賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい   作:パラレル・ゲーマー

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第249話 神はソファで次の地図を描く

 日本の政治の最高中枢、霞が関・首相官邸。

 その最上階付近に位置し、幾重もの物理的・魔術的セキュリティによって一般の立ち入りが厳しく制限された特別執務室は、本来ならば国家の命運を左右する極秘の決断が下される、重苦しくも威厳に満ちた空間であるはずだった。

 しかし現在、その部屋を支配している空気は、威厳とは程遠い、ある種の「だらけきった」弛緩と、それに相反する胃の痛くなるような緊迫感が奇妙に同居する、極めて特異なものとなっていた。

 

 部屋の最奥、最高級のイタリア製本革ソファの上。

 そこに、この国の主権者であるはずの総理大臣を差し置いて、最も尊大な態度で寝転がっているのは、黒いゴシック・ロリータドレスに身を包んだ銀髪の少女だった。

 神にして、この世界にダンジョンという名の劇薬をばら撒き、今や地球の物理法則すらも書き換えつつある張本人、KAMI。

 彼女の周囲のガラステーブルには、コンビニエンスストアのビニール袋が無造作に広げられ、開封済みのポテトチップス(のり塩味)、食べかけの高級生カヌレ、そして氷が溶けて水滴のついた炭酸飲料の巨大なペットボトルが陣取っている。およそ国家の最高機密を扱う部屋には似つかわしくない、俗世の匂いが充満していた。

 

「――ふーん」

 

 KAMIは、ポテトチップスを一枚指でつまみ上げ、サクリと音を立てて齧りながら、壁面を覆い尽くす巨大なマルチモニター群を気だるげに見上げた。

 モニターには、それぞれ分割された画面で世界各国のニュース映像や、情報機関からのリアルタイムのレポートが音声を消された状態で流され続けている。

 今日、世界のトップニュースを独占しているのは、神聖四カ国の一角を担う中国とロシアにおいて、それぞれ『国内限定・空間転移装置(ワープゲート)ネットワーク』の正式運用が開始されたという報せだった。

 

 画面の中では、中国の党幹部たちやロシアの将官たちが、国内の物流と軍隊の展開速度が異次元の領域に突入したことを祝し、華々しい式典を執り行っている。広大な国土を持つ彼らにとって、端から端までの移動時間が「ゼロ」になることの戦略的意味は計り知れない。

 

「中国もロシアも、国内のゲート開通のニュースでだいぶ盛り上がってるわね」

 KAMIは炭酸飲料をストローで啜りながら、テレビのバラエティ番組でも見るかのような気軽さで呟いた。

「今まで飛行機や列車で何時間も、何日もかかってた自国の端っこが、ドアを一枚開けるだけで行き来できるようになったんだもの。そりゃあお祭り騒ぎにもなるわよね。……人間って、ほんと『新しい扉』が好きよねぇ」

 

 その無邪気で、どこか他人事のような神の感想に対し、部屋の反対側にある巨大な執務デスクから、地の底から響くような、疲労困憊しきった声が返ってきた。

 

「……その扉の向こう側に広がる、果てしない責任と実務の山まで含めて、手放しで好きかどうかは極めて疑問ですがね」

 

 声の主は、内閣官房長官・九条だった。

 彼はトレードマークである銀縁眼鏡の奥の鋭い双眸を、手元の三つのタブレット端末と二台のラップトップコンピュータの間で高速で走らせている。

 国内の移動距離がゼロになるということは、単に旅行が便利になるという話ではない。地域間の経済格差の崩壊、人口の極端な一極集中、そして何より、テロリストや凶悪犯が瞬時に国中を移動できるという致命的なリスクへの対処。顔認証や生体スキャンを組み合わせた厳格な『ゲートパスポート』による個人認証システムがあるとはいえ、それに伴う膨大なデータ処理と運用ルールの策定は、先行して導入した日本の官僚たちの寿命を確実に削り取っていた。

 

 その隣の総理の椅子には、日本国・内閣総理大臣の沢村が、額に手を当て、深く、重い、魂が削れるようなため息をついて沈み込んでいた。

 

「ハァ……九条君の言う通りだ」

 沢村は呻くように言った。

「国内の物流コストがゼロになる経済効果は計り知れないが、それに伴う社会構造の変化が急激すぎる。昨日も北海道の知事から『道内179市町村すべてにゲートを設置しろ』という無茶な要求が来て、それをなだめるだけで半日を無駄にした。地方自治体からの陳情合戦は、まさに泥沼だ。しかも過疎地になればなるほど、ゲートの維持管理コストを誰が負担するのかで揉めに揉めている」

 

 KAMIにとっては「昼休みのだらだらタイム」に過ぎないこの時間が、日本政府のトップ二人にとっては「秒単位で噴出するバグを処理し続ける極秘作戦会議」という、恐ろしいほどの温度差が存在していた。

 

「まあ、そうしかめっ面しないでよ」

 KAMIはクッションを抱き抱え、足をパタパタとさせながら言った。

「とりあえず、中国とロシアの国内ネットワークの初期設定(ローンチ)も上手く回ってるみたいだし。次はどこの国の国内にゲートを敷いてあげようかしらって考えてたのよ」

 

 その言葉に、九条の手がピタリと止まり、沢村が弾かれたように顔を上げた。

 神の気まぐれな「次」のインフラ指定。それは、現在の国際社会におけるパワーバランスと経済成長率を根本から書き換える、最強の劇薬の投下を意味する。

 

「……とりあえず次は、インドとイギリスの国内を繋いであげようかしらね」

 

 KAMIは、まるで夕食の出前メニューを決めるような軽さで、あっさりとその国名を口にした。

 

 沈黙。

 官邸の執務室に、重く冷たい静寂が落ちた。

 だが、その静寂の裏側で、九条と沢村の脳内では、スーパーコンピュータにも匹敵する速度で地政学的なシミュレーションが弾き出されていた。

 

「インドとイギリス……理由は、何でしょうか?」

 九条が、感情を完全に排した、冷徹な情報収集機械としての声色で尋ねた。

 

「んー?」

 KAMIは天井を見上げた。

「インドはさ、ダンジョン開放してから魔石の産出量がエグいことになってるじゃない? あいつらが掘り出す魔石の量と、そこから発生する物資の移動量が半端じゃなくて、あそこんちのボロボロの道路や鉄道じゃ全然追いついてないのよ。これ以上放置し続けるのも、物流の目詰まり起こして面倒くさいから、国内の主要都市をゲートで直接繋いであげた方が効率いいかなって。人口も多いし、圧力で文句言われる前にガス抜きしといた方がいいでしょ」

 そして彼女は、もう一つの国について続けた。

「イギリスはね、単純に『安牌(アンパイ)』だから」

 

「……安牌、ですか?」

 九条が確認する。

 

「そう。ヨーロッパの連中って、これからどんどんイギリスのダンジョンに出稼ぎに来るわけでしょ? でも、ユーロスターとか飛行機でロンドンに着いた後、イギリス国内のあちこちにあるダンジョンまで移動するのって、結構困ってるみたいだし。だから、島国で管理しやすそうなイギリスに国内限定のゲート網を敷いておけば、大陸側の連中も文句言いながら『イギリス国内の移動は便利だ』って使うでしょ。欧州圏の交通のハブとして、彼らの国内システムを強化してあげるのよ」

 

 神の理由は、どこまでも雑で、どこまでもゲーマー的だった。

「アイテムのドロップ量が増えすぎて現地のインベントリがパンクしそうだから、直接倉庫に繋がるパイプを作る」「マップ内の移動が面倒そうだから、便利なファストトラベルのポイントをアンロックする」。

 ただそれだけのことだ。

 

 だが、九条は即座にその神の戯言を、血生臭い「現実サイドの言葉」へと翻訳し、言語化した。

 

「……なるほど。確かに理にかなってはいます」

 九条は眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。

「インドは既に世界経済上のウェイトが大きすぎます。彼らの莫大な人口と魔石産出力を、旧来の貧弱な国内物流網のまま放置し続ければ、いずれ輸送のボトルネックが成長の限界を迎え、放置コストが跳ね上がる。国内インフラを一気に近代化させる転送ネットワークを与えるという判断は極めて妥当です。

 そしてイギリス。彼らを欧州圏のハブとして扱うのは、まさに『安牌』ですね。彼らはEUから離脱しており、欧州大陸とは独立した法体系を持っています。英国国内の移動がゼロ秒になれば、彼らのインフラ的な優位性は絶対的なものとなり、欧州全土の探索者たちは否応なく英国のシステムに依存することになる。比較的、コントロールしやすい着地点かと」

 

 九条の口から飛び出した「安牌」という言葉の響きに、沢村は思わず顔をしかめ、軽く苦笑した。

 

「……国内ダンジョン間の移動で困っている、という観点なら、確かに妥当な配置ではあるな」

 沢村は重い口調で、しかし顔には明らかな疲労と憂鬱を浮かべて言った。

「だがな、KAMI様。インドの国内インフラが転送ゲートで一気に近代化すれば、中国が猛烈に警戒する。彼らは自国の裏庭でインドが完全な超大国として完成することを絶対に良しとしないだろう。

 そしてイギリスの国内網を整備して欧州のハブにすれば、フランスやドイツをはじめとするEU諸国が『なぜ裏切り者の島国に交通と物流の要所を独占させるのだ』と蜂の巣をつついたように騒ぎ立てる。ただでさえダンジョン設置の件で揉めているというのに、さらに利権まで英国に握られれば、欧州全体が暴発しかねん。……どちらの扉を開けても、死ぬほど面倒な外交戦が待っているのだよ」

 

「あはは! 沢村さん、いつも『面倒だ、面倒だ』って言ってるわね」

 KAMIはソファの上でゴロゴロと転がりながら、心底楽しそうに笑った。

「でも、政治家のお仕事って、そういう面倒くさい人間たちの尻拭いをすることでしょう? せいぜい頑張ってね。まあ、まだ『正式決定』して今すぐ繋ぐってわけじゃないから、今のうちに心の準備と根回しくらいはしておきなさいな」

 

 狙い通りだ、と九条は内心で安堵した。

 ここで次のインフラ拡張の大枠が提示された。まだ正式な宣告ではないが、KAMIの頭の中の盤面として「インド」と「イギリス」の駒が置かれたことは間違いない。日本としては、この二カ国への接触と情報収集を、他国に先んじて極秘裏に進めることができる。この「タイムラグ」こそが、国益にとって最大の武器となるのだ。

 

「承知いたしました。外務省と情報機関には、インドおよび英国の国内情勢、特に物流インフラの受け入れ態勢の精査を最優先で命じておきましょう」

 九条がタブレットに素早く暗号化された指示を打ち込んでいると、ふいにKAMIが、思い出したように口を開いた。

 

「……そういえばさ」

 

 KAMIは、生カヌレの最後の一口を飲み込みながら、本当に今、唐突に記憶の底から引っ張り出してきたような、極めて軽いトーンで尋ねた。

 

「あの『月読研究所』に放り込んだ、魔法技師の卵たちって、今どうなってるの?」

 

 その、あまりにも軽い一言。

 だが、九条にとっては、まさに「待ってました」と言わんばかりの質問だった。

 ダンジョン攻略の最前線が世間の注目を集める中、国家の裏のインフラとして莫大な予算を投じているこの一大プロジェクトの進捗を、神に報告する絶好の機会である。

 

「お答えします」

 九条は即座に居住まいを正し、別のタブレット端末をスワイプして詳細なデータファイルを立ち上げた。

「KAMI様より『才能ある者』として選別していただいた1000人の人員ですが、度重なる適性検査と過酷な初期訓練、そして精神的なケアを経て、現在、実働としては常時700人程度を安定して運用できる体制となっております」

 

「700人か。結構残ったわね」

 

「ええ。大半は研究者としてつくば市の研究所に常勤しており、専門分野ごとに『基礎研究班』『応用研究班』、そして現場での実用性を確認する『検証班』の三つの部門へ明確に分かれています。

 全国から強制的に1000人を招集し、10日間漫画やアニメで自己洗脳させるという前代未聞の荒療治から始まった体制としては、ようやく人員が適材適所で回り始めたところです」

 

 沢村総理が、深く息を吐きながら補足した。

「研究所自体は、ようやく『個人の才能をかき集めただけの寄せ集め』から、一つの目的を持って『動く組織』へと成長してきた。これは大きな進歩だ。

 ……ただし、選ばれた全員が何らかの分野の『天才』あるいは『異能の持ち主』だからな。彼らを一つの組織として統率し、方向性をまとめるのは、控えめに言って地獄の業火に焼かれるような苦労だがね」

 

 協調性のない天才ハッカー、魔法の理論構築に取り憑かれた偏執狂的な物理学者、常識を逸脱した発想を持つアーティストたち。彼らに官僚的なルールを押し付けることの困難さは、想像を絶するものがあった。

 

「あはは! そりゃそうでしょうね」

 KAMIは手を叩いて笑った。

「でも、1000人のうち700人も常時回ってるなら、だいぶマシな方じゃない? 半分くらいは引きこもったり、発狂したりして脱落するかと思ってたけど」

 

「ええ、組織としてはマシになりました」

 九条が、全く笑っていない目で言った。

「その代わり、彼らを束ねる月読研究所の管理職たちや、監督省庁の役人たちは、日々確実に寿命を削っていますがね」

 

「……私も含めてな」

 沢村が、胃の辺りを押さえながらボヤいた。

 

「で? その寿命を削って管理してる天才たちからは、何か面白いモノは出てきたの?」

 KAMIが興味深そうに身を乗り出す。

 

 九条は「ここからが本題です」とばかりに、研究成果の整理されたリストを、淀みなく、かつテンポ良く報告し始めた。

 

「まず、結論から申し上げます。現在、魔法技術の研究は『民生用途』において、極めて有望かつ劇的な成果を上げつつあります」

 

 九条は手元の端末を操作し、いくつかの短い報告映像をモニターに映し出した。

 

「一つ目は、『真水生成』技術です」

 映像には、過疎化が進む離島の風景が映し出された。海底水道管の老朽化で断水が続いていたその島に、防護服を着た月読研究所の「基礎研究・環境班」の若き魔法技師が降り立つ。彼は簡易的な触媒の杖を掲げ、宙に複雑な魔法陣を描く。すると、空気中の魔素と水分が急速に凝結し、魔法陣の中心から透き通った清らかな水がとめどなく溢れ出し、給水車を満たしていった。島民たちと自治体担当者が、信じられないものを見る目で歓声を上げている。

「水質浄化および完全な真水化を行う魔法式は、すでにかなり実用的なレベルに達しています。小規模なら野外運用も安定しており、災害現場や孤立地域、そして将来的な月面・宇宙圏でのインフラ維持において特に有用です。地味な技術に見えるかもしれませんが、人命救助とインフラ維持への貢献は計り知れません」

 

「二つ目は、『怪我治癒』の分野です」

 次の映像は、都市部の救命救急センター。交通事故で運び込まれた重傷患者に対し、「応用研究・生体班」の研究者が、抽出したポーションの成分と治癒の魔法式を併用して応急処置を行っている。複雑な骨折や深刻な内出血が、淡い緑色の光を浴びて一時的に安定状態へと導かれていく。

「KAMI様から提供されたポーションの解析と、我々の研究者が編み出した魔法的補助療法の組み合わせにより、応急治療の分野が大きく前進しました。もちろん万能ではありませんし、ポーションのように『飲めば一瞬で全快する』といったものではありません。しかし、深刻な骨折や大出血を伴う裂傷などに対して、一時的に傷口を塞ぎ痛みを緩和し、『病院へ搬送するまで絶対に死なせないための初動治療』においては、すでに絶大な効果を発揮しています」

 

「これだけでも、国家予算が救われるレベルだよ」

 沢村が、実感のこもった本音を漏らした。

「救急救命の現場にこの技術を持つ人間を配置できれば、助かる命の数は劇的に変わる。既存の『怪我治癒ポーション・改』の圧倒的な効果には及びませんが、限られたリソースを補完する意味でも、この技術は国の宝だ」

 

「そして三つ目、『生活補助系』の魔法技術群です」

 九条はさらに続ける。

「特定の空間の『保温・冷却』を魔力で行う技術。火を使わない『簡易照明』。汚水を飲用に変える『簡易浄化』。物体の重量を一時的に軽減する『収納・運搬補助』。そして、長距離移送時の運転手の『疲労軽減』のバフ。

 どれも派手な攻撃魔法ではありませんが、『地味だが社会全体を底上げする魔法』が、現在の物流やインフラ維持において想像以上に重要であることが判明しています」

 

 九条の報告を聞き終えたKAMIは、ポテトチップスの袋を横に置き、珍しく真っ当な、そして非常に合理的な反応を示した。

 

「そりゃそうでしょ」

 KAMIは、当然のことのように頷いた。

「戦うより先に、まずは水と治療よ。

 いくら強い武器を持っていたって、喉が渇けば人間は死ぬし、怪我をして血を流せば戦えなくなる。生きてる人間を増やして、安全な基盤(インフラ)を整えないと、次のステージの探索なんてできないんだから。彼ら、すごく正しいルートで技術ツリー(スキル)をアンロックしてるじゃない」

 

 破壊や混沌を好む神から出た、意外なほどの「生活基盤の重視」発言。

 九条は、彼女の言葉を記録しながら「魔法研究の意義は、決して戦闘力だけにあるのではない」という国民への説得材料を得たことに安堵した。

 

 しかし。

 為政者としての沢村の顔には、まだ晴れない雲が残っていた。

 

「……確かに、民生用途での成果は素晴らしい。それは認めよう」

 沢村は、腕を組んで深く息を吐き出した。

「だが、こういう素晴らしい報告を見るにつけ……やはり、国家としては『自衛隊に魔法専門の戦闘部隊を創設したい』という欲求に駆られるんだがな……。事実、彼らにはそれを目的に法的な抜け道を用意してまで集めたのだから」

 

 国防の最高責任者としての、偽らざる本音だった。

 隣国のロシアや中国が、探索者と軍隊の融合を進めている中、日本だけが「魔法は民生と民間探索者のみ」という建前を貫き続けることの危うさ。

 

「だが、言い切れない」

 沢村は苦渋の表情で顔を伏せた。

「国民感情(世論)がなぁ……。『魔法を兵器として軍事利用するのか』というアレルギーは、この国では想像以上に根強い。それに、魔法自衛隊の創設となれば、国論を二分する騒ぎになる」

 

「世論の問題だけではありません、総理」

 九条が、冷徹に事実を整理した。

「戦闘系魔法の研究自体は、月読研究所でも進められています。炎や雷を生み出す術式は既に存在します」

 

 九条は最後の映像をモニターに映した。防衛省の極秘演習場で、「検証班」の研究者が的に向かって火属性の攻撃魔法を放つ実験を行っている映像だ。

 研究者が杖を突き出した瞬間、凄まじい轟音と共に巨大な火球が射出され、標的の戦車模型を一瞬でドロドロに溶解させた。だが、制御を失った熱波が演習場の天井を焦がし、研究者自身の髪の毛の先までチリチリに燃やしてしまった。自衛隊の幹部たちはその威力に色めき立つが、研究室の室長は「威力の調整が全く利かない! 精度も継戦能力も最悪だ! 誤射の危険が高すぎて、まだ兵器化できる段階ではない!」と渋い顔で完全否定している。

 

「このように、威力は凄まじいものの、兵器としての安定性に欠けます。最大の理由は、月読研究所に集められた人員の多くが『民間出身の研究者』であり、相手を殺傷することを目的とした純粋な『戦闘志向』の人材が極めて少ないことにあります」

 九条は淡々と告げた。

「しかも、現実的な問題として……もし実戦で戦うのならば、一から自衛隊員に魔法を教え込むよりも、第一線で戦っている『ダンジョン探索者』たちを雇用した方が、圧倒的に強いのです。

 戦闘への適性、極限状態での経験値、最適化されたスキル構成、そして強力なドロップ装備の体系。その全てが、現状では『ダンジョン探索者』の側に圧倒的に最適化されています」

 

「正直、戦うなら探索者の方が強いのは分かっているさ」

 沢村は、胃の辺りを押さえながら本音を吐露した。

「だが、国家の防衛という最大の責任を、すべて民間の、それも自己責任で動く探索者たち任せにするというのは……国家の長としては、あまりにも胃が痛い話なんだ。いざという時、彼らが国のために命を懸けてくれる保証はないのだから」

 

 その時だった。

 KAMIが、呆れたようにパンッと手を叩いた。

 

「そりゃそうね。でも、あんたたち根本的なことを勘違いしてるわよ」

 

 KAMIはソファから身を起こし、まるでゲーム初心者にチュートリアルをしてやるような、得意げな顔で言った。

 

「いい? ダンジョン探索者ってのは、あくまで『戦闘型(バトルクラス)オンリー』なのよ。

 ゲーム的に言えば、スキルポイントの振り方が全然違うの」

 

 彼女は、空中に魔法の光で二つの異なる「スキルツリー」の図を描き出した。

 

「探索者のあの子たちはね、『目の前の敵をいかに早く倒すか』『いかに効率よくドロップ品を拾うか』『いかに罠を避けて前に進むか』……そういうことに特化したビルド(構成)を組んでいるの。DPS(アタッカー)とかタンク(盾役)とかね。

 でも、真水を何百人分も安定して供給したり、物資の長距離輸送をバフで支えたり、壊れた拠点を魔法で維持・修復したりする能力は、彼らにはないわ。それは『生産職(クラフター)』や『支援職(サポーター)』っていう、全く別の系統のスキルツリーだから」

 

 KAMIは、沢村の目の前に顔を近づけた。

 

「同じ『魔法っぽい力』を使っていても、出力の仕方や用途が根底から違うの。

 探索者の力は『瞬間的な暴力』。月読の技術者たちの力は『持続的な環境構築』。

 どっちが偉いとかじゃなくて、役割(ロール)が違うのよ」

 

 その、あまりにも分かりやすい「ゲーム的」な説明に、九条の目がハッと見開かれた。

 彼は即座に、その言葉を国家運営のロジックとして飲み込み、言語化した。

 

「……なるほど。完全に腑に落ちました」

 九条は、初めて感嘆の色を見せて言った。

「探索者は、いわば『前線突破に特化した特殊部隊(スピアヘッド)』には向くが、国家という巨大なインフラを維持し、後方支援を行う『国家運営型の魔法技術者(エンジニア)』の代替には決してならない、ということですね。両者は全く異なる専門職であると」

 

「そういうこと。ようやく分かった?」

 KAMIは満足げに頷き、再びソファにダイブして寝転がった。

「だから、探索者が強いからって嫉妬したり不安になったりする必要はないの。適材適所で使い分けなさいな」

 

 ダンジョン探索者最強論という呪縛から解き放たれ、月読研究所の魔法技術者たちの「真の存在価値」が、国家の中枢において明確に定義づけられた瞬間だった。

 

 ***

 

 魔法技術の基礎研究の現在地を整理したうえで、沢村総理は大きく背伸びをし、改めて話題を最も巨大な国際情勢へと引き戻した。

 

「……魔法のインフラ化が進んでいるのは頼もしい。だが、外の世界は待ってくれない」

 沢村は、マルチモニターに映る世界地図を見上げた。

「国内ゲート網の次の候補、インドと、イギリス、か……。

 どちらも、開通すれば一気に世界が動くな。これまでとは桁違いの物流と人の地殻変動が起きるぞ」

 

「間違いありません」

 九条が、冷徹な分析官の目に戻って応じた。

「インドが持つ意味は、圧倒的な人口規模と、抑圧されてきた下層民の台頭、そしてそれがもたらす『魔石経済の爆発力』です。彼らが国内の転送ネットワークで直結すれば、世界の資源バランスは完全に塗り替わり、周辺国への政治的・軍事的波及効果は計り知れない。

 一方、イギリスの意味は、欧州圏の交通・物流のハブとしての機能と、彼らが目指すであろう『秩序だった階級管理モデル』の強化です。英国内の移動がゼロになれば、国際ギルドとの接続権を握り、英連邦やロンドンの金融ネットワークを通じて、物流と魔石を金融商品として世界中にばら撒く拠点として絶対的な力を持つ。……どちらも、開通すれば我々の仕事はさらに増大します」

 

 人類の地政学と、血みどろの経済戦争の予感。

 だが、その重苦しい分析を、KAMIはケラケラと笑って聞き流した。

 

「インドは賑やかになるわよ。あいつら、とにかくパワフルだから。国内のゲートが繋がったら、人も物も一気に全土を流れ込んで、私の『対価』もいっぱい貯まりそうだし」

 彼女は炭酸飲料を飲み干しながら言った。

「イギリスは移動用ハブとして便利そうだし、割と扱いやすいんじゃない? あいつら、プライドは高いけど、実利があれば文句言いながらでもルールに従うからね」

 

 人類の深刻な地政学と、神の「ポイント(対価)が貯まる」「移動が便利」というどうしようもなく俗物的な理由。

 その絶望的なズレが、逆にこの世界の真理を表しているようで、沢村はただ引きつった笑いを浮かべるしかなかった。

 

(……神の頭の中では、まだ『正式に今すぐ繋ぐ』というわけではなく、あくまで水面下のカードとして置かれているだけだ。今のうちに、やれるだけの準備をしなければ)

 

 沢村は、自らを奮い立たせるように、両手でバチンと頬を叩いた。

 

「ああ……忙しい、忙しい!」

 沢村は、わざと大げさにぼやいた。

「ダンジョンの管理に、異世界外交に、今度はインドとイギリスの国内ゲート開通に向けた根回しか! 総理大臣の体が三つあっても足りんぞ!」

 

「はい。非常に忙しいです。私の分身体もフル稼働で悲鳴を上げています」

 九条が、一切の表情を変えずに、淡々と、しかし恨みがましい声で返した。

 

 二人の悲鳴を聞きながら、KAMIはソファで大きく「んーーっ!」と伸びをした。

 黒いフリルのスカートが揺れ、銀髪がさらりと流れる。

 

「じゃ、次のゲート候補地はそのへんで考えといて。正式に決まったら教えてあげるから」

 彼女は振り返り、悪戯っぽくウィンクした。

「あと、月読研究所の子たち、結構いい働きしてるじゃない。……もうちょい働かせても、いいんじゃない?」

 

 その悪魔のような提案に、九条が即座に、食い気味に言い返した。

「これ以上働かせれば、彼らよりも先に、管理している監督省庁の労働基準法(労基)と、担当官僚の精神が死にます」

 

「あらそう?」

 KAMIは、まるで気にする素振りも見せずにクスクスと笑った。

「でも、あなたたちの目、もうとっくに死んでるようなものでしょ? 今さら労基なんて関係ないんじゃない?」

 

「…………」

 沢村は、何も言い返せずに、ただ深く深く額を押さえた。

 神の言う通り、彼らはもう、過労で半分死んでいるようなものだったのだ。

 

「じゃあねー!」

 

 KAMIは楽しそうに手を振り、光の粒子となって執務室から消え去った。

 

 ***

 

 神の退室後。

 静けさを取り戻した執務室で、沢村と九条は、しばらくの間、重い沈黙の中で疲労感を噛み締めていた。

 

「……嵐が去ったな」

 沢村が、冷めたコーヒーをすすりながら呟いた。

 

「ええ。ですが、すぐに次の嵐が来ます」

 九条は眼鏡を拭き直し、己のデスクのモニターに視線を戻した。

 

「ピコン」

 

 静寂を破って、九条の専用端末に、最優先の暗号化通信を告げる通知音が鳴った。

 九条は素早くロックを解除し、新着の報告書を開く。

 

 件名:『国際新世代探索者交流プログラム 事前準備進行状況および参加者リスト』

 

 九条の目が、そのリストを高速でスキャンしていく。

 日本代表枠の筆頭には、あの高校生探索者、タケルの名前。

 そして、まだ国内ゲートが繋がっていないインドからの特別参加枠として、元ダリットの青年、ラヴィの名前が記載されている。さらに、アメリカ、中国、ロシア、EU諸国から選抜された、これからの世界を背負って立つ若き異端児たちの名が、ずらりと並んでいた。

 

「……総理」

 九条が、モニターから目を離さずに言った。

「どうやら、我々が休む時間は、当分来ないようです。彼ら『新世代』の若者たちが、国境を越えて一堂に会する準備が整いつつあります。彼らが交わる時……それは、インドやイギリスの国内ゲート開通に向けた、新たな『起爆剤』となるでしょう」

 

「そうか……」

 沢村は、窓の外に広がる霞が関の空を見上げた。

 

 世界は、確実にまた一歩、前に進んだ。

 魔法は民の生活を潤し始め、若者たちは国境を越えて未来を切り拓こうとしている。そして、神はソファの上で、次の地図の輪郭を雑に描き始めている。

 人類は、あまりにも巨大になりすぎたこの世界を管理するには、圧倒的に不甲斐なく、忙しすぎる。

 

 だが、止まる気は毛頭なかった。

 彼らは再び、終わりのない書類の山と、次の時代の設計図に向かって、重いペンを握り直すのだった。

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