(チリッ……)
毒霧が肌を焦がす。距離にして十歩以上離れているのにだ。
「ヤバすぎだろ……物理的な瘴気までVR再現とか……」
俺は喉仏が上下するのを抑えきれなかった。現実の戦慄と非現実の没入感が入り混じる。逃げるか戦うか──思考より先に体が動いた。
ダンッ!
踵を返すや否やダッシュ。背後から轟く咆哮と大地を砕く音。振り向きざまに放った一矢は大蛇の眉間を掠めもせず消失。
「やっぱり火力不足! 死ぬ! 死ぬ前にエロ本買っておくべきだった!」
視界には体力ゲージが点滅している。あと数回の被弾でアウトだ。
(今更後悔しても遅い……とりあえず避け続けねえと!)
俺は斜面を利用し円を描くように走り始める。大蛇の胴体は一回り小さいものの、尾の一振りが岩石を粉砕する威力。迂闊に近寄れば圧殺必至。
(くそっ……なんであんなデカい上に速いんだよ!)
絶え間ない回避行動。まるでサバイバルホラー映画のワンシーンだ。VR特有の肉体疲労感が徐々に蓄積していく。
(リアルな汗だな……気持ち悪いけど妙に生々しい)
肺が焼けつく寸前のタイミングで脇道へダイブ。土煙と葉擦れの音に紛れる。息を潜めながら観察に入った。
「ハァッハァッ……どこが弱点だよ畜生ッ」
大蛇は獲物を探してうねる。鱗一枚一枚に微細な凹凸があり宝石のように輝いて見える。隙間はほとんど存在しない。
(まるで重装甲車だぜ……ってかあれに股間挟まれたら間違いなく死ぬな)
ふと浮かんだ卑猥なイメージに自嘲しつつ俺は観察を続ける。
(あの頭部と体幹の接続部分……関節じゃなくて皮膜? しかも妙に薄い感じだ)
それは俺の仕事柄身についた職人視点だった。例えば自動車のボディ溶接部位などは強度計算に基づいて設計されているが、必ず「弱い箇所」が存在する。
「よし……ここだな」
俺の視線が翡翠色の大蛇の眼球へと固定された。黒曜石のような瞳孔は無感情に虚空を睨む。直径三十センチほどのレンズ状器官。
「通常兵器ならまず当たらん位置……だがな」
ボウガンを構えた指に力が籠もる。水平線上に設置されたターゲットのように静止しているわけではない。巨大な生命体の運動に合わせて波打つ動きだ。
(でも動画編集ソフトのAE使ってると慣れるんだよな。カメラワークと被写体の相対速度を計算すれば……)
奇妙な安心感。AV制作で培った視覚的リズム感覚がここで役立とうとは。
パンッ!
初弾は虚しく宙を切る。続けて二射。いずれも外れ。
(当然だ……そもそも弓兵スキル持ってねぇんだから)
ギリッと歯噛みする。大蛇は興味深そうに首を傾げるばかり。まるで嘲笑しているかのようだ。
「クソッ! あいつ……エロゲーの痴漢に無反応な清純キャラと同じ目つきしやがって!」
怒りとともに次の矢を装填。ボウガンの照準が心臓部分で微かに振動する。不安定だ。
(だが根気だけは負けねぇよ……昔ハマったFPSで一日中BOT狙ってた俺を舐めんなよ!)
数分後──
「ハァッ……ハァッ」
既に汗でシャツはびっしょり濡れていた。体温上昇による疲れをVRは忠実に再現する。実在感ある疲労が全身にまとわりつく。
パンッ!
今度は右目に僅かに逸れる。鱗に当たり火花を散らした。
「惜しい……角度を変えた方がいいのか?」
試行錯誤の末、俺は大蛇の背面側に回り込んで仰向けに寝転んだ。地面越しに振動を感じながら狙いを定める。
(エロ本収集で鍛えた持久力がここで火を噴くとは思わなかったぜ)
パンッ! パンッ!
次々と失敗する中で気づいたことがある。ボウガンのグリップを握る左手が妙に安定し始めていた。
(おかしい……最近スポーツやってねぇのに)
俺は息を呑んだ。ボウガンを構える左腕が完全に安定している。震えも迷いもない。まるで精密機械だ。
「だって俺、弓道とかやったことねーぞ?」
パン!
矢が右目の下方を擦過。大蛇が初めて大きく頭を振った。
(なんだこれ……見えている?)
意識せずとも敵の動きが読める。毒腺のある下顎が持ち上がる寸前に回避。次なる踏み込みの重心移動まで「音」のように伝わってくる。
「ナニコレ……怖いんですけど」
今度は左目をかすめる。大蛇が激しく身を捩る。
(ああ……これは確実に見える)
俺の網膜に残像が刻まれる。蛇が目玉を閉じた瞬間の筋肉収縮。瞬きの周期さえ把握できた。
(まるでライブハウスで推しアイドルを凝視して覚える感じだな)
思わず微笑む。するとボウガンがさらに軽くなった。手の延長部分となった感覚。
(だったら……このまま終わらせる)
瞬時に判断。大蛇が巨体を反らせて威嚇するタイミングを狙う。逆さになった頭頂部。そこに唯一露出した柔らかい粘膜がある。
パンッ!
鉄矢が閃光のように飛び──ズブリと音を立てて突き刺さった。
「ギャァアアアアッ!!」
壮絶な断末魔が山林全体を震わせる。血液ではなく光粒子が噴出し、大蛇の巨体が崩れ落ちていく。
光の粒子が降り注ぐ中、俺は放心状態で膝をついた。
「や……やっべぇ……これ本当のVRゲームなのかよ?」
全身の筋肉が悲鳴をあげる。脳内のアドレナリンが急速に冷めていく。しかしそれでも奇妙な充足感があった。まるで十年越しに大人買いしたエロDVDを観終わった時のように。
(やべ……この快感って中毒性あるんじゃね?)