生意気少年vsクールお姉さん ――俺と奈々さんの夏休み――   作:朝食付き

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10話 俺とおかしな奈々さん

 

 名古屋から帰ってからしばらくは平和だった。俺は特に予定も約束はなくて、気ままに家で過ごしたり図書館に出かけたりする。夏休み斯くあるべしと言うわけ。そうそう、木崎のことを教えてくれた友達に名古屋土産を渡してきた。俺の行動力と一人前っぷりに何やら驚いていて面白かったな。

 

 木崎とは当然連絡を取り合っている。約束をしたし、それなしでも話していて一番楽しい相手だから。メッセージは毎日飛び交っているし、二、三日に一度は電話だってする。あんまり今日は話すことないかなぁと思っても、声を聞けば話したいことがいくらでも湧いてくるのが不思議だ。

 

 そんな調子で俺はすこぶる好調。なんだけど、気になることが一つある。俺が気にする相手なんて木崎の他には1人しかいない。

 

──奈々さんである。

 

 俺とはうって変わって、名古屋からこの方、様子がどうもおかしい。初めは遠出で体調でも崩したのかと思ったけれど、特に具合が悪そうには見えなかった。本人に聞いても抜群の調子と言われてしまったからあまり食い下がるわけにもいかなかった。

 

 俺の保護者としての役目はいつも通り。掃除は完璧、ご飯も美味しいし、洗濯もシャツがパリッとするまでアイロンがされている。話していてもいつも通り。俺の話を笑ったり呆れてくれたりするし、俺の知らない話や興味をそそるような話がいくらでも出てくる。

 

 でも明らかにおかしい。

 

 掃除中に鼻歌を歌うことは無くなったし、時々スリッパが無印のものになっていたりする。お気に入りのはずの馬がプリントされていないのにも俺に言われてようやく気づく始末。それに、時々すごく深刻そうに考え込んでいる。そんな時俺はどうにも堪らなくなる。

 

 あの表情は俺が奈々さんを部屋に入れないように頑張っていた時にちょっと似ている。木崎がいつの間にか引っ越していてどうしたらいいか途方に暮れていた時にもあんなふうになっていたはずだ。そんな顔を、どうしてか奈々さんが浮かべている。

 

 それを俺はどうにかできるか。

 

 部屋の時、俺の無理矢理な言い訳を徹底的に打ち返されて目が覚めた。

 木崎の時、手紙に書かれた返事を待つって言葉に奮起した。

 

 それと同じくらいインパクトのある言葉を、俺は奈々さんに贈れるか?

 

 分からない。分からないけど、この夏休みで俺は色々な経験をした。かなり大人に近づいたと胸を張って言えるくらい、大事な経験をしたと思っている。なら、その経験を分けてあげればいいのだ。

 

 お昼ご飯の後片付けをしている奈々さんに近づいて声をかける。

 

「あの、この後ちょっと話があるんですけど……」

「うん? どうしたの? いいよ、聞こう。じゃあお茶入れるから少し待ってて」

 

 お茶が必要なくらい長い話になるかは分からない。けど、あっという間に終わるならそれはそれでいい。悩みなんてすぐ解決できる方がいいんだから。

 

 奈々さんが淹れてくれた暖かいお茶がテーブルに二つ向かい合わせに置かれる。まだ飲むのに適した温度ではないから、俺はお茶の礼だけ言う。奈々さんはうんと言ってから、俺に問いかける。

 

「それで、何かの相談かな?」

「はい。どうも奈々さんが困っていることがありそうなので、相談に乗れればと思って」

「……わたし?」

 

 思わぬ内容だったせいか、奈々さんの声がひっくり返った。恥ずかしかったみたいで咳払いを一つ二つしている。

 そしてもう一度、私? と自分の顔を指さす。俺は重々しくうなづく。

 

「別に大したことでないならいいんです。でも奈々さん、最近暗い顔で考え込んでることが多いですよ。前の俺がしてたみたいに、ドツボにハマってるんじゃないかと心配してます。俺は奈々さんにかなりお世話になってますし、借りだってあります。だから力になりたいんです」

 

 別に借りがなくてもですけど、と続ける。

 

「……参ったな、私、そんな風に見えてた?」

「考える人、みたいに深刻そうに見えてます」

「そんなにかぁ……」

 

 困ったように、でもなぜか少し嬉しそうに奈々さんが口元を歪める。これは、どっちなんだろう?

 

「なんだかいつもとは逆になるね」

「奈々さんみたいに上手くできるかは分かりませんけど、聞けるだけ聞きますし、できることは何でもします」

「……私みたいに、か」

 

 ふぅと、すごく疲れた人のため息が奈々さんの口から漏れる。ずっと重いものを背負ってきたようでもある。

 

「私は、そこまで上手くやれていたのかな?」

「それは失礼です」

 

 はっきりって、それは良くない。びっくりした顔の奈々さんに指を立てて指導する。

 

「奈々さんは俺にとってすごい人です。上手くやれてたどころじゃないです。なので、それを否定するなら俺だって奈々さんのことを否定しないといけなくなります。だから、それは良くないです」

 

 パチパチと目を瞬かせる奈々さん。どうだろう、伝わったかな? 俺は奈々さんを尊敬しているってことを言いたかったんだけど。

 

「ええと、つまりですね、俺としては奈々さんが変に自分を下手くそだって言わないで欲しいんです。これ伝わってます?」

「…………うん。ありがとう。ごめんね、ちょっと弱気すぎたかも」

「伝わったならそれでいいです。それよりも、そんな風に言いたくなった悩みを聞かせてください。できる範囲でもいいので。……言えたらでいいので」

 

 俺を見て、お茶を見て、机を見て。視線があちらこちらに飛んでいるのが俺には良く見えた。俺たちは向かい合っているし、俺は結構奈々さんのことを見てきた。見た目はクールで中身はちょっと変だけど、真っ直ぐな人だ。その人が悩んでいることも、俺を信用しているから迷っていることも、分かるのだ。

 

 俺はゆっくりとお茶を飲んでいる。少し熱い。ふぅふぅと冷ましながら少しずつ、時間をかけてお茶を飲む。今日は休みの日。明日も休みの日。夏休みなのだ。いくらでも時間がある。

 

 奈々さんが天を仰ぐ。そして一息。ため息ではなく、区切りをつけるための呼吸だ。

 

「あ〜あ、こんなに短い時間だったのに、キミはすごく成長したね。私と大違いだ。なんでお手伝いさんを勧められたのかも、すっごく納得だ」

 

 なんの話だろう? 俺が成長するのは成長期だから当然だ。おかしいことではない。お手伝い云々は母さんがなんで奈々さんを選んだか、ってことだと思うけど、それこそなんのことかが分からない。

 俺が質問する前に奈々さんが手を突き出す。俺に向かって手のひらを広げて、そして人差し指を口元で立てる。ええと、静かにってこと?

 

「改めて、相談に乗ってくれる? 私の大したことのない、すっごく深刻な話を、聞いてほしい」

 

 真面目な顔だ。でも不安が目に浮かんでいる。これはもしかしたら、今まで俺が、人生で初めて見る、大人の弱さなのかもしれない。

 その重さにちょっとだけ怯みそうになる。でも俺だってすぐに大人になるのだ。これからいくらでも対面することになるはず。なら、こんなところでビビってはいられない。相手が奈々さんであれば尚更に。

 

 ***

 

「勢い込んで深刻そうに言っちゃったけどね、本当に小さなことなんだ、私の悩みは」

「悩みが小さくても、鋭かったら痛いものだと思います。別にそんな風に言わなくても笑ったりしません」

「気を遣ってくれてありがとう。でも多分、キミからするといっそ不思議に思うんじゃないかな……」

「呆れたり笑ったりするつもりはないですけど、びっくりするくらいは許してください」

「いいよ、笑っても。その位軽く聞いて欲しい。あまりキミに悩みを背負わせたいわけではないからね」

 

 別に悩みを背負うことくらいなんでもない。だってそのために俺は筋トレを続けているのだから。

 誰にとっても頼れる人間になること。俺にとっての母さんであり、父さんである。もちろん奈々さんであり、木崎である。俺にとって頼れる人のように、俺もそうなる。そうなりたくてトレーニングをするのだ。見た目にも分かるくらい、頼れる人間になるのだ。

 

 だから、悩みの一つ二つ、軽いものだ。……ということをなんとか言いたかったのに、どうにも俺の口は重くって、出てきたのは、

 

「全然です」

 

 たったそれだけだった。

 

 でも奈々さんはそれで全部わかったって風に、穏やかに笑ってくれた。全く、俺が気を使われてどうするのか。これ以上悩みを抱えさせたくないし、俺に気を遣ってほしくなくて続きを促す。

 

「じゃあ、言うけど、本当に笑ってくれていいんだからね?」

「いいから聞かせてください。聞いてから、笑うかどうかは決めますから」

 

 絶対に笑わないぞと、口を引き結ぶ。これで俺の準備はOK。さあ、いつでも全部受け止めるぞ。

 

「えっとね、私……春からさ、大学に行けてないんだ。不登校ってやつ、かな」

 

 気まずそうに、手元を見つめながら奈々さんが口を開く。俺はそれを聞く。

 

「なんでかは私も分からないんだ。大学の勉強についていけないなんてことはないし、友達だっている。新しいことを沢山知ることができて楽しいと思ってた」

 

「なのに、春休みが終わってから、大学に行こうとしたらね、足が動かなかったんだよね。雨だったから、ちょっとだけ濡れるの嫌だなぁって思って。行くのが面倒になっちゃったんだな。でも今まで私は一度も講義をサボったことなんてなかったし、どんな授業取るか決めるためには聞いてみなくちゃ分からないから。だから行くつもりだったの」

 

「なのに、なのにね」

 

「足が動かなくなっちゃったの。すごく、体が重くって、行きたくないなって思っちゃったの。頭では行かなくちゃって思うし、どれだけ今の時期が大事なのか分かってるのに、足が動かないの。つねっても、叩いてもダメで、結局その日は休みになっちゃった」

 

 奈々さんの視線は手元から動かない。

 

「次の日も、その次の日も。外に一歩でも出ようと考えると、足が止まっちゃうの。不思議だよね、郵便を受け取るために玄関まで行けるのに、大学のことを考えると全部できなくなっちゃうの」

 

 確かに、俺には分からない。奈々さんが分からないことを俺が分かるはずもない。

 

「今は夏休みだからいいの。君の世話するのは楽しいし、気も紛れる。でももう少ししたら終わっちゃうから。そうしたら、私はまた家の中から出られなくなっちゃうんだって。それがね、私の悩み。笑っちゃうでしょ?バカみたいな悩みで」

 

 全部の気持ちを吐き出しただろう奈々さんが、その時浮かべた弱々しい笑顔は、俺が多分、初めて奈々さんへ感じた、見たくないと思う、そんな顔だった。

 

 

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