天羅万象・零 真なるサムライの詩   作:白水つかさ

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第五話 村長と香澄

「なあ……なんだあの、逆戸(さかと)の名代がなんたらってのは」

 

 額の汗をぬぐって、香澄(かすみ)がエルに問いかけた。

 ふたりとも畑仕事に精を出しているが、その合間に雑談をするのも、むしろ単調な作業の退屈を紛らす常道と言ってもよい。

 子供たちも彼らなりに手伝いつつも、物珍しい式に近づいてみたりエルに話しかけたりと、小鳥が飛び立つようにあわただしかった。

 

 (ひびき)はといえば、ひとり木陰(こかげ)で手を頭の後ろで組み、目を細めて畑を眺めていた。

 当初は文句を言っていた香澄も、式は永遠に存在するものではなく、生み出し直すたびに気力を消耗するのだと言われて、渋々ながらも彼本人が休息していることを見過ごさざるを得なかった。

 

「サムライ同様に、式も持続時間に制限がある。どちらも陰陽術、紗を操るすべなんだから、当然だけれど。

 きみはサムライを発動させて畑仕事、なんてことはしないから大丈夫だろうけど、こちらは式を使っているんだから、ぼく本人は休息が必要なのさ」

 

 そんな響の科白に、香澄が引き下がった様子を思い出したのか、エルは少しためらいがちに微笑して言葉を探した。

 

「逆戸というのは、東のほうにある大きな国の名前です」

「まあ、名代っていうからにはそうだよな。その国の名代、親玉がどうしたってのさ」

「その国の名代さまが、近くの小さな国のお姫様が美人だという噂を聞くんです。それで半分脅しみたいにして、お姫様を差し出させるんですけど」

 

「で、なにか、正義の味方でも出てくるって?」

「いえ……お姫様のことを、国のご両親とかおつきの人たちは美人だと信じ込んでみんなで言いふらしていたけれど、実際はそうでもなかったというか、少なくとも逆戸の名代さんの趣味には合わなくて」

 

 いささか衝撃を受けたような表情で、香澄がぽかんと口を開けた。

 こほんと咳払いをして、言葉をつなぐ。

 

「ああ、まあ、あれか。あばたもえくぼとか親馬鹿とかっていう奴だな」

「でもお嫁に来てしまったことは来てしまったので、いろいろと大騒ぎになって……最後はそれでも、幸せになるんですけど」

「そりゃよかったことで」

 

 どこか余所に注意を奪われているような気のない調子で、香澄はうなずいた。

 エルも、いちど容貌の話をしたこともあるためか微苦笑を浮かべていたが、暗い影はただよわせていなかった。

 ひとつ息をついて、説明をしめくくる。

 

「そういう、お話です。本当にあったことかどうかは知らないですけど、絵草紙とかお芝居とかになっていて、知っている人は多いみたいですね。わたしも――」

 

 言いかけて、エルは口を閉ざした。

 彼女自身が誰にそれを聞いたのか、それとも自らが演じたこともあるのか。

 切なそうな彼女の表情に、だが香澄は気づいた様子もなかった。

 その間にひとつ息をついて、まばたきをして、エルは目を上げた。

 

「香澄さん?」

「あ? ――ああ」

「でも、どうして響さんはそんな話のことを言ったんでしょう。美人だって言いふらしたわけでもないですよね」

 

 エルの声は、なかばは自分の気を引き立たせるためのように、冗談めかされたものだったが――香澄は、ぶっきらぼうに視線をそらした。

 

「――さあな。まあ、わけのわかんない奴さ、ああは言ったけど早く出て行ってもらったほうが結局は安心だったかもしれないね」

 

 その様子に、エルが言葉を返そうとする。

 だがそのとき、彼女はふと何かに注意を引かれたように、遠くへ視線を投げた。

 つられて、香澄も彼女の見ている方向にいぶかしげに目を向けた。

 

 

 エルが見ていたのは、村の中心の方角。

 そちらから、顔に深い(しわ)を刻んだ壮年過ぎの男性が歩いてきていた。

 式の姿や、あるいは自分の作業に気を取られていた子供たちもひとりひとりとその男性に気づき、未知の人物に対する警戒心ではないようだが、ややいぶかしげな目を向けていた。

 まったく様子を変えていないのは、ただ黙々と、動作の音すらもさせずに作業を続ける式だけだった。

 

「村長?」

 

 香澄が言って、男性のほうへ歩み寄ろうとした。

 村長と呼ばれた男の表情は、ひどく深刻そうなものだった。

 

「あの化け物みたいな奴のことなら、心配しないでください、村長が泊めてやれって言った響とかいう奴が呼び出した式神ですから。

 とりあえず悪さはしないみたいですし、どっちにしろ、すぐ出て行かせますよ」

 

 苦笑してみせた香澄に、だが村長は渋い表情でかぶりを振った。

 かたわらで心配そうな目を向けているエル、あるいは目を丸くしている子供たちには気づきもしない様子で、香澄ひとりを見据えて彼は言う。

 

「いや――そういうことではない。そなたらの畑でおとなしく働いているものなら別に気にせぬし、いずれにせよ、この際それはどうでもよい」

「……はあ」

「いやむしろ、あの少年が式を呼ぶことのできる陰陽師だというなら、もっけの幸いと言えるかもしれんが」

「何を言ってるんです、村長?」

 

 半ば自分の考えをまとめるためのように、口の中でつぶやいている村長に、香澄はいぶかしげに問いかけた。

 彼に酔っている様子はなかったし、むろん精神の均衡を失したような気配もなかった。

 ただ、なにかひどく重いものを背負っているような様子が、表情と仕草のはしばしにただよっていた。

 

「この村に……野盗どもが目をつけたようでな」

 

 その言葉に、香澄がはっと息を呑んだ。

 小声であったために、少し離れた子供たちには聞こえなかったようで、彼らはいぶかしげな顔をしている。

 エルの耳には届いたのか、彼女は香澄と同じように衝撃を受けた気配だった。

 香澄たちが何か言うよりも先に、村長は言葉を続けた。

 

「しかもその頭目は、サムライ崩れであるという。すでに近くの村が、いくつも押し入られ荒らし回られたらしい」

 

 深刻な内容を口にしながらも、そのことで担いでいた重荷を下ろし得たというように、村長の表情は若干ながらむしろやわらいだものになった。

 むろんその分だけ、香澄の表情は重苦しいものとなったが。

 

「サムライ相手では、若者衆など手も足も出せなかったという。だが幸いにも――この村には、そなたがおる」

「……」

「この村を、守ってほしい。このようなときのためにそなたを、と言うつもりはないが、村が荒らされてはそなたと子供たちも困るであろう」

「それは……そうですが」

 

「むろん盗賊すべてをひとりで倒してくれなどと、無茶なことを言うわけではない。

 いや、あるいはサムライ殿ならそれも容易いことなのかもしれんが、同じサムライを相手にしつつ雑兵にも目を配っていただくわけにも参らぬ。

 こんな時代だ、我々にも戦う覚悟も武器もある、いまさら確認するまでもなかろうが」

 

 青ざめていた香澄の頬に、ようやく血の色が戻ってきた。

 かすれていた声を、喉をひとつ鳴らして落ち着けてから、彼女は仕方がないと言いたげに嘆息した。

 

「分かってますよ。あんたは立派な村長だ」

「野盗どもとは、戦ってみせる。だが、無念ながらサムライに勝てるとも思えん、ゆえにその頭目だけは斬ってほしい」

「そう、それが……サムライって奴ですからね」

 

 肩をすくめ、香澄が両手を少し持ち上げる。

 袖が重力に従って垂れ、文様を彫り込んだ両の腕が肘のあたりまであらわになった。

 村長と、それに事情はまだ飲み込めていない顔ながら重苦しい雰囲気にうたれて不安げだった子供たちの顔に、かすかにだが安堵のような気配がよみがえった。

 

「ま、そういうことなら、承知しましたよ」

 

 エルが、ちらりと彼女の横顔に視線を送った。

 それにも気づかない風で、香澄は腕を下ろした。

 微笑んではいるが、さすがに緊張しているのか平板な声で、香澄は言葉を付け加えた。

 

「けどまあ、まだ来ると決まったものでもないでしょう。あたしだって、相手がサムライっていうなら五分と五分――

 少なくともやってこないなら、こっちから手を出して丁半博打をわざわざ打つ気はないですよ」

「ああ、それはそうだ。が……その望みがあるかどうか。幸か不幸か、この村が割合に豊かであるということは、奴らにも明らかだろうからな」

「分かってますよ。そのときは――しょうがない」

 

 香澄は苦笑して、くるりと村長に背を向けた。

 その姿を見届けて、村長はひとつ息をつき、重たいながらも落ち着きを取り戻した足取りで道を引き返していった。

 エルの視線が、彼と香澄、そして響と子供たちの姿を追ってさまよう。

 

「さて、と……おーい、みんな! ちょっと集まってくれ」

 

 香澄の大きな声が、静まりかえった畑に響き渡った。

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