以上ないほど傲慢で、そして効果的なやり方で」

 

「『余裕があるから、恵んでやる』か……」

 沢村が苦笑した。

「一週間前まで彼らが核戦争の危機に怯えていたとは、信じられんな。

 金を持つと、こうも人は変わるものか」

 

「ええ。今の彼らは無敵です」

 九条はモニターに映るインドのGDP予測グラフ(垂直に近い上昇線だ)を指した。

「この経済爆発が続く限り、彼らの自信と寛容さは揺らがないでしょう。

 KAMI様も『面白くなってきたわね』とご満悦の様子でした」

 

「だが危ういな」

 沢村は呟いた。

「急激な膨張は、必ず破裂のリスクを孕む。

 インドのバブルが弾けた時、あるいは彼らの傲慢さが限界を超えた時……。

 その反動は、アジア全土を焼き尽くすかもしれん」

 

「その時は……」

 九条は眼鏡の位置を直した。

「我々がまた胃を痛めながら、調整に走るだけのことです。

 それが『先輩』としての、我々の役目ですから」

 

 インドは踊る。

 黄金の雨と神の寵愛に酔いしれて。

 その狂乱の宴は、まだ始まったばかりだった。

 

 テレビのニュースでは、デリーの繁華街で高級車を乗り回す元・不可触民の若者たちが、紙幣をばら撒きながらパレードを行っている映像が流れていた。

 その足元には、かつての主人が、彼らに媚びるような笑顔で花束を捧げている。

 

 世界はひっくり返った。

 そしてその混沌の中心で、インドは今、世界で一番熱く、そして危険な輝きを放っていた。

 

 

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