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「ん、あ゛ー……すまんな、散らかってて」
そう言って、センセはおぼんに乗せておからクッキーと追加のホットミルクを持ってきてくれる。机の上にある冊子を雑にテーブルの端に寄せて、そこにクッキー缶を置いた。
「あ、センセ、おかえりなさい♡ 大丈夫ですよ。あ、クッキー! ありがとございます♡」
「おう、貰いもんだけどな。あとは、ほれ」
「ん、あったかい」
「ん。寒くねぇか」
「はい。暖房効いてますし……あ」
「ん? どうした?」
「実は寒くてェ、人肌が恋しいなぁって……ほら、こっちへどーぞ♡」
隣をポンポンと叩くも、センセは構わず正面に座っちゃった。
「ぶーっ…………いただきます」
ふーっと少し冷ましてから、こくりと飲む。
「…………ん、おいしいです♡」
「ん、よかった」
いつもより柔らかい顔のセンセ。そんなセンセの表情を見て、少しドキッとする。それを誤魔化すみたいに、わたしはさっき話していた話題に戻ることにする。
「……あ、そうだ、センセ。これ、SNS見てくださいよ」
「あ゛ぁ?んだこれ、あー……なんか最近流行ってるって、患者さんが言ってたやつか…」
「フフッ、あるあるですよね。こういうのってたまーに流行りますよね。今回は世界が終わるって言われてたから尚更」
「そーだなァ」
「んー、せっかくだし、わたしたちも少しお話ししてみませんか」
センセはそこで時計をチラリと見た。少しだけな、と次に言いそうなことは分かります。だから、わたしはその前に話を切り出す。
「じゃあですねぇ……『もし、褒めてもらうとしたら『すごい』と『よく頑張ったね』どっちがいい?』 これなんてどうですか?」
「どっちがいいかだァ? 世界の終わり関係ねぇじゃねぇか。でも、まぁ、そーだなぁ」
「わくわく」
「どっちかなら『すごい』のほーだな。『よく頑張ったね』はなんつーか、そこで区切られる気がするっていうか、これからがねぇ気がするっていうか……あ゛ーー、なんっかうまく言えねーなァ」
「なるほど。なら…………えい!」
わたしは身を乗り出し、向かいに座るセンセの頭を撫でて言う。
「センセ、すごいですね。ここ数日、患者さんの数も多かったのに……ちゃんとお仕事果たしてすごい、です」
「なんだ急に! 仕事なんだから当たり前だろうが」
わたしの手を軽く払って、センセはそう言う。
「でも、SNSだと普通に仕事辞めてる人もいるんですから、ちゃんとお医者さんの仕事を果たしてるのは、お世辞抜きですごいと思いますよ?」
「まぁ、そりゃいるだろーな。身近にもいねーわけじゃねぇし」
いい奴ほど患者さんの影響を受けちまう。センセは続けてそう言った。
「でしょー? だから、センセはすごいんです! あ、ちなみにですけど、わたしはセンセに褒めてもらえるなら、なにを言われても喜びますからね♡」
「へいへい…」
そこまで話をして、不意になぜかつけていたテレビ、さっきのアニメに意識が移る。気がつけばお話は進んでいて、テレビの中のヒーローが言った。
『君にも楽しいことや嬉しいことがあったんじゃないか。心温まることが一つもなかったのか!』
そこで、テレビの中でノイズが走る。瞬間、視界がぼやけて、ある光景が見えた。それはセンセとの日々だった。きっとアニメの台詞が刺さってしまったんだろう。心温まるセンセとの毎日が脳内に蘇って。
ちゃんとここにあるよ、と思い出がそう主張しているような気さえした。
『もし良いと思えるようなことがないなら、これから作ろう。いろんな場所にいっていろんな世界をみよう。いろんな楽しいことをしよう』
『……嬉しいことが1つもないなんて、そんなことはない。むしろその思い出がずっと苦しいんだ。幸せな時でさえ、俺は、苦しいんだ』
「あ……」
そこで意識がハッキリする。どうやらどこかへ意識がいってしまってたみたい。いけないいけない。センセと夜更かしできるなんてなかなかないんだから。
「センセ、じゃあ、もうひとつ。もしの話をしてもいいですか?」
「なんだァ?」
「『もし2人で出掛けるとしたらどこに行きます?』まぁ、デートですね、デート♡ センセはどこに連れてってくれるかなぁって」
「デートって……なぁに言ってんだか」
けど、律儀なセンセだ。もしもなぁ、と言いながら考えてくれる。好き。うーん、そうだなぁと焦らすセンセ。どきどき。やがて、センセは口を開いた。
「ベタだけど、水族館とかか? 見たいもんがあんなら映画とかでも、まァどこでも行きてーところ行きゃいい」
「フフッ」
「んだよ」
センセらしい答えだな、と思う。ぶっきらぼうに見えて、こっちがやりたいこと、行きたいところを尊重してくれる。そんな優しさが伝わって。
「いいえ、センセと一緒にでかけるの想像したら楽しくなっちゃって♡」
「あくまでも『もしも』だからな??」
「はい、わかってますよ」
「ん、ならいい」
ズズッとセンセはホットミルクに口をつける。
ね、センセ。わたしはセンセと一緒ならどこでも…………そう言った方がポイントは高いかな。でも、ほんとは……センセとずーっと、永遠に2人きりでいられるところ、なんてね、フフッ。
「あ、センセは何かあります?」
「んあー、『もし、自分の性格を一つ治せるとしたらどこを治したい?』とかか」
「? 性格で治したいところですか?」
「ん、あァこれ」
センセはスマホを見せてくれる。どうやらセンセもちょうど見ていてくれたようで、ページの1番上にはそんな話題が載っていた。
「センセ、あるんですか? 治したいところ?」
「ンーー、あると言えばあるし、ないと言えばない……かァ?」
「えー? なんですか、それ。せっかくですし、教えてくださいよ! なんならわたしが全肯定しますよ?」
なんだそりゃと答えつつ、センセは続ける。
「いや、なんつーか、治したいとこはあンだが、別にこの性格が嫌なわけではねーからなァ。この性格だから今までやってこれてるって節もあっから、別にそこまで直そーと思わねェよ」
「フフッ、なんだかセンセらしいですね。かくいうわたしも同じですけど」
「ハッ、そうか」
またアニメが視界に入る。アニメは進んでいた。悪役がヒーローに言う。
『この苦しみを取り除く方法を俺は知らない。頭を抱えて縮こまって誰かに助けを求めたくても誰に言えばいいのかわからない。これは誰にもどうにだってできない。俺だけが抱えた感情だ。こんな苦しい世界、俺は嫌いだ。だったらないほうがいい』
テレビの中でまたノイズが走る。目の前の光景は『哀』の記憶。あの『紅葉樹の世界』での出来事。それに連なり、蘇る『今のわたしではないわたし』の記憶。思い出すだけで胸が張り裂けそうな、深く爪痕を刻まれたように感じる。自分とは異なる人生を歩み、異なる選択をし続けた『わたし』は画面の中で、1人、静かに涙を流していた。その周りにはセンセは、いない。
「っ……また……」
気づけばはっと意識が戻る。ぼんやりとアニメを眺めていたらしく、またアニメは進んでいる。テレビの中のヒーローが言う。
『君を苦しめてしまう過去があるんだね。前に歩けないなら俺が手を取って引っ張るから。足が動かないならおんぶしていくから』
『君を救いたいんだ』
「……救う、ね」
「ん? どうした?」
「ああ、いえ」
「?」
「それよりも、センセ! もう1個、何かありませんか?」
「そーだなァ。じゃあ、もしもの話でありがちなヤツだが『1つだけ過去をやり直せるなら何をやり直す?』かな」
「過去…………ですか」
「つっても、16歳だろ。あんまりそんなことねぇかァ?」
「……………………そう、ですね」
強いて言うなら、と前置きをして。
「詳しくは言えないんですけど、少しだけ失敗したなぁってことがあってですね。…………もうすこしちゃんと……『外堀』を埋めとけばよかったなぁ、て」
「?」
「そのくらいでしょうか。それ以外は特に後悔してることもないですよ」
「よくわかんねーが、まぁ……そうか」
「…………センセはあります?」
「そーだなァ、あれはオマエがうちの病院に来る前か。助けらんなかった奴らがいたから、やり直せンならやり直してーなァ」
センセはそう言って、遠くを見る。わたしじゃない誰かを思う、そんな表情だった。
「………………へぇ。センセ、やっぱり優しいね」
「ハッ、別に……そーでもねー」
「ううん、やさしいですよ。センセは誰にでも……」
カチリと時計の音が鳴る。気づけばもう時刻は2時。
『じゃあ救ってくれよ。ヒーロー。俺の人生をずっと見てくれるわけでもないのに無責任なこと言わないでくれ。俺は俺なりに救われようとしてるんだ。それがこれだ』
「………………」
ヒーローはわたしだけを見てくれてるわけでもない。それはそうです。ならば、どうすればいいんでしょうね。
「あ゛ぁ? んだこの記事。『もし、『大切な人』と『知らない人1000人』どちらかを殺さなければいけない場合どうする?』だァ?」
「んー? なんですか、それ」
「ん」
センセも少し興が乗ってきたのか、それともだいぶ時間が経ってきて開き直ったのか、どうやらお話を続けてくれるみたい。
「わ! 結構過激ですね。でも、こういう思考実験ありましたよね。えーと、トロッコ問題、でしたっけ?」
「あ゛ー、確かに。少し違うが、トロッコ問題に近いか」
「それにしても、1000人って……フフッ」
「?」
「あ、センセはどうします? これ」
「あ゛ーーーー……そもそも人の命を奪うってのがなぁ……。どーにか誰も殺さずに済む道がないか探すが、どーしてもどっちかを取らなきゃなら……多くの人を救える方を、選んじまうかもなァ」
センセらしい、ホントに。
「……………………そうですね。わたしも、そうおもいます。まぁ、そもそも殺すなんて、そんな物騒なこと考えたくないですけどね」
「だなァ」
「みんな、世界が終わると聞いて、疲れてるんですね」
「そりゃ、急に未来を潰されんだ、暗いことも考えちまうだろうよ」
「本当に、みなさん、『馬鹿な質問』考えますよね、フフッ」
「そーかァ? まぁ、現実味のねー質問だが、『もしも』なんだからそんなもんだろ」
「そうですね。現実味、ないですよね、ホントに」
「あァ」
現実味のない例え話だと思う。無意味で、馬鹿な質問。もしそんなことが起こり得るならば、わたしは迷わず選ぶだろう。そうも思うけれど。
「……………………」
気がつけばアニメが進んでいる。悪役が仮面を外していて、そこにいるの行間を読み取るに、ヒーローの親友の姿だったよう。
『お前のことはわかってる。お前はいい奴だ。けれどお前は俺が苦しんでることに気づかない。お前に出会わなければ、ここまで苦しくなかった』
テレビの中でノイズが走る。今度は出会い、だ。センセとわたしが初めて出会った日のこと。職場体験で初対面のわたしの心を埋めてくれたあの時のことが視界に広がる。それは偶然で、でも、運命だった。
その時出会っていなかったら、今頃わたしは何をしていただろう。もしお互いの人生がもっと別の方向を向いて交わることがなければ、そうしたら今のわたしは、センセはどうなっていたのだろうか。少なくとも世界滅亡の次の日、一緒にはいなかっただろう。それだけは分かる。それを考えて、
「っ」
震える。意識が戻る。テレビの中の悪役が言う。
『俺のことはもう忘れてくれ』
その台詞を聞いて、わたしはセンセをふと見つめた。センセがいない人生に一体どれほどの価値があるのだろう。そんな世界に意味はあるんだろうか。不安が募り、わたしは思わず言葉を発していた。
「………………ね、センセ」
「ん?」
「センセはわたしと出会わなかったら、何をしてたと思います?」
「オマエと出会わなかったら? 別に特段変わることはないだろ、フツーに仕事して、フツーに過ごしてるだろーよ」
「………………………アハ………………まぁ、そうですよね」
分かってはいた。わたしの人生にセンセの存在は必要。でも、センセの人生にはわたしは必要ない。いても、いなくても、きっとセンセは変わらない。センセの言う通りだ。
「……………………………だよね」
「どーした?」
「………………………………いえ、なんでも、ないです」
「……そうか」
ズズッ。お互いにミルクを飲む音がする。もうすっかりぬるくなってしまって、残りちょびっとのミルク。終わってしまう。それがたまらなく寂しくて。
「……センセ」
わたしは口を開いた。独白のように、口が勝手に動く。
「わたしは……たぶん、センセと出会ってなかったら…………からっぽのまま、でしたよ」
「センセがいなかったら、たぶん親の言うこと聞いてそれなりの高校に行って、なんの目的もなく大学とか行って、そのまま就職して…………ただ生きてるだけ、空っぽなままになってたとおもいます」
「…………だからね、わたしはセンセと出会えてよかったよ。こうして、世界が終わろうとした時に、大好きな人と一緒にいれたから」
わたしの独白を聞き終わって、センセは一言。
「陽田が今の方がいいってんなら、まァ、よかったよ」
「…………はい」
センセは変わらない。きっと、変わらない。
ヒーローは言った。
『俺がいるから苦しかったんだね。それでも俺は君と過ごした日々を忘れられないよ』
時計の針はゆっくりと進んでいく。空では星が瞬いていた。まだ夜は明けない。
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