天羅万象・零 真なるサムライの詩   作:白水つかさ

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第七話 本当のサムライ

 虫の声が、星空に吸い込まれる。

 

 夜の草むらに伏せて、香澄(かすみ)はじっと野盗の様子をうかがっていた。

 陣立て、というほどしっかりとしたものではないが、彼らは野営のような幔幕(まんまく)を張り、篝火(かがりび)を焚いて酒宴に興じていた。

 見張りが立てられているということはないものの、単純に起きて目を開いているというだけでも、彼女の行動の妨げとなることは確かだった。

 

 がさりと草を揺らして、香澄は身を前へ進めた。

 うつぶせた低い視線からでは、どうしても視野が限られ、頭目であるというサムライがどこにいるのか、あるいは眠っているのかを見て取ることはできなかった。

 舌打ちをして、香澄はいま一度腕で体を前へ引きずった。

 

 そこに、サムライはいた。

 喉の奥が見えるほどに口を開け、浴びるように酒を流し込んでいる。

 むろん、草むらに隠れている香澄の眼前に突如現れるはずもないのだが、あたかも酒盛りの場に不意に引き出されてしまったと感じさせられるほどに、巨大な存在感を持ってその姿は火明かりのなかに屹立していた。

 

 がさりと、香澄の狼狽が草を揺らした。

 さすがに官吏にも追われる身とあって、素早く反応して野盗たちが刀を抜いた。

 

「何者だ!」

「出てこい!」

 

 統制などはうかがえないながら、大声で彼らは叫び立てた。

 吐息と共に、動揺を飲み下し、香澄は思い切って立ち上がる。

 長脇差を握りしめ、きっと盗賊たちをにらみ据えた。先ほどまでは邪魔としか思えなかった篝火が、今は若干ながら彼女の助けとなった。

 赤々と照らし出された彼女の刺青が、野盗たちの動きを止めた。

 

「高樹のサムライ、香澄だ! 雑魚に用はない!」

 

 よく通る声で叫び、駆け出すと、うろたえたように男たちが後ずさり、道が開けた。

 自らの頭目がサムライであるだけに、その実力に対しては抜きがたい怯えがあるのだろう。

 刃を水平に構え、腰に据え付けたように固定して、体ごと打ち当たるようにして彼女はサムライへと襲いかかった。

 

 香澄には、何が起こったのか分からなかった。

 

 気がつくとあおのけに大地に転がっており、手はじんと痺れ、長脇差は折れ飛んで刃と柄がばらばらに散らばっている。

 そして炎を背景に、サムライが立ち上がって彼女を見下ろしていた。

 

「何故、サムライを使わない?」

 

 いぶかしげな声で、彼が言った。

 香澄は力の抜けてしまった足の代わりに、手で身を引きずってなんとか距離を取ろうとした。

 そこに腕――太く、そして文様が刻まれ(オウジュ)の埋め込まれた腕が伸びてきて、ぐいと彼女の胸ぐらを掴みあげた。

 

 息が詰まり、香澄は苦しげに咳き込んだ。

 香澄の視界が、ぼうと揺らいだ。

 その鼻先に、傷だらけの男の顔が突き出され、牙のような犬歯を剥きだして嘲笑った。

 先ほどまで何を喰らっていたのか、生臭い吐息が彼女の鼻を刺した。

 

「……違うな」

 

 その口が動いて、吐き捨てるように言葉を発した。

 

「匂いが違う。サムライではない。生まれたときから自分自身に演技をしているような、鼻持ちならない気取り屋だ――偽サムライか」

「違う――」

 

 とっさに、香澄は否定の言葉を返そうとした。

 その襟首を放し、地響きがするほどに強く大地を踏みしめると、男は野太い気合を発した。

 (ひびき)が式神を呼び出したときにもやや似た、人間のものとは思えないような叫び声、あるいは物音が大気をつんざき、一瞬のうちに男の姿は異形へと変じていた。

 

 それは確かに、先ほどまで人間の姿をしていた。

 いや、今でも四肢があり頭があるという意味では、紛れもなく人間のようではある。

 だがその手足は異様に節くれ立ち膨張し、大樹を削りだした阿修羅像のようであった。

 肩や肘、膝からは珠を付け根にして突起が伸びているが、それもまた装飾などではありえず、甲冑をも引き裂くような天然の武器なのだろう。

 

 香澄は、目をそらすこともできず、無駄と知りながら距離を取ろうともがくだけだった。

 

「これがサムライだ。見たこともないのか?」

「なっ……」

「偽サムライ。ただ殺すのではつまらんな。騙りの罪をたっぷりと刻み込み、嬲り殺してやろう。――真のサムライが何であるのかも知らない、愚かな女よ」

 

 男の腕が、大気を引き裂くように伸びてきた。

 香澄は絶望して、きつくまぶたを閉じることしかできなかった。

 

 

 だが、

 

「待ってください!」

 

 透き通った声が、不思議と野盗たちの喧噪すらも越えて、彼女の耳に届いた。

 呆然として、香澄は声のした方向を振り向いた。

 

 篝火に照らされ、そこに凛と立っていたのは、別れたはずの少女だった。

 

 その瞳は悲しげではあるが、怯えてはいなかった。

 しっかりと視線をサムライに向け、なにかを語りかけようとしている。

 彼女にいったい何を感じてか、群がる野盗たちも近づきかねているようだった。

 

「何を待てというのだ。小娘」

「香澄さんを、放してください。それに、村を襲うなんてよくないことです」

「ほう?」

 

 いっそ興深げに、サムライは言葉を投げた。

 

「俺の楽しみを止めろというか。ならば何を代価とする? ただやめろと言われて、聞き入れられるはずもあるまいが」

「それは――」

 

 エルの声が、躊躇(ちゅうちょ)に揺れた。

 香澄はこんな時だが、いぶかしげに首をかしげた。

 

 少女の声にあるものは、躊躇、あるいは迷いの気配であって、怯えではない。

 しかし客観的に見れば、サムライはおろか野盗のひとりにも取りひしがれそうな可憐な少女が、武器も持たずに彼らの眼前に立って、怯えずにすむとも考えられなかった。

 その疑惑は、サムライもまた持ったようで、太い眉を跳ね上げた。

 

「何を迷う? しかも怯えてはいない。この状況が理解できていないわけでもなかろうにだ。何故だ?」

 

 エルは、答えることができないようだった。

 額にはふわりと布が巻かれていて、オニであることは盗賊たちには明らかになっていないが、オニとはそれほどまでに強いのかと香澄は思った。

 だが、それならば行き倒れることもなかったはずだとも考える。

 

「まあよい。サムライの力を知った上で、なお怯えぬは理由は知らず好ましいもの。そして理由は太刀で聞こう」

 

 男は刀を抜き放つと、エルに向かって足を踏み出した。

 反射的に、香澄は止めようと手を伸ばし――その腕に、灼けつくような激痛が走った。

 サムライの太刀が突き刺され、そして瞬間のうちに引き抜かれたのだと悟るまでに、一瞬の間が開いた。

 サムライは、彼女に目を向けてもいなかった。

 

「邪魔をするな。貴様は後でじっくりと苛んでやる。真のサムライが何であるかも知らぬ騙りよ」

 

「――違います!」

 

 硝子の剣のようなエルの声が、男を打った。

 彼女は悲しみ、そして戦おうとしていた。

 刀を振るうよりも鮮烈に、彼女は言った。

 

「わたしは、ほんとうのサムライの人に会ったことがあります。その人は――」

 

 少女の白い手が、額の布をかなぐり捨てようとするかのように、ぴくりと上がった。

 しかしそれは行動には移されず、エルは一瞬、言葉を探すように息を留めた。

 もっとも、それは一呼吸にも満たない間。

 

「何の縁もない私たちを守って、一緒に戦って、悩んだり苦しんだりしてくれました。本物のサムライの強さっていうのは、そういうものなんだと思います――

 だから、香澄さんはほんとうのサムライです」

 

 野盗たちに、押しつぶされそうなほどに取り囲まれながら、エルはきっぱりと言った。

 男の肩に、太い血管が浮き上がった。

 

「――くだらんな」

 

 吐き捨てると、男は黒い風のようにエルに襲いかかった。

 その動きは、香澄には見て取ることもできなかった。

 

 だが――澄んだ金属音が彼女の耳に届き、はっと息を呑んだときには、男の刀は折れて飛び、サムライはあたかも先ほどの彼女自身のようにあおのけに大地に転がっていた。

 

「なっ……」

 

 呆然と、折れた太刀の柄だけを握りしめながら、男が言った。

 

「何だ、貴様は!」

 

 少女の白くしなやかだった右手が、今は異形へと変じていた。

 闇そのもののように黒く、甲冑のような光沢と鋭角の輪郭をもってはいるが、一方で継ぎ目などはまったくなく生物のなめらかな動きを見せる。

 よく見れば彼女の背や足も、どこか輪郭が(にじ)んだようにぶれぼやけていた。

 

「わたしにも、分かりません。けど……加減も、できないんです。お願いです、もうやめてください」

「ほざくなっ!」

 

 エルの声に、からかうような気配はまったく無かったが、サムライとしてみれば嘲弄されたと思っても無理はないだろう。

 男は激昂して、折れた太刀でなおも襲いかかろうとした。

 

 

「――なるほど、ね」

 

 その眼前で、ぽんと白い煙がはじけ、男は思わずたたらを踏んだ。

 草を踏む軽い音がして、歩み出てきたのは、昼のうちに立ち去ったはずの少年、響の姿だった。

 その声はエルにかけられたものだったが、不安そうな彼女の視線には気づかないふりで、彼は香澄に冷静な目を向けた。

 

「本当は、子供たちを見捨てて逃げたりはしないかと、疑って見に来ただけなんだけど。

 まさか本気でサムライに向かっていくとは、いささかお人好しすぎるね――もっとも僕も、人のことは言えないようだけど」

 

 細い肩をすくめ、響は薄く笑った。その微笑からは、皮肉な色はうかがえなかった。

 

「まずは、君の怪我を治しておこうか。大したことはないようだけど、ここで死なれると誰に恨まれるか分かったものじゃない」

 

 響が機械化された右手を振ると、小さな、だが明らかに式の誕生と分かる叫び声とともに、薄ぼんやりとした輪郭の球体が現れた。

 それは風もないのに地面を転がり、倒れている香澄のもとへと近づいてくる。

 思わず香澄は後ずさろうとして、腕に走った激痛に顔をしかめた。

 エルがはっと声をあげたが、己の異形のせいか、駆け寄ることをためらっているようだった。

 

「ああ、怯えなくていいよ、害を為すようなものじゃない。君に憑依して、それの持っている回復能力を君に分け与える、それだけの式だから」

 

 その言葉どおり、式は香澄の体に溶け込むように消え、何の痛みももたらさなかった。

 むしろ響が言うように、傷が自然にはなし得ない早さで癒えていく。

 

 そして彼は、サムライへと視線を向けた。

 

「さて……それじゃあ、次は君かな」

「子供ばかりがちょろちょろと!」

 

 いささか激した風で、サムライが吠えた。だがそれには、響は軽く肩をすくめただけだった。

 

「真のサムライのことも知らない、と人を評したのは君だったと思うけれど。

 僕は、陰陽師と名乗るつもりはないにしても、陰陽の術を使う身だ――それがどういうことか、分からない?」

「何が言いたい?」

 

「サムライというのも、式の一種だ、ということさ。

 式を紙に描いて誰でも気力さえあれば使えるようにしたものが式札であるように、式を人に描いて君のような、陰陽術を知らない人にでも使えるようにする。それが君の文様だよ。

 君も、サムライにしてもらうときは陰陽師に金を積んだはずだ」

「……」

 

「そして、君にその力を与えているサムライ変化が、すなわち式の発動である以上――式によって破壊することもできるのさ。陰陽の術を心得ていれば、それほど難しいことじゃない」

「……抜かせ!」

 

 叫ぶと同時に、危険を響の言葉からというよりはなかば本能的に察知してだろう、サムライは折れた刀を振りかざして襲いかかった。

 香澄は、はっと息を呑んだ。

 折れ飛んだとはいえまだ刀身の半ばを残した刀は、少年を斬り倒すには十分すぎる武器に見えた。

 響は、避ける様子も見せなかった。

 

「遅いよ」

 

 そんな言葉が、風に流れ、目にもとまらぬ早さで印を切った彼の右手が、冷たい輝きとともに顔の前にかざされた。

 再びの叫びとともに、新たな式が具現化する。

 

 それは男の攻撃を受け止め、玻璃(はり)のように砕け散った。

 その間に、響は一足ではいかなサムライでも届かない距離に後退している。

 

「早打ち――一瞬一秒を争う戦いの場で、体力自慢の連中に斬られないためには、このくらいの芸は必要なのさ。僕の術は、陰陽師が言うような芸術じゃなくて、戦うための力だからね。そのために、この身を機械化だってした」

 

 そして薄く、彼は笑った。

 

「じゃあ、君にも……偽サムライになってもらおうか」

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