◇十一月十二日朝/神戸鎮台
拾月大将は、本質的に小心者である。
そうであるが故に裏切る可能性の低い者たちで周囲を固め、危険因子だと判断した相手は容赦なく切り捨てようと動く。
そんな彼からすれば、今日も目の前に現れた相手は厄介極まる存在であった。
「拾月閣下! 何卒ご再考を!」
執務室に入ってくるなり何度目かも分からぬ戯言を吐き散らすのは、身長一〇○サンチにも満たない子供。しかし、実態は――日本一の対魔師と名高い男、阿ノ玖多羅正覚その人である。
命令に対する反意が目立つにも関わらず、その実力故に排することが難しい相手。拾月大将は、この男のことを苦手としていた。
「いい加減に理解しろ! 何度言えば分かるのだ、貴様は!」
「閣下も、何度言えば理解されるのですか!」
とりあえず怒鳴りつけるも、正覚の側に引くつもりはなし。感情的に返され、お互いに譲らず手を変え品を変えながらも議論は平行線を辿る。ここしばらくの間、二人の間で繰り返され続けている応酬であった。
「沙不啼にレディ・璃々栖を引き渡したとして――奴が潔く退くという保証はどこにもないでしょう!? レディ・璃々栖と共闘し、沙不啼を打ち倒すべきです!」
「艦隊を人質に取られていると言っているではないか! 裏切りを図って艦隊を沈められるような事態になれば、我が国は露西亜帝国の餌にしかならんのだぞ!」
「だからといって、信じるに値しない悪魔と取引など――」
「貴様は何もわかっておらん――」
「閣下こそ――」
益体もない応酬がさらに激化していくかと思われた、その時。
コンコン、と部屋の扉が叩かれた。
「拾月師団長閣下、ご報告したいことが」
「入れ」
「閣下!?」
驚く正覚の向こうで執務室の扉が開き、見知った師団員――神戸(かみのへ)という、分かりづらい苗字を持つ少佐が顔を覗かせた。正覚の存在にも気づいたらしく、神戸少佐が少し委縮した様子で口を開く。
「あ、お話し中でしたか?」
「いや、いい。早く要件を言え」
「はっ。防疫部より、『釘、到着セリ』と」
「本当か!?」
久方ぶりの朗報に、拾月は勢いよく立ち上がる。神戸少佐が少し気圧されたように後ずさった。このやや臆病な性格に加え、【渡り】が使えるということもあって色々なところで便利使いされているのが神戸少佐の特徴である。
「は、はい。……釘煮でも注文されていたのですか? 実家のものでよければ【虚空庫】にありますが」
「違うわ! 神戸、案内を頼む。阿ノ玖多羅少将、貴様も付いてこい!」
拾月大将は、本質的に小心者である。
故に、自分が失脚しないよう最善を尽くし続けている。
普段から、執務室に大量の美術品――製作者に向けられる関心の一部が流れ込むため、簡易的なエーテル補給手段となり得る――を並べ、【神戸港結界】の不安定化を少しでも抑止し。
不確定要素にして不安要素たる大悪魔に対抗すべく、封印を画策し。封印が失敗した時にと、予防策も用意していた。
それこそが、今目の前にある悪魔封殺結界の用具であった。
「【ザカリアの釘】用の用具です。……移動を承認させるのにも運ぶのにも苦労したんですよ?」
英国退魔機関の男が、疲れた様子で言う。拾月は何も返さない。否、返せない。目の前に置かれた用具に、魅入られていた。
直径三〇.五サンチ、長さ一五○サンチの、釘のような形をした鉄塊。
普通に見ればただそれだけの存在だが、悪魔祓師としての感覚がこの道具の凄まじさを鋭敏に感じ取っていた。これであればあの悪魔でもどうにかしうる、と。
「あ、続けますね。【ザカリアの釘】をもってすれば、貴方がたの言うところの甲種悪魔ですら祓い得るでしょう。仮にできなかったとしても、絶大な弱体化は確実です」
「閣下!? こんなもの、何に使うというのですか!?」
正覚の叫びに、拾月大将は思わず怒鳴りたくなる。対悪魔の用具の使い道など一つしかない。わざわざ聞くようなことでもないのだから。
とはいえ、周囲の目もある中で激昂するわけにもいかず――平静を装いながら拾月大将は言う。
「元々は、【神戸港結界】再構築時にあの大悪魔を封印すべく取り寄せていたものだ。MEP屋敷を丸ごと囲み、【ザカリアの釘】でもってあの大悪魔の行動を封殺し、封印する。……一昨日到着していれば、間に合ったのだろうがな」
「議会における承認が想定以上に難航しまして。承認以降はこの『グレート・イースタン』でもって全速での輸送を行ったのですが」
「最早封印はできないだろうが……代わりに逃亡を阻止し、沙不啼に引き渡す」
「沙不啼……あれが件の移動城塞ですか。……反旗を翻しても、勝ち目があるようには見えませんね」
英国退魔機関の男が僅かに身震いしながら空を見上げる。拾月大将もつられて空を見上げた。
巨大な城塞が、神戸港に影を落としていた。数多の砲門は神戸港に停泊する日本海軍の艦艇一隻一隻に指向され、身じろぎ一つでもすれば沈めるという意思を感じさせる。
阿栖魔台移動城塞。つい昨晩この地に現れた大悪魔・沙不啼が移動手段として用いる移動城塞だ。火力も防御力も凄まじく、今の日本が勝てるとは到底思えない相手。
砲撃を受けた防護巡洋艦が一撃で轟沈した光景は、拾月大将の脳裏に焼き付いている。
下手な動きをして、あのような砲撃に艦隊を――あるいは国を焼き滅ぼされるよりは、ひとまず怒らせずに済ませた方がよほどいい。そう、拾月大将は考えている。
「――閣下、何卒ご再考を。腕を見つけ出し、レディ・璃々栖と共闘し、沙不啼を――」
「まだ言うか!」
だというのに、この正覚という男は理解しようとしない。悪魔祓師としては実力者とはいえ、空虚な幻想に捕らわれ続けている。拾月大将からすれば、そうとしか見えなかった。
先ほどの思いも忘れ、正覚のことを怒鳴りつける。
「いい加減に、理解しろ! 何度言えば気が済む!?」
「何度でも言います! あんな相手との取引がまともに成立するとは思えません!」
「腕腕とやかましいわ! そもそも、貴様やあの大悪魔の言う腕――悪魔大印章は何処にあるというのだ!? 第壱から第参までの旅団の者に命じ、【神戸港結界】再建のための術式調整の名目で神戸中の神社や寺院を検めさせたが……どこにもなかったのだぞ!?」
「何?」
――ふいに、正覚の顔から表情が消えた。まるで、何か別のものが入り込んだかのように。一瞬の後、正覚の顔に表情が戻る。あまりにも異様な豹変を前に、怒りすら忘れて拾月は尋ねる。
「……なんだ、今のは?」
「今の? そんなことよりも閣下、腕がなかったとはどういうことですか!?」
「そのままだ。――調べた限りにおいて、腕は見つからなかった」
言ってすぐ、しまったと拾月大将は口を塞ぐ。このような場所で軽々しく言っていいことではなかった。
同じことに思い至ったのか、英国退魔機関の男がやや慌てた様子で口を開く。
「こ、この場では耳もあるでしょう。お話をされるのであれば、我が『グレート・イースタン』内ではどうでしょうか。そこらの施設よりは余程防諜面で優れています。お伝えしたいこともございますし……」
『グレート・イースタン』とは、つい2年前までは世界最大の名を手にし続けていた大型旅客船にして蒸気船である。もっとも、英国退魔機関の手足として世界中を駆け回り、彼らの威光を世に知らしめることの方が多い――と、拾月大将は聞いている。
その船内を、英国退魔機関の男に先導されながら拾月大将らは進む。建造から半世紀近いとは思えないほどに美麗な船内に、拾月大将は思わず息をのむ。
一応付いてこさせた神戸少佐が口を開いた。
「……なんか、変わった構造の船ですね」
「そうでしょうね。……何分、古い船です。我々にとっては都合がいい構造をしていますが、普通の船としては時代遅れでしょう」
英国退魔機関の男が寂し気に笑う。拾月大将は口を開いた。
「都合のいい構造、とは?」
「帆と外輪が付いているのはご覧になったでしょう? あれらに加え、喫水線下にもスクリューがあります。多様な推進機関を採用することで、推進方式に向けられる信仰を糧に――術式でもって絶大なまでの速力を発揮させることができるのです。……近年は、帆や外輪が完全に時代遅れとなったこともあって効率が落ちてきていますが」
「……なるほど。退魔機関だからこそできる荒業、といったところか」
「はい。……着きましたよ。ここであれば、聞き取られる可能性は低いかと」
辿り着いた船室の椅子に、拾月大将はどっかりと腰を下ろす。椅子が悲鳴じみた軋みを上げる中、早速正覚が口を開く。
「……閣下、腕がなかったというのはどういうことですか。そもそも、捜索していたということすら私は聞いていませんが」
「当然だろう。貴様はあの大悪魔に入れ込みすぎている。見つかった時に勝手に持ち出して渡す、などということがあり得そうなほどにはな」
「……」
押し黙った正覚を前に悦に浸りつつ、拾月大将は持ちだしてきた鞄を開く。――が、取り出そうとした葉巻箱は入っていなかった。急いで出てきたせいで執務室に忘れたのだろうと舌打ち一つ、拾月大将は神戸少佐の方へと振り向く。
「神戸、煙草か葉巻は」
「あの類のものは苦手でして。釘煮ならありますが」
「いらんわ!」
「……当船室は術式などの諸々のため禁煙となっております。……ところで釘煮とは?」
「神戸、説明してやれ」
妙なところに興味を持ったらしい英国退魔機関の男の相手を神戸少佐に任せ、拾月大将は正覚の方へと向き直る。一応は黙っているものの、まるで納得していないと一目で見て取れた。先手を打つべく、拾月大将は口を開く。
「先にも言った通り、神社や寺院は動ける者たちに調べ上げさせた。悪魔大印章の維持には霊力を使うというから、そういった場所以外にある可能性は低い。……存在しないと、そう考えるのが妥当だろう」
「……捜索が半端だった、という可能性もあるでしょう」
「村田少将らも動員し、できる限りの精密性は確保した。にも関わらず、痕跡一つ見つからなかったのだぞ? 存在しているのだとすれば、異常に過ぎる」
「……そもそも、何故閣下は腕を――大印章をお探しに? 散々捜索の嘆願を受けながら、却下し続けていたはずですが」
形勢の不利を悟ったか、正覚が話題を切り替えにかかる。仲の悪い相手が苦々しい顔を浮かべているのを喜びつつ、拾月大将は答える。
「簡単な話だ。悪魔との共闘や捜索の受理など論外だが、そのようなものを放置するのは危険すぎる。回収して交渉の道具に使うなり、あるいは砕いてしまうなり――使い道はあるだろうと探させておいた」
「そのようなことをお考えだったのですか!?」
正覚が勢いよく詰め寄ってくる。背後から、神戸少佐と英国退魔機関の男が驚きに肩を震わせる気配がした。
「大悪魔のものなのですよ!? 確実に問題になるではありませんか!」
「無断で他国にそのようなものを置いている悪魔どもの方が余程問題だと儂は思うがな。それに、なかった以上そのことについて語っても仕方ないだろう。……兎に角、腕があるだろう場所になかった以上、共闘を行う大前提たる腕の居所が完全に分からん。そんな状態であの大悪魔との共闘など考えられん。いいな」
「……」
全くもって納得していない表情ながらも、反論が見つからないのか正覚が完全に押し黙る。拾月大将は再び鞄を探り――そもそも葉巻箱を置いてきている上に禁煙であることを思い出した。僅かに機嫌を損ねつつ、英国退魔機関の男へ振り返る。
「そういえば、先ほど『お伝えしたいことがある』と言っていたが……何をしている?」
「は、ふひはへんふひはへん(あ、すみませんすみません)。ほほひははほほふひひっへはふほひひひへふへ(このいかなごのくぎ煮ってやつおいしいですね)」
「でしょう! いいですよね痛いっ!」
「神戸! そんなことやっとる場合か!」
「ぼ、暴力はいけませんよ暴力は……」
どこから取り出したのか、白米と共にいかなごのくぎ煮を喰らっていた神戸少佐に拳骨を一撃。一緒になって食べていた英国退魔機関の男が、慌てて神妙な面持ちを取り繕って。
「お伝えしたいことは、2点ほど……」
「ご飯粒付いてますよ」
「おっと、失礼」
「反対の頬」
「こちらでしたか」
……正覚との緊張感を削ぐようななやり取りを行いつつも、英国退魔機関の男は表情を崩さない。何か厄介ごとだろう、と拾月大将は心の中で身構える。彼が――『グレート・イースタン』が通って来ただろう航路を思えば、伝えようとしていることの片方には心当たりがあった。
「一つは――輸送の途上、シンガポール……貴方がたの言うところの昭南島に寄港した際、露西亜帝国海軍の戦艦を確認しました」
「旅順艦隊への増派として戦艦が回航中、という話は聞いていたが……もう、そこまで。詳細は?」
「艦影からしてペレスヴェート級……唯一旅順艦隊に配属されていない2番艦『オスリャービャ』かと」
「……なんと」
もっともらしく驚いてみたものの、拾月大将からすれば海軍はほぼ管轄外である。伝えておくべきだとのみ頭の中に書き留め、聞く。
「もう一つとは?」
「昭南島で聞いたのですが……『深い霧の中で日本海軍の艦艇を見た』という者が、一週間ほど前から急に出てきたそうです」
「何?」
拾月大将は眉根を寄せる。ここ最近、海軍は露西亜帝国との関係悪化を理由に日本近海から離れていないはずである。
しかも、ほぼ全ての艦艇が今回の「観艦式」に動員され――そのまま沙不啼により人質に取られている。昭南島の方に送られている艦艇など、拾月大将の知る限りでは存在しない。
「信憑性に欠ける、噂話じみたものではありますが……一応伝えるべきだとは思いまして」
「ふむ……覚えてはおくが、噂話程度ではな。一応、各所に伝えておこう」
「――ありがとうございます」
「……拾月師団長閣下、そろそろ鎮台に戻られた方がいいのではないでしょうか。あまり留守にしていると、統制上の問題が出かねません」
「む、そうだな。……では、失礼する」
――この後鎮台に戻った拾月大将は、入れ違いでやって来ていた沙不啼の癇癪を収めるため奔走する羽目になる。『霧の中で日本海軍の艦艇を見た』という話は一応各所に伝えられたものの、噂話程度ということもあり重要視されず――数日も経たず、忘れられていく。
――忘れられていく、はずだった。
◇十一月十三日/天連閣理府
『戦艦『オスリャービャ』及ビ随伴給炭艦、南支那海ニテ不明艦ヨリ砲撃ヲ受ケ損傷。乗組員ハ日本艦ニヨルモノト主張。至急調査サレタシ』