TAKAMURA廻戦 作:日三汐理
「始めるか」
宿儺がそう告げた直後、最初に動いたのは篁だった。
それまでと変わらない、何の予備動作も感じさせない踏み込みだった。老人の身体が僅かに沈んだかと思えば、次の瞬間には抜き放たれた刀が宿儺の首筋へ迫っている。
宿儺は笑みを浮かべたまま上体を反らした。
刃が鼻先を掠める。篁は止まらず、そのまま刀を返して胴を狙った。宿儺は半歩後ろへ滑るように退いたが、今度は完全には外れなかった。胸元を刃先が浅く走り、一筋の血が飛ぶ。
「ほう」
宿儺は傷口を一瞥した。
だが、その程度で表情を変えることはない。次の瞬間には反転術式によって傷が閉じている。
篁はさらに踏み込んだ。
「~~~~~~~~~~」
袈裟斬り。
宿儺が身を捻る。
刀身が肩口を浅く裂いた。
もう一度、血が飛ぶ。
宿儺は避けながら篁の腹部へ蹴りを返した。老人は刀の柄で軌道を逸らし、ほとんど体勢を崩さない。そのまま振り下ろされた刃を、今度は宿儺が大きく後方へ跳んで躱した。
床が斜めに割れる。
「ケヒッ」
宿儺が笑った。
避けることを優先してはいる。
しかし、ただ逃げ回っているわけではない。反撃できる場面では返すし、完全に避け切れない斬撃については軽傷を承知で受け、即座に反転術式で修復する。
ただし今の宿儺は、篁を倒すことそのものを目的として戦ってはいなかった。
漏瑚へ提示した遊び。
あの呪霊が自分へ一撃を入れられるかどうか。それを見物しながら、篁との攻防を続けている。
もし篁を仕留めることだけを考えるなら、戦い方はまるで違うものになるだろう。
今は、そこまでやる必要がない。
一方の漏瑚は、二人の攻防を目で追いながら歯噛みしていた。
(速い……!)
見えないわけではない。
だが、割り込めない。
篁が斬る。
宿儺が避ける。
時に宿儺の身体へ浅い傷が走り、直後には消える。
宿儺が反撃する。
篁が最小限の動きで捌く。
二人の位置は目まぐるしく変化し、漏瑚が狙いを定めた時には、すでにそこからいなくなっている。
ならば、点を狙う必要などない。
「――!」
漏瑚が両腕を広げる。
床が次々と隆起した。
一か所ではない。篁と宿儺を囲むように複数の火口が形成され、ほぼ同時に噴火する。
轟音とともに炎が構内を埋め尽くした。
床。
壁。
頭上。
左右。
逃げられる方向そのものを減らしていく。
宿儺と篁の動きが速すぎるなら、狙う範囲を広げればいい。
宿儺は火炎の隙間を縫って跳ぶ。
篁へ迫った炎は、一閃とともに中央から割れた。灼熱の奔流が刀の軌道を境に左右へ逸れ、その間を老人が何事もなかったように抜けてくる。
「面の広い攻撃をするのは良い判断だ」
宿儺の声が聞こえた。
篁の刀を紙一重で避け、そのまま漏瑚の炎までかわしている。
「だが、もっとよく狙わねば当たらんぞ」
「貴様……!」
「そら、頑張れ頑張れ」
宿儺がゲラゲラと笑う。
漏瑚の額に青筋が浮かんだ。
完全に遊ばれている。
だが、怒りに任せて宿儺だけを狙えば篁に斬られる。篁へ殺意を集中させれば、あの老人の反応がさらに鋭くなる。
勝利条件は一つ。
宿儺へ一撃を入れる。
篁を殺せれば状況は大幅に楽になるが、それができないからこそ宿儺へ助力を求めたのだ。
ならば、やはり宿儺を狙うしかない。
漏瑚の周囲から、羽音とともに無数の火礫蟲が飛び立った。
一体一体を当てる必要はない。
宿儺の進路を読む。
篁との交戦によって移動できる方向を限定し、周囲で一斉に爆発させる。
「弾けろ!」
爆発。
次いで閃光。
炎と煙、粉塵が一帯を覆い尽くす。
漏瑚はその中へ追加の火炎を叩き込んだ。
これならば。
どれか一つくらいは――。
煙を突き破って宿儺が飛び出してきた。
「甘い」
「――っ!」
漏瑚が反射的に炎を放つ。
宿儺は身を傾け、それをかわした。
その背後から篁が現れる。
刀が宿儺の肩口へ迫り、宿儺が捻るように回避した。だが僅かに遅く、背中に浅い傷が走る。
血が飛んだ。
宿儺は振り向きざまに腕を振るい、篁へ斬撃を返す。老人の身体が横へずれ、背後の壁だけが切り裂かれた。
再び両者が距離を詰める。
その攻防を見ながら、漏瑚の思考が動く。
(……当たっておる)
宿儺は全てを完全に避けているわけではない。
頬。
胸。
肩。
背中。
どれも反転術式ですぐに治る程度ではあるが、篁の刀は確かに宿儺へ届いている。
ならば。
(わしが自力で隙を作る必要はないのではないか?)
篁に作らせればいい。
今は浅い傷だけだ。
だが、あの刀が宿儺へ深く入る瞬間が一度でもあれば。
腕を落とす。
腹部を深く裂く。
あるいは、さらに大きな損傷を与える。
宿儺が反転術式で立て直す、その僅かな時間。
そこへ自分の攻撃を差し込めばいい。
勝利条件は宿儺を倒すことではない。
一撃。
たった一度。
当てればいい。
(これなら――)
漏瑚の攻撃が、僅かに減った。
不用意に割り込まず、篁と宿儺の攻防を観察する。
待つ。
篁の一撃が宿儺へ深く入る、その時を。
宿儺の胸に、再び浅い切創。
違う。
次。
肩。
まだ浅い。
漏瑚はじっと機会を窺う。
そして。
篁の刀が、これまでより明らかに深い軌道で宿儺の懐へ入った。
宿儺が身を捻る。
間に合わない。
(今だ――!)
漏瑚の掌へ炎が収束する。
篁の刀が宿儺へ届く。
その直後へ。
撃ち込む。
だが。
「ケヒッ」
宿儺が笑った。
「――?」
漏瑚が違和感を覚えた時には、もう遅かった。
宿儺が一歩踏み込み。
漏瑚の襟元を掴んだ。
「なっ――!」
身体を強引に引き寄せられる。
位置が入れ替わった。
漏瑚が宿儺のいた場所へ。
その眼前に。
篁の刀。
「貴様ァッ!」
漏瑚は咄嗟に身体を捻った。
だが避け切れない。
刃が肩口から入り、胸を斜めに深く裂いた。
紫色の血が大量に散る。
「ぐっ――!」
漏瑚は炎を爆発させ、その反動で篁から離れた。
傷口を再生させながら宿儺を睨みつける。
「宿儺……! 貴様、わしを盾に――!」
「何を怒っておる」
宿儺は愉快そうに笑っていた。
「俺はお前に攻撃しておらんぞ」
「詭弁を!」
「斬ったのは爺だ」
「貴様がわしを前に出したのだろうが!」
「だからどうした?」
漏瑚が絶句する。
宿儺は篁へ視線を戻しながら、笑みを深くした。
「他人に隙を作ってもらおうなどと考えるから、そうなる」
「……!」
漏瑚の一つ目が大きく開く。
考えを。
見抜かれていた。
「言ったはずだ。これは殺し合いだと」
宿儺が一歩進む。
「お前だけ傍観していられると思ったか?」
「……貴様……!」
漏瑚の怒りに呼応するように炎が吹き上がった。
だが、反論はできない。
三人で殺し合う。
確かに宿儺は最初からそう言った。
篁に宿儺を傷つけさせ、自分だけ安全な位置から機会を待つ。
そんな都合のいい勝負を。
宿儺が許すはずもない。
「ゲラゲラゲラ!」
宿儺の笑い声が響く。
漏瑚は歯を食いしばった。
ならば。
待たない。
自分で攻めるしかない。
◆
その後も、漏瑚は攻撃範囲を広げ続けた。
単発の炎では足りない。
宿儺の位置だけを狙ってもかわされる。
篁と宿儺。
二人が動ける空間そのものを攻撃する。
壁面から火炎。
足元から噴火。
頭上から溶岩。
さらに火礫蟲を散らし、爆発によって進路を限定する。
理屈は間違っていない。
宿儺自身もそれを認めていた。
だが。
当たらない。
宿儺は篁の攻撃を避けながら漏瑚の炎までかわし、時には篁へ反撃を返す。篁の刃が宿儺の身体を掠めれば血が飛ぶものの、傷はすぐさま反転術式によって塞がれていく。
篁もまた、漏瑚の攻撃を避けるか、あるいは刀で斬り開く。
そして漏瑚自身が篁まで巻き込む攻撃を放つたび、あの老人の反応は明確に鋭くなった。
「――!」
刀が迫る。
漏瑚は首を傾けた。
頬が切れる。
次は腕。
避け切れず、肘から先が飛ぶ。
再生。
その間に宿儺を狙う。
かわされる。
「ケヒッ。忙しいな」
「黙れ!」
「だが悪くない。最初よりは随分まともになったぞ」
「貴様に褒められる筋合いなどない!」
「ならば当ててみろ」
宿儺が笑う。
漏瑚が炎を放つ。
また、かわされる。
時間だけが過ぎていった。
◆
やがて漏瑚は、大きく距離を取った。
消耗している。
再生。
広範囲の術式。
火礫蟲。
何度繰り返しても宿儺へ一撃が入らない。
ならば。
もっと広く。
逃げる場所そのものを。
なくす。
漏瑚の呪力が、これまでとは比較にならない規模で膨れ上がった。
宿儺が足を止める。
「ほう」
篁も漏瑚へ顔を向けた。
上空。
巨大な影が生まれる。
燃え盛る天体のような質量。
「極ノ番――」
漏瑚の一つ目が宿儺を捉える。
篁も範囲内。
構わない。
宿儺へ当たれば勝ち。
篁を殺せるなら、それもまた都合がいい。
「隕!」
巨大な隕石が落ちてくる。
逃走範囲を押し潰すほどの質量と規模。
漏瑚の最大級の範囲攻撃。
宿儺は上を見上げた。
逃げようとはしない。
それどころか、横にいる老人を見た。
「さて」
楽しげに笑う。
「これはどうする?」
「~~~~~~~~~~」
篁の右手が刀へ触れた。
抜刀。
ただ一度。
巨大な隕石の中央へ、一直線の亀裂が走った。
「……何?」
漏瑚の一つ目が見開かれる。
次の瞬間。
極ノ番が左右へ割れた。
巨大な質量が完全に両断され、宿儺と篁を避けるように左右へ落下する。
直後。
渋谷が揺れた。
轟音。
衝撃波。
炎。
周囲の建造物が破壊され、膨大な粉塵が舞い上がる。
しかし、その中心。
宿儺は無傷。
篁も立っている。
「ケヒッ……」
宿儺の肩が震えた。
「ゲラゲラゲラ!」
「……!」
「惜しかったな、呪霊」
「黙れ……!」
「今のは悪くなかったぞ」
宿儺は真っ二つにされた隕石を見上げた。
「爺が斬らなければ、俺まで届いたかもしれん」
「ならば――!」
「ならば?」
宿儺が首を傾げる。
「爺に斬られぬよう撃てばよかっただけのこと」
「……っ!」
漏瑚は言葉を失う。
理不尽。
しかし、この勝負に篁が参加していることは最初から分かっていた。
三人で殺し合う。
宿儺はそう言った。
篁が漏瑚の攻撃を妨害してはならないなどという決まりは、どこにもない。
通常攻撃。
駄目。
広範囲攻撃。
駄目。
篁が作る隙を利用する。
見抜かれた。
極ノ番。
それすら篁に両断された。
まだ。
一つだけある。
だが。
漏瑚は、それを使おうとしなかった。
「どうした?」
宿儺が尋ねる。
篁の刀が迫り、宿儺の脇腹を浅く裂いた。
宿儺は直後に腕を振るい、篁へ斬撃を返す。老人が身をずらし、その背後の地面が裂けた。
傷口を反転術式で閉じながら、宿儺は漏瑚を見る。
「まだあるだろう」
「……」
「領域を使わんのか?」
漏瑚の一つ目が細くなる。
「俺は縛りでお前に攻撃できない」
宿儺は篁の刺突を首を傾けてかわした。
「お前が領域を展開すれば、随分と有利になると思うが?」
「……そうすれば」
漏瑚が低く答えた。
「あの老人も巻き込むことになる」
「だからどうした?」
「そうなれば、まず始末されるのはわしの方だ」
一瞬の沈黙。
そして。
「ケヒッ」
宿儺が笑った。
「負け犬根性極まりだな」
「……何?」
「勝てぬと思っているから使わん。それだけだろう」
「貴様……!」
「違うのか?」
漏瑚は反論しなかった。
いや。
できなかった。
宿儺の言い方は癪に障る。
だが判断自体は間違っていない。
篁を領域へ巻き込めば、その瞬間から領域そのものが老人への明確な攻撃となる。
しかも偽夏油から聞かされている。
篁の我流簡易領域は、通常の簡易領域とは比較にならない。
漏瑚の領域で、あれを押し潰せる保証はない。
むしろ。
恐らく無理だ。
篁には必中が通らず。
自分だけが殺意を最大限に向けたことになる。
ならば。
まず殺されるのは自分。
合理的な判断だった。
だが。
このままなら。
何をしても宿儺へ一撃が入らない。
漏瑚は宿儺を見た。
そして篁を見る。
通常攻撃。
範囲攻撃。
他人の隙。
極ノ番。
全て駄目だった。
残されたのは、必中だけ。
「……よかろう」
漏瑚が低く言った。
宿儺の口元が吊り上がる。
「ほう」
「そこまで言うのなら――見せてやる」
漏瑚が両手を構えた。
篁の足が止まる。
空間そのものが軋み始めた。
膨大な呪力。
結界。
漏瑚自身も分かっている。
篁の注意が。
これまでとは比較にならないほど自分へ集中している。
それでも、退くことはしなかった。
「領域展開――」
世界が変わる。
灼熱の岩盤。
噴き上がる炎。
あらゆるものを焼き尽くす、火山内部の如き領域。
「蓋棺鉄囲山」
三人の姿が領域へ呑み込まれた。
必中。
これなら。
避けるだけでは逃げられない。
「喰らえ!」
漏瑚が術式を発動した。
同時に。
篁の周囲へ薄い領域が展開される。
我流簡易領域。
漏瑚の必中効果が、その範囲へ触れた瞬間に中和される。
篁には届かない。
それは想定していた。
本命は。
「宿儺!」
必中効果が宿儺へ迫る。
宿儺の笑みが深くなった。
「悪くない」
両手を組む。
「彌虚葛籠」
「――!」
宿儺の身体を対領域の技が包み込む。
必中が届かない。
漏瑚の顔から表情が消えた。
篁。
我流簡易領域。
宿儺。
彌虚葛籠。
二人とも。
自分の必中を防いでいる。
「……馬鹿な」
「どうした?」
宿儺が笑う。
「必中効果を防げないとでも思ったか?」
「……!」
攻撃ではない。
防いだだけ。
縛りは破っていない。
そして。
「~~~~~~~~~~」
漏瑚の背筋を寒気が走った。
振り向く。
篁。
簡易領域を纏ったまま、灼熱の領域内部を歩いてくる。
「……!」
分かっていた。分かっていたはずだ。こうなることは。
だから領域を使いたくなかった。
宿儺へ必中を押しつけるために、同時に篁まで攻撃対象へ入れた。
老人へ向けた殺意は。
これまでで最も明確。
そして最も強い。
篁の姿が消えた。
漏瑚が術式を向ける。
間に合わない。
次の瞬間。
老人は目の前にいた。
「――おのれ」
一閃。
漏瑚の身体に線が走る。
一拍遅れて。
上半身と下半身がずれた。
「……あ」
領域が崩壊した。
蓋棺鉄囲山が砕け、荒れ果てた渋谷の景色が戻ってくる。
漏瑚の上半身が地面へ落ちた。
下半身も、少し離れた場所で倒れる。
再生しなければならない。
そう考える。
だが。
呪力がうまく集まらない。
これまで篁に斬られた傷よりも深い。
致命的。
漏瑚自身にも分かった。
篁が近くに立っている。
「~~~~~~~~……」
最後まで。
何を言っているのか分からない。
漏瑚の一つ目が、僅かに動いた。
その向こうに宿儺がいる。
「……宿、儺……」
ほとんど声にならなかった。
宿儺はしばらく漏瑚を見下ろしていた。
先ほどまでのように笑ってはいなかった。
「最後に領域を選んだ判断は悪くなかった」
漏瑚の目が僅かに動く。
「だが」
宿儺は篁へ目を向けた。
「相手と間が悪かったな」
漏瑚はもう答えなかった。
身体から呪力が抜けていく。
陀艮。
花御。
真人。
百年後の荒野。
それらを思い返したのか。
その余裕すらなかったのか。
誰にも分からない。
やがて。
漏瑚の気配が完全に消えた。
◆
残ったのは二人だった。
両面宿儺。
篁。
少し離れた場所には、上半身と下半身を両断された花御が倒れている。まだ僅かに呪力は残っているが、もはや戦闘へ参加できる状態ではない。
宿儺は彌虚葛籠を解いた。
篁も我流簡易領域を解く。
宿儺の身体には、三つ巴の最中に受けた細かな切創がいくつか残っていた。
頬。
肩。
胸元。
脇腹。
どれも軽い。
反転術式が巡るたびに、次々と塞がれていく。
その顔に先ほどまで浮かんでいた、漏瑚を弄ぶための笑みが僅かに変わった。
「さて」
宿儺が首を鳴らす。
「邪魔者も消えた」
「~~~~~~~~~~」
篁は何も答えない。
宿儺が老人を見据える。
先ほどまでは、漏瑚とのゲームを成立させるために回避を優先していた。
斬られても軽傷なら治す。
反撃できるところでは返す。
しかし、篁を倒すことだけに意識を集中していたわけではない。
今は違う。
漏瑚はいない。
遊びの条件も消えた。
宿儺の意識が、完全に目の前の老人へ向いた。
「さっきまでは、あの呪霊の遊びに付き合ってやっていたが」
篁の右手が刀の柄に触れる。
宿儺の笑みが深くなる。
「今度は――」
空気が変わった。
「一対一で遊んでやろう」
漏瑚「儂の相手こんなんばっか…」