9話:ニューラライザー
某日、早朝のニューヨーク市。
静寂な時間に、とある二人の男が珈琲屋にいた。
「うめえっ! 旨えっ!」
「…………」
前者は、一心不乱にサンドイッチを食らっている。
後者は、ただ紳士的に静かに、カップに入ったコーヒーを飲んでいる。
「いやうまい! 何でこんなに美味いんですかね⁉︎ ただパンに、ハムとベーコンと何かの草が挟まれてるだけなのに‼︎」
金髪で黒服姿の若い青年(いや少年と言うべきか)が——デンジが、白髪混じりで同じく黒服姿の老人——Kに、そんな単純な感想を述べる。
「……そうだな。小僧、多分お前はバカなんだ」
「ば、バカぁ⁉︎ 何言ってるんすかKさん! オレぁ毎回このサンドイッチには本気で感動してるんすよ! ほら、Kさんも食ってみれば絶対わかりますって。このオレの心からのサンドイッチ愛が‼︎」
Kは呆れたように小さく息を吐いた。
そして、ブラックコーヒーに琥珀色の液体——アマレットを数滴垂らした。
ふわりと、アーモンドのような甘い香りが漂う。
「ハムとベーコンと、レタス。それにパン」
「おう! 最強の組み合わせっすよ」
デンジの答えに、Kはニヤリと笑って続ける。
「ならば小僧。……もしその最強の組み合わせに、かつて『もう一つの具材』があったとしたらどうだ? 誰もがサンドイッチに挟むのが当たり前だと思っていた、全く別の何か。だが今は、世界中の誰も、その具材の名前すら『思い出せない』としたら?」
「……へ? 何言ってんすかKさん。思い出せないなら、そんなの『無かった』と同じじゃないっすか?」
「その通りだ」
Kはカップを静かにテーブルに置いた。
コツンと木のテーブルが軽く音をたてる。
「無かったのと同じになる。人々の記憶からも、宇宙の記録——アーカイブからも完全に消去され、初めから存在しなかった概念として世界が再構築される。それが『失われたもの』だ」
「は、はあ。……つまり一体、誰がそんなことを?」
Kはすっと指を向けた。
淡々と、事実を告げるように。
「お前の胸にいるヤツだよ、小僧」
デンジの咀嚼が、ピタリと止まった。
口内の水分が急速にパンに奪われていくようだ。
「……ポチタが?」
ただこくりと頷かれる。
「我々MIBは、増え続ける宇宙人の中でもとびっきりの不法移民である『悪魔』への対処に苦慮していた。奴らは宇宙の共有メモリ領域——通称『地獄』から無限に湧いてくる」
「え、ええ」
「つまりキャパオーバーだ。我々MIBでも全てに対応するというわけにはいかない。可能には限りがある」
ふと、Kが胸元から銀の細筒を取り出した。
そう——『ニューラライザー』だ。
「MIBはこれを使って人々の記憶を消す。そして改竄する。宇宙人の所業を、悪魔のせいだとすり替える」
デンジは小首をかしげて問う。
「それと、ポチタに何の関係があるんです?」
「大いに関係ある。よし小僧、この光を見つめてろ」
Kがグラサンをかけて、裸眼のデンジに向ける。
「ちょ⁉︎ ストップ! 待ってくださいKさん!」
「なんだ小僧、今からいいところだったのに」
「いや、全然良くないっすよ! 何でナチュラルにオレの記憶消そうとするんすか‼︎」
デンジは手で目を覆い隠しながら抗議した。
「説明するより行動するが易しと思ったんだがな」
「いや、全部忘れちゃいますから! オレの今日せっかく食ったサンドイッチの味とかも記憶とかも全部なくなっちゃいますから!」
Kはグラサンを外し、銀の細筒を懐にしまった。
デンジも指の隙間からそれを眺め、警戒を解いた。
「それで……? ポチタと今のに何の関係が?」
デンジは再度、不思議そうに質問した。
Kはコーヒーに一口つけてから答える。
「小僧、”第二次世界大戦”は知っているか?」
また突拍子もないことを……。
デンジは頭を抱えながら復唱してみせた。
「だいにじ、せかいたいせん?」
「ふむ。その様子だと知らないみたいだな」
「何かのゲームっすか?」
「いやいい。次の質問だ。”エイズ”は知ってるか?」
「え、えいず……?」
「それも知らないか。まあ知る由もないか。それに小僧はまだガキだしな。仕方ないか」
「ガキ⁉︎ いや知ってるし! えいずくらい知ってますよKさん‼︎」
ほう……? とKが続きをデンジに促す。
「アレっすよね、アレ! ずばり! このサンドイッチにない、『失われたもの』ですよね⁉︎」
Kがニヤリと口元を歪める。
その表情に、デンジは正解を確信した。
「だってKさん、さっき『具材』の名前すら思い出せない。って言ってましたもん!」
自信満々に指でVの字を作って見せる。
「……見事な推理だ、と言いたいところだが。全くの的外れだ」
「ええっ⁉︎ 違うんすか!」
Kは大きなため息をつき、テーブルの上の紙ナプキンを指で軽く叩いた。
「第二次世界大戦は戦争だ。エイズは病気だ。どちらも食べ物ではないし、ソースでもない。……かつてこの地球で、数え切れないほどの命を奪った『恐怖』の概念そのものだ」
デンジはポカンと口を開け、目を瞬かせた。
「戦争? 病気? ……でも、オレそんなの人生で一回も聞いたことないっすよ?」
「ああ、そうだろうな。お前のその心臓——『チェンソーの悪魔』が食べてしまったからな」
ドクン、と。
胸の中で、ポチタが小さく跳ねた気がした。
「それだけじゃない。歴史上の戦争、未知の疫病、自然現象、第六感……様々な『概念』が、ヤツの腹の中で『無かったこと』にされてきた。だからこそ、我々MIBはずっとヤツのシグナルを監視していたんだ」
「え? ……え?」
デンジの困惑をよそに、Kは懐から再び銀の細筒を取り出し、今度はテーブルの上に転がした。
細筒は、暖かな照明を反射して鈍く光る。
「小僧、先ほど見せたこのニューラライザー。あれがただの強い光だと思っているなら大間違いだ。実は、ニューラライザーの技術には『お前の中のやつ』の能力が使われている 」
「オレの……ポチタの力が?」
「そうだ。対象の存在や記憶を『なかったこと』にする。ソイツが放つ概念消去の波長と同じ原理で作用するよう作られているのが——ニューラライザーだ」
デンジは頭を何度もぐるぐるさせながら、言葉を何とか脳から搾り出すように発する。
「つまりポチタは、ポチタは……」
呼吸が置かれる。
一瞬が永遠にも感じられるような中で。
デンジは——。
「めちゃめちゃすごいヤツってコトっすね‼︎」
考えることをやめた!
「いやあなんか照れるなあ〜。オレのことじゃあないけど、ポチタってばそんなすごいヤツだったのか〜」
デンジが天井を眺めて気分よく鼻歌を鳴らす。
——目の前にいる大先輩が、いつの間にグラサンをかけて銀の細筒を向けていることに気づかないまま。
「おい小僧、ちょっとこっち見ろ」
「ん……?」
\ /ピカッ\ /
「よし、お前は今朝、酷い食あたりを起こした。不運なことにサンドイッチの豚肉が傷んでいたらしい。小僧、これから本部の医療フロアで胃の洗浄を行う。大人しく寝台で目を覚ませ」
フラッシュの残像と、Kのそんな冷たい声が、意識の奥底に溶けていった——。
■ ■ ■
真っ白な天井と、無機質なライトの光。
鼻を突くのは、珈琲の香りではなく消毒液の匂い。
「……う、ん」
デンジは重い瞼をゆっくりと開けた。
腹が……いや、胸のあたりが妙にスースーする。
「ウハハハハ! 目覚めたか下等生物!」
突如、鼓膜を劈くような高笑いが部屋に響いた。
デンジが横を向くと、そこには白衣を雑に羽織った、頭に赤い角の生えた少女がふんぞり返っていた。
彼女の口周りや手袋には、べっとりと赤い返り血のようなものがついている。
「あ? 誰だお前? つーか、オレ、食あたりで」
「食あたりなどではないわ! ワシが今さっき、ウヌの胸をかっさばいて『新しい心臓』を泥と血でこねて創ってやったんじゃ! 天才じゃろう! ひれ伏せ! 崇めよ! ワシの名はパワーじゃあああ!」
「……はあ?」
デンジは少女——パワーの言うことが全く理解できず、自分の胸元に視線を落とした。
エージェントスーツははだけており、胸の中央には真新しい縫合跡がある。
そして何より。
「……ヒモが、ねえ」
胸から生えていたはずの、ポチタの尻尾のようなスターターロープが消え失せていた。
ドクン、ドクンと鳴る鼓動はある。
だがそれは、今までデンジが聞いていた力強いチェンソーのエンジンのような鼓動ではなく、ごく一般的な、ただの人間の脈動だった。
ウィィィン、と自動ドアが開く音がした。
入ってきたのは、黒服姿のKだ。
その手には、青白い光を放つ透明な金属製のケージ——MIBの特殊捕獲装置が提げられている。
「ご苦労だったな、血の娘。お前の血肉操作の腕は確かだ。約束通り、刑期を300年ほど短縮してやろう」
「ウハハ! 当然じゃ! ワシにかかれば人間の一匹や二匹、臓器から丸ごと作り変えてやるわ!」
角の生えた少女——パワーは得意げに笑いながら、手術室の奥へと引っ込んでいった。
デンジはようやく起き上がる。
そして、Kの手元にあるケージを見た。
「Kさん……これ、どういうことっすか? オレの胸のヒモは? それに、そのカゴの中に入ってんのって……」
金属製のケージの中。
そこには、オレンジ色の犬の姿に戻された”ポチタ”が、プルプルと身体を震わせながら座っていた。
「ポチタ! おい、なんでこんなモンに閉じ込められてんだよ! ってそうだ、Kさん‼︎ 放してやってくださいよ! ソイツ、オレにとって家族より大事な存在なんです!」
「ワンワン!」
デンジはベッドから飛び降りようとするが、足に力が入らずその場に崩れ落ちた——。
【進捗】1/2
最終話:#10「チェンソーマン」