届かない星に手を伸ばし、僕は傷つくことを選んだ   作:加賀崎 美咲

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2話

 冷たい雨が降っている。

 

 葬儀場の外で僕はぼんやりと自分に降り注ぐ黒い雨を見上げていた。

 

「どうしてこうなってしまったのだろう」

 

 脱力感を伴う吐息にそんな声が混じる。

 

 それなりに楽しい日々のはずだった。

 

 舞台の公演が終了し、次の舞台の準備をしていた頃、みなみさんから瑞穂さんの訃報を聞いた。

 

 前から少しずつ心臓を悪くしているとは聞いていたけれど、こんなにもあっさりと人はいなくなってしまうのか。

 

 つい先日、体調が芳しくなかった瑞穂さんのために、祥子のピアノと睦のギター、そして僕のバイオリンで小さな演奏会をして、それなりに楽しんでもらえたと思ったのに。

 

「……元気が出たって言ったのに」

 

 もういない人に文句を言う。

 

 瑞穂さんはあっさりといなくなってしまった。

 

 僕の呟きは雨の音に掻き消されていく。

 

「……ヒカル。このままだと風邪ひいちゃう」

 

 いつの間にか背後で傘をさした睦が立っている。

 

 僕を見上げる顔には表情らしいものはなく、彼女はいつも通りに見えた。

 

「睦は悲しくないの?」

 

 そんなはずはないのに、僕は無遠慮にそんなことを言う。

 

 俯いてしまった睦は力なく首をふった。

 

「……悲しいよ。でも私まで塞ぎ込んだら、祥やヒカルが壊れちゃいそう」

 

「そんなに酷い顔をしてる?」

 

 悲しんでいる自覚はあるが、傍から見るとまた違うのだろうか。

 

 睦は小さく頷いて肯定した。

 

「祥もそうだけど、ヒカルのほうが酷い顔してる」

 

「睦はハッキリ言ってくれるね」

 

 皮肉交じりの苦笑でそう返すと、睦はしまったと言わんばかりに口元を隠す。

 

「ありがとう、元気出た。もうすぐ始まるよね? ……式場に戻ろう」

 

「……分かった」

 

 少し不可解そうな睦の傘を代わりに持ち、二人で葬儀場に戻っていく。

 

 会場ではそこらから啜り泣く声が聞こえる。

 

 同じように瑞穂さんの死を悼む人がいることに安心する。

 

 それから葬式はつつがなく進行した。

 

 棺に収められた瑞穂さんを見送る僕の両肩に優しく手が置かれる。

 

「ヒカル帰るわよ。次のドラマの準備、全然出来てないんでしょう?」

 

 背後に立っていたのはみなみさんだった。

 

 その発言に僕は面食らう。

 

「親友が亡くなったというのに、みなみさんは冷たいんですね」

 

「ええ、そうよ。だって観客には役者が何を考えているかなんて関係ないもの。あなたも一端の役者のつもりなら、切り替えなさい」

 

「……僕はそんな簡単には割り切れない」

 

「言ったでしょう? 観客はそんなことを気にしてないの。ただ作品が面白いかを知りたいだけ。それで演技が崩れるのなら、あんたはそこまで。分かる?」

 

「祥子と話してきます。そうしたら、もうここから離れます」

 

「分かったわ。車を出しておくから、すぐに来るのよ?」

 

 みなみさんと目を合わせず離れる。彼女が今どんな顔をしているのか直視するのが恐ろしかった。

 

 親友を失って悲しんでいるのか。それともそれをこらえて平気そうなのか。それすらも演技なのか。僕には分からなかった。

 

 葬式場を歩き回ると、祥子はすぐに見つかった。

 

 皆からは見えない通路で、祥子は声を押し殺して泣くことを堪えていた。

 

 僕と目が合うと、祥子は顔を見られまいと背を向ける。

 

「……ここにいたんだ祥子」

 

「ヒカル……? お願い、今は私を見ないでくださる?」

 

 嗚咽を何度も漏らしながら祥は言う。

 

 泣くことを我慢する彼女を見て疑問する。肉親が亡くなったら悲しいのだろうか。僕にはその経験がない。

 

 母は狂った。父は僕を捨てた。

 

 僕は果たして、あれらが亡くなった時に泣けるのだろうか。

 

「泣けるのなら、泣いておいたほうがいいよ」

 

 小さくなった祥子の背中を擦り、僕は言う。

 

「……うぅ、うぁ」

 

 そんな小さなきっかけで、祥子は嗚咽とともに目尻に涙を留め、そして流れていく。

 

 せめて顔は見てやらないよう、目を外へと逸らす。彼女の背中を擦る手だけは止めない。

 

 祥子の声を聞きながら僕は思う。あのように、僕は涙を流せるのだろうか。僕はこの葬儀場にたどり着いてから、涙を流せていない。こんなにも悲しいというのに。

 

 涙の一つも流れてはくれない。

 

 

 

 ●

 

 

 

 瑞穂さんが亡くなって1年が経った。

 

 僕の周りは何も変わらなかった。

 

 役者の仕事をして、みなみさんの家に寄って睦や祥子と時々顔を合わせる日々。

 

 そこに瑞穂さんがいないだけで、何も変わらない。

 

 けれど僕の胸にはぽっかりと穴があいてしまった感覚がずっと残っていた。

 

 空いてしまった2つの穴は、ときどき思い出したように疼いて僕を痛めつける。

 

 舞台の上、役を演じている間だけはその痛みも無かった。

 

 きっとその時間だけは、僕が僕でなくなると思っているからだろうか? 

 

「ヒカル考えごと?」

 

 睦に淹れてもらった紅茶に口もつけずに眺めていると、睦が不思議そうに尋ねた。

 

「……えっ、あー……、ううん。ちょっとボンヤリしてたかも」

 

 今日はみなみさんがいない。

 

 それなのに彼女らの家にお邪魔しているのは、瑞穂さんが亡くなってからも変わらない。

 

「休憩もしたことだし、もう少しやろうかな」

 

 今日はみなみさんの家でバイオリンの練習をする日だ。

 

 みなみさんは急な番組出演でこの場に来られなくなったことを嘆いていたが、睦が聞いてくれていた。

 

 聞いてくれるのは睦だけ。

 

 バイオリンと弓を持ち、練習曲を奏でる。

 

 けれど、旋律は少し狂っている。

 

「調律がおかしいのかな?」

 

「……音は合ってた」

 

 ペグを回しながら確認してみても、睦の言う通り狂ってはいなかった。

 

 少し弓を滑らせて見ると、調律はおかしくない。けれど、曲として演奏するとどうにも変だった。

 

 原因の分からない不協和音に僕が顔をしかめると睦は不思議そうに首を傾げる。

 

「……ヒカル、調子が悪い?」

 

「なんでだろうね。何となく納得出来ないや」

 

 思い返せばずっとおかしかった。最後に納得のいく演奏ができたのはそう、みなみさんを元気づけようとしたあの演奏会が最後だ。

 

 ああ、そうか。みなみさんを失ったことがこんなにも尾を引いている。

 

 それに気がついて、また胸の穴がじくじくと膿んでいく。

 

「ヒカル元気出して」

 

 バイオリンを脇に置いて、固く握られていた僕の手を、睦は優しく包む。

 

「……瑞穂さんみたいなこと、するんだね」

 

 普段は伏し目がちな睦が、まるで瑞穂さんのような柔らかい表情で僕を見つめる。

 

「ヒカルが元気のないとき、祥のお母さんがよくやってた」

 

 言いながら、睦の顔はどんどん瑞穂さんに似ていく。

 

 目の前にいるのは睦なのに、みなみさんがそこにいるような気持ちになる。

 

 それは睦の演技でしかないというのに、確かに僕の膿んた胸の内が癒えていく。

 

「……もう少しだけ、このままでもいい?」

 

「ええ、ヒカルが元気になるまで手を握っててあげる」

 

 柔らかく笑う睦。五感のすべてが、彼女をみなみさんだと叫んでいる。

 

 睦が睦じゃなくなるのは久しぶりのことだった。厳密に言えば、何も変わっていないのだが、睦はそれが出来てしまう。

 

 最近は鳴りを潜めていたけれど、睦がその気になれば、いつでも彼女は他者の役を羽織れてしまう。

 

 みなみさんはこの睦を怖がっているけれど、僕にとってはこれこそが若葉睦という個性なのだ。

 

「……もう、大丈夫かな。睦、一曲聞いてくれる?」

 

「……うん。聞いてるよ」

 

 バイオリンを手にとり、もう一度鳴らす。

 

 今度はもう、狂ってはいなかった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 休日の昼下がり、僕は喫茶店にいた。

 

 ボンヤリとアイスコーヒーの飲んでいると、1か月ぶりに会う待ち人がやってくる。

 

「おまたせしましたわ」

 

「そんなに待ってないよ。ほら、コーヒーもそんなに減ってないでしょう?」

 

「どうだか。ヒカル、いつもガムシロップを入れてから回して遊ぶでしょう?」

 

 座って紅茶を頼んだ祥子はからかうように笑う。

 

 瑞穂さんが亡くなってから、祥子の笑顔にはどこか影があった。

 

 僕と同じで、彼女も瑞穂さんの死を引きずっている。家族なのだから、僕のそれとは比べられないはずなのに、祥子の笑みは昔のそれに戻っていた。

 

「何かいいことあった?」

 

 僕は知りたくなった。瑞穂さんの死を乗り越えられてしまうようなものがあるのだろうか。

 

「あら、そんな顔してまして?」

 

「うん、とても楽しそうだよ?」

 

「でしたらそれは、きっと燈たちのおかげですわ」

 

 燈という名前は初耳だ。僕の知らない祥子の友達なのだろうか? 

 

「その燈って子は初耳だね。クラスメイト?」

 

「いえ、燈は同い年ではありますが、花女の生徒ですわ。一緒にバンドを組ませてもらってますの」

 

「バンド……」

 

 流行っているとは聞いていたけれど、まさか祥子がそういったものに関わるなんて、瑞穂さんが亡くなってから消沈していた彼女からは考えられなかった。

 

「いや、むしろ逆か……」祥子にも聞こえないような呟き。

 

 その燈さんとやらとバンドを組んだから、祥子は元の明るさを取り戻したのか。

 

 何もしてあげられなかったな。

 

 アイスコーヒーを飲みながら、心の中で呟いた。

 

「……苦い」

 

 コーヒーには甘いシロップが上手く混ざらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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