「小僧、まずは落ち着け」
Kが諭すようにデンジに呟く。
「落ち着けないっすよ! だってポチタが、オレのポチタがそこにいるんすよ⁉︎」
「そうか、だが落ち着け」
デンジはまだ興奮が収まりきらないようだ。
「まず初めに、お前に伝えておかなければいけないことがある。これは地球をひっくり返すようなことだ」
「……地球はひっくり返りませんよ!」
するとふと、Kがポチタを閉じ込めている金属製のゲージを開いた。
「よし、出てきていいぞ」
Kその一言を聞いて。
よろよろと、ポチタが怯えながらも出てくる。
「ポチタ……!」
そして地面に崩れ落ちたままのデンジの元に向かうと、そっと頬に、ポチタは割れ物を触るように自分の頭を擦り付けた。
「ワンワン‼︎」
その声はデンジの脳内に直接響いた。
確かに、今ポチタが目の前で吠えている。
「ぽ、ポチタ……? お前、喋れるのか⁉︎」
デンジの目から大粒の涙がポロポロこぼれ落ちる。
そして両腕で、その小さくて温かいオレンジ色の体をきつく抱きしめた。
「ポチタぁ……! オレ、オレよぉ……! ずっとお前ともう一回、会いたくて……!」
そこに、Kがごほんと咳を鳴らす。
「感動の再会中悪いが、小僧。話の続きだ」
Kは銀の細筒——ニューラライザーを取り出し、手の中で転がした。
「俺たちはこれから、地獄という共有メモリ領域を完全にクリーンアップする。宇宙全体を巻き込む、コイツの力をフル活用した特大のニューラライズ。悪魔という概念そのものを、この宇宙から完全に消去する」
「えっ……」
「だが、お前の心臓のまま、コイツ自身の力で『悪魔』という概念を消去させてしまえば、どうなると思う? 悪魔であるコイツ自身も、宇宙から消え去る運命にあった」
デンジはハッとして、腕の中のポチタを見た。
ポチタは、穏やかに微笑んでいる。
「デンジのためなら、私はそれでもよかった」
「そんなの……絶対に嫌だ! オレぁ絶対嫌だ!」
デンジの愛の告白とも言える咆哮。
「心配するな、小僧。コイツは消えない」
「え……? どういうことっすか」
「小僧、初めて会ったあの日——我々がお前を『良い宇宙人』として保護したのを覚えているな?」
「は、はあ……。覚えてますけど」
「その時、一枚の”黒い紙”をお前に渡したはずだ」
デンジの脳裏に過去の記憶が呼び起こされる。
黒い紙に、白文字。
『MEN IN BLACK』と刻まれた名刺。
「よーく思い出せ。それの使い道を、お前は最近目にしたはずじゃないか?」
——銃の悪魔。
——封印・圧縮。
——ペット。
「そうだ、Gパターン——銃の悪魔を、MIBのデータベース上で再定義した。アイツは『悪魔(Outer Pattern)』じゃない。正式なビザを持った地球の住人……良き宇宙人『ペット(Pacified Exo-Threat)』になったのを目にしたはずだ」
「それってつまり……?」
「つまり、だ。概念の法則から外したからには、宇宙から悪魔が消えようと、ペットはただの『ちょっと変わった生き物』として存在が固定される」
デンジの頭が、Kの言葉を必死に処理する。
つまり、悪魔がいなくなっても、ペット化さえしてしまえば、ポチタは消えない。
——一緒に、生きていける。
「お前は、それを可能にするモノを持っている」
パチン、とKが指を鳴らすと。
デンジのMIBとしての黒い制服がさっと現れた。
デンジは立ち上がる。
そしておもむろに、内ポケットの辺りを探す。
そして……。
「……あった」
デンジの手には、ボロボロになったあの日、Kから渡された黒い名刺が握られていた。
「……ポチタ。これ、受け取ってくれ」
デンジは、震える手でその黒い名刺をポチタの鼻先に差し出した。
ポチタは、不思議そうにフゴフゴと匂いを嗅ぎ、それからその小さな口で、名刺をパクりと咥えた。
「ワン!」
その瞬間。
名刺から黒い、だが温かい光が溢れ出し、ポチタの体全体を包み込んだ。
光の中で、輪郭が、ほんの少しだけ揺らぐ。
——そして、少し経ち。
「 Pattern: 'Chainsaw Devil' を 'Pacified Exo-Threat' に再定義。よくやった、小僧。これで一段落だ」
Kが淡々と、だがどこか微笑ましげに声で告げた。
「これでコイツは、もう『悪魔』の共有メモリ領域には存在しない。MIBのデータベースに正式に登録された、お前の『ペット(PET)』だ」
光が収まると、そこには、変わらないオレンジ色の、愛らしいポチタが立っていた。
今のポチタは、ただただ温かく、デンジへの愛だけに満ちた、純粋な存在だった。
「ポチタ……!」
デンジは再びポチタを抱きしめた。
今度はもう、失うという恐怖はなかった。
ポチタもまた、「ワン!」と嬉しそうに吠え、デンジの頬を舐めた。
「……さて。準備はいいか、小僧」
「はえ? 何がです? もうこれでもう何もかも終わっちゃんじゃ……?」
「言っただろう? 世界から悪魔の存在という概念を消す、クリーンアップするんだ」
「そ、そういえばそんな話をしていたような」
「それには莫大なニューラライズエネルギーが必要となる。そして今、それをお前が手に持っている」
デンジはポチタをPET化させた、名刺を眺める。
「それだ。そして、世界改変——いや、世界を『普通』に戻すMIBとしての最後の大仕事。それはお前がやるべきだろう。その資格が小僧、お前にはある」
「オレに……資格が?」
デンジはもう一度、手の中の黒い名刺を見つめた。
ポチタの温もりが、確かな質量としてそこにある。
かつて宇宙の共有メモリ領域——「地獄」に蓄積されたあらゆる恐怖を喰らい、なかったことにしてきた『チェンソーの悪魔』の力 。
それが今、手のひらサイズに収まっているのだ。
「そうだ。ついて来い」
Kはきびすを返し、本部のさらに奥、厳重なセキュリティゲートの向こう側へと歩き出した。
デンジもポチタを小脇に抱え、その後を追う。
辿り着いたのは、MIB本部最上階のさらに上。
——そう、天蓋空間である。
エレベーターのベルが静かに鳴り響く。
そこは超巨大な空洞であり、無人の空間。
遠く宙には星々が煌めき、中央にはまるで玉座のような謎の台が安置されていた。
足元を見ると、そこには。
水の惑星——地球がゆっくりと回っている。
「ここって、前にも来た……」
「ああ。前回は銃の悪魔を再構築したが、今回は全く逆だ。概念の解体と、世界規模の再起動を行う」
Kは中央に安置された銀色の玉座を指差した。
「あの玉座こそが、MIBの誇る超広域認識改変プラットフォームのコアだ。さあ小僧、その名刺を玉座の端末に差し込め」
デンジはゆっくりと玉座に近づく。
冷たい銀色の装飾の合間に、黒い名刺がぴったりと収まるであろうスリットが口を開けていた。
「あの、Kさん」
「どうした、小僧」
デンジは振り返ると、ニカッと笑い、こう言った。
「オレぁ、何だかんだ。この世界、好きでしたよ!」
そしてデンジは覚悟を決める。
今から、世界を大いに変える。
黒い名刺を真っ直ぐにスリットへと突き刺した。
——カチリ。
静かな音が響く。
玉座が低い唸り声を上げ、名刺から莫大なエネルギー——『チェンソーの悪魔』が保有する概念消去の力が、純粋な光となって吸い上げられていく。
『Target confirmed. Commencing Global Neuralyzation sequence.』
(ターゲットを確認しました。グローバル・ニューラライゼーションのシーケンスを開始します。)
無機質な音声と共に、天蓋空間の底面から、足元の地球に向けて極太の光の柱が打ち出された。
「うおおおっ!?」
光の柱は大気圏を突き抜け、静かに弾けると、地球全体を包み込むように波紋となって広がっていった。
それは、世界を丸ごと包み込んでいく。
特大のオーロラだった——。
ただの極光ではない。
恐怖という概念を優しく溶かし去る、この世のものとは思えない色彩の乱舞。
深い宇宙の闇を払拭するような、澄み切った水色。
凍てつく心を溶かす、暁の空を思わせる淡い赤色。
そして何より、オーロラの縁を彩り、光の波を先導するのは、ポチタの体温を思わせる、暖かく優しいひだまりのような橙色だった。
色彩の波が、絹のヴェールのように揺らめき、交じり合いながら地球を照らしていく。
ニューヨークの摩天楼も、モスクワの赤い広場も、東京の路地裏も。
世界中のありとあらゆる場所が、夜の闇を忘れたかのように、優しく、明るく照らし出されていく。
地上では、人々が足を止める。
皆誰しもが、その奇跡の光を見上げていた。
その美しさに目を奪われ、そして——。
——忘れていった。
銃の悪魔がもたらした絶望を。
日常に潜む理不尽な影を。
『悪魔』という概念そのものを。
人々の記憶が、オーロラの揺らめきと共に、なめらかに『普通』へと書き換えられていく。
「これで、世界は変わったんすよね」
デンジがKに問いかける。
Kは珍しくも表情を和らげて言った。
「ああ。一日中この光が地球を照らし続け、共有メモリ領域のクリーンアップは完了する。明日人類が目覚めた時、悪魔は『最初から存在しなかったもの』になっているだろう……だが世界は変わったんじゃない」
「……へ?」
「世界は、『普通』に戻ったんだ」
Kは玉座から名刺を引き抜き、デンジに投げた。
「大仕事ご苦労、小僧。いや……エージェントD」
■ ■ ■
数日後。
朝のMIB本部、エージェントDの一室にて。
「いでっ! こらミニ、オレのジャムパンを横取りすんなって!」
デンジの膝の上では、オレンジ色の『ポチタ』と、手のひらサイズの『ミニ銃の悪魔』が、デンジのと甘いパンを取り合って大騒ぎしていた。
「ワンワン!」
「キュココココ!」
二匹の愛らしい「PET」がデンジの頬を交互に舐め回し、くすぐったさにデンジはたまらず吹き出す。
「あーもう、わかったわかった! お前ら順番な!」
淹れたてのコーヒーの香りが漂う中、デンジは二匹の相棒を両腕に抱え上げると、黒いサングラスをスッと掛け直す。
——悪魔の消えた平和な世界。
——だが、MIBの仕事はこれからも続く。
——宇宙人の対応に追われ。
「さて、今日も一丁、地球(ココ)を守りますか!」
この素晴らしき世界の『普通』を保つために——。
【進捗】2/2
……工事完了です。
Q. 最後に悪魔が消えちゃったけど、レゼやパワーも消滅したの?
A. いいえ、元気です! ポチタが『PET』として上書き登録されて助かったのと同じ理屈で、レゼは『エージェントR』、パワーは『司法取引中のエイリアン』としてMIBのデータベースに保護されていたため、システムの強制消去を免れました。MIB職員でよかったね!
偉大なるチェンソーマン原作完結に祝福を!
今作品も本当に、これで完結となります。
それでは、この光を見て……?(二回目)
\ /ピカッ\ /
グッバイ、チェンソーマン‼︎