賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい   作:パラレル・ゲーマー

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第247話 二つの鉄パイプと、二つの未来

 東京郊外。

 秋の気配が色濃くなり、窓ガラスを叩く朝の風が微かな冷たさを帯び始めた頃。高校生探索者・タケルの家の食卓は、かつてとは全く異なる種類の空気に包まれていた。

 

 数年前まで、この小さなダイニングテーブルを支配していたのは、見えない鉛のような重苦しさだった。父親の疲労が滲むため息、母親が家計簿を睨みながら見せる険しい横顔。そして「大学の学費」や「奨学金」という、タケルの未来を縛り付ける現実的な数字たちが、常に食卓の真ん中に鎮座していた。

 だが今、その陰鬱な空気は微塵もない。

 

 食卓に並んでいるのは、白米と豆腐の味噌汁に加え、オリーブオイルで丁寧に焼き上げられた高タンパクな鶏むね肉のソテー、そしてブロッコリーとゆで卵が山盛りにされた大盛りのサラダだ。それは育ち盛りの高校生向けの食事というよりは、プロのアスリート、あるいは過酷な死地へと赴く戦士のための「燃料」と呼ぶべきものだった。

 

「タケル、今日は放課後にギルドの講習会があるんでしょう? 無理しないでね。B級はC級までとは全く違う次元なんだから」

 エプロン姿の母が、タケルの前に弁当箱を置きながら言った。その声色には母親としての純粋な心配が含まれているが、手元では無造作に、弁当箱の横へ高カロリーのプロテインバーを二本、そっと添えていた。

「ありがとう。分かってるよ。今日は座学と、月読ギルドの先輩たちとの立ち回り確認だけだから、深入りはしない」

 タケルは制服のシャツの袖をまくりながら、味噌汁をすすった。

 

 彼の視線の先、ダイニングテーブルの端には、黒光りする無骨な防具が置かれている。

 昨夜、B級ダンジョン『竜のあぎと』の中層で、激戦の末に竜騎兵(ドラグーン)から直接ドロップしたレア防具――『B級・重鋼のガントレット』だ。

 鑑定にかけた結果、付与されていたステータスは【最大ライフ+150】【火炎耐性+20%】【物理ダメージ軽減+5%】という、B級のマイナス耐性デバフを補って余りある「神オプ(神オプション)」の逸品だった。KAMIのシステムによって産み落とされた、純粋な暴力と生存力の結晶である。

 

 テーブルの向かい側では、スーツ姿の父がコーヒーを片手にタブレット端末をスワイプしている。

 以前ならば経済新聞の株価欄やスポーツニュースを見ていたその画面には、今や『ダンジョン・マーケット』のリアルタイム相場が表示されている。

 

「……しかし、B級魔石の相場は相変わらず狂っているな。1個500万円で完全に固定化されている。おまけに、お前が拾ってきたような『ライフと耐性の複合プロパティ』がついたB級ドロップ装備は、企業勢が血眼になって買い漁っているせいで、オークションに出せば数千万円は下らないぞ」

 父はアナリストのような口調で呟き、タケルへ視線を向けた。

「タケル。お前が昨日持ち帰ったこのガントレット、今の相場なら五菱商事あたりの攻略部隊が即決で数千万で落札するだろう。売却して、さらに汎用性の高い耐性装備を複数部位揃えるという手もあるが、どうする?」

「いや、これは自分で使うよ」

 高校生と父親の会話とは思えない、完全にビジネスパートナー同士のそれだった。タケルはガントレットの冷たい表面を指でなぞりながら答えた。

「B級の環境デバフ(全耐性-20%)の前じゃ、中途半端な装備をいくつ揃えても一撃で蒸発する。一点モノの強力なドロップ品でライフと耐性の底上げをするのが、今のB級攻略の最適解なんだ。売るより、これで生存率を上げて周回効率を上げた方が、長期的なリターンはデカい」

 

 タケルの家庭は、もはや「一般的な日本の家族」の枠組みから完全に逸脱していた。

 ダンジョンという未知のシステムが、この家の経済的基盤を、そして家族間のパワーバランスを、根底から書き換えてしまったのだ。

 

 ***

 

 時を同じくして。

 日本から遠く離れた南アジアの巨象、インド共和国・ニューデリー郊外。

 熱帯特有のまとわりつくような湿気と、スパイス、そして微かな土埃の匂いが混ざり合う朝の空気の中を、青年ラヴィは目を覚ました。

 

 彼が寝ていたのは、硬い土の地面でも、悪臭を放つ下水路の脇に建てられたトタンとブルーシートのバラックでもない。

 コンクリートブロックで囲まれた、狭いが確かな堅牢さを持つアパートの一室だ。天井ではシーリングファンが低い音を立てて回り、室内の熱気をかき混ぜている。入り口には、鍵のかかる頑丈な木製のドア。そして何より、部屋の隅にある小さな蛇口をひねれば、茶色く濁っていない「透明な水」が出る。かつてのラヴィの生活からすれば、ここは王宮にも等しい極楽だった。

 

「ラヴィ、チャパティが焼けたわよ。早く食べなさい。今日はギルドの訓練場に行くんでしょう?」

 キッチン――と呼ぶには簡素すぎる、ガスコンロが一つ置かれただけのスペースから、母の声が響く。その声には、以前のような日々の生活に疲弊しきった暗さはなく、確かな活力があった。

 

「ああ、今行く」

 ラヴィは簡素なベッドから身を起こし、ダンジョンでドロップした『E級・俊敏のレザーアーマー』を身につけた。

 インドのダンジョンで大量に狩り続けたリザードマンが落としたその防具には、【移動速度+10%】というハクスラならではの優秀なステータスが付与されている。粗悪な外見とは裏腹に、それは刃物やモンスターの爪から確実に関節や急所を守るためにシステムが設計した、魔法の防具だ。

 

 部屋の隅に目をやると、妹が制服を着て、リュックサックの中に真新しい教科書を丁寧に詰め込んでいる姿があった。かつては学校に行くことすら許されず、ただ日々の小銭を稼ぐためにゴミ山を漁っていた妹が、今は文字を学び、計算を学び、未来を夢見ている。“まだ決して豊かではないが、もう昨日までの地獄ではない”。この部屋の景色は、ラヴィがダンジョンで命を懸けて勝ち取った、紛れもない勝利の証明だった。

 

 だが、ラヴィの視線は、真新しい家具や防具ではなく、部屋の壁に立てかけられた「一本の棒」に吸い寄せられた。

 先端がひしゃげ、赤黒い錆とモンスターの返り血が染み付いた、ただの鉄パイプ。それは、彼が初めてダンジョンのゲートをくぐり、理不尽な世界に対して反逆の声を上げた日、工事現場からくすねてきた唯一の武器だった。

 今の彼には、その鉄パイプを振るう必要はない。ギルドのオークションで、強力なドロップ武器を購入できるだけの資金は十分にある。それでも彼は、その錆びた鉄パイプを捨てることができなかった。

 

 ***

 

 東京の食卓。

 食後のコーヒーを飲み干した父が、ふと、タケルが使っている愛剣――幾度となく強化とリロールを繰り返し、今や凄まじいオーラを放つその剣を見て、目を細めた。

 

「……しかし、人生というのは何が起きるか分からないものだな」

 父は自嘲気味に笑った。

「150万だ。あの日の夜、お前が土下座して『大学の資金を貸してくれ。オークションで武器を買うから』と言い出した時、私は本気でお前が狂ったか、悪い詐欺にでも騙されているのだと思ったよ。高校生の息子が『モンスターを狩って借金を返す』などと……狂気の沙汰以外の何物でもなかった」

 タケルはその言葉に、少しだけ気まずそうに頭を掻いた。

「俺だって、必死だったんだよ。あのままじゃ、親父も母さんも倒れちゃうって分かってたから。それに……あの150万で『炎の剣』を落札できなかったら、俺はスタートダッシュに出遅れて、今頃F級でくすぶっていたかもしれない。直感で、今行かなきゃ一生後悔するって思ったんだ」

 

「その直感が、我が家を救い、お前をB級ランカーにまで押し上げたわけだが」

 父は苦笑いを深めた。

「今じゃ、私の方がお前に家計を心配される側だからな。会社の上司にペコペコ頭を下げて稼ぐ私の月給を、お前はB級魔石を1個拾うだけで、いや、たった一回の探索でその何十倍も稼ぎ出してしまう。父親としての威厳は丸潰れだ」

「そんなことないって。俺が帰ってくる家を守ってくれてるのは親父と母さんなんだから。それに、税金の計算とか装備の相場分析は、親父に任せた方が確実だし」

 タケルは照れくさそうに笑って、カバンを手に取った。

 

 ***

 

 ニューデリーのアパート。

 リュックサックを背負った妹が、壁の鉄パイプを見つめるラヴィに気づいて首を傾げた。

 

「お兄ちゃん、あの棒、まだ取ってあるの? もういらないでしょ? ドロップしたカッコいい剣があるじゃない」

 無邪気な妹の問いかけに、ラヴィは鉄パイプの冷たい感触を思い出しながら、静かに首を横に振った。

「いや、これは捨てられないんだ」

「どうして?」

「あの日……」

 ラヴィの脳裏に、強烈な腐臭が蘇る。日給300ルピーで、他人の排泄物が流れる下水管に素手で潜り、息を止めて汚泥を掻き出していた日々。カーストの最底辺である不可触民(ダリット)として生まれ、父も祖父もその暗闇の中で肺を病んで死んでいった。それが彼らの「運命(カルマ)」だと、高位の者たちから教え込まれ、それに抗うことすら許されなかった世界。

 

 その運命を、このただの鉄パイプ一本で叩き割ったのだ。

 政府から支給されたスマートフォンを握りしめ、裸足のままゲートに突撃し、リザードマンの頭蓋骨を砕いた瞬間の、あの骨に響く感触。ハクスラのシステムにおいて、こんなものは武器としてのステータスはゼロに等しい。だが、彼にとっては全てを切り拓いた原点だった。

「あの日を忘れたら、俺はまた、誰かの靴の泥を舐める側に戻ってしまう気がするんだ。これは……俺が人間になった日の、記念碑さ」

 ラヴィは静かに、だが鋼のような決意を込めて言った。

 

 ***

 

 タケルは高校の廊下を歩いていた。

 彼は一応、まだ高校生としての籍を置いている。だが、すれ違う生徒たちの彼に向ける視線は、もはや「同級生」や「先輩」に向けるものではなかった。

 

「あ、タケル先輩だ……」

「聞いた? 昨日の夜、またB級の深層に潜ってたらしいぜ。あのマイナス耐性の地獄にだよ?」

「SNSのあれ、本当ですかね? 拾ったガントレットの性能がエグすぎて、企業が数千万で買い取りオファー出してるって……」

「日給数千万って……俺らがお年玉貯めてるのが馬鹿みたいだな」

 

 ひそひそと交わされる声には、強烈な羨望と、そして圧倒的な「格差」を見せつけられた者特有の畏怖が混じっている。

 タケルが纏う空気は、平和な学校生活を送る少年たちとは異質だった。死線を越え、本物の殺意と向き合い、自らの手で魔物を屠ってきた者だけが持つ、独特の静けさと微かな威圧感。彼は努めて普通に振る舞おうとしていたが、その存在そのものが、教室という小さな箱の中ではあまりにも浮きすぎていた。

 

「――タケル。ちょっといいか」

 職員室に呼び出されたタケルを待っていたのは、疲労困憊の体をした担任教師だった。机の上には、白紙のままの進路希望調査票が置かれている。

「お前の状況は、学校側も把握している。月読ギルドからの正式な身元保証も来ているし、お前が稼いでいる額が、我々教員の生涯年収を遥かに超えていることもな」

 担任は、ため息交じりに頭をかいた。

「正直に言う。我々教師は、お前のような生徒の進路指導のやり方を知らん。大学に行けと言っても説得力がないし、就職しろと言っても、五菱商事の探索部隊以上の待遇を提示できる企業などない。お前はもう、社会の枠組みの外側にいる」

「先生……」

「だがな」

 担任は、真剣な目でタケルを見た。

「せめて卒業だけはしてくれ。高校の卒業資格という『保険』だけは、持っておいて損はない。ダンジョンのブームがいつまで続くか分からないし、お前がB級で取り返しのつかない怪我をしないとも限らない。お前の未来を守るための最低限のセーフティネットだ」

 それは、教師としての精一杯の誠意だった。

 タケルは少しだけ姿勢を正し、大人びた表情で頷いた。

「分かってますよ、先生。俺だって馬鹿じゃないです。ダンジョンが永遠に続くとは思ってないし、怪我をして引退するリスクだって考えてます。だから、学校にはちゃんと来ます。……寝不足で授業中寝ちゃうかもしれないけど、単位は落としませんから」

 タケルは、無鉄砲に突撃していたかつての少年から、現実の厳しさとリスク管理を理解する、若き「プロフェッショナル」へと成長していた。

 

 ***

 

 インド、デリー郊外の広大な空き地に急造された、政府と公式ギルドの共同管理による探索者訓練場。

 熱帯の容赦ない日差しが照りつけ、舞い上がる細かい砂埃が口の中をジャリジャリとさせる過酷な環境の中で、ラヴィは木剣を振るっていた。

 

 彼の周囲には、様々な背景を持つ者たちが入り乱れている。ラヴィと同じように、昨日まで日雇いのレンガ運びをしていた男。身分を隠してボロボロの服を着ているが、その立ち居振る舞いから明らかに高位カーストの出身だと分かる若者。ダンジョンは、表向きにはカーストを完全に無効化する「聖域」として機能していた。

 

「――動きがデカい! 大振りするな! 隙を作ればゴブリンの錆びたナイフでも致命傷になるぞ!」

 軍人上がりの教官の怒号が響き渡る。教官は訓練生たちの間を練り歩きながら、容赦なく木刀で彼らの姿勢を正していく。

「いいか、お前らは運良くF級やE級でドロップ品を拾って稼げるようになった。だが、金を持った弱者はただの『歩く宝箱』だ!」

 教官はラヴィの前に立ち止まり、鋭い眼光で彼を睨みつけた。

「お前たちが恐れるべきは、ダンジョン内のモンスターだけではない。ゲートの外で待ち構える強盗、スラムのギャング、そしてダンジョン内での他パーティからの略奪(PK)だ。お前が着ているその『移動速度+10%』のアーマーも、命を狙われる十分な理由になる。戦い方より、まず『生き残り方』を覚えろ。死ねば、お前が掘り出した魔石も装備も、お前を殺した奴の懐に入るだけだ!」

 

 ラヴィは息を弾ませながら、必死に教官の言葉を脳裏に刻み込んでいた。

 彼はすでに最底辺からは抜け出した。だが、決して「安全圏」に到達したわけではない。富を得た不可触民は、既存の社会秩序を乱す異物として、一部の保守層や嫉妬に狂う者たちから明確な殺意を向けられているのだ。

(……負けられない。俺がここで死ねば、全てが元の木阿弥だ)

 ラヴィは食いしばった歯から血が滲むほど強く木剣を握り直し、再び基礎の素振りを繰り返した。

 

 ***

 

 夕方の東京。

 近所のスーパーマーケットで買い物をしていたタケルの母は、レジに並んでいる最中に、顔見知りの主婦から声をかけられた。

「奥さん、いいわねえ。タケルくん、ネットの配信で拝見しましたよ。月読ギルドの若きエースだなんて……うちの主人なんて『俺も会社辞めて探索者になろうかな』なんて馬鹿なこと言い出して、止めるのに必死なんですよ」

 主婦の声は甲高く、笑顔の裏には隠しきれない嫉妬と、「自分の子供もダンジョンに行かせるべきか」という激しい焦燥感が渦巻いているのが分かった。

「あ、ありがとうございます……でも、B級なんて毎日いつ命を落とすか分からなくて、生きた心地がしなくて……」

 母は愛想笑いで誤魔化しながら、そそくさとその場を離れた。素直に喜べるはずがない。息子の成功は、地域コミュニティにおける「普通」の基準を完全に狂わせてしまったのだ。

 

 同じ頃、タケルの父もまた、勤め先のオフィスで微妙な立場に立たされていた。

「いやあ、課長。息子さん、もうすっかり世帯主ですね! うらやましい限りですよ。課長もそろそろアーリーリタイアですか?」

 部下からの何気ない冗談。だが、その言葉には「なぜお前はまだこんな安月給で働いているのか」という暗黙の嘲笑が含まれているように感じられた。

 タケルの成功は、家族を救ったと同時に、周囲の大人たちが信じて疑わなかった「真面目に勉強して、良い会社に入り、定年まで勤め上げる」という人生設計の盤面を、根底から粉砕してしまったのだ。

 

 ***

 

 一方、インド。

 訓練を終えたラヴィが、家路につく途中の路地裏。彼が歩くたびに、日陰に座り込む男たちから刺さるような視線が投げかけられる。

「……見ろよ、あのダリットのガキ。ダンジョンでレア泥引いて小銭を稼いだからって、いい気になりやがって」

「一時の運だろ。そのうち地主様やマフィアに目をつけられて、身包み剥がされるに決まってる」

 冷ややかな嘲笑と、古い身分制度に縛られた者たちの呪詛。彼らはラヴィの成功を認めることができない。それを認めれば、自分たちの存在意義が崩壊してしまうからだ。

 

 だが、その対極にある視線もまた、ラヴィに突き刺さっていた。

 アパートの近くで、一人の年老いた女性がラヴィの母の手にすがりつき、ボロボロと涙を流していた。

「……ああ、本当に、本当に良かった。あなたの家から、初めて『あちら側』へ行く子が出たのね……」

 彼女もまた、下水清掃やゴミ拾いで一生を終える運命にあったダリットの一人だ。

 ラヴィの成功は、単なる一人の青年の成り上がりではない。それは、数千年にわたって彼らを押し潰してきた「カースト」という分厚い不可視の天井に穿たれた、最初の、そして決定的な風穴だったのだ。

「ラヴィは私たちの希望だよ。あの子が証明してくれた。神様は……KAMI様は、私たちを見捨ててはいなかったんだと」

 ラヴィは少し離れた場所からその光景を見つめ、無言で拳を握りしめた。自分にのしかかる期待の重さに、足がすくみそうになる。だが、絶対に逃げるわけにはいかなかった。

 

 ***

 

 その夜。

 東京の自室で、ドロップ品のステータス画面をスクロールして確認していたタケルと。

 デリーのアパートで、明日のポーションの残量を点検していたラヴィ。

 地球の裏側にいる全く接点のない二人の若者のスマートフォンに、全く同じタイミングで、公式ギルド連合からのプッシュ通知が届いた。

 

『国際公式ギルド主催 新世代探索者交流プログラム』

『貴殿を、各国を代表する若手探索者の一人として、本プログラムへの参加を要請します』

 

「……はあ?」

 タケルは画面を見て、顔をしかめた。

「なんだこれ。交流プログラム? 要するに、若くて稼いでる奴らを集めて『ダンジョンは安全で夢がありますよ』ってアピールするための、政府の広告塔になれってことかよ。めんどくさ……」

 タケルがスマホを放り投げようとした時、部屋に入ってきた父が、その画面を覗き込んで言った。

「受けてみたらどうだ?」

「親父? でも俺、こういう表に出るの苦手だし……」

「タケル」

 父は、真面目な顔で息子の肩に手を置いた。

「お前はもう、ただの『うちの息子』じゃないのかもしれんな。お前が歩く道が、これからの日本の若者たちの『新しい道標』になる。……広告塔として利用されるのが癪なら、逆にそれを利用してやればいい」

 

 同じ頃、インド。

 ラヴィは画面の英語のテキストを、翻訳アプリを使いながら慎重に読み解いていた。

「国際ギルドからの招待……俺みたいなダリットの人間を、世界の表舞台に出す気か?」

 彼は即座に警戒した。上位カーストの役人たちが、自分を「インドは身分差別がない平等な国だ」とアピールするためのプロパガンダの道具として利用しようとしているのではないか。

「お兄ちゃん、これすごいよ!」

 妹が目を輝かせて画面を覗き込んできた。

「お兄ちゃんが外国の凄い人たちと一緒にテレビに出たら、うちの村の子たちもみんな『自分も行ける』って思うよ! 絶対に行くべきだよ!」

 妹の純粋な言葉に、ラヴィの心に刺さっていた警戒心の棘が、少しだけ和らいだ。

 

 ***

 

 タケルは天井を見上げた。

(俺は最初、ただ乗り遅れたくなかっただけだ。親父の貯めた大学資金を借金してでも、先に行きたかった。ハクスラの世界で、良いドロップ品を引いて、自分が正しかったと証明したかっただけだ)

 だが、今は違う。

 自分がただ「稼いだ」だけで終わっては、世間の大人は「あいつは特別だ」「運が良かっただけだ」で片付けてしまう。

(俺が正しかったって言いたいんじゃない。この時代の子供が、昔の正解に押し潰されない道が、ちゃんとここにあるんだってことを見せたいんだ)

 タケルは、自らの役割が「若者の新しい進路モデル」であるということを、明確に自覚し始めていた。

 

 ラヴィは、錆びた鉄パイプを見つめた。

(俺は最初、ただ金が欲しかった。あの地獄のような下水に入らずに済むだけの金が。妹に綺麗な服を着せてやるための金が)

 だが、今は違う。

 自分が稼いだ金で良い暮らしをするだけでは、外にいる何万人もの同胞たちは永遠に救われない。

(俺の後ろには、まだ下を向いて泥を啜っている奴らが何万人もいる。俺がここで立ち止まれば、あいつらの希望は潰える)

 ラヴィは、自分の成功が「個人の成り上がり」から「共同体の突破口」へと変質していることを、重く受け止めていた。

 

 ***

 

 数日後。

 プログラムの事前ミーティングとして、KAMIの提供する高度なネットワークと翻訳支援システムを通じ、参加予定の若手探索者たちのオンライン初対面が行われた。

 画面には、アメリカの若き魔法使い、中国の武術家、そして日本のタケルと、インドのラヴィの顔が並んでいる。

 

「よっす。日本のタケルです。よろしく」

 タケルは制服姿のまま、軽いノリで手を挙げた。

「……インドのラヴィだ。よろしく頼む」

 対するラヴィは、画面越しでも分かるほど硬く緊張し、警戒の色を隠せずにいた。

 

 最初はぎこちない空気が流れていた。文化も、生活水準も、ダンジョンに潜った理由も全く違う彼ら。だが、自己紹介と「最初にどうやってダンジョンに入ったか」という話題になった時、二人の間に奇妙な共鳴が生まれた。

 

「俺さ、親父に土下座して金借りて、オークションで買った剣一本で突っ込んだんだよね。周りからは狂ってるって言われたけど」

 タケルの言葉に、ラヴィが目を丸くした。

「お前も……否定されたのか? 俺は、工事現場から拾ってきた鉄パイプ一本で突っ込んだ。村の連中は、俺が死ぬと笑っていたよ」

 

「鉄パイプ!? マジかよ、初期装備なしでF級の群れを? すげえな!」

「お前のその剣だって、使い慣れないものだったんだろ? 恐怖はなかったのか?」

「あったよ。でも、戻る方が怖かった。あそこで引き返したら、俺の人生はずっと『敷かれたレールの上』のままだって思ったからさ。だからドロップ品で自分を強化して、這い上がるしかなかった」

「……戻る側の人生じゃない。それは、俺も同じだ」

 

 翻訳システム越しに、二人の少年の魂が交差する。

 武器の値段は違えど、彼らは共に「何もない状態」から始まり、周囲の否定を押し除けて、後戻りできない道へと足を踏み入れた者同士だった。

 

 だが、共通点を見出したことで、逆に彼らが背負っているものの「決定的な違い」も浮き彫りになった。

 

「タケル。お前には、土下座して金を貸してくれる父親がいたんだな」

 ラヴィの言葉には、微かな寂しさが混じっていた。

「ああ。親父の老後の資金だったんだけどな。悪いことしたと思ってるよ」

「いい親父さんだ。俺には……そんなものはなかった。俺たちにのしかかっていたのは、何世代分もの差別の歴史と、貧困という名の呪いだけだった」

 

 タケルは“家族を追い越す”ためにダンジョンへ入った。

 だがラヴィは、“歴史を殴り返す”ためにダンジョンへ入ったのだ。

 背負うものの重さは違う。だが、どちらも本気で運命に抗った結果、今ここにいる。

 

「……なあ、ラヴィ」

 タケルが、画面越しにまっすぐな視線を向けた。

「俺はさ、うちの親父の人生設計をぶっ壊しただけだよ。大したことじゃない」

 

 ラヴィは、その言葉を受けて、ゆっくりと、しかし力強く答えた。

「俺は……俺の父さんの、父さんの、父さんまで続いた順番を壊したい。そして、新しい順番を作る」

 

 二人の若き探索者の言葉が、電子の海で力強く響き合った。

 

 ***

 

 数週間後。

 タケルは、高校の進路指導室にいた。

 机の上に提出されたのは、かつては「大学進学」の文字しか書き込まれることのなかった進路希望調査票。

 そこにタケルは、力強い筆跡でこう書き込んでいた。

 

『進路希望:探索者(プロライセンス取得) / 若年探索者支援コース希望』

 

「……タケル。本気なのか?」

 担任の教師が、その紙を見て完全に固まっている。

「若年探索者支援コースなんてものは、まだこの国には存在しないぞ。ギルドにもそんな枠組みはない」

「分かってます」

 タケルは、あっけにとられる教師を見て、ニヤリと笑った。

「前例がないなら、俺が作ればいいんでしょ。それが、一番初めに行かせてもらった者の責任ですから」

 

 一方、インド。

 ニューデリーのさらに外れに新設された、巨大なコンクリート造りの複合施設。

 そこは、政府とギルドが共同で設立した『元ダリット若年層向け探索者共同寮・兼訓練拠点』だった。

 ラヴィは、家族と共に古いアパートを引き払い、この施設の「第一号入居者」として荷物を運び込んでいた。

 広い中庭では、かつてスラムで泥にまみれていた子供たちが、支給された木剣を振り回して訓練に励んでいる。

 

 ラヴィは荷物の最後に、あの錆びた鉄パイプを肩に担ぎ上げた。

 もはやハクスラの世界ではステータス補正ゼロの、全く役に立たないただの鉄屑。

 だが彼は、それを自らの部屋の一番目立つ壁に飾り付けた。

 

「もう誰も……うちの家の子を、あの暗くて臭い下水には入れさせない。俺が、ここで道を切り拓くんだ」

 

 東京の空が、白み始めている。

 タケルは通学カバンの代わりに、B級ダンジョンで手に入れた使い込まれた剣を背負い、都市のビル群の向こうに昇る朝日を見上げた。

 

 デリーの空が、赤く染まっている。

 ラヴィは真新しいドロップ品のアーマーの留め具を締め、砂埃の向こうにそびえ立つ巨大なゲートの漆黒の渦を見上げた。

 

 新しい時代は、決して最初から平等ではない。

 生まれた場所、持っている金、背負っている歴史。

 それらは残酷なまでにスタートラインを隔てている。

 だが、一度だけ。

 たった一度だけ、その理不尽な順番を、自らの手で力ずくに壊すことができる朝がある。

 

 彼らは今、その朝焼けの中に立っていた。

 

 

 




3か月放置してすみません!!!久しぶりすぎてもう色々忘れてるけど更新再開です。あれ?これ過去描写と矛盾してね?とかあったら教えて下さい!
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