それから、しばらくして。
エルは、大勢の子供たちに取り囲まれていた。
子供たちは、旅芸人であるという彼女に珍しい話をせがんだり、芸や歌をねだったりとあわただしく、その声は途切れることがなかった。
エルもおだやかな表情で、なにくれとなく子供たちの希望に応えている。
だが、その人の輪に、ひとり加わっていない少年がいた。
土壁の広間の、子供たちから離れた壁に背をもたせて、細められた鋭い目でエルの様子をうかがっている。
一人で生きていくことの難しい孤児、というにはやや年長で、エルと同じくらいの年齢。
そして服装も、孤児たちとは違い、長旅に適したゆったりとしていながら動きやすいものだった。
左目が、奇妙に無機質な光を帯びている。
その視線に気づいているのかいないのか、エルは子供たちの作ったお手玉を手にとって、軽やかに両手の間を行き交わせていた。
子供たちから、また歓声が上がる。
と、そこに、出入り口にかけられたむしろをめくって
「こらこら、いつまでも姉さんを困らせるんじゃない――長旅で疲れてんだから。エル、ちょっとこっちで料理を手伝ってくれよ」
子供たちから一斉に抗議の声が上がるが、香澄が腰に手を当ててひとにらみすると、砂山が崩れるようにさあっと逃げ散っていった。
とはいっても、怯えた様子ではなく、むしろ逃げることを楽しむ様子できゃあきゃあと叫び声を上げているが。
エルは微笑んで、ゆっくりと立ち上がった。
手招きする香澄について、エルがむしろをくぐると、そこは夕焼けに赤く染まる空の下だった。
屋根があるのは寝るためだけで、煮炊きをはじめとする仕事は外で行う――村では珍しくもない、一般的な家の作りだ。
いま彼女は鍋を三つの石の上に置いて下に
食欲をそそる香りが、ふわりと風に漂った。
エルが、何を手伝うのかと探している様子で視線をさまよわせていると、香澄が苦笑してぽんと肩を叩いた。
「そんなにきょろきょろしなくても、特にしてもらうことなんてないよ。あんたも疲れてるだろうから、ちょっと休んでもらおうと思っただけさ」
「そうですか、ありがとうございます。でも、わたしなら大丈夫ですよ」
「ま、無理はしないことさ。無理をして倒れたら、元も子もないし、他人だって余計な手間を背負い込むことになるからな」
「――そうですね」
どこか懐かしそうな表情で、エルがうなずいた。
火を扇ぎながらふと目を細めて、香澄は少女の表情を見上げた。
鳥たちも家路を急ぎ、遠く鳴き交わす声だけが風の中に聞こえた。
家の中からは子供たちが、こっそりと顔をのぞかせては待ち遠しそうな目でエルや香澄を見て、またぱっと隠れてしまう。
ゆるやかな吐息が、エルと香澄、ふたりの唇からこぼれた。
そしてしばらくして。
子供たちの姿を追いかけて、家の中を見るともなく眺めていたエルが、ふと思い出したというように口を開いた。
「そういえば、子供たちのなかにひとり、ちょっと雰囲気の違う人がいたと思うんですけど。
「ん――ああ、あいつか。鋭いな、そのとおりだよ」
軽く、香澄は肩をすくめた。
「ちょうど今日、村にやってきてね。泊めてくれたって、
「やっぱり、そうだったんですね。すいません、そんな忙しいときにお世話になって」
「気にするなって、あんたは子供たちともよく遊んでくれるしな。あいつとはえらい違いだよ」
ぽんぽんと、香澄が言葉を並べ立てる。
批判ではあるものの、陰口というほどの暗さは彼女の口調には含まれていない。
エルも困ったような表情を浮かべてはいるが、彼女の明るさにさえぎられてか、ことさらに異議を唱えはしなかった。
そこでちらりと、周囲に視線を走らせて、香澄が声をひそめてささやいた。
「――知ってるか? あいつの右手、機械なんだぜ。冷たい鉄とカラクリでできた」
事前に知っていた様子はなかったが、エルは、さほど驚いた風ではなかった。
やや痛ましげな表情で、ゆっくりと答える。
「いえ、気づいてはいませんでしたけど。でも、そういう話を聞いたことはあります。戦争で怪我をした人は、機械の義手とかをつけることがあるって。
普通の手ではできないことができたりもするっていうことで、怪我でなくても自分から手術を選ぶ人もいるらしいですけど」
「ったく、若いのに物騒だね。あんたと同じくらいの歳だろ、あいつも」
放り投げるように、香澄が言った。
片手間に鍋の様子を見て、軽く風を送る。
エルの表情は変わらず、唇からぽつりと言葉がこぼれた。
「戦争のためなんかで、そんなことをしないですむような世の中だったら、いいんですけど」
「まあな……でも、こんな時じゃ、なかなかね」
「そう、かもしれませんけど――あ、でもそういうなら、香澄さんもですよね」
はっとして申し訳なさそうに、エルが身を小さくした。
「サムライの人も、強い力を持っているから、戦いとかばかりしていると思っていました。香澄さんみたいな人もいるんですよね。
サムライさんには、前にも会ったことがありますけど、その人もちょっと変わっていたけどいい人でした」
どこか歌のようにも聞こえる、透き通った声が、風に乗って流れた。
エルの声を耳にして、香澄はどうしてか、言葉を返しかねているように見えた。
わずかにいぶかしげな顔で、エルが香澄を見つめた。
「香澄さん?」
「あ……ああ」
「わたし、何か悪いことを言ってしまいましたか? ごめんなさい」
「いや……ただ、もう飽きたってだけさ、人を殺すことに。
だからこんな村で、ちょっとは人助けになりそうなことをしながら、細々と暮らしてるんだ。戦いの話を思い出させられると、ちょっとね」
「すいません、気づかなくて」
しゅんとした表情で、エルが謝った。
言葉を返そうとして、返せない、というようなおぼつかない顔で、香澄もたたずむ。
そのまましばらく、沈黙が続いた。
ことことと鳴る鍋の音だけが、あたりを揺らした。
「ご飯まだー?」
「おなかすいたよ」
「お姉ちゃん、遊んで!」
静寂を気にしてか、単に頃はよしと思っただけか――ふたりの気詰まりな沈黙を破ったのは、転がり出てきた子供たちの陽気で騒がしい声の連なりだった。
くるりと振り返った香澄は、先ほどまでの顔が嘘のように、明るく叫んだ。
「だから、おとなしく待ってろって言ってるだろ!」
きゃあきゃあと叫びながら、子供たちが逃げていく。
彼らに向かって大袈裟に腕を振り上げてみせながら、香澄はこっそりと、エルに苦笑を向けた。
「まあ、そんなこんなで、ここにいるわけさ――あたしはけっこう気に入ってるよ」
「――ええ」
エルは、こっくりとうなずいた。