ユウスケは混乱していた。
目の前の男は確かに「織田信長」を名乗っている。
だが、信じるには現実味がなさすぎた。
> ——まさか、本当にあの“信長”なわけがない。
「そんなまさか……本物なわけ——」
「なら、なんでも質問してみせい。」
信長は腕を組み、口元に不敵な笑みを浮かべた。
挑発的だが、どこか愉快そうでもある。
ユウスケは息を整え、頭の中で日本史の知識をかき集めた。
「……じゃあ、兄弟の名前は?」
「兄、信広。儂に信勝、秀俊、秀孝……最後が長利であるな。」
> (——確かに、あってる……)
ユウスケは背筋が冷たくなるのを感じた。
それでも、まだ信じきれない。
落ちていた木の棒を拾い、信長に差し出す。
「じゃあ……これで名前を書いてみてください。」
信長は眉を上げた。
「見たところで、分かるのか?」
そう言いながらも、棒を受け取り、地面に大きく筆を走らせるように書く。
その筆跡は、力強く、迷いがない。
> 織田上総介信長。
ユウスケの目が見開かれる。
「……現存している細川家への手紙と、同じ筆跡だ……」
信長はあっけらかんと笑った。
「細川家への手紙? おお、藤孝に宛てたやつか。あいつ、保管癖があるからな。
まさか、まだ残っとるとは!」
ユウスケは息を呑んだ。
「認めたくはないですが……確かに本物のようですね。」
その横で、与一がじっとこちらを見つめていた。
そして、少し目を輝かせながら口を開く。
「私は? 私は確かめなくて大丈夫ですか!」
ユウスケは思わず苦笑した。
「与一さんは……すみません、詳しくないです。」
信長が腹を抱えて笑う。
「ハハッ! 与一、いくらお前が弓の名手と言えど、知名度では儂に及ばんようだな!」
与一はしゅんと肩を落とした。
「……どうせ、私なんて弓しかないですよ……」
慌てたユウスケが手を振る。
「い、いえ! 与一さんのことは知ってます!
源平合戦で扇を射抜いた話、現代でも語り継がれてます!
……えっと、私が詳しくないだけで、有名ですよ! 弓のほうが有名ですけど!」
その言葉に与一は一瞬だけ表情を緩めかけたが、すぐに顔を伏せて拗ねた。
信長が眉を吊り上げる。
「テメェ! 与一が落ち込んだじゃねぇか! 謝れ!」
「え、私ですか!?」
「いいから謝れ! こいつ、これで三日くらい落ち込むぞ!」
ユウスケは慌てて頭を下げる。
「すみません! 与一さんの弓、世界一です!」
与一はゆっくり顔を上げ、何事もなかったかのように穏やかに微笑んだ。
「ふふ……ありがとうございます。少し意地悪がすぎましたね。ノブも、これで満足ですか?」
「まぁな!」
信長は豪快に笑い、背中を叩いた。
「気に入ったぞ、ユウスケ。素直な奴は嫌いじゃねぇ!」
与一が少し首を傾げる。
「ノブと私のことはわかりました。では、あなたは何者ですか? ユウスケどの。」
与一の問いに、ユウスケは苦笑し、肩をすくめた。
「二人の後では恥ずかしいですが……何もなさずにこの世界に来たんですよ。戦でも平和のためでもなく、学問も特には」
信長が片眉を上げる。
「なら、何ゆえ儂の“直筆の手紙”なんぞ知っておる。細川家への書状など、後の世の大事ではあるまい」
「たまたま……ニュース、いや本で目にしただけです。未来では公開された情報はいつでも調べられるんですよ。ほら、このスマホが——」
ユウスケはポケットを探る。右、左、上着の内側。
「ん? ない」
「ユウスケどのの荷物でしたら、身体を運ぶのに精一杯で……置いてきました。すみません」
与一が申し訳なさそうに頭を下げた。
ユウスケはその場に膝をつき、空を仰ぐ。
「スマホぉ……」
「そんなにスマホとやらが大事なのか?」
信長が面白そうに身を乗り出す。
「“ネット”、いや……巨大な書庫にアクセスする鍵なんです。ここじゃ価値は落ちますけど、写真やデータや……それに荷物。やっと買い集めたキャンプ用品が……」
「何を言っておるかサッパリだが、命あっての物種よ」
信長が肩を叩く。重い手だが、不思議と温かい。
「……はい。ところで、倒れていた場所はどこですか?」
「探しに行くつもりなら、止めておいた方がよいですよ」
与一は周囲を警戒しながら言う。
「森は深く、危険です。それに近くに“村”が。下手をすれば村人と接触してしまいます」
「村? 何故、行かないんです?」
「あー、お前はここに来たばかりだ。知らぬも無理はないが、ここは日ノ本ではない」
信長の声が低くなる。
「えっ?」
「彼らは“エルフ”と名乗っていました。言葉は我々と通じません」
与一が続ける。
「エルフ……? 信長と那須与一だけでなく、エルフまで? ただの南蛮人ってことは?」
「南蛮がどんな所かは存じませんが……彼らは色白で金髪が多く、耳がこのように——長いのです」
与一は自分の耳に指を添えて、形を示す。
「耳が長い……少数民族ならありえなくもないけど。言葉は? 音の感じだけでも。地球の言語なら、どこの系統かくらいは……」
「何度か接触を試みましたが、彼らは『☓☓☓』と」
与一が奇妙な発音を再現する。
「ダメだ。分からない」
ユウスケは首を振る。
「幸い、与一がちっとは通じる。が、奴らは麦しか育てとらんらしい。……ったく、米が恋しいわ」
信長がため息をつく。
「米……ないんですか? 僕ら日本人ですよ?」
「ねぇよ。ここ暫くは与一が射落とした鳥ばかりだ」
信長の腹がぐうと鳴る。
ユウスケは黙り、目を伏せ、指を折って何かを数えた。
(確かキャンプの鞄の中……炊いてないから、まだいけるはずだ)
「——米。ありました。僕のバッグに、少しですが」
信長が身を乗り出す。
「まじか。与一! すぐ行くぞ。探せ、徹底的に探し出せ!」
三人の影は、廃城の外へと駆け出した。