届かない星に手を伸ばし、僕は傷つくことを選んだ 作:加賀崎 美咲
全てを終わらせてしまう前に、僕の話をしておきたいと思う。
これは僕と彼女たちの物語であり、彼女らを傷つけてしまった僕の供述調書に他ならない。
この日記の最後に書いたとしても、誰かに見つかる事はきっとない。
ただ、僕の自己満足のためにこれを書く。
もし、何かの偶然で君がこれを見てしまったのなら、彼女たち―祥子や睦が見つけてしまう前に捨てさってほしい。
これ以上、僕は彼女たちに顔を合わせる資格だってないのだから。
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僕のたった十五年の人生が何であったか。
それを簡潔に答えれば、胸の内から抉られた傷痕を直視し続ける時間だった。
当たり前のあるべきものが欠けて、代わり埋められるものもなく、探したとしても何処にも見つからない。
それは優しい家族だったり、優しい思い出というもので。
生まれてからずっとあった欠落を、誰かに見られているような着心地の悪さがずっとあって。
欠けてしまったものの代わりに埋められるものを探し続けることこそが不幸な気がした。
僕はずっと不幸でいるために生まれてきてしまったのかもしれない。
見上げた薄暗いホールの天井には、星の瞬きの代わりに舞台を照らすスポットライトが吊るされている。
星光は舞台の上の僕たちを、観客の前に映し出している。
「おお、かわいいアキレス。私の可愛い息子。あなたに何者をも討ち破る不死身の身体を与えましょう」
観客からは見えない奈落の前、女神に扮したみなみさんが僕に告げる。
生まれたばかりのアキレスに、生みの母であるテティスが不死身の肉体を与える場面。
自身の腹を痛めて産んだ半神、人間であるアキレスを女神は憐れんだ。
神にさえ生まれていれば、苦しむことはなかっただろう。人に生まれてしまったばかりに、定命の運命に生まれたアキレスを、テティスは不幸だと謳った。
故にアキレスに、母から贈れる最大の祝福を与えようとした。それは愛故に。
「しかし母よ、あなたは知っているか。あなたの愛こそ、私に踵の弱点を与えたことを」
生まれたばかりのアキレスである僕は母の過ちを指摘する。
愛故の行動こそが、英雄アキレスの最大の弱点を生み出した。不死身であるからこそ、生まれた油断が最愛の息子を殺すのだ。
テティスの愛こそが、アキレスのどうにもならない破滅の運命を定めてしまった。
けれど同時に、それは穿ちすぎた見方だと僕は思う。
例え、身の破滅の遠因になったのだとしても、与えられた愛情はそれ自体が何ものにも代えがたい贈り物のはずだ。
例え破滅が待っていたとしても、僕はその運命こそが羨ましい。
僕の母は、それすら望めなかった。
「あなたなんて、生まれなきゃよかったのに。そうだったなら、私は幸せだったのに」
幼い僕の手を打ち払い、精神病院に消えていった母。その時に交わした最後の会話を思いだす。
舞台は暗転して、場面はアキレスの青年期になった。
僕の出番はそこで終わり、舞台袖へはけていく。あとは行く末を見守るだけ。
愛を与えるだけ与えて、女神は愛息子と二度と再会することはなかった。
アキレスには父がいた。アキレスの父であるペレウス王は、母のいないアキレスを愛し育てた。
ケイローンという師を与え、他に必要な全てを彼に与えた。
母はいなくとも、アキレスは帰るべき家というものを持っていた。
優れた師であるケイローンに師事し、アキレスは見事な戦士に成長する。師は彼に生きていく術を与えたもうた。
それも根底には父であるペレウス王の愛があったからだ。
同じように、母テティスも彼を天界から見守り続けて、一緒にはいなくても、2人は息子アキレスへの愛を通して、繋がり続けていた。
僕の両親には繋がりはなかった。
狂った母を父はそれでも愛そうとした。
けれど愛は持続せず、そのうち母との唯一の繋がりであった僕を疎ましく思うようになり、存在を無かったかのように扱った。
一時は僕を養護してくれたあの人を僕から奪い去り、みなみさんが僕に手を差し伸べてくれるまで、いや、今もあの人は僕の帰るべき場所にはならなった。
ついに運命がアキレスに届き、彼は絶叫の中に死する。それは不幸なものとして表現されるが、僕にはそれが余りにも妬ましい光景に映った。
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舞台の公演が終わった帰り際、みなみさんに家に来るかと誘われた。
僕はそれに頷き、彼女について行く。
公演が終わったあと、僕はみなみさんの家のお世話になることが恒例行事となっていた。
「おかえりなさい、ヒカルくん。今日の舞台、とても素敵だったわ」
居間に到着するやいなや、瑞穂さんにそんな言葉をかけられる。
僕は瑞穂さんの凪いだ海のような優しい声色が好きだ。
「ええ! お母様の言う通り、本当に素敵でしたわ!」
一緒にいた祥子も好奇心旺盛な瞳を輝かせて頷く。
今日は瑞穂さん親子も僕たちの舞台を観ていたらしい。
少し照れくさいと思いつつ、2人に褒められて悪い気はしない。
赤くなった顔を反らしていると、袖を小さく引かれる力があった。
みなみさんの娘、睦が僕をじっと見つめている。
「……とても良かった」
普段は物静かな睦を考えれば、最大限の賛辞だ。
そんな娘の様子を見て、みなみさんは面白そうに口角で弧を作る。
「あら、睦も楽しめたのね。なら、睦もヒカルと一緒に舞台に出てみる?」
「あら、それはいい考えですわ。お二人の出る舞台、私も見たいですわ」
良いことを思いついたという様子のみなみさんに、祥子も同意する。大女優と名高いみなみさんが働きかければ、きっとそれは現実になるのだろう。
けれど当の睦はあまり乗り気な様子を見せていなかった。
「……いい。わたしが出てもきっと、せっかくの舞台を悪くしちゃう」
そう言って小さくなる睦を見てみなみさんは仕方ないと苦笑する。
瑞穂さんは、そんな睦の様子が愛おしそうに、優しく頭を撫でた。
「そうよね。いきなり舞台に出るだなんて、びっくりしちゃうわよね? ―みなみもそんな焦らなくても、睦ちゃんがその気に乗ったときに、また考えたら?」
「もう……、睦はもう大女優なのよ? ヒカルと並んでも見劣りなんてしないわ」
みなみさんは口を尖らせて不満そうだ。
親バカにも取れる発言だが、みなみさんが仕事関係には妥協を一切しないことを僕は知っている。そんな彼女かそう言うのだから、睦がそう言うのなら事実なのだろう。
僕はというと、目を細めて気持ちよさそうにしている睦をみていた。
瑞穂さんに撫でられている睦が心底羨ましかった。
僕がじっと瑞穂さんと睦の様子を見つめていることに気がついたらしいみなみさんが、からかうように微笑む。
「あら、ヒカル。そんなに睦ちゃんを熱心に眺めちゃって。……えい!」
両肩を優しく掴まれ、みなみさんの膝の上に移動する。
寂しがり屋な子犬でも構うように、みなみさんの手が僕の髪を乱す。
決して嫌なわけじゃない。けれど、瑞穂さんにしてもらいたかった僕としてはちょっと不満だ。
僕の不満を見抜いたみなみさんは面白く無さそうに眉をひそめる。
「あら、この大女優森みなみが不満?」
「いや、そういうわけじゃ……」
歯切れの悪い返事をする僕にみなみさんは僕と、瑞穂さんに撫でられてご満悦な睦を交互に見る。そして何かに気がついた様子で、目を細めた。
「私思うのだけれど、初恋って叶わないものよね」
「大きなお世話です」
「もしかして、ヒカルさんは好きな人がいるんですの!?」
「いや、その、うーん。なんと言えばいいか……」
好奇心旺盛な祥子にそんな話題を聞かれてしまえば、食いついてくるのは当然のことだった。
正直に、君のお母さんに片想いしていますとは言うわけにも行かず、僕は玉虫色の笑みにするしかない。
「叶わない片想いよりも、手近な恋。……うちの睦とかどう?」
僕の髪を弄りながら、誂うようなみなみさん。
その声色には隠し切れていない真剣さを含んでいた。
平常時には真剣さを見せないようにしていることを知っている僕には、それが妙な違和感だった。
「それでしたら、ヒカルと睦が結婚しますの!? 気が早いですわ! 例えヒカルでも、睦は簡単にあげませんわよー!」
祥子はとても楽しそうだ。
「あらあら、モテモテみたいよ睦ちゃん」
「うん……」
顔を赤くして小さくなる睦を覗き込む瑞穂さん。
そんな睦の様子は可愛らしい。
けれど結婚という言葉を聞いて、僕は嫌なことを思い出す。破綻してしまった僕の家族。
それでも、この場にある温かさに触れる事は嫌じゃない。
ずっとつづいてくれたら良いのに。
瑞穂さんが亡くなったのはこの半年後のことだった。
お久しぶりの方はお久しぶり。
はじめましての方ははじめまして。
加賀崎美咲と申します。
やっと日本に帰ってこられましたので、また細々と書きたいものを聞いていこうと思います。
お付き合いいただけたら幸いです。