通過者及び視聴済みの方のみお読みください。
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この世に数多ある色の中で。あなたは、この色を見たことがあるだろうか。それは螳�ョ吶°繧峨�色。
見たことがないのなら、それで結構。見たことがあるのなら、____。
さあ、その視界いっぱいに、極彩色の狂気を。
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「センセ? キョーカセンセ?」
「あ゛」
陽田の心配そうな声。少しボーッとしていたようで、ぼんやりと薄曇っていた意識を覚醒させる。受付へ並ぶ列に並んでいるうちに、どうやら少し気が抜けてしまっていたらしい。 傍らにいる彼女に大丈夫だとアピールしてみせれば、陽田は安心したように微笑んだ。
「最近、忙しそうですもんね。でも、ほら、もう受付ですよ」
陽田に促されて前方に目を向ければ、列は短くなっていて、受付の事務的な受け答えが聞こえる程度には進んでいた。
「あァ、ほんとだな」
「結構、人気あるみたいですね、ここ」
「絵の展覧会なァ……」
正直、興味はなかったが、陽田の熱量に圧され、頷いてしまった自分を殴ってやりてェ…。そんな衝動を誤魔化すように、陽田に展覧会のチケットを譲ってくれた人の話とか諸々を話しているうちに、「次の方、どうぞ」と声を掛けられ、二人揃って歩みを進める。カウンターの向こう側、受付の女性が一礼してくる。陽田がチケット2枚分を見せると、半券を千切り、戻される。
「はい、センセ」
「ん」
「フフッ、これも思い出、ですね♡」
たかがチケットの半券で、とは思うが、あえて言う必要もない。アタシは半券を適当にポケットに入れ、受付に置いてあったパンフレットを取る。さらに、館内での注意事項を告げられた後、
「それでは、当展覧会を心ゆくまでお楽しみくださいませ」
その言葉を合図に、アタシと陽田は展覧会に足を踏み入れた。
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館内は、高い天井とシンプルかつモダンなデザインの壁と床といった内装だ。通路から複数の展示室に行けるらしく、通路の天井にはめ込まれたガラス窓から自然光が差し込み、雰囲気を出していた。周りの人らも落ち着いた空気を壊さないように振る舞っており、騒がしくない程度の声量で同行者と意見を交わしたり、一人で物思いに耽ったりしている。
なるほど。アタシが行くようなDIYのイベントは正反対な雰囲気だ。チラリと隣の陽田を見ると、涼しい顔でパンフレットを眺めていた。
「んで、どーすりゃいいんだぁ? あんまりこーゆーとこ来ないからわかんねーんだよなァ」
「あ、これ、いります?」
そう言って、パンフレットを手渡してくる陽田。アタシが持ってるよりお前が持ってた方がいいだろと返すと、陽田は分かりましたと素直に頷き、パンフレットに再び目を通し始めた。少しして、陽田はアタシに指差しながら、それを見せてくる。
「んー、とりあえず館内、こんな感じみたいですよ」
「あァ、どれどれ?」
通路の真ん中で立ち止まるわけにもしかねェ。陽田の持つパンフレットに視線を落としながらも、通路の端へ歩を進める。
「わっ」
「おい!」
手元に気を取られていたせいか、陽田がこける。盛大に倒れてはいないみたいだが。
「うぅ、いたた…」
「おい、だいじょぶか?」
「あ、はは…………ん?」
誤魔化すように笑う陽田だったが、少し考えた後、口を開く。こういう時は大体ロクでもねぇことを言うのがいつものことだが……。
「ああ、痛いです、センセ♡ こうして腕組んでもいいですかぁ?」
はぁ、やっぱりかよ。
「ヤメロ、こんなとこで」
「ぶぅぅ、センセのケチ~」
力ずくで引き剥がすと、不満げな声をあげながら陽田は頬を膨らます。ッたく、なんでこんなに懐いてくるんだか。
「あ、センセ。こちら、どーぞ」
「ん」
気を取り直して、パンフレットに目を落とす。上質な紙を綴じられたそれは、複雑な色彩とデザインで覆われている。表紙に大きく歪んだ字で『狂気に犯される、美。』と印字されていた。
「狂気なァ……」
訝しげに思いつつ、中を開いてみれば、館内のマップが載っている。通路を道なりに行けばすべての展示室を見て回れるみたいだな。 カフェテラスやら土産や記念品が購入できる売店やらもあるらしい。
「まぁ、作法としては順路通りに回った方がいいですよね」
「そうだろーな、じゃあいくぞ」
「はーい!」
そうして、アタシらはやっとのことで進む。
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最初の展示室に入る。絵画が壁に飾られた一室で、照明は一般的な室内よりもやや薄暗くて独特な雰囲気があった。
「絵画がたくさんありますね」
「そーだなぁ。まぁ、美術展なんだし、そんなもんだろ」
辺りを見渡すと、シンプルな額装の絵が多い。詳しくは知らねぇが、普通、作品の横や前にあるであろう説明板やタイトルが記されたものがない。なんだろうな。作者は『絵』だけに注目してほしい、とかそんなところか。芸術家の考えることはよく分からねぇな。
「んー?」
「どうした?」
アタシから少し離れたところにいた陽田の声が聞こえ、そちらを見ると、1枚の絵を見上げていた。近づいて声をかける。
「センセ、なんかこの絵、変です」
「あー? どこがだァ?」
促され、絵を見る。
『 』
広いキャンバスを圧迫するかのように、とてつもなく大きな生物……らしきものが描かれている。曲がりくねった頸の上にある頭部は馬のような形をしており、全身を鱗が覆っている。そこに翼もある。
「……なんでしょう、これ」
「なんだろーなぁ? 想像上の生き物か? おもしれー形だ」
「…………はい」
見続けていると、頭にじわりと何かが芽生える感覚がある。名状しがたい感覚で、強いて例えるならば不安だ。だが、目が離せない。
「……センセ、次、行きましょう」
「ン? あぁ」
ただの絵だ。だが、何か巨大な、圧倒されるようなものを眼前にしているかのような感覚に陥ってしまう。足早に次の絵画の前へと急ぐ。
ふと気づく。陽田の視線が落ち着かなげにうろうろとしていた。
「おい、陽田。ダイジョブか」
「……はい、大丈夫です。それより次の絵を見ましょう」
「……なら、いいけどよ」
何かあったら言えよ。そう伝えると、陽田は頷く。アタシらはそのまま次の絵の前に立った。
『 』
その絵画を見て、まず連想したのは雪男。けれど、外見はおよそそれらのものと結びつかない。巨大な体は甲殻類のような姿をしていて、鉤爪のついた手足と、背中には一対の翼、頭に特徴的な模様とたくさんの触覚がある。
「…………センセ、これは……」
「また不思議な生き物の絵だ」
似ても似つかないのに雪男を連想したのも、そもそもこの触手も気味が悪い。不思議なんてオブラートに包んだのもバカらしいくらいには、自分の中の何かがこの絵の生物を拒絶していた。
「ちょっと気持ち悪い、ですね、この絵」
「んー、そうかァ?」
横目に陽田を見る。やはり、少し陽田の様子がおかしい気がする。
「だいじょーぶか、陽田? 少し休むかぁ?」
「……体調が悪いとか、じゃないんですけど……あんまり長くみてたら良くない気が……」
「そうか。じゃあ、ちゃっちゃと次行くぞ、次ぃ」
軽くそう言い、次の展示室へと歩を進める。だが、感じている。”何か”が背後まで忍び寄っているかのような、描かれている生物の目がこちらを睨めつけているかのような感覚が。
「チッ……」
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次の展示室。そう広くない空間だが、絵画が壁に数枚飾られている。絵画同士の間隔は広く、これが室内を大きく見せている一つの理由でもあるのかもしれない。
「……ここにも、絵画ありますね」
「だなぁ。ただ、こんだけあっても何がいいのかわかんねーわ……」
「でも、ほら……せっかく来たんですから、見なきゃ」
「まー、見るけどよォ……」
少し気になる。陽田の笑い方。何かに憑かれているような、いや、気のせいか。
「センセ」
「おう」
大きな額縁。そのキャンバスは白かったとは思えないほどに、赤に塗られていた。そこには内臓を撒き散らした人間が、白くなった肢体を投げだし、横たわっている。
「……」
「こりゃ……」
大きく裂かれた腹の中、血を浴びて踊っているかのような生物は、ゼリー状のイソギンチャクのような胴体、そして鉤爪を備えた球体の身体だ。すべてが鮮烈な赤に覆われたその絵を、長く見ることはできず、目を逸らしてしまう。あまりにもグロテスクな絵画だった。
「……なんか、この赤いの……血みたいな色してません……?」
「んー? あァ、確かに血みてーだな」
長いこと精神科医をしていたアタシだ。血を見るのは久々だが、それでもあれは時間が経ち、黒ずんだ血液のような錆色だった。
「………………センセ、次行きましょ」
「あー?」
陽田の方を見ると、彼女は軽くふらついていた。まあ、こんな絵を見た後だ。元々いいところの出のお嬢様の陽田からすれば、気分も悪くなるだろうよ。となれば……。
「んの前に一回休むぞ、よろけてんじゃねーか。どっか座れるとこねぇか」
キョロキョロとベンチでもねぇかと辺りを見渡す。だが、それを陽田自身が止めてくる。
「……ほら、私は大丈夫ですよ。それより、ほら、次の作品みましょ」
「………………」
医者として、なによりこいつの主治医として、本来は止めるべきなんだろうと頭では分かっている。だが、おかしい。いや、おかしくはない。次の作品を見なくてはならないんだから、陽田が大丈夫だと言うならここは休むべきではないんだろう。
「あァ……ヤバくなる前に言えよ」
「はい」
次の絵画の中には、ロープのような――触手か? それらが寄り合わさった、樹木のような姿をした生き物がいる。とても大きい。四本の脚には蹄がついていて、他にも無数の触手や巨大な口があった。似ても似つかないが、山羊のようだと感じーー
~~ぐにゃり~~
「っ」
それを見た瞬間に、胸の奥に不快感があった。まるで、自分の中の何かをねじ曲げられるようか感覚だ。
「センセ、いきましょ……♡」
「そーだな。ちゃっちゃと、行くぞ」
見れば、陽田の顔色は、もはや血色を失って紙のように白い。ぎこちない動きでこちらに顔を向けると、手探りでアタシの手を掴み、ぎゅうと握った。なぜかは知らないが、その姿が妙に……。
「次の、お部屋に……」
「お、う」
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ふらつく足取りで辿り着いたそこは、壁も、床も、天井も、真っ黒に塗られた空間だった。光というものが届かない宇宙を連想し、少し腕が震える。自分達は今、絵画という名の宇宙の隅にいる。人の知も、太陽の熱も、届かない。1枚だけ飾られた絵画。手を繋いだまま、2人揃って罰を受ける罪人のように仰ぎ見た。
色。 そこには、色があった。 色彩だ。 色彩がキャンバス一面に。 いや、キャンバスの外にも……。
「…………は、っ」
「…………あ、ァ」
今、自分が吸って、肺に取り込んでいる空気すら、その暴力的なまでの極彩色に、あるいは無彩色に、侵されて、犯されている。 全身を巡る血流に、狂気の色が混じり込んだ。 叫び出しそうに口が大きく開く。でも、声は出なかった。
少しして、うるさいほどの静寂を破ったのは、陽田だった。
「………………センセ」
「あ、あァ……」
ぎゅっと手を握られていたことに気づく。その繋いだ手にアタシも力を籠める。顔を見合わせる。目と、鼻と、耳と、口を、見た。曲線を描く輪郭に、なぞるように指を這わせる。目の前のコイツを絶対に離してはいけない。そんな風に本能が叫んでいた。
陽田が、アタシを見て微笑む。魅力的だ。今すぐコイツを抱いてしまいたいと、頬に添えた手に擦り寄る彼女を見ながら思う。
「陽田……おまえは……」
「フフッ、センセ♡」
~~ぐにゃり~~
ああ、違う。今の自分達は、ここに、そう、美術館だ。美術館に、展覧会を、そうだ。展覧会を見にきたのだった。ぼやけた視界のまま、隣にいる愛しいコイツと寄り添うようにしながら、アタシらは展示室を出た。
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