夜の山は静かだった。
焚き火の炎がパチパチと音を立て、赤い光がユウスケの頬を照らす。
誰もいない夜は、世界の音が消える。
火の音と呼吸だけが、生きている証のように響く。
「……たまには、一人も悪くないな」
大学の友人にドタキャンされ、結局ソロキャンプになった。
最初は寂しかったが、今はこの静けさが心地いい。
缶コーヒーを片手に夜空を見上げると、満天の星が瞬いていた。
「就活も、恋愛も、何もうまくいかねぇ……」
ぼそりと呟く。
火の粉が風に流れて消えていく。それを目で追いながら、
「俺の人生、どうなるのか」
と苦笑した。
> ——その夜、彼は生きる意味を少しだけ見失っていた。
けれど、次の瞬間、人生そのものを失うことになる。
その瞬間——耳をつんざく雷鳴が響いた。
眩い閃光。
目の前が真っ白になり、体が一瞬で宙に浮く。
熱い。痛い。けれど、声も出ない。
——落雷。
そんな言葉が頭をかすめた次の瞬間、意識が途切れた。
音も光も消え、ただ無音の闇が広がる。
死は、痛みではなく“断絶”だった。
世界との繋がりが、静かに途切れる感覚。
静寂。
目を開けると、白一色の世界に立っていた。
天井も地面も区別がつかない。ただ無数の扉が並んでいる。
空気は冷たく、息をするたびに喉が凍るようだ。
その中央で、黒いスーツの男が机の前に座り、淡々と書類に印を押している。
「……あの、すみません。ここ、どこですか?」
「質問は後にしてくれるか。今、処理が立て込んでいるんでね」
低い声。男は視線を上げずにペンを動かし続ける。
机の上には“転送先一覧”と書かれたファイルが積み上がっていた。
「え、転送? なんの話——」
「次。」
その一言で、呼吸が止まった。
男は書類を片手で捲り、ようやく視線を上げた。
白い空間に紫色の光が差し込む。
その瞳だけが、異様なほど深い紫を帯びていた。
「おや、現代日本からの来訪者か」
紫は独り言のように呟いた。
「……何者でもない人間は、神に勝るのか。興味深いね」
「ま、待てよ! 俺はまだ——!」
叫んだ瞬間、扉が開き、ユウスケの体が吸い込まれた。
光に包まれ、音が、色が、すべて反転する。
> ——その瞬間、彼の“現世”は完全に終わった。
そして、別の世界が始まる。
冷たい風が頬を撫でた。
湿った石の匂い。
目を開けると、そこは古びた城の一室だった。
壁は崩れ、床はひび割れ、外光の差し込む穴から風が鳴る。
ただ、松明が一つ。
そして壁には、朽ちかけた金の紋が浮かんでいた。
——織田木瓜。
「……なんで、織田家の家紋が……夢か?」
立ち上がり、指先で壁の紋をなぞる。
ざらついた石の感触。冷たい。
夢ではない。
現実よりも“重い”。
「夢にしては、感触がある……」
外を見ると、赤く染まる夕焼けの空。
遠くで鳥の声が聞こえ、廃墟の静けさに不安がこみ上げる。
「……誰か、いませんか?」
返事はなかった。
ただ、石の壁に反響する自分の声だけが寂しく響いた。
> ——異世界は、最初から人を歓迎しない。
静けさの中に、確かな“死の名残”があった。
「お前、わしに気付いておらんのか?」
背後から声。
ユウスケは反射的に振り向いた。
暗がりの奥、松明の炎に照らされて立つ影。
長い髪に片目の眼帯、黒い羽織。
背には火縄銃。目は獣のように光り、笑みは挑発的だった。
「……誰、ですか?」
「誰でもええ。名を名乗れ」
「えっと……ユウスケです。え、あの、観光とかじゃないです」
男は首をかしげた。
「観光? ほう、妙な言葉を使うな。……まあよい、敵ではなさそうじゃ」
その声に、別の人物が現れた。
長い黒髪を束ね、弓を背負い、静かな眼差しでこちらを見ている。
「どうやら、また一人……流れてきたようですね」
ユウスケは息を呑む。
「あなたは……?」
「那須与一資隆と申します」
「……な、那須与一? あの……源平合戦の?」
信長らしき男が豪快に笑った。
「与一を知るとは! その珍妙な身なり、やはり儂らの後の時代から来たか。さて、儂のことも分かるか?」
「顔だけじゃ……でも、この家紋は……織田家のですよね。まさか、信長なわけ——」
「よしっ! 俺の名も残っておるようだな!」
「まるで信長のような口ぶりをして……」
「何が悪い? 信長が信長と言っているだけだ。お前がお前でない時でもあるのか?」
「そんなわけ……信長はとうに死んでますよ」
男は笑った。だがその笑みには、狂気のような熱が宿っていた。
「死んだ? ああ、確かに死んださ。だが——この世界ではまだ、儂は生きておる」
ユウスケは息を呑む。
信じたくなかった。けれど、眼の前の男の“生気”がそれを否定していた。
この男は、間違いなく“生きている”。
そしてこの瞬間、ユウスケは悟る。
夢ではない。