ニューヨーク・10:45 A.M.
エージェントD——デンジは、MIB本部のロッカールームで黒いスーツを着替えていた。
鏡に映る自分の姿をまじまじと見つめ、襟を直す。
黒い生地が体にぴったりとフィットし、なんだか自分が映画の主人公みたいに感じられた。
サングラスをかけ、ポーズを決めてみる。
右手を腰に当て、左手で拳銃を構えるような仕草。
「よし、今日もオレ、ちょーイケてるぜ」
独り言を呟き、満足げに頷く。
ロッカーを閉め、廊下に出た。
本部はいつも通り、忙しない雰囲気に満ちている。
MIBの職員が端末を叩き、人間のエージェントがファイルを抱えて行き来する。
デンジは軽快に歩き、先輩のデスクへと向かった。
その先輩——エージェントJはコーヒーを片手に、モニターを睨んでいた。
画面には、地球上のシグナルが表示されている。
赤い点がちらほらと点滅し、異常を示していた。
「おっす、J先輩! 今日の仕事は何すか? また宇宙人追いかけっこですか?」
デンジの元気な挨拶と質問に、Jはコーヒーを一口啜り、モニターから目を離さずに答えた。
「ようD。今日は軽めだぜ。イーストサイドから抜け出した宇宙人がいる。それをとっ捕まえにいくんだ。Kは別件で出払ってるし、俺とお前だけでいくぞ」
デンジは目を輝かせ、拳を握る。
「了解っす! オレ、最近調子いいんすよ。スペースガンもバッチリ扱えるようになりましたからね!」
Jが苦笑いを浮かべる。
「まあ、慌てるなよD。お前はまだ新人、スペースガンの使い方が甘いんだからな。昨日の訓練で、標的じゃなくて壁を吹っ飛ばしたの忘れたか?」
デンジは頭を掻き、照れ笑いをする。
「あ、あはは……次は完璧に決めますよ」
「まあいい、早速仕事に取り掛かるとするかD」
「了解っす!」
二人はエレベーターに乗り、地上へ到着した。
ニューヨークの喧騒が迎える。
ホットドッグの匂い、クラクションの音。
それぞれが漂い、鳴り響いている。
「よし、じゃあ隣に乗れD。シートベルトはちゃんとしたか? 結構ぶっ跳ばしていくぞ」
Jが黒色の高級車を運転し目的の場所へと向かう。
その道中、デンジは窓から街並みを眺め、興奮気味に話していた。
「J先輩、この街すげえっすよね。オレのいた田舎とは全然違う。高層ビルばっかで、みんな忙しそうだ。オレ、最初来た時は迷子になりそうでしたよ」
「ああ、みんな最初はそんなもんさ。ニューヨークは迷子になるにはピカイチの都市だからな」
そんな雑談を二人は挟みつつ。
目的地に、あっと言う間に着いた。
デンジとJは車から降りる。
そこは、路地裏のゴミ捨て場近くだった。
「はい到着」
「よっしゃ仕事だ!」
古いアパートの密集地帯。
レンガ造りの建物がずらっと並んでいる。
周囲を警戒しながら路地に入った。
空気は湿っぽく、腐った匂いが漂っている。
するとゴミ箱の影から、奇妙な音が聞こえてくる。
ぐちゃぐちゃ、という粘つく音。
デンジが指差す。
「J先輩、あそこっす! なんか動いてますよ」
「気をつけろよD。スペースガンはまだ抜くな」
Jが静かに頷き、デンジの前を歩く。
二人は慎重に近づいた。
『かゆ……うま』
そしてついに、対象がゴミ箱の陰から姿を現す。
スーツ姿のサラリーマン風で、茶色の髪に眼鏡をかけた中年男の容姿である……宇宙人。
肌が少し青みがかってて、耳が微妙に尖っている。
ゴミを漁ってる最中で、手に空き缶持っているが、慌てて隠そうとして失敗。
缶が転がってカランカランと音を立てた。
「うわ、なんだコイツ」
デンジが思わずつぶやいた。
すると、宇宙人はびくっと体を震わせた。
こちらの存在に気づかれる。
そして逃げようと素早く動き出した。
「あっ、まてコラ宇宙人!」
デンジが慌てた様子で追いかけようとする。
その時、Jがデンジに対して声をかけてきた。
「よし、D。お前に任せるぜ。俺は今回、何の手助けもしない。だから一人で解決してみろ。”試験”だ」
Jがニヤリと笑って、後ろに下がる。
デンジはびっくりして振り返った。
「え、オレ一人で⁉︎ ……本当に?」
Jは肩をすくめて、路地の壁に寄りかかる。
サングラス越しに、試すような視線を送ってきた。
デンジはごくりと唾を飲み込む。
心臓がドキドキと鳴っている。
だが、息をゆっくりと吐いた。
そうして、胸の鼓動を落ち着けると。
「よっしゃ! 了解っす。見ててくださいよ‼︎」
そしてデンジは駆け出した。
路地を走ってどこかに去り行く背中を追う。
走る、走る、走り続ける。
「チイっ、どこ行った⁉︎」
来た時とは反対方向の大通りに出る。
左か、右か、はたまた向かいの道か。
デンジは周囲を見渡すが、対象は見当たらない。
ただ一つ分かるのは、汚れた空き缶が足元にいくつも落ちていると言うことだけで……。
「あっ、そうか! こっち側に空き缶が落ちてるってことは右だな‼︎ オレちょー天才!」
デンジは閃き、空き缶の軌跡を追う。
人と人の間を縫うように、右の道を突き進んだ。
だがしかし、中々それらしき姿が見当たらない。
「くそ、どこだよおっさん! ゴミ漁り好きなら、オレの昼飯の残りでも食わせてやるのによお!」
独り言をブツブツ言いながら、角を曲がる。
すると、向こうのベンチで怪しい影。
眼鏡をかけた中年男が、息を切らして座っている。
青みがかった肌が汗でテカテカ光り、尖った耳をハンカチで隠そうとしてるのが丸見えだ。
「はっけん!」
デンジは息を潜め、忍び寄る。
ベンチに近づき、ぽんと肩を叩く。
「おっさん。もう鬼ごっこはお終いだぜ。なぜならオレがもうタッチしたからな」
中年のおっさん——宇宙人は諦めたように、デンジに向けて苦笑いを浮かべた。
そしてデンジは宇宙人に問うた。
「なあ、何だって逃げ出したんだ? ここ……マンタッハン? のイーストなんちゃらから許可なく出るのは禁止されてるんだぜ」
宇宙人はこう寂しそうに答えた。
ため息をつきながら、ベンチの端に腰を沈めた。
汗だくの額を拭い、弱々しい声で吐き出す。
『ワタシは……ただ、故郷の味が恋しくてね。イーストサイドの制限区域じゃ、手に入らないんだよ。地球の缶詰は、似てるけど全然違うんだ。甘くて、酸っぱくて、懐かしいあの”普通”の味……。だから、こっそり外に出て、探しに行こうかと。ね』
デンジはポカンとして、宇宙人の手元に転がる空き缶を拾い上げる。
ラベルは、英語で「Peach Coke」みたいな文字。 なんだろう、果物のジュースか?
「普通の味……? そっか。まあ、でもわかるぜ! オレもポチタと一緒に、もっと旨いもん食いたかったからな!」
デンジは空き缶をくるくる回しながら、ベンチにどっかり腰を下ろした。
宇宙人の隣で、まるで親しく肘を寄せる。
そうして真正面から見つめ返す。
「なあおっさん、宇宙ってそんなに旨いもん食えるのか? オレの知ってるジャムパンみたいに、甘くてベタベタするやつとか? それか、もっとヤバくて、毎日ステーキみたいなジューシー? とか?」
宇宙人はくすっと笑い、目の奥を細める。
尖った耳が、緊張から少し緩んだみたいだ。
『いやいや、そんな豪華じゃないよ。ボクの星じゃ、みんなで分け合う、ただの果実のジュースさ。地球のこれ……近いんだけど、甘さが足りなくてね。酸味が強すぎるんだ。星に帰りたくなるよ、時々』
デンジはうんうんと頷きながら、空き缶を鼻に近づけてクンクン嗅ぐ。
桃の匂いが、ふわっと広がる。
意外と悪くない香りがした。
ポチタがまだいた頃、森で拾った実を齧った時みたいな、ソレに近い。
「なあ、おっさん。『悪い宇宙人は殺される』らしいぜ。オレはそう言われたんだぜ」
『おや、キミももしかして宇宙人なのかい?』
「わっかんねえ! でもよ、宇宙人か悪魔か知らねえけど、パンにジャムは塗れる。どっちでも良いんだ。だって、初めて手に入れた”普通”だからなっ!」
デンジは胸をポンポン叩き、ニカッと歯を見せて、グッと親指を上げて笑う。
宇宙人はびっくりした顔で、でもすぐに柔らかい笑みを返す。
『そうだね、”普通”とは幸せと同義だからね』
デンジはベンチの背に寄りかかり、空を仰ぐ。
ニューヨークの朝陽が、ビルの隙間から差し込んで、青みがかった肌の宇宙人を優しく照らす。
「”普通”……か。そうだ!」
デンジは立ち上がり、拳を握る。
「よし、おっさん。オレがその『普通の味』、取り戻してやんよ。こんな街なら絶対あるぜ! イーストサイドに戻る前に、一緒に探すか!」
宇宙人はぽかんとして、でも目が輝く。
『本当に? ワタシみたいなヤツを、助けてくれるの? MIBのエージェントが……』
「エージェントだからこそだぜ。悪い宇宙人は殺すけどよ、おっさんはただの『普通』探しだろ? オレぁ”普通”を手に入れて良かったと思ってる。だから、おっさんにも普通を手に入れて欲しいんだ」
デンジは宇宙人を引っ張り、大通りに飛び出す。
果物の匂いが漂い、ホットドッグの屋台が並ぶ。
そして近くのコンビニを指差した。
店内は涼しく、棚に色とりどりのボトル。
デンジはガサゴソ漁り、桃のジュースやらアップルサイダーやらを次々宇宙人に押しつける。
「ほら、会計はオレの奢りだよおっさん」
そしてレジ脇で飲食タイムを始める。
「これ、どうよ? 甘え? 酸っぺえ?」
そして十数本目でようやく当たりを引く。
『おお、これだ! この甘酸っぱさ、故郷の果実に近いよ。蜂蜜混ぜりゃ、完璧さ。少年、君のおかげだ。『普通』が、こんな近くにあったなんて……』
デンジはニヤリと笑い、サムズアップする。
宇宙人も、微笑んで親指を立てて見せる。
二人はがっと握手をした。
『ありがとう、キミの名前は……』
「Dだ。ただのエージェントD」
『そうか、D。改めて感謝するよ』
宇宙人はお辞儀をして笑む。
『お礼と言っては何だが……受け取ってくれ』
「ん? なんだこれ」
デンジは小さな茶色の紙袋を渡される。
それはちょうど、缶でも入りそうな大きさだ。
チリンチリン。
鐘の音がなった。
そして、そこには見知った顔がいた。
「あっじ、J先輩……。いやこれは、その何と言いますか、今まさにこの宇宙人をとっ捕まえたところでしてね……へへっ」
エージェントJ。
先ほど自分にこの宇宙人を任せた先輩である。
もしかしなくとも、これは怒られコースか?
デンジはそれを覚悟してJを見ると……。
「おいD、よくやったぜ」
逆に、なぜか褒められた。
「えっ、でもオレ。この宇宙人を捕まえて戻すことができなくて……それで来たんじゃないんすか?」
Jはニヤリとした笑みを浮かべて近づいてくる。
宇宙人はびっくりした顔で後ずさりかけるが、Jが軽く手を上げて制す。
「ストップ、おっさん。もう演技は辞めていいぜ。Dの試験に協力してくれてサンキューな」
デンジはポカンとして、茶色の紙袋を握りしめたまま固まる。
宇宙人がクスクス笑い出し、眼鏡を押し上げる。
Jと宇宙人の二人は謎の会話を始める。
『おおJ、ようやく終わりか。ワタシも中々上手くやるもんだろう?』
「ああ、パーフェクトだったな」
『じゃあ、ワタシはこれでイーストサイドに。蜂蜜混ぜたジュース、忘れないでくれよ?』
「もちろんさ」
宇宙人は軽く手を振り、コンビニを出て路地の角を曲がって去っていく。
青みがかった肌が朝陽に溶け、尖った耳が最後にチラリと見えただけだ。
デンジはまだ状況が飲み込めず、Jを見る。
「ど、どういうことっすか……?」
デンジの問いに、Jは答えた。
「あれ、言ってなかったか? これは”試験”さ、D」
「し、しけん?」
すると、Jは事のネタバレを始めた。
「ははっ、そうだD。お前、完璧だったぜ。一人で捕まえて、銃を抜かずに説得して、『普通』の話で心掴んでな」
「は、はあ」
デンジの頭は混乱したままだ。
「お前、知らなかっただろ? それにしても、いいもん見せてもらったっぜ。まったく!」
「い、痛い痛い!」
デンジの頭をぐりぐりとJが拳で挟む。
「実はな、D。これはKのアイデアでな、MIBの新米卒業テストだったんだよ」
「新米卒業……?」
「まあ、言うより見るが早いか」
Jはデンジの持つ、先ほどの宇宙人から渡された茶色の袋を指さして、開けるよう言った。
デンジは若干訝しみながらも、それに従う。
茶色い袋をガサっと開けた。
——すると、そこにはなんと。
「これって……! ニューラライザーじゃないっすか! 何でこんなものが袋の中に……?」
銀の細筒。
記憶消去装置が入れられていた。
Jは笑ってデンジに語りかける。
「だから言っただろう? 新米卒業試験だって」
”新米卒業”、それは、立派なエージェントの一員として認められた証。
現に、デンジの手元にニューラライザーがあるのが、それを示している。
「マジすか! 卒業? つまりそれって……」
「D、お前が”プロフェッショナル”ってことだ」
デンジは喜びで瞳をいっぱいにする。
「すっげえ! これでオレも、J先輩やKさんみたいにカッコよく隠蔽すんのか!」
銀筒を握りしめ、胸が熱くなるのを感じる。
喜びと、嬉しさ、きっとその両方だろう。
そんなデンジに向かってJが問いかける。
「エージェントD、この”普通”を続けたいか?」
「それはもちろん! 」
デンジは思いのまま気持ちを伝えた。
「オレ、パンにジャムだってコーヒーだって、まだまだ飲み食べ足りないっすから!」
■ ■ ■
一方東京では……なくニューヨーク市街にて。
紅い髪の女性——マキマが観光に訪れていた。
この摩天楼が幾つもそびえ立つ街並みは、1920年代からあると聞いて誰が信じるだろうか。
彼女はそんな都市NYを公安の制服姿、ではなく私服姿でのほほんと観光していた。
人々が行き交い、車が往来している。
「あっ、さーせん」
その時ふと、マキマの肩が誰かとぶつかった。
よくみると、それは黒服の少年だった。
「大丈夫っすか……?」
「うん、大丈夫」
互いに頭をぺこりとさげる。
そしてそのまま少年が去っていこうとした時。
その背中に、マキマは声をかけた。
「キミ変わった匂いがするね」
「あ、ええ?」
少年が困惑した様子でマキマを見る。
彼女は続けて、言葉を発した。
「人でも悪魔でもない匂い」
マキマは固まった様子の少年に質問する。
「キミ、一体何者——?」
少年は深く考え込んだ様子を見せたのち、こうゆっくりと答えてみせた。
「そうっすね……なら、ソレを知るにはコレを見てもらえば一発ですよ」
銀の細筒。
いつの間にか少年はサングラスをしていた。
「……?」
\ /ピカッ\ /
ニューヨークには高い建物が多く立っている。
まさかこれが、1920年代からこの景色とは、言われても信じない人が多いだろう。
さっき通りすがりの若い子が、そんな豆知識を教えてくれた気がする。
マキマは、そんなことを思いつつ歩みを進める。
「そういえば、美味しい珈琲店があるんだっけ」
そうだ、せっかくだ。
エンパイア・ステイトビルにも訪れよう。
彼女はニューヨークの街並みを歩き始める。
それは何事もなく、ただ平凡で穏やかに——。
—第一章 完—
『DENJI IN BLACK』
【進捗】4/4
……工事完了です。
映画『Men in Black』(1997)と『チェンソーマン』の時代背景(1997)が偶然重なる——この響き合いが、本作のクロスオーバーを後押ししてくれました。
本作では「悪魔=宇宙由来の情報生命体」という仮説(=Outer Pattern)を採用しています。もし現実に当たっていたら……ふはは。
次回: #5「エージェントR」
\ /ピカッ\ /