TAKAMURA廻戦 作:日三汐理
「夏油。五条悟と、あの篁という老人であれば――どちらが強い?」
薄暗い部屋の中で、漏瑚が唐突にそう切り出した。
向かいに座る夏油傑――その肉体を使う何者かは、手元の湯呑みからゆっくりと顔を上げる。問いの内容を吟味するようにわずかに目を細め、それからいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「いきなり難しいことを聞くね、漏瑚。どうしてそんなことを?」
「貴様は五条悟の封印ばかりを考えている。だが、わしにはどうにも納得がいかん。五条悟と同程度に、篁も我々にとって厄介なのではないか?」
「ああ、それを気にしていたのか」
偽夏油は納得したように頷いた。
「君の言うことは正しいよ。実際、私は篁をどうにかするための計画を立てていない」
「……なぜだ?」
「正確に言えば、私にはどうにかできる方法が思いつかない」
あまりにもあっさりとした返答に、漏瑚の一つ目がわずかに見開かれた。
「獄門疆があるだろう。五条悟を封印できるのであれば、篁も同じように封印すればよい」
「条件を満たせればね。対象を獄門疆の有効範囲内へ留める必要がある。それも実時間ではなく、対象の脳内時間で一分だ」
「知っておる。それを踏まえて、どちらを封印するべきかという話だ」
「そこまで分かっているなら、なおさら五条悟だよ」
偽夏油は自分の顔を指差した。
「五条悟には、私という材料がある」
夏油傑。
かつて五条悟が青春を共にし、最後には自らの手で葬った親友。その肉体が今、こうして目の前にある。
「六眼で見ても、この肉体は夏油傑だ。少なくとも五条悟が目から得る情報は、私を本人だと認識させる。その事実と現実の食い違いだけで、彼の脳裏には過去が一気に流れ込むだろう。脳内時間一分を稼ぐには十分だ」
「ならば篁にも、同じような人間を用意すればよいのではないか?」
「誰を?」
漏瑚は答えられなかった。
「私は篁の過去を知らない。親しい人間がいたのか、家族がいたのか、師がいたのか。そもそも、いつから術師として存在しているのかすら分からない」
偽夏油は湯呑みを机へ戻した。
「それ以前に、篁へ“脳内時間一分”という条件がまともに通用するかも怪しい」
「どういう意味だ?」
「知性がないと言っているわけじゃない。ただ、あの男は判断から行動までの間隔が異常なほど短いんだ」
見る。
判断する。
斬る。
外から観察する限り、その三つの間にはほとんど隙がない。
「普通の人間なら、状況を認識し、考え、結論を出し、それから身体を動かす。篁はその境目がほとんど見えない。判断と行動が限りなく一体化しているように見えるんだ」
「ならば、奴の思考を一分間引き延ばす手段そのものがないかもしれん、と」
「そういうこと。だから獄門疆を使うなら、成功する材料が揃っている五条悟を選ぶべきだ」
漏瑚は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「なら篁は、別の方法で対処するしかない」
「そもそも倒そうとしなければいい」
「何?」
「それは後で話そう。まず最初の質問に答えないとね」
偽夏油は椅子に深く腰を掛け直した。
「五条悟と篁、どちらが強いか。結論から言えば――私には分からない」
「またそれか」
「そもそも二人は、強さの方向性が違いすぎるんだよ」
偽夏油は漏瑚を指差した。
「君が五条悟と戦った時を思い出してみようか」
「思い出させるな」
「花御が助けに入ってくれたおかげで逃げられただろう?」
「不本意だがな」
「あの時、花御は術式で五条悟の意識を一瞬だけ花へ向けさせた。敵意や戦意を逸らす精神干渉としては非常に優秀だ。実際、それによって君が逃げる時間を作れた」
そこで偽夏油は、わずかに声を落とした。
「でも相手が篁だったなら、君は逃げ切れなかっただろうね」
「なぜだ?」
「篁の精神へ干渉しようとしても、あの異常な殺意に押し潰される可能性が高い。それに、彼にはもっと奇妙な性質がある」
漏瑚が眉を寄せる。
「篁は、自分へ向けられた殺意に異常なほど敏感だ」
「殺意?」
「敵意や怒りとは違う。呪力の大小とも関係がない。“こいつを殺す”と相手が決めた、その瞬間だよ」
「なぜそこまで言い切れる?」
「少し前までは私も仮説として考えていただけだった。でも、真人を逃がした時に試した」
漏瑚の一つ目が動いた。
「あの時か。貴様が大量の呪霊を差し向けた」
「そう。君は単純な囮だと思っていたようだけど、重要だったのは数だけじゃない」
偽夏油は指を組む。
「全部、篁を殺すつもりで向かわせた」
「……」
「あの時、真人は逃走に徹していた。篁を殺そうとはせず、ただその場から離れることだけを考えていた。一方、私が放った呪霊は一斉に篁へ殺意を向けた」
「結果、篁は真人を追うより、そちらを殺すことを優先した」
「予想通りにね」
「貴様……外れていれば真人は死んでいたぞ」
「困っただろうね。とても」
口ではそう言いながら、偽夏油に反省している様子は微塵もない。
「ともかく、これで一つ確認できた。篁は自分へ向けられた殺意に、通常では考えられないほど強く反応する。だから君が真正面から殺意を向けた時点で、篁から逃げる難易度は五条悟以上になる可能性が高い」
「ならば、やはり篁の方が厄介なのではないか?」
「それも違う。五条悟には篁にはないものが多すぎる」
無下限による防御。
蒼と赫、そして茈。
反転術式。
領域展開。
索敵能力。
何より、無下限を応用した機動力。
「篁の身体能力は確かに異常だ。でも、身体能力がどれだけ高くても空間そのものを飛び越えるわけじゃない。例えば相手が瞬間移動の術式で数十キロ先へ逃げれば、篁に追跡する手段があるとは思えない」
「五条悟ならば追える」
「条件次第ではね。だから単純な優劣をつけにくいんだ。五条悟はできることが多すぎる。一方の篁は――」
偽夏油は指を折っていった。
「刀。身体能力。呪力操作。そして、簡易領域。今のところ、私たちが確認できているのはその程度だ」
「それだけで、あの強さか」
「そこが問題なんだよ」
漏瑚がふと顔を上げた。
「簡易領域といえば、貴様は結界術に詳しかったな。篁のものはどう見る?」
しばし沈黙した後、偽夏油は短く答えた。
「気味が悪い」
「簡易領域ごときが?」
「君は簡易領域を軽く見すぎだ」
偽夏油は苦笑した。
「簡易領域は、自分の周囲に簡易的な領域を構築して、領域展開に付与された必中効果を中和する技術だ。だが当然、本物の領域より簡素な分、出力で大きく劣れば維持できない」
「領域に押し潰される」
「厳密には、領域同士のような陣取り合戦をしているわけじゃない。本物の領域は正常に成立しているし、簡易領域を使った術者もその内部にいる。ただ、簡易領域が存在する範囲には必中効果が成立しない」
偽夏油は机の上に指で大きな円を描き、その中央に小さな円を重ねた。
「領域側の出力が十分に高ければ、この小さな領域は徐々に崩される。そして完全に消えれば必中が通る。普通はそうなる」
「篁は違うと?」
「あの老人の簡易領域は、出力が異常に高い。上限は知らないが、少なくとも並の領域展開で削れるとは思わない」
「つまり、領域そのものは発動しているのに、篁だけ必中を受けない」
「そういうことになる」
「ならば長時間維持すればよい。いくら篁の簡易領域が強くとも、呪力総量には限りがあるだろう」
「出力で負けているなら、それも意味がないよ」
偽夏油は首を振った。
「削れていないものは、いくら待っても消えない。むしろ先に問題になるのは領域を展開している側だ」
「領域の持続時間か」
「そう。領域展開は全力疾走に近い。普通の術者なら、最大出力を維持できる時間には限界がある。篁の簡易領域を崩せないまま全力を出し続ければ、先に領域側が限界を迎える」
漏瑚の表情が険しくなった。
「真人ではまず無理だろうね。実際、奴の術式は篁に対して致命的な優位にならなかった。それどころか魂にまで届く斬撃を受けた。真人自身、相当堪えたようだ」
「ならば花御とわしが同時に攻めればどうだ」
「試したい?」
「……やめておこう」
「賢明だ」
漏瑚は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「では五条悟と篁をぶつければどうなる? 潰し合ってくれれば、我々にも付け入る隙が生まれる」
「面白いことを考えるね」
偽夏油はしばらく思案し、それから口を開いた。
「まず前提として、五条悟や宿儺の領域は普通の術者とは事情が違う。単純な出力だけじゃない。呪力効率が異常なんだ」
「六眼か」
「特に五条悟はね。領域を維持する上で、普通の術者が抱える時間制限をほとんど問題にしない。文字通り無限だと断言するつもりはないが、実戦中に時間切れを期待する意味はほぼない」
「宿儺も同じか?」
「六眼ほどではなくても、呪力効率そのものが桁違いだ。その上、総量まで多い。あちらも時間切れを待つような相手じゃない」
「なら篁の簡易領域が崩れるまで待てるではないか」
「だから、崩れないと言っているだろう。重要なのは時間じゃなく出力だ」
偽夏油はわずかに笑みを深くした。
「ただし、五条悟には普通の術者にはない選択肢がある」
「何だ?」
「ほとんど存在しない時間制限を、自分から作ればいい」
漏瑚が訝しげに眉を寄せる。
「縛りか」
「そう。例えば無量空処を百秒で必ず解除すると決める」
「百秒? 十分に長いではないか」
「普通の術者にとってはね。でも五条悟にとっては、実戦上ほとんど制限されていなかった持続時間を、百秒という有限の値に落とすことになる。縛りとしては十分な代償だ。その見返りを領域の出力へ回せる」
「それなら篁の簡易領域を潰せるのか?」
「可能性はある。足りなければ五十秒、二十秒と条件を厳しくすればいい」
「戦いながらそんな調整をできるものか」
「五条悟ならやるだろうね」
偽夏油の声音には、敵への警戒と同時に確かな評価があった。
「宿儺はまた別だ。あれには閉じない領域がある」
「伏魔御廚子か」
「通常の領域より遥かに広い範囲へ術式を届かせられる。だが、篁一人を殺すだけならその広さは必要ない。展開範囲を狭める縛りを課して、その分を出力へ回せる」
「では、領域の出力自体は宿儺の方が五条悟より上なのか?」
「そこまで大きな差はないと思うよ」
偽夏油は湯呑みに手を伸ばす。
「仮に二人が領域を同時に展開したとして、領域が重なった部分では必中同士が拮抗するだろう。宿儺が有利なのは、閉じない領域ゆえに五条悟の結界より外側まで術式を展開できることだ」
閉じた無量空処の外側にも、伏魔御廚子の効果範囲は存在する。
「つまり、五条悟の領域を外から破壊できる。単純な出力で正面から押し潰しているわけじゃない」
「では篁の簡易領域は、その二人の領域にさえ耐え得ると?」
「素の状態ならね。少なくとも、簡単に潰せるほどの差があるとは思っていない」
「五条悟が時間を縛り、宿儺が範囲を縛れば?」
「突破できる可能性はある。ただし、篁の簡易領域の最大出力を私は知らない。だから、どこまで条件を削れば届くのかも分からない」
漏瑚は呆れたように息を吐いた。
「結界術に詳しい貴様でも分からんのか」
「むしろ詳しいからこそ分かるんだよ。やっていること自体は理解できる。でも、どうすればそこまでの出力と精度に到達するのかが分からない」
しかも、篁の簡易領域は対領域防御だけに留まらない。
「篁は簡易領域を刀身の周囲まで縮めて纏わせることができる。それによって斬撃を補強し、相手の術式へ干渉する」
「領域展延に近いということか?」
「似ているが同じではない。展延のように術式そのものを広く中和するわけじゃない。刀が通過する、ごく僅かな領域だけ相手の術式へ食い込ませる。だから五条悟の無限にも刃を届かせられる」
漏瑚の表情が険しくなる。
「なら五条悟と戦えば――」
「だから分からないんだ」
偽夏油は静かに笑った。
「五条悟は篁より遥かに手札が多い。蒼、赫、茈、反転術式、無量空処、高速移動。どれも無下限を中心に発展した、理解可能な強さだ」
一方で篁は違う。
刀。
身体能力。
呪力操作。
簡易領域。
確認できるものだけを並べれば、驚くほど単純だった。
「特別な能力を大量に持っているようには見えない。むしろ手札は少ないのかもしれない」
「それなのに、五条悟と比較されるほど強い」
「一枚一枚がどこまで伸びるのか分からないからだよ。身体能力の上限も、斬撃の上限も、簡易領域の上限も、私は測れていない」
「なら五条悟と篁が直接戦えば、どうなる?」
「随分その話が好きだね」
「答えろ」
偽夏油は少しだけ考え、それから何でもないことのように言った。
「場合によっては、宿儺に並ぶかもしれない」
漏瑚の一つ目が大きく開いた。
「……今、何と言った?」
「聞こえていただろう?」
「両面宿儺と、あの老人が同格だと?」
「そこまでは断言していない。可能性を否定できないと言っただけだよ」
呪いの王、両面宿儺。
漏瑚たちが切り札として復活を望む存在。その名と篁を並べたにもかかわらず、偽夏油の態度は変わらない。
「それも、私が宿儺の復活をサブプランとして残している理由の一つではある。指が二十本揃っているなら、篁とぶつけてみるのも面白い」
「笑って言うことか」
「私は見てみたいけどね。もっとも、現実には難しい。少なくとも一本は五条悟が持っている可能性が高い」
「なら結局、篁をどうする?」
「遠ざける」
あまりにも簡単な答えだった。
「篁には長距離転移の術式が確認されていない。作戦決行の日に東京から十分離れた場所へ行ってもらえばいい」
「任務を作るのか?」
「命令に従わせる必要すらない。呪霊でも呪詛師でもいい。篁が自分から斬りに行くような状況を用意すればいいんだ」
どれほど強くても、存在していない場所には介入できない。
それは五条悟と篁を隔てる、決定的な差の一つだった。
「だが奴が生き残っていては、いずれ呪霊の世を作る上で障害になるぞ」
「それなら待てばいい。篁も人間だ。どれほどの化け物でも、そういう術式でも持っていない限り寿命からは逃れられない」
「それまで待てと?」
「一番賢明だと思うよ。少なくとも、君が正面から戦うよりはね」
「わしが戦えばどうなる」
「死ぬだろうね」
「断言するか」
「するよ。君は強い。でも篁との相性が悪すぎる。殺意を向け、近づいた時点で、斬られる」
「簡単に言うな」
「実際、篁が相手なら驚くほど簡単にそうなるかもしれない」
漏瑚は不満そうに口を歪めたが、反論はしなかった。
「待って解決するなら、それで構わん。だが、わしはどうにも、あの老人が生きていると思うと生きた心地がせん」
「それは当然かもしれないね。君たちにとっては」
その言葉に、漏瑚が偽夏油を睨んだ。
「貴様、奴の正体について何か知っているな?」
偽夏油はしばらく黙っていたが、やがて面白そうに目を細めた。
「知っているというほどじゃない。仮説ならある」
「聞かせろ」
「私が思うに、篁という人間は――この世の“殺意”の集合体に近い」
「……殺意の集合体?」
漏瑚の表情が険しくなる。
「それでは、まるで呪霊ではないか」
「私も最初はそう考えた。でも篁は呪霊じゃない。少なくとも肉体は間違いなく人間だ」
「なら何をもって殺意の集合体と言う?」
「少し語弊があるかな。単純に“誰かを殺したい”という欲望が集まっているわけじゃない」
偽夏油は言葉を選ぶように、わずかに間を置いた。
「殺すべきものを殺す。生かしておいてはいけないものを排除する。そういう意思に近い」
「善悪の判断か?」
「そこまで単純じゃない。篁の善悪の基準なんて私には分からない。ただ、彼が人間を無差別に殺していないのは事実だ」
呪霊を祓う。
呪詛師を斬る。
だが、敵対した人間すべてを機械的に殺すわけではない。
「正義のために戦っている、とまで言うつもりはない。もっと単純なのかもしれない。篁自身が“これは生かしておいてはいけない”と判断したものを、ただ排除する」
「その意思が、人間の形を取っていると?」
「私の仮説ではね」
偽夏油は指を折りながら続ける。
「自分へ向けられた殺意への異常な反応。そして、何を身につけても最終的に“斬る”という一点へ収束する技術体系。身体能力も、剣術も、呪力操作も、結界術さえもそうだ」
本来なら領域から身を守るための簡易領域すら、篁は刀へ纏わせ、相手を斬るための技術へ転用する。
「何を得ても、最後には“排除する”ための力になる。だから私は、篁という存在そのものが殺意と深く結びついているんじゃないかと考えている」
「ならば、我々呪霊はほぼすべて奴の排除対象か」
「人間へ害を与える呪霊なんて、篁にとっては非常に分かりやすい対象だろうね。実際、彼がこれまで殺したものを数えるなら、呪霊が圧倒的に多いはずだ」
「真人は魂を見ることができる。奴には篁の正体が見えたのか?」
「さてね。ただ、私たちより何かを感じ取った可能性はある」
「貴様でも分からんのか」
「真人自身だって、篁の正体を説明できるほど理解したわけじゃないだろう。でも、魂を直接知覚できる真人があの老人に何か異常を感じたのなら、興味深くはある」
漏瑚はしばらく考えていたが、やがて別の疑問へ行き着いた。
「待て。もし貴様の仮説が正しいなら、篁が寿命で死んだところで次が生まれるのではないか?」
「その可能性はある」
「なら待っても意味がないではないか」
「そうとも限らない」
偽夏油は静かに続けた。
「私は、篁のような存在そのものは過去にもいたんじゃないかと思っている。人間の歴史は長い。恐怖、戦争、災害、呪い。その中で一度も、“自分たちを害するものを排除してほしい”という集合的な願いが形にならなかったとは考えにくい」
「なら、なぜ記録に残っていない?」
「残っていないとは言っていない。違う名前で記録されているのかもしれないし、ただ異常に強い術師として扱われたのかもしれない。あるいは、誰にも正体を理解されないまま死んだか」
「では、なぜ今の篁だけがあれほど強い?」
その問いを待っていたかのように、偽夏油の口元がわずかに吊り上がる。
「時代だよ」
「時代?」
「人類全体の意識が、同じ方向へ向くことなんて滅多にない」
「戦争では駄目なのか?」
「戦争では恐怖も殺意も分散する。こちらはあちらを恐れ、あちらはこちらを恐れる。互いに相手を殺そうとする。意識のベクトルが一つにならない」
「では、何なら揃う?」
「人類全体が、同じ破滅を想像した時」
漏瑚が黙る。
「例えば――ノストラダムスの大予言」
「……なんだそれは?」
「バカバカしいけど、そういう予言があったんだよ。世界の終わり。人類滅亡。予言が当たっていたかどうかなんてどうでもいい。重要なのは、世界中の人間がそれを恐れたという事実だ」
国籍も、宗教も、敵味方も関係ない。
世界が終わる。
人類が滅ぶ。
自分も死ぬ。
同じ未来を、膨大な数の人間が同時に想像した。
「そして当然、生きたいと願う。滅びたくないと願う。自分たちを滅ぼす何かがあるなら、それを排除してほしいと願う」
「その集合意識が世界規模だったために、今の篁だけが異常なほど強力になったのか」
「そう考えれば、少し説明がつく」
「その予言とやらが篁を生んだのか?」
「それは違う」
偽夏油は即座に否定した。
「そもそも私は、篁がいつ生まれたのかすら知らない。大予言以前から存在していた可能性だってある。増幅要因、と考える方が自然だ。もともと篁のような存在を生み出す何かが人間の集合意識の中にあり、現代では世界規模の終末への恐怖と生存願望によって、それが過去とは比較にならないほど強くなった」
「……それが、今の篁か」
「というのが、私の仮説だよ」
長い沈黙が落ちた。
漏瑚はしばらく偽夏油の顔を凝視していたが、やがて低い声で尋ねる。
「貴様、本当にそれ以上は知らんのか?」
「知らないよ。本当にね」
その答えだけは妙に真っ直ぐだった。
「だから困っている。五条悟なら、何ができるかは大体分かる。宿儺も同じだ。でも篁は違う」
結界術を見れば、何をしているかは理解できる。
殺意への反応も、観察を重ねれば傾向は読める。
剣術や身体能力が異常であることも、一目で分かる。
それでも。
「どうしてそこまで強いのか。どこまでできるのか。それだけが、どうしても分からない」
漏瑚は深く息を吐いた。
「……待って解決するなら、それでよい。だが奴が生きている間、わしは絶対に近づかん」
「それが一番賢い」
「貴様もだろう」
「もちろん」
「なら作戦当日は確実に遠ざけろ」
「そのつもりだよ」
「失敗したらどうする?」
偽夏油は一瞬だけ考え、それから穏やかな笑みを浮かべた。
「五条悟を封印した直後に、別の化け物を相手にすることになるね」
「笑い事ではない」
「本当にね」
そう答えながらも、偽夏油は笑っていた。
五条悟は封印する。
篁は遠ざける。
倒せないものを、無理に倒す必要はない。必要な時間だけ盤上から取り除けば、それでいい。
それが最も合理的な選択だった。
少なくとも――篁が、自分たちの計画そのものを「生かしておいてはいけないもの」と判断しない限りは。
ふと、偽夏油の指が額の縫い目へ触れた。
「どうした?」
「いや。何でもないよ」
すぐに指を離す。
漏瑚に話す必要はなかった。
「さて、篁の話はこのくらいにしよう」
「次は何だ?」
「五条悟を封印するための話」
偽夏油の口元に、いつもの穏やかな笑みが戻る。
「私たちが今、本当に盤上から消さなければならないのは――そちらだからね」
未来の漏瑚「儂の相手 こんなんばっか…」