TAKAMURA廻戦   作:日三汐理

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最強と異物

 

 

 五条悟の提案は、却下された。

 

 予想していなかったわけではない。

 

 むしろ、この場に集まった老人たちの性格を考えれば、こうなることは最初から分かり切っていた。

 

 それでも五条は、苛立ちを隠すことなく口を開いた。

 

「せっかく千年ぶりに、宿儺の器なんてものが現れたんですよ?」

 

 薄暗い室内。

 

 古びた木造の壁に囲まれた議場で、五条は一人、畳の上に立っていた。

 

 正面には大きな簾が下ろされている。

 

 その向こう側に、呪術界の上層部と呼ばれる者たちが座っていた。

 

 姿は見えない。

 

 見えるのは、灯籠の光に照らされて簾へ落ちた、幾つかの不明瞭な影だけ。

 

 声を発するたびに、その影が僅かに揺れる。

 

「両面宿儺の指は全部で二十本。どれも特級呪物で、今まで誰にも壊せなかった。それを処分できる絶好の機会なんです」

 

 五条は両手を広げる。

 

「虎杖悠仁に全部取り込ませてから殺す。それで宿儺は完全に消える。これ以上ないくらい効率的だと思いますけど」

 

「却下すると伝えたはずだ」

 

 簾の向こうから、低い声が返ってきた。

 

「貴様の案は危険に過ぎる」

 

「何が?」

 

「分からぬはずがあるまい」

 

 別の老人が言った。

 

「指を取り込ませれば取り込ませるほど、両面宿儺は本来の力を取り戻す。器がいつまで抑え込めるかも定かではない」

 

「抑え込めますよ」

 

「何を根拠に言っておる」

 

「僕の目」

 

 五条は即答した。

 

 その声に迷いはない。

 

 虎杖が宿儺の指を飲み込んだ直後、五条は自らの目で確認している。

 

 肉体を奪った宿儺を、虎杖は自らの意志で押さえ込み、僅かな時間で主導権を取り戻した。

 

 あれは偶然ではない。

 

 宿儺の指という猛毒に耐え、それを体内へ留めたうえで、魂の主導権を渡さない。

 

 そんな人間が、他に何人いるのか。

 

 おそらく千年探しても見つからない。

 

「僕の六眼で見た限り、虎杖悠仁は宿儺の器として異常なほど安定している」

 

「一本を取り込んだだけの現状では、であろう」

 

「二本でも三本でも変わりませんよ」

 

「二十本すべてを取り込んでも同じと言い切れるのか」

 

「言い切ります」

 

 五条は笑った。

 

「万が一、抑えられなくなったなら僕が止める」

 

 簾の向こうで、僅かなざわめきが生じた。

 

 老人たちは五条の態度を好まない。

 

 生まれながらに六眼と無下限呪術を併せ持ち、呪術界の均衡そのものを変えた男。

 

 御三家の一つ、五条家の当主。

 

 現代最強の呪術師。

 

 上層部の命令に従わず、古い制度を公然と嘲笑しながら、実力によってそのすべてを押し通す存在。

 

 五条悟が宿儺を止めると言う。

 

 その言葉を、単なる虚勢として切り捨てられる者はこの場にいなかった。

 

 だが、だからこそ気に入らない。

 

 五条一人の判断に、呪術界の命運を委ねる形になることが。

 

「私が宿儺に負けるとでも?」

 

 五条の声が、静かな議場に響いた。

 

 軽薄さを含んだ口調だった。

 

 しかし、それを笑い飛ばせる者はいない。

 

 完全に復活した両面宿儺。

 

 千年以上前、呪術全盛の時代に術師たちが総力を挙げても倒せなかった呪いの王。

 

 それを相手にしてなお、五条は自分が負けるとは考えていなかった。

 

「論点は貴様の勝敗だけではない」

 

 上層部の一人が答えた。

 

「宿儺が一時的にでも肉体の主導権を奪えば、その間にどれほどの犠牲が生じると思っておる」

 

「だから、僕が監視するって言ってるでしょ」

 

「貴様が常に器の傍らにいる保証はない」

 

「だったら僕の管理下に置けばいい」

 

「それを認められぬと言っておるのだ」

 

 五条は小さく息を吐いた。

 

 やはり、話し合いになっていない。

 

 彼らは危険性について論じているように見えて、実際には最初から結論を決めている。

 

 虎杖悠仁を生かすことが気に入らないのだ。

 

 宿儺の器という未知の存在。

 

 五条悟が保護しようとする少年。

 

 自分たちの支配から外れるかもしれない可能性。

 

 上層部にとって、それだけで処刑するには十分だった。

 

「そうではない」

 

 嗄れた声が続ける。

 

「たった一人の小僧を殺すだけで、両面宿儺の指を一本葬れる。現時点では、それだけでも十分な収穫だ」

 

「残り十九本は?」

 

「今までと同様、封印を維持する」

 

「何百年も問題を先送りにするわけだ」

 

「宿儺を完全復活させる危険を冒すよりはよい」

 

「へぇ」

 

 五条は口元を歪めた。

 

「要するに、自分たちが生きてる間に問題が起きなければいいってこと?」

 

「言葉を慎め、五条悟」

 

「図星なんだ」

 

 簾の向こうから、押し殺したような息遣いが聞こえる。

 

 五条は構わず続けた。

 

「それに、今すぐ死刑にするって言いますけど、誰が執行するんです?」

 

 老人たちの気配が止まった。

 

「両面宿儺だって馬鹿じゃない。殺されると分かれば、何らかの手段で抵抗するでしょうね」

 

 それは、半分以上がブラフだった。

 

 虎杖は自らの意志で宿儺を抑え込んでいる。

 

 五条はそれを確信している。

 

 虎杖本人が宿儺へ身体を明け渡さない限り、処刑の直前に宿儺が自由に表へ出られるとは考えにくい。

 

 だが、虎杖は普通の高校生だ。

 

 つい昨日まで、呪術の存在すら知らなかった少年。

 

 そんな人間が自分の死を前にして、最後まで平静でいられる保証はない。

 

 死にたくないと願うことは罪ではない。

 

 その恐怖に宿儺がつけ込む可能性も、完全には否定できなかった。

 

「指一本分とはいえ、相手は両面宿儺です」

 

 五条は指を一本立てる。

 

「正直、今の時点でも一級術師が何人か集まった程度じゃ厳しいと思いますよ」

 

「器が主導権を保ったままであれば、抵抗はできぬ」

 

「処刑される人間が大人しく首を差し出す前提で話すんだ?」

 

「小僧一人を拘束することもできぬと言うのか」

 

「虎杖本人だけならね」

 

 五条の口元から笑みが消えた。

 

「中にいるのは宿儺だ」

 

 議場を沈黙が包んだ。

 

 現代に存在する特級術師は、五条悟を除けば海外にいる者も含め、ごく僅か。

 

 そのうち、現在すぐに動かせる人間はほとんどいない。

 

 仮に宿儺が表へ出た場合、確実に対処できるのは五条だけ。

 

 そして五条が、上層部の命令に従って虎杖を処刑することはない。

 

 つまり、上層部の手元には宿儺を確実に殺せる駒が存在しない。

 

 本来ならば。

 

「一人いるであろう」

 

 簾の奥から声が響いた。

 

 五条の眉が僅かに動く。

 

「我らと同じ考えを持つ強者が」

 

 その瞬間、五条は相手の意図を理解した。

 

 理解してしまった。

 

 内心で舌打ちする。

 

 特級術師ではない。

 

 そもそも、正式な等級が何であるのかさえ曖昧な存在。

 

 しかし、指一本分の宿儺を殺せるかと問われれば、否定できない男がいる。

 

「……本気で言ってる?」

 

 五条の声から、僅かに温度が失われた。

 

「篁は悪しき抹殺対象を、必ず殺してきた」

 

 老人の声には確信があった。

 

「今回も同様だ。宿儺の器であると知れば、やつは良い結果をもたらすであろう」

 

 議場に不快な沈黙が流れた。

 

 壁に掛けられた古時計の針が、秒を刻んでいる。

 

 かち。

 

 かち。

 

 かち。

 

 五条は腕を組んだまま、簾の向こうを見つめた。

 

 先ほどまでと同じ姿勢。

 

 同じ表情。

 

 だが、空気が変わっていた。

 

「良い結果、ねぇ」

 

 五条は皮肉を込めて笑う。

 

「それって、あなた方にとって都合がいい結果でしょ」

 

「宿儺の指を消滅させることは、呪術界全体の利益となる」

 

「そのためなら、巻き込まれた高校生一人くらい死んでも構わない?」

 

「器となった時点で、もはやただの高校生ではない」

 

「本人が何か悪いことした?」

 

「存在そのものが危険なのだ」

 

「便利な言葉だよね、それ」

 

 五条は首を傾けた。

 

「それに、篁さんがあなた方の命令を忠実に遂行してくれるとでも?」

 

「確かに篁は扱いが難しい」

 

 上層部の一人が答える。

 

「老いにより耄碌しているのか、まともに話も通じぬ。こちらの問いかけに応じぬことも多い」

 

「そこまで言っておいて頼るんだ」

 

「しかし、これまで数多くの呪霊と呪詛師の討伐を依頼してきた。結果だけを見れば、任務を失敗したことは一度もない」

 

「依頼を理解してたのかも怪しいのに?」

 

「一切の意思疎通ができぬわけではない」

 

 別の老人が続ける。

 

「篁は悪と断じた相手には容赦せぬ。宿儺がどのような存在であるかを知れば、命令を待つことなく自ら殺しに向かうであろう」

 

 五条は返事をしなかった。

 

 その点については、否定しきれない。

 

 篁は上層部に忠誠を誓っているわけではない。

 

 高専に所属しているのかどうかさえ、厳密には曖昧だ。

 

 いつから術師をしているのか。

 

 誰に術を教わったのか。

 

 何を基準に任務を引き受けているのか。

 

 誰も知らない。

 

 上層部は篁へ指示を出しているつもりでいる。

 

 しかし実際には、指定した場所に篁が現れ、そこにいた敵を本人の判断で斬っているだけなのかもしれない。

 

 それでも、宿儺は篁の基準に触れる可能性が高かった。

 

 千年前から人々を殺し、呪いの王として恐れられてきた存在。

 

 篁が宿儺を悪ではないと判断するとは考えにくい。

 

 問題は、宿儺と虎杖をどのように捉えるかだった。

 

 虎杖悠仁という少年と、その内側に存在する両面宿儺。

 

 二つの魂を別々の存在として見るのか。

 

 それとも、宿儺を宿した肉体ごと危険と判断するのか。

 

 篁が魂そのものを観測できるらしいという報告はある。

 

 ならば二人の違いも見抜く可能性はある。

 

 だが、見抜いたからといって虎杖を生かすとは限らない。

 

 宿儺を完全に消すため、器ごと斬る。

 

 篁ならば、何の躊躇もなくそうする可能性があった。

 

「じゃあ、まず篁さんをここに呼んできてくださいよ」

 

 五条が言った。

 

「結局、処刑するかどうかを決めるのは篁さん本人なんでしょ?」

 

 返答はなかった。

 

 無視とも、肯定とも取れる沈黙。

 

 五条は肩をすくめる。

 

「本人がいないところで、本人に殺させる相談をしてるの、結構面白いですよ」

 

「貴様の軽口に付き合うための場ではない」

 

「なら、まともな話し合いをしてくださいよ」

 

「結論は変わらぬ」

 

「最初からそのつもりだったくせに」

 

 これ以上話しても意味はない。

 

 五条は踵を返した。

 

 畳を踏み、議場の出口へ向かう。

 

 古い木製の扉へ手をかけた瞬間、背後から低い声が届いた。

 

「篁を召集し、再度審議の場を設ける」

 

 五条の手が止まる。

 

「結果は決まっておるがな」

 

 老人は続けた。

 

「貴様でも篁は止められまい」

 

 その言葉には、五条への挑発だけではない。

 

 長年、五条悟という絶対的な力に抑えつけられてきた者たちの、僅かな喜びが含まれていた。

 

 五条へ対抗できるかもしれない存在を、ようやく見つけた。

 

 虎杖を守ろうとするならば、篁と戦うことになる。

 

 お前がどれほど強くとも、無傷では済まない。

 

 そう告げる声だった。

 

「力で制することはできぬ」

 

 五条は僅かに顔だけを振り返った。

 

 目隠しに覆われ、その目は見えない。

 

 口元に浮かんでいた笑みも消えている。

 

「おじいちゃんたちさぁ」

 

 静かな声だった。

 

「僕をなめすぎだよ」

 

 その一言を残し、五条は扉を閉めた。

 

     ◇

 

 廊下へ出た途端、五条は大きく息を吐いた。

 

「めんどくさいことになったなぁ……」

 

 人気のない長い廊下を歩く。

 

 窓の外はすでに暗い。

 

 雲に隠れかけた月が、古い建物の庭を淡く照らしている。

 

 議場で見せていた余裕のある態度とは裏腹に、五条の頭は高速で動いていた。

 

 篁。

 

 一見すれば、ただの殺戮装置にも見える老人。

 

 敵と認識した相手を、刀で斬る。

 

 警告も、交渉も、威嚇もない。

 

 相手がどのような事情を抱えているかにも興味を示さない。

 

 だが、無差別に人を殺しているわけではなかった。

 

 むしろ、これまでの功績だけを見れば、篁は秩序の側にいる。

 

 祓った呪霊は数知れず。

 

 呪詛師や、大勢を殺した術師も何人も斬っている。

 

 篁が現れたことで救われた人間は、間違いなく多い。

 

 それでも、その存在を正義と呼ぶことには抵抗があった。

 

 篁の正義は、他者と共有するためのものではない。

 

 法律でもない。

 

 呪術規定でもない。

 

 高専や上層部の命令でもない。

 

 篁の内側にしか存在しない何か。

 

 その基準によって、生かすべきか、斬るべきかを決めている。

 

 そして一度斬ると決めれば、誰にも止められない。

 

 五条自身、その剣を間近で見たことがある。

 

 数年前。

 

 任務先に現れた呪詛師へ向けて、篁が刀を抜いた。

 

 五条から見れば、ただの抜刀だった。

 

 構えに特別なものはない。

 

 大きな呪力の高まりもない。

 

 術式が発動した形跡もなかった。

 

 それでも、刃が鞘から離れた瞬間。

 

 五条は自分の身体まで切り裂かれたような感覚を覚えた。

 

 実際に刀を向けられたわけではない。

 

 斬撃の軌道からも外れていた。

 

 無下限も常時発動していた。

 

 にもかかわらず、刃先が首筋へ触れたような錯覚が残った。

 

 六眼が警告していた。

 

 あれは、自分にも届き得るものだと。

 

 篁は簡易領域を使う。

 

 その事実を五条が知ったのは、後に上がってきた報告書からだった。

 

 領域展開を用いる特級呪霊との戦闘。

 

 同行していた術師は、篁の周囲に一般的な簡易領域と似た結界が発生したと証言している。

 

 だが、シン・陰流の簡易領域とは異なっていた。

 

 通常の簡易領域は、自身の周囲へ結界を展開し、領域へ付与された必中術式を中和する。

 

 篁のものは、それよりも遥かに狭い。

 

 身体の表面。

 

 そして、刀身の周囲。

 

 必要な場所だけを覆うように、異常な密度で展開されていたという。

 

 日下部に資料を見せた際、返ってきた答えは簡潔だった。

 

 ――あれは俺たちの簡易領域とは別物だ。

 

 篁が誰かから教わった記録はない。

 

 シン・陰流との関わりも確認されていない。

 

 いつ、どこで覚えたのかも不明。

 

 おそらく独学。

 

 言い換えれば、我流。

 

 術式は、より濃い領域によって中和される。

 

 領域展延が相手の術式を中和しながら接近できるように、篁の簡易領域もまた、接触した術式を削り取る可能性がある。

 

 通常の簡易領域では出力も精度も足りない。

 

 しかし、篁のものは違う。

 

 あれを刀身へ纏わせたまま振るうことができるのなら。

 

 五条と刀の間に存在する無限を、刃が触れる一瞬だけ中和できるのなら。

 

 篁の斬撃は、五条悟にも届く。

 

「……ほんと、嫌になるよね」

 

 五条は誰に聞かせるでもなく呟いた。

 

 自分の術式を突破する手段が存在すること自体は、初めてではない。

 

 天逆鉾。

 

 黒縄。

 

 領域展延。

 

 領域展開。

 

 無下限が絶対無敵ではないことを、五条は誰よりも理解している。

 

 それらを持つ相手に負けると考えたことはない。

 

 術式を突破されたところで、避ければいい。

 

 反撃すればいい。

 

 領域を展開すればいい。

 

 五条悟の強さは、無下限だけで成り立っているわけではない。

 

 だが、篁は別だった。

 

 無下限を突破できるかもしれないという一点だけなら、これほど警戒する必要はない。

 

 問題は、それを扱う者の剣が速すぎること。

 

 六眼で捉えてから回避するという常識が、あの老人に通じる保証がない。

 

 初撃で首を落とされる可能性。

 

 胴体を両断され、反転術式を使う前に致命傷へ至る可能性。

 

 五条自身でさえ、それを完全には否定できなかった。

 

 もちろん、篁にも対処法がないわけではない。

 

 術式反転「赫」。

 

 術式順転「蒼」。

 

 虚式「茈」。

 

 領域展開「無量空処」。

 

 遠距離から圧倒的な火力を叩き込めば、五条が勝つ可能性は高い。

 

 だが、勝てる可能性が高いことと、確実に守れることは別問題だ。

 

 今回の目的は、篁を倒すことではない。

 

 虎杖悠仁を生かすことだ。

 

 篁が虎杖の首を狙った瞬間、五条はその一撃を止めなければならない。

 

 自分だけなら避けられる斬撃も、背後に守るべき相手がいれば話が変わる。

 

 篁を吹き飛ばせば、その余波で虎杖が死ぬかもしれない。

 

 領域を展開すれば、虎杖まで巻き込む。

 

 篁の我流簡易領域が無量空処へどこまで耐えられるかも分からない。

 

 戦闘が長引けば、周囲への被害は避けられない。

 

 校舎一つでは済まない。

 

 場所によっては、地域そのものが壊滅する。

 

 そして何より。

 

 五条が篁との戦闘へ意識を割いた一瞬の隙に、虎杖が斬られる可能性がある。

 

 篁に命令が伝われば、虎杖の命は限りなく危うくなる。

 

 伏黒との約束も守れない。

 

 宿儺の指をすべて消すという目的も潰える。

 

 何より、何の罪も犯していない少年が、呪術界の都合だけで殺される。

 

 それだけは認められなかった。

 

「どうしたもんかな」

 

 五条は立ち止まり、窓の外を見る。

 

 夜空には満月が浮かんでいる。

 

 淡い雲に覆われ、その光は静かで、どこか冷たかった。

 

 上層部へ篁の召集を諦めさせる。

 

 難しい。

 

 すでに彼らは、篁という五条への対抗手段を見つけたつもりでいる。

 

 篁本人へ先に接触し、処刑を拒否させる。

 

 それも簡単ではない。

 

 そもそも、篁が今どこにいるのか分からない。

 

 高専の管理する寮で暮らしているわけでもない。

 

 携帯電話を持っている様子もない。

 

 任務が発生すれば、指定された場所へいつの間にか現れる。

 

 任務を終えれば、いつの間にか消える。

 

 誰が篁へ任務を伝えているのか。

 

 どこで依頼を受けているのか。

 

 それすら正確には分かっていない。

 

「あの人さえいなけりゃ、もっと簡単だったんだけどなぁ」

 

 五条はポケットへ手を入れ、再び歩き出す。

 

 その言葉に、篁への憎しみはなかった。

 

 篁が存在しなければ、多くの人間が呪霊や呪詛師によって殺されていただろう。

 

 それくらいは五条も理解している。

 

 ただ今回に限っては、その絶対的な力が最悪の方向に利用されようとしていた。

 

 上層部は篁を処刑人として使うつもりだ。

 

 だが、篁は上層部の道具ではない。

 

 ならば。

 

 篁が何を基準に相手を斬るのか。

 

 誰であれば、その判断へ僅かでも働きかけられるのか。

 

 それを知る者を探すしかない。

 

 五条の脳裏に、一人の後輩の顔が浮かんだ。

 

 いつも笑っている。

 

 何を考えているのか分からない。

 

 息をするように嘘をつき、軽薄な態度を崩さない男。

 

 しかし、篁と共に任務へ向かった経験は、他の術師よりも遥かに多い。

 

「……南雲か」

 

 五条は小さく呟いた。

 

 頼りになるのかならないのか。

 

 少なくとも、素直に答えてくれる相手ではない。

 

 その意味では、篁とは別の方向で面倒な後輩だった。

 

「ほんと、めんどくさい奴しかいないなぁ」

 

 五条はそう言いながら、僅かに笑った。

 

 考えるべきことは多い。

 

 時間は少ない。

 

 上層部が篁を見つけるより先に、こちらも動かなければならない。

 

 最悪の場合、五条は篁と戦う。

 

 虎杖を守るためなら、その選択を躊躇するつもりはなかった。

 

 だが、戦わずに済む可能性があるのなら。

 

 五条はまず、その可能性を拾うつもりだった。

 

 廊下の先へ、五条の足音が遠ざかっていく。

 

 雲が月を覆い隠す。

 

 庭へ落ちていた淡い光が消え、辺りは静かな闇へ沈んだ。

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