賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい   作:パラレル・ゲーマー

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番外編 バベルの断章

並行世界コード:#769

座標:北米大陸・ワシントンD.C.

現地時間:西暦202X年 5月

 

ホワイトハウスのオーバル・オフィス。

世界最強の権力者が座るべきその執務室は、今、かつてないほどのリラックスした空気、あるいは「悟り」にも似た静謐な狂気に満たされていた。

 

その中心にある大統領のデスクの上。

そこに、行儀悪く足を組んで座っているのは、黒いレースとフリルを纏った銀髪の少女――この並行世界を「視察」に訪れた次元の旅人、KAMIだった。

彼女の手には、この世界のアメリカで大流行しているという「抹茶味のドーナツ」が握られている。

 

「んー、やっぱりアメリカの砂糖の量は加減を知らないわね。抹茶の風味が死んでるわ。まあ、これはこれでジャンクで美味しいけど」

 

彼女はドーナツを齧りながら、眼下に広がる書類の山を呆れたように見下ろした。

その向かい側、本来の主であるはずのアメリカ合衆国大統領、ジェームズ・マクミラン(この世界の大統領だ)は、満面の、いや仏のような穏やかな笑みを浮かべてKAMIを崇め奉っていた。

 

「ああ、KAMI様……。貴女のおっしゃる通りです。甘美さと苦味の調和、それこそが人生(ライフ)……。

 貴女がこのドーナツ一つに込めた批評の中に、我々人類が忘れていた『過剰への警鐘』と『受容の精神』を感じ取ることができました。感服いたしました」

 

「……あ、そう」

 

KAMIは少し引いた。

 

「相変わらず効きすぎてるわね、『言語チートフィールド』」

 

そう、この世界#769は、KAMIによる大規模な社会実験の場となっていた。

実験名:『広域言語・文化理解フィールド(通称:バベル・キャンセラー)』の展開。

 

KAMIがこの世界に降り立った際、彼女はいつものように面倒な交渉を省略するため、一つの「魔法」を行使した。

それは、アメリカ合衆国の領土内全域を覆う巨大な結界だ。

 

効果はシンプルにして絶大。

『フィールド内にいる知的生命体は、あらゆる言語を母国語以上に流暢に理解し、さらに発話者の文化的背景、文脈、感情の機微(ニュアンス)を120%の解像度で理解することができる』。

 

言葉の壁の消滅。

そして、誤解の消滅。

 

それは、人類が太古の昔、バベルの塔の崩壊によって失ったとされる「統一言語」の再来であり、それを超える「完全なる相互理解」の世界の実現だった。

 

「大統領、最新の支持率は?」

 

KAMIが気だるげに尋ねる。

 

「はい、KAMI様!」

 

マクミラン大統領は、喜び勇んでタブレットを提示した。

 

「今朝の世論調査で、ついに『99.2%』を記録いたしました!

 野党も与党も、リベラルも保守もありません。国民の全てが、私の施政方針演説の真意を――言葉の裏にある国を想う憂いと、未来への希望を――完全に、そして誤解なく理解してくれたのです!

 もはや選挙運動など不要です。私が『おはよう』と言えば、国民はそこに込められた『今日も一日、共に頑張ろう』という万感の思いを汲み取ってくれるのですから!」

 

「……はぁ」

 

KAMIはため息をついた。

 

「人間って本当に単純ねー。言葉が通じるだけで、こんなにハッピーになれるんだもの」

 

彼女がこのフィールドを展開した理由は、実に彼女らしい「効率化」のためだった。

 

「一人ひとりの魂に『翻訳スキル』を付与するなんて、面倒くさくてやってられないもの。

 アメリカ国民全員、3億人にスキルインストール? サーバーがパンクするわよ。

 だから土地そのものに効果を付与したの。Wi-Fiスポットみたいなものね。

 『アメリカに入れば通じる』『出れば通じなくなる』。

 これなら処理も楽だし、私の魔力消費(リソース)もエコで済むわ」

 

だがその「手抜き」の結果、生まれたのは、人類史上類を見ないユートピア(あるいはディストピア)だった。

 

***

 

ここ数週間のアメリカの変化は、「劇的」という言葉では生温かった。

 

まず、人種間、文化間の対立が霧散した。

街角で肩がぶつかった黒人と白人が、一言二言交わしただけで、互いの祖先の歴史、現在抱えているローンの悩み、そして今日の昼食に何を食べるべきかという葛藤までを瞬時に「理解」し合い、最後には涙を流して抱擁し合うという光景が日常化した。

 

そして何より、KAMIが面白がっているのは、現在アメリカ全土を席巻している「異文化再発見ブーム」だった。

 

KAMIは空中にホログラム・ウィンドウを展開し、テキサスの田舎町の様子を映し出した。

そこには、テンガロンハットを被り、腰に拳銃を下げた典型的なカウボーイたちが、荒野の真ん中で車座になり、緑茶を啜っている映像があった。

 

『……ふむ』

 

髭面のカウボーイが、茶碗を回しながら静かに呟く。

 

『この渋みの中に宿る枯淡の味わい……。これこそが "WABI-SABI" か。

 俺たちが追い求めてきた荒野の孤独(ロンリネス)と、日本の禅の精神は、根底で繋がっていたんだな……』

 

『ああ、ビル。俺にも分かるぜ』

 

隣の巨漢が深く頷く。

 

『散りゆく桜と、夕陽に染まるグランドキャニオン。形は違えど、そこに流れる "MONO-NO-AWARE" は同じだ。

 俺たちの魂は太平洋を超えて共鳴している……』

 

「……何これ」

 

KAMIは画面を見ながら、呆れを通り越して笑っていた。

 

「テキサスの荒くれ者たちが、千利休みたいなこと言ってるわよ」

 

「先週のブームですね」

 

大統領が解説する。

 

「日本の『侘び寂び』の概念が、言語チートによって完璧に翻訳・伝播された結果です。

 彼らは日本語を話せませんが、日本語の持つ『余白の美』や『行間を読む』という高度なコンテクストを、魂レベルで理解してしまったのです。

 おかげで先週の銃乱射事件はゼロ件でした。

 皆、銃を抜く前に『諸行無常』を悟ってしまい、争いが虚しくなったそうで」

 

「平和でいいけど、絵面がシュールすぎるわ」

 

KAMIは次のチャンネルに変えた。

今度はニューヨーク、ウォール街。

世界経済の中心地で、トレーダーたちが叫び合っている。

 

『おい! この株価の変動! これはまるでインド哲学における "ブラフマン" の鼓動ではないか!』

『そうだ! 市場とは "マーヤー(幻影)" に過ぎない! 我々は数字という名の輪廻転生に囚われているのだ!』

『解脱せよ! 損切りこそが涅槃への道だ!』

 

「……こっちはヒンドゥー教と仏教ね」

 

KAMIはスナック菓子を開けた。

 

「強欲な資本主義者たちが、サンスクリット語の概念を120%理解しちゃった結果、資本主義を内側から哲学的に解体し始めてるわ」

 

「ええ」

 

大統領は頷いた。

 

「おかげで、極端な空売りや投機的なマネーゲームが激減しました。

 皆、『富とは何か?』『幸福とは何か?』という根源的な問いに対する答えを、他国の文化の中に完全な形で見出し、満足してしまったのです。

 ダウ平均は横ばいですが、国民の幸福度指数(GNH)はブータンを抜いて世界一になりました」

 

完全な相互理解。

それは、言葉の壁だけでなく、心の壁、偏見の壁、そして無知という名の壁を、全て取り払ってしまった。

 

相手が何を考えているか、なぜそう思うのかが「痛いほど分かる」。

その状態では、差別も憎悪も、そして欺瞞さえも成立しなくなる。

 

「政治も楽になりましたよ」

 

大統領は遠い目をした。

 

「議会での討論が、もはや詩の朗読会のようです。

 野党議員が私の法案に反対する際も、

 『大統領、あなたの提案の意図、その深層にある国家への愛は、私の胸を打ちました。

  しかし、その政策が地方の貧困層にもたらすであろう、微細な、しかし看過できない哀しみの波紋(リップル)を、どうか想像していただきたい……』

 と、涙ながらに訴えてくるのです。

 私も、彼の言葉の裏にある選挙区への責任感と、幼少期のトラウマまで理解できてしまうので、無下にはできません。

 結果、全員が納得するまで話し合い、全会一致で法案が通る。

 これが真の民主主義というやつかもしれません」

 

「……気持ち悪いわね、それ」

 

KAMIは正直な感想を述べた。

 

「人間のくせに分かり合いすぎよ。

 人間っていうのは、誤解したり、すれ違ったり、言葉足らずで喧嘩したりするのが醍醐味(エンタメ)でしょうに。

 これじゃあ、集合精神(ハイヴ・マインド)を持った昆虫と変わらないじゃない」

 

「KAMI様、それは手厳しい」

 

大統領は苦笑した。

 

「ですが、我々はこの平穏を愛しております。

 言葉が通じる。心が見える。

 それだけで、世界はこんなにも美しくなるのですから」

 

***

 

だが、このユートピアには致命的な欠陥があった。

それは、KAMIが設定した「フィールド限定」という仕様そのものに起因していた。

 

「……で、外交はどうなってるの?」

 

KAMIは意地悪く尋ねた。

 

「アメリカ国内はそれでいいけど、一歩外に出たら、魔法は解けるのよ?」

 

その問いに、大統領の顔に、初めて陰りが差した。

 

「……ええ。それが最大の問題です。

 いわゆる『鎖国願望』、あるいは『バベルの断絶症候群』と呼ばれる現象です」

 

大統領はモニターに国境付近の映像を映し出した。

メキシコやカナダとの国境。あるいは国際空港の出国ゲート。

 

そこでは、アメリカを出ようとする人々がパニックを起こして引き返してくる姿が、多発していた。

 

「一度この『完全な理解』というぬるま湯に浸かってしまった国民は、フィールドの外に出ることに耐えられないのです」

 

大統領は悲痛な声で言った。

 

「国境を一歩出た瞬間、世界は再び『分断』されます。

 言葉は通じない。相手の真意が分からない。誤解が生じる。嘘をつかれる。

 その当たり前のストレスが、今の我々には耐え難い苦痛、あるいは恐怖として襲いかかってくるのです。

 『なぜ彼らは私の心を分かってくれないんだ!』

 『なぜ世界はこんなにも冷たく暗い場所なんだ!』

 ……そう叫んで、皆アメリカへと逃げ帰ってきます」

 

「なるほどねぇ」

 

KAMIは納得したように頷いた。

 

「テレパシー能力者が能力を失って、孤独に耐えられなくなるみたいなもんか。

 過剰な共感(エンパシー)中毒ね」

 

「はい。その結果、アメリカ人の海外旅行者数はゼロに近づき、企業の海外駐在員も全員帰国を希望しています。

 逆に海外からの旅行者は、アメリカに入国した瞬間に『啓示』を受けたかのように感動し、帰国を拒否して不法滞在化するケースが後を絶ちません。

 我が国は今、物理的な壁ではなく、認識の壁によって世界から孤立しつつあるのです」

 

「まあ、いい実験データにはなったわ」

 

KAMIは冷徹に分析した。

 

「『完全な理解』は内側の結束を最強にするけど、外側との断絶を決定的にする。

 これを地球(メインワールド)に導入するのは、まだ早そうね。

 あそこはまだ、国同士の喧嘩がメインコンテンツだもの。いきなり全員賢者モードになられたら、ゲームがつまらなくなるわ」

 

彼女は手元の端末に記録を残した。

 

『言語チートフィールド:効果絶大だが、副作用(依存性・排他性)強し。導入は見送り』

 

「……KAMI様」

 

大統領が、すがるような目で彼女を見た。

 

「一つお願いがございます。

 このフィールドを……世界中に広げていただくことは、できないでしょうか?」

 

「え?」

 

「我々はもう、以前の世界には戻れません。

 かといって、このまま孤立して生きていくのも辛い。

 ならば、世界中をこの『理解の光』で包み込んでしまえばいいのです!

 全人類が我々と同じように分かり合えれば、戦争も貧困も差別もなくなる!

 どうかその奇跡を!」

 

そのあまりにも純粋で、そしてある意味で最も危険な願い。

全人類の精神的統合。

それは、個の消失にも繋がりかねない究極の平和。

 

KAMIは少しだけ考えた。

そして、意地悪く笑った。

 

「ヤダ」

 

「ええっ!?」

 

「だって、それじゃつまらないもの」

 

彼女は新しいドーナツ(今度はチョコ味だ)を手に取った。

 

「人間はね、分からないからこそ必死に言葉を紡ぐのよ。

 誤解があるからこそドラマが生まれるの。

 全員がニュータイプみたいに分かり合っちゃったら、私の見てる『人間観察バラエティ』が、ただの『静止画』になっちゃうじゃない」

 

彼女は、神の視点で断言した。

 

「不完全だから愛おしいのよ、あなた達は。

 120%の理解なんて、ドーピングみたいなもの。

 たまに使うから気持ちいいのであって、ずっと使ってたら廃人になるわよ?」

 

「そ、そんな……」

 

大統領が項垂れる。

 

「まあ、この世界(#769)のフィールドは、一生そのままにしておいてあげるわ。

 あなたたちが、その『分かりすぎることの地獄』にいつ気づくか。

 あるいはそのままとろけて、スライムみたいになっちゃうか。

 その経過観察も面白そうだし」

 

KAMIは立ち上がった。

今日の視察はこれで終わりだ。

 

「じゃあ私はそろそろ行くわね。

 あ、そうだ。お土産にその『アメリカ産・侘び寂びTシャツ』貰ってくわ」

 

彼女は部屋の隅に置かれていた、「諸行無常」と筆文字で書かれた(しかしデザインはアメリカンな)Tシャツを指差した。

 

「は、はい! どうぞお持ちください!

 それは我が国のデザイナーが、京都の石庭の静寂と、グランドキャニオンの雄大さを融合させてデザインした……」

 

「はいはい、能書きはいいから」

 

KAMIはTシャツを受け取ると、空間にゲートを開いた。

 

「じゃあね、大統領。

 せいぜい、みんなで仲良く分かり合いすぎて、窒息しないように気をつけてね」

 

彼女は皮肉な笑顔を残して、次元の彼方へと消えていった。

 

***

 

後に残されたホワイトハウス。

マクミラン大統領は、消えゆく神の残滓を見つめながら、深く息を吐いた。

 

「……窒息か」

 

彼は窓の外を見た。

ワシントン記念塔の下で、デモ隊と警官隊が互いに涙を流しながら抱き合っているのが見える。

 

『あなたの怒りは社会への愛ゆえですね』

『あなたの警棒は秩序への祈りなのですね』

 

そんな声が聞こえてきそうだ。

 

「……確かに少し、息苦しいかもしれないな」

 

平和すぎる世界。

争いのない世界。

それは、どこか色のない静止した世界のように思えた。

 

「だが……」

 

大統領はデスクの上のホットラインを見つめた。

ロシアの大統領、中国の主席。

 

彼らと言葉を交わし、この「理解」を共有したいという衝動が、抑えきれなくなっていた。

 

「我々はまだ、夢を見ていたいのだよ、KAMI様」

 

彼は受話器を取った。

 

通じるはずのない言葉。

届くはずのない真意。

 

それでも彼は語りかけずにはいられなかった。

この奇跡のフィールドの中で得た「希望」を、壁の向こう側へ伝えるために。

 

たとえそれが、神が嗤う「不毛な努力」であったとしても。

 

世界コード#769。

そこは、人類が「バベルの塔」を再建してしまった世界。

 

その塔が天国に届くのか、それとも再び崩れ去るのか。

その結末は、まだ誰にも――神にさえも分からなかった。

 

〈世界コード#769編・完〉

 

***

 

「……ふふっ」

 

次元の狭間。

本拠地(マンション)へと戻る道すがら、KAMIは手に入れたTシャツを広げて笑っていた。

 

『諸行無常(Life is Impermanent)』

 

そのチグハグなデザインは、滑稽でありながら、どこか愛らしかった。

 

「また、たまにはこういう『優しい世界』も悪くないわね」

 

彼女は次の世界への座標をセットした。

 

「さて、次はどんなカオスが待ってるのかしら。

 ……っと、その前に日本の沢村さんたちにお土産話でもしてあげようかしら。

 『アメリカの大統領が君たちのことを心から愛してるって泣いてたわよ』って。

 ……ふふ、きっと気味悪がって胃薬飲むでしょうね」

 

神の悪戯な笑い声が、次元の彼方へと響いていった。

彼女の旅はまだまだ続く。

 

人間という、最高に面白くて面倒くさいおもちゃを遊び尽くすまで。




少し前に書いたヤツの蔵出しです。
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