――先輩、今日は傘を持ってきていますか? 持ってきていたら一緒に帰りましょう。受験勉強頑張ってください。
純一は携帯でメールを確認して簡単に承諾の返事を送ってから、ぱたんと閉じる。もう片方の手には黒い傘をさしている。その耳に入ってくるのはざあという雨音。そして雨が地面を叩く音。その中で彼は黙ったまま、歩いていく。制服を着ているからには学校の中なのだろう。
「今の……七咲さん?」
声を出したのは一緒に純一と傘の中にいる人物。つまり「相合傘」をしているのだ。だが、何故か純一は口を真一文字に引き結んだまま何も言わない。だからだろうか声の主はさらに言葉を重ねる。
「この姿を見たら、嫉妬するかな」
声の主は言う。短く切った黒髪に少し崩した制服の着こなしをしている。その手には何が入っているのか大きな袋をいくつか持っている。それでも純一は何も言わずに歩く。ともすれば今すぐにでも走りだしそうだった。
「二人で相合傘なんて……なあ」
その言葉を聞いた瞬間、純一は堪らなくなった。彼は叫ぶように言う。
「いいかげんやめてくれっ梅原!」
「ああ、やめたかったさ! さっさと反応してくれよ!」
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梅原正吉。彼は橘 純一とは幼いころからの友人である。彼はそれだけでなく、快活な性格からか友人も多く学年内では情報通として通っていた。腐れ縁とも言っていい純一とは現在親友というよりは「男のおたから」を貸し合うという、妙に深い関係になっている。
そんな梅原と純一は相合傘をして歩いているのにはとある理由があった。いや、学生であるのならば誰でも通ることなのかもしれない。今、彼らの学校は全校でいつもの日課ともいえる「そうじの時間」になっていた。
梅原は手に持った大きな袋を純一の開いた手に持たせた。その袋の表面には「燃えるゴミ」と書かれている。つまりこの二人は外にあるゴミ捨て場に向かっているのだ。しかし、あいにくの雨で仕方なく二人で一つの傘を共有しているだけだった。
「しかし、三年になっても橘と一緒とはなあ」
「……それはもう何回も聞いているけど」
「いやいや、水泳部期待の新人といちゃいちゃしている橘にゃあ、俺なんて邪魔じゃないかと思ったんだけどな」
にやりと笑って、ちらりと片目で純一を見る梅原。明らかにからかっている仕草だった。そんなことは長い付き合いの純一にはよくよくわかっている。だから乗ってやるのだ。
「梅原。僕はいちゃいちゃなんてしてないんだっ」
「おおっ? いうねえ。そんなことを信じる奴なんていないと思うがね」
「……ただ今日も一緒に帰るだけで特に変なことはないんだよ」
「ははは。おい橘。傘を俺にくれ。……少し頭を冷やせ」
ゴミ袋を手放してがつっと梅原は傘を掴む。元々持っていたのは純一だから、二人が一本の傘を持っているのだ。仲のよさそうな光景だが、実のところ傘を奪い合っているのである。
純一もゴミ袋を手放して、両手で傘を掴む。ぐぐっと力を入れて奪われまいと抵抗する。もちろんのこと梅原も奪い取ろうと力を入れる。彼の言う「頭を冷やせ」とはつまりは「濡れろ」と言っているのだ。
雨の中、学校の端っこで静かな闘争が行われる。傘の取り合いというくだらないことだが、双方とも顔を真っ赤にしての本気である。お互いの力は拮抗しているからこそ、いい勝負であった。
「ぎぎぎ」
「ぐぐぐ」
変な声を出して陰湿な争いを続行する。負けた方はずぶ濡れにはなるだろう。だからと言って勝者が何かを得るわけでもない。だが、梅原がとっさに力の方向を変えて奪い取ろうとした。だが純一もさる者でそれに反応する。正確にいうと反応してしまったのだ。
傘が勢いよく横に振られる。二人の力の方向が重なって、そのまま全力で地面に叩きつけられた。当たり前だが、雨にさらされた梅原と純一は悲鳴を上げて、傘を持ち上げる。
そこに一陣の風がふいた。それに巻き込まれて黒い何かが飛んでいく。それは傘についていたビニールのカバーである。
「…………」
「…………」
そこには仲良く「傘だった物」をさしている男子生徒がいた。ただ、お互いに無表情である。
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放課後まで雨は降りやまなかった。それどころかだんだんと勢いを増していき、純一が窓の外を見ると、バケツをひっくり返したような豪雨である。どう見ても傘なしでは帰ることはできないだろう。
そして、純一が窓を見ているのにはもう一つ理由があった。目の前にじとっとした目で彼を見てくる一人の少女がいたから眼を合わせることができなかったのだ。
「それで、先輩はなんで傘を持っていないんですか?」
その少女、七咲 逢は両手を後ろで組んで少しむくれた頬で純一に聞いた。先ほど送ったメールで彼が傘を持っていると思っていたところ、持っていないのだ。正確にいうと純一は傘の骨なら持っている。何の役に立つかと言われれば答える術はない。
「い、いや。違うんだよ七咲っ。梅原が悪いんだよ」
「梅原先輩が? よくわかりませんけど……」
七咲はそう言って純一と同じように窓の外を見る。それから口を開いた。ちなみに梅原はすでに雨の中を走り、帰った。
「この雨じゃ……傘がないと帰れませんね」
ふうと七咲は息を吐く。彼女が傘を持っていないのは、今朝は降っていなかったからという単純な理由だった。まさか持っていなければ「持っている人の傘」を使って帰ればいいなどという小さな野望があったとは絶対言わない。雨が降ってきた時にはちょっと嬉しくなったりしたことも言うわけにはいかないのだ。
だが、今の七咲はご機嫌ななめである。当てが外れ、期待が外れて彼女はむすっとしている。それを見て純一も悪いことをしたと思うのだが、彼女の思っていることを覗けるのならそんなことは思う必要もないのかもしれない。
「悪かったよ……そ、そうだ。僕がひとっ走りしてコンビニで傘を買ってくるよ」
「いいですよ、それじゃあ先輩が濡れるじゃないですか……」
「あっ、七咲なら水着持っているから雨でも」
「…………先輩?」
にごおと変な笑い方をする七咲。その妙な迫力に純一はあとじさる。確かに彼の言う通り、七咲は部活終わりではあっても水着は所持している。だからと言ってそれを着て、コンビニまで走るというとそれはもうおかしなことになるだろう。下手をすれば警察沙汰である。
「ち、ちがうよ。た、ただ。僕は……じゃあ僕が着て……。いや、ち、ちがう」
混乱して変なことを言う純一。彼が着れば間違いなく警察沙汰であろう。下手をすればという話でもない。しかし、今の彼の言葉が単なる取り繕いだと分かっている七咲ははあともう一つため息をついて、どうしようかと考え込んだ。下駄箱の傘置きには誰かの「傘」はあるだろうが、勝手にそれを使いたいとは微塵も思わない。
そして先に解決策を思いついたのは純一だった。
「あっそうだ。美也に傘を持ってきてもらえばいいのか!」
「もう帰っているじゃないですか? それにこんな日にまた来てもらうのも……」
「いいからいいから。……まあ、アイスでも奢ってあげるとかいえば来ると思うから」
「……そんな……先輩。二つもアイスを奢るだなんて。大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ!」
そう自信満々に言って、純一は携帯を手に取る。それから妹に電話をしながら、ふと思った。七咲が言った言葉になにか変な物が混じっていたような気がするのだ。
(ふた……つ?)
純一はなんとなく七咲を見た。さっきとは打って変って彼女は口もとをゆるめ、いつものように薄い笑みを浮かべながら純一を見ている。なぜ機嫌が直ったのかは、考えること自体が無粋なのかもしれない。
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純一の妹である橘 美也も最初は渋っていたが、アイスでころりと落ちた。わが妹ながらと純一は思わないでもないが、実際のところ傘を持ってきてくれると助かることには変わりない。
純一と七咲は美也が来るまでの間、何もすることがないので図書室に入った。
廊下とは違い部屋の中は暖かい。七咲はなんとはなしに周りを見る。よくよく見ると、まだ生徒は数人いるらしく。長机に座ってノートを開いて何かを書き込んでいる者や、単に本を開いて読んでいる者もいる。
カウンターを見れば、図書委員だろうか。女生徒が座って何かを書き込んでいる。
蔵書量は中々に多い。壁に沿っておかれた多数の本棚には本がぎっしりと詰まっている。それだけならばあまり特筆すべきこともないのだろうが、ここには「二階」がある。もちろんそちらにも同じように本棚が並んでいる。
「どこでだらけようかな……」
そんなことは関係なく純一は図書館の中でだらけるポイントを探している。七咲は「先輩……」と心中で思うが、実のところ七咲自体も本を読みに来ているわけでもないので、何も言わなかった。ただまたため息をついてから純一の見えないところでくすりとする。
「七咲、あそこに座って待ってようか」
「わかりました」
純一は図書館の奥の方にある、椅子を指さした。だらけるためには良い席なのだろう。ただ、彼も本も持たずに座るのは気が引けるのかちょうど真横に合った本棚から適当に一冊取る。表紙には「アレクサンドロスの生涯」と書かれていた。
分厚い本だが、もしも純一が一人で昼休みにでもここにきていたら、ギリシャ最大の英雄の生涯は「枕」になっていただろう。幸いと言っていいのか、七咲もいることでその危険は少ない。
「先輩……歴史好きなんですか?」
「えっ? 何が?」
「その本、なにか歴史の本ですよね」
「てきとうに取っただけだよ」
「…………」
かくっと肩を落として七咲はこめかみにしわを寄せる、ただすぐに柔和な表情に戻ってこの愛しい「馬鹿な先輩」を見る。とはいっても彼には勉強を教えてもらったこともあるから、七咲はそんなことは言わないし言えない。
兎にも角にも二人は向かいあって机に座る。できるだけ音をたてないようにしているのは、他の者たちへの気遣いだろう。ただ待つためにここに来たから、彼らはなんとなく座ってからは黙りこくったままである。
「…………」
「…………」
お喋りをするにはあたりが静かすぎる。お昼休みなどの時間ならもう少し生徒も多くて、多少の私語も気にならないが、放課後に残っている者たちは何かしらの目的を持っているはずでなんとなくピリピリしている。
それでもこの状況でずっと続くのはつらい。だから七咲は顔をちょっと前に出して、口元に手を添えて小声で話す。桃色の唇が小さく動く。
「先輩……そういえば、この前に作ってきたお弁当……どうでしたか?」
「美味しかったよ!!」
図書室に響く声。ぎろっと幾人かの目が純一に突き刺さり、さらに七咲にも睨まれる。これには流石の彼も冷や汗をかいて「ご、ごめん」と大きな声で言う。それにどことなく釈然としない何かを感じながら、周りの生徒たちは自らの作業に戻った。
ただ、七咲は困ったような顔で彼を見たままだ。少し前に屋上で食事をしたときの約束でお弁当を作った。それを渡した日は一緒に食べることができなかったから、今日改めて感想を聞いたのである。しかしこのような事態になるとは思わなかった。
「まったく……しかたないですね。先輩は……」
「は、はは」
そういう七咲もこみあげてくる笑みをかみ殺している。正直に「美味しい」と言われれば嬉しいに決まっているのだ。お世辞ならばそのような喜びも半減だが、今の純一の言葉には嘘なんて微塵も感じられないだろう。それこそどう疑っても意味はないほどに。
「じゃあ、今度もつくってきてあげますよ」
「ほんぼ!」
純一の口をいち早く手で押さえる七咲。余った片手でわざとらしく指を唇のまで立てて「しぃー」と言う。どうせ大声を出すだろうと先手を打った、様に見えるが実際はどちらでもよかった。要するにじゃれているのだ。
「駄目ですよ先輩。図書館では静かにしないと」
いたずら成功という顔で、七咲はほくそ笑む。それからゆっくりと純一の手から離そうとした。だが、この橘 純一という男を彼女は甘く見ていたと言っていいだろう。彼は何かをされれば報復を考える男だ。以前はドーナツの恨みでスカート捲りを計画したことがある。実行はしなかった。
そういうことで純一が七咲の指を噛む。甘噛みである。
「ひゃ!?」
七咲は思わず飛び上がって奇声を上げる。そこにぎろっと周りの生徒たちから睨み付けられる。さしもの七咲もあわてて両手を胸の前で小さく振る。「違う」というジェスチャーであるが、ここで純一が言う。神妙な顔をして腕を組みながらである。
「そうだぞ、七咲。図書館では静かにしないと」
「…………せ、先輩!」
また七咲は叫んでしまった。意図のわかりやすすぎる純一の行為を無視できなかったのだろう。しかし、それがとどめだったのだろう。
バンとカウンターを叩く音がした。七咲たちを含めた一同は驚いてそちらを見る。すると先ほどまで何かしていた図書委員の女生徒が立ち上がっいた。彼女は七咲と純一を交互に見ると、親指を立てて入り口を指さした。
つまり、出ていけというジェスチャーだろう。
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「それはお兄ちゃんが悪いよ」
もぐもぐとソフトクリームを食べながら橘 美也は言った。
背丈は低いがぱっちりとした瞳が印象的な少女だ。恰好はまだ家で着替えていなかったのだろう、七咲と同じく制服姿である。彼女ははむはむとソフトクリームに齧り付いては、咀嚼する。どことなく猫のようである。
ここはとある、コンビニだった。店内の隅に「休息コーナー」というスペースが設けられていて、買ったものをそのまま食べることができる。テーブルがいくつか並んでいるくらいのスペースだが、コンビニで買った物を食べるには十分だろう。
その一つのテーブルに純一と美也、それに七咲は固まってさっき純一が買った物を食べていた。
「そうですよ…はぐ……先輩が変なことをするからです」
何故かアメリカンドッグに噛り付きながら七咲は美也に同意する。彼女達の言っているのはもちろんのこと図書室での一件である。あの後ほどなくして学校に着いた美也と彼らはコンビニに来ていたのだ。もちろん当初の約束通りアイスを純一が奢るためである。
「い、いや僕も悪かったけど。七咲も美也も食べ過ぎだと思うんだけど」
テーブルには袋が二つほど置かれている。中には詰め込まれたアイスが入っているのだ。無論のこと懲罰的に七咲と美也が買い込んだものである。代金は純一持ちなのは当り前であろう。約束では二つであったが、そもそも約束とは拡大解釈するために存在する。
「そんなことはありませんよ先輩。これで私も図書室に行きにくくなったんですから」
七咲はちょっと膨れ面で言う。ただもぐもぐと食べるのはやめない。彼女の持っているアメリカンドッグも純一の財布から召喚されたものである。アイスは後で食べる。
「そ、そんなこと言っても七咲もあれは」
「なんですか? 先輩」
「うぐ」
七咲にすごまれると妙な迫力がある。それで純一も言葉が出なくなってしまった。しかし、純一も唯で引きさがるのは癪である。だから、彼は七咲の手を掴んだ。そこから一気に引き寄せてアメリカンドックを食べてしまおうとしたのだ。
その前に。
「がぶ」
七咲に手を噛まれた。
更新は二週間後と言ったな、あれはてきとうに書いた。