「・・・ほら、起きて、聞こえてる?」
かすかに聞こえる声によって、自分は目を覚ました。おぼつかない意識の中で顔を上げてみると、彼女がこちらを覗いている。
長い銀の髪で、透き通った青い瞳──まるで興味のないものでも見ているかのような目つきで、こちらをじっと見つめている。
「・・・ネオ?なにか話でも?」と、自分ははっきりとしない意識の中でそういった。青空を背景に立っている彼女を見ながら。
「もうみんな帰っちゃったよ」と彼女は言った。
一瞬自分は何を言われたのかよくわからなかった。ハッと気がついて周りを見渡してみると、教室には彼女以外、誰もいなかった。
「俺、そんなに眠ってたの?いつから?」と自分はネオに聞いた。
「五限の中盤あたりから」とネオは言った。「ずっとうつらうつらしてて、授業の最後の方は完全に眠ってた」
「そうだったんだ・・・」
自分は脱力して、再び机にもたれ込んだ。そんな自分をお構いなしに、彼女はバッグを持ち上げて肩にかけた。彼女の髪の毛がわずかに揺れた。
「じゃあ、今日の放課後、約束通り来てね」とネオは言った。
「え、なにが?」
「私と映画見に行くって約束したでしょ?忘れたの?」
「ああ、そうだった・・・駅近くのコンビニだったよね、待ち合わせ場所。家に帰ったらすぐ向かうよ。」
自分がそう言うと、彼女は「うん。じゃあ」とだけ言って、すたすたと教室を出て行ってしまった。
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ネオはコンビニの前で飲み物を飲んでいた。黒いパーカーを着ていて、ヘッドフォンを首に掛けている。学校で見かける制服のネオとは一風変わった雰囲気の服装に少し驚きながらも、彼女に近づいて声を掛けた。
「服似合ってるね」と自分は言った。
「君もね」
ネオは特に表情を変えることなくそう言った。
「制服じゃないの?こないだは制服着てなかった?」と自分はネオに聞いた。
「こないだは同級生に見られたから」とネオは言った。「それ以来、外出する時に安易に着ないって決めた。なんだか、嫌だったから。」
「そうなんだ」と自分は言った。「それじゃあ、行こうか」
そうして自分たちは映画館に向かい始めた。平日の夕暮れ時だからか、制服姿の学生たちがちらほら通り過ぎていく。どれもみたことのない学校の制服だった。
「映画館にはいつも一人で行ってるの?」と自分はネオにそう聞いた。
「うん」と彼女は言った。「私の観たい映画に興味を持つ人が、周りには君以外いないからね。レンタルショップとかで借りて、家で一人で観るときもある」
ネオは淡々とそう話した。こちらに目を合わせずに、下を向いて歩きながら。街は人通りが絶えなかった。
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「君って、その作家さんの本よく読むの?」
ネオに初めて話し掛けられたのは、つい最近のことだった。
学校の朝読書の時間が終わった後、彼女が突然話しかけてきた。自分は驚いて、初めは人違いかと思ったほどだった。それ以前では、彼女と話し合ったことはおろか、話し掛けられたことはなかったから。
その時までの彼女の印象は、物静かで、あまり話をするような子ではない、というものだった。いつも1人でいて、何か考え事をしているようだった。話し掛けてもそっけなく、必要な会話以外はほとんどしない。けれども気が弱いというわけではなくて、意志の強さを感じる時はあった。無愛想というわけでもなくて、話しかければ二、三の返答は返ってくる。学校の活動にも積極的に参加している彼女を見たことがあった。けれどもどこか近寄りがたい雰囲気を纏っていた。時折騒がしくなる学校の教室の隅で、特に表情を変えずに本を読んでいる彼女の姿が、自分の頭の片隅にあった。
彼女はサブカルチャーについて非常に関心があった。自分が知らない本の知識をよく知っていたし、映画や音楽にも造詣が深かった。特に音楽はよく聴くそうだった。たしかに、学校の休み時間に、一人イヤホンをしながら、音楽を聴いている彼女を見かけたことがあった。
自分たちは次第に打ち解けていって、休み時間以外にも、登下校の時間などに話すようになった。自分は特別話し上手というわけではなく、趣味の合う友達もいなかったから、自然ネオと話すことが多くなった。彼女は時折笑顔になって、それが印象に残っていた。
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映画館まではかなりの距離があった。そのため会話が途切れて沈黙が続く時もあったが、自分はそれほど気まずい思いはしなかった。ネオもそんな些細なことはお構いなしに、ただ目の前の道を淡々と歩き続けていた。
「私は他人と関わるのが苦手だから」と彼女は長い沈黙の後にそう言った。「だから、周りの人に嫌われてるんじゃないかな、って」
「そう?俺の周りにはそう感じてる人はいないと思うけど」と自分は言った。「どちらかというと、不思議な人というか」
「・・・私って、そんなふうに見られてるの?」
ネオは自分の方に顔を向けてそう言った。眉をひそめて、極めて疑問だ、という風に。
「多分だけど・・・」と自分は自信がなくそう言った。
「そう」とだけ彼女は言って、再び目の前を向いた。
彼女はパーカーのポケットに両手を突っ込んで、人通りの絶えない都市の交差点を歩いている。高層ビルや人通りを背景に見る彼女の姿はどこか孤独だった。都会の街並みと現代的な彼女の服装には何も不調和はなかったけれど、どこか浮世離れしているようで、まるで陽炎のように淡かった。
「アミダとハレルヤと組んだバンドは?」と自分は彼女に聞いた。
「今度の文化祭で、舞台にあがろうかなとは思ってる」とネオは言った。彼女は軽音部に入っている。
「でも、私歌下手だから。あまり人前で歌いたくない」
「そんなことはないよ」と自分は言った。「こないだバンドで練習してたみたいだけど、ネオの声がすごく綺麗で、話題になってたよ」
「そうなんだ」とネオは言った。少し照れ臭かったのか、俯いてしまった。
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そうして僕らは映画館にたどり着いた。
そこはショッピングモールに併置されているような、いわゆるシネコンというようなものではなく、商店街の中にあるミニシアターだった。自分もわりかし大きな映画館には行く方だが、こうした小規模の所に行くのは初めてだった。(この映画館に行こうというのは、彼女の提案だった。)
窓口でチケットを買って、シアター内に入った。座席は当然ネオと隣だ。
映画館の建物の外装はやや古ぼけていたが、内装はかなり綺麗で、椅子も座り心地が良かった。しばらく経つと照明が落ちて、スクリーンに映像が映し出され始めた。自分とネオはこれから始まる映画を楽しみに待ちながら、目の前の銀幕をじっとみつめていた。
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映画は想像以上に良かった。
美しいカラー映像で、登場人物たちの繊細な心理が、長回しによって丹念に映し出されていた。ダイナミックな展開や映像はない。けれどもそうした動きのない静かな映像に、しだいに息を呑むほど惹きつけられていく。
主人公は人生の些細な出来事から、不条理に巻き込まれていく。はじめはその不条理を嘆くものの、次第に自らの宿命を受け入れていく。そこには運命の儚さが感じられた。少し上映時間の長い映画だったけれど、まるで退屈はせず、あっという間の時間のように感じた。
映画館を出て、自分とネオは、つい先程鑑賞した映画について熱心に語り始めた。彼女もかなり映画が気に入ったらしく、いつまでもその映画について話し続けていた。
外はすでに夜になっていた。まだ冬ではないのに、夜の寒さが肌に染みた。ネオは夜空に浮かぶ星空を眺めていた。そういえば、彼女は流れ星が好きだということを思い出した。
「また嫌な夢を見たんだよね」とネオはすっかり暗くなった夜道を歩きながら、やや躊躇いがちにそう言った。彼女の声音と表情に、珍しく心配の色を感じた。
「夢?ああ、こないだ話してたやつ?」
「うん。こないだの夢に似た、それと繋がってるような、嫌な夢・・・」
「疲れてるんじゃない?」と自分は言った。「こないだ試験があったばかりだし。自分の友達に結構体調崩しているやつがいるから、ネオも気をつけて」
「・・・そうかもね。あんまり気にしないようにしようかな・・・」
ネオはぼんやりとした口調でそう言った。彼女はしばらく天を仰いでいた。すると突然、彼女は立ち止まって言った。
「・・・あのさ」と彼女は言った。「君は、私がたとえば今の私じゃなくなったとしても、こんな感じで関わり続けてくれるの?」
突然の彼女の強い言い方に、自分は少し驚いた。何か癪に触るようなことを言ってしまったのだろうか、と自分は思った。彼女の言い方がやや具体性に欠けていたために、自分は少し返答に頭を悩ませた。
「それは場合によるよ」と自分はネオに言った。「君が俺のことを嫌いになるとかだったら、こっちも関わりを持つことはなるべく避けると思う。けれど見た目が少し変わるとかだったら、別に気にしないかな・・・こんな答え方で大丈夫?」
そう言われて、ネオは少し考え込むような表情をした。しばらくして「そっか」とだけいって、彼女はまた目の前を向いて歩き始めた。「ごめん。なんか変なこと言って」
「全然」と自分は言った。「またなんか気になることがあったら、いつでも話してよ」
「うん」とネオは言った。そうして歩き続けていると、ふと、彼女はつぶやいた。
「・・・でも、やっぱり君といると、気持ちが落ち着くね」
突然、ネオはそう言った。
自分は一瞬だけ彼女の方を向いた。
それはいったいどういう意味なのだろう?という考えが、頭の中を巡っていった。彼女は特になんの言葉も言わずに、目の前の道を歩きつづけている。暗がりで、フードをかぶっているのもあって、彼女の表情がどういったものなのか、よくわからなかった。初めの頃はどうでもよかった沈黙が、今では自分にとって、妙に緊張するものになった。彼女の言葉の意味を何度も頭の中で反芻していた──どうしてこんなにも引っかかるのだろう?──普段抑揚のない彼女の言葉に、珍しく感情の色を感じたからだろうか?その言葉には普段とは違って、何か特別な意味合いがあるように感じられた。
それ以降、不思議と彼女はふっつりと話さなくなってしまった。自分もなぜだか彼女に話しかけることが少し気恥ずかしく感じるようになってしまった。そのため、しばらくの間沈黙が続いた。お互いに何も話さずに夜道を歩いていると、やがて放課後の待ち合わせ場所だったコンビニにたどり着いた。
「じゃあ、ここでお別れかな」と自分は言った。「自分はあっちの道だから。ネオは向こう?」
「うん」と彼女は言った。「じゃあね」
ネオは手を振って自分を見送ってくれた。その時はっきりと彼女の顔を見た。彼女は少し微笑んでいるようだった。