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陽田が愛おしい。
なるほど、これがiするということなんだな。
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展示室を出れば、そこはカフェだった。天窓から差し込む光で非常に明るい。ああ、そんなことよりも陽田を見るべきだな。木製の円形テーブルとチェアが適度な間隔を空けて並べられている。陽田、お前の瞳はなんて美しい色だろう。
テーブルに置かれたメニューには、新鮮なサラダなどの軽食と、季節の限定パスタ、コーヒーや紅茶などのドリンクがおしゃれなフォントで記載されていた。メニューを見ながらも、コイツの手を離してはならない。きっと来館者は、ここで味覚と腹を満足させながら、アートについて語らうことができるのだろう。陽田。
テラスには花や植物が配置され、鮮やかに、そして生き生きと咲き誇っているが、先ほど目にした色彩に比べるとどうしても見劣りしてしまうな。風が吹くたびに花の瑞々しい香りが鼻腔をくすぐる。陽田の匂いの方がいい香りなのは言うまでもない。
「セーンセ♡」
「なんだぁ、陽田」
「えへへ」
可愛らしく笑いながら、陽田はアタシの腕に抱きついてくる。軽く頭を撫でてから、近くの椅子を引き寄せた。
「ん」
「あ、えへへ。ありがとうございます。センセ、やさしいですね。お礼に私があーんしてあげますよ♡」
「ははっ、ガキが一丁前にお礼だなんて言いやがって」
「えへへ、そういいつつ、声、優しいですよ、センセ?」
「ハッ、ウルセェ」
ちょこんと陽田は隣に座る。2人、並んでメニューを見る。あァ、陽田からいい香りがするが、今は2人でなにを頼むか選ばねぇとな。
「陽田は何頼むか決まったかぁ?」
「んー、そうですねぇ」
あまりメニューが頭に入ってこない。陽田が決めたようだから、同じものを頼んだ。向かいにいるコイツと同じものを食べられるのは何よりもうれしい。
……あァ、本当は陽田そのものを食べちまいたい。柔らかな肌に歯を突き立て、皮を破り、血を啜って、肉を噛む。そして、飲み込む。きっと陽田も同じことを考えているのだろう。アタシへのi情を全面に押し出して、にこにこと笑っている。あァ、コイツは本当に可愛らしい奴だ。
「あー、むっ」
不意に、左手の薬指に甘い痛み。見れば、陽田が甘噛みしていた。
「どうした、陽田」
「…………フフッ、少しセンセの指を食べたくなっちゃったんです」
「……また、後でな」
「はい♡」
ティーカップも空になった。そろそろカフェから出てもいい頃だろう。出るぞ、と陽田に伝えると、彼女は嬉しそうに頷いた。
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美術館の出口近くにある売店。そのカウンターには、ポストカードやら美術書やら、アート関連の雑貨などが陳列されている。どれも今は興味が無い。陽田以上に興味を持てるものなどない。
棚には有名なアーティストの作品を印刷したポスターやアートプリントがある。 美しいもんだな、陽田の次の次の次の次の次の次くらいにだが。
アートに触発されたものもある。ジュエリーやファッションアイテムなどの高価なものから、ストラップ、キーホルダーなどの手が出しやすい値段のものまで。陽田を手に入れるためならアタシは金銭に糸目をつけないだろうな。
ノートブックや絵画用具など、自分自身がアート製作に取り組むこともできる道具も揃えられていた。陽田をモチーフにした美術作品もいいかもしれない。陽田本人の方が何百倍も魅力的だがな。
「ねね、センセ、センセ。これ、欲しいです♡」
甘い声で陽田は写真立てを指差す。ここで撮ったアタシとの写真を飾るんですと、可愛らしいことを言う陽田。
「いいぞ、他はなんかあるか」
「やた♡ んーとね……あとはこのアートキーホルダーもおそろいで欲しいです」
「これな……よし、他は? なんでもいいぞ、なんでも買うぞ」
値段も商品も見もせずに、ねだられたものをどんどん買い物かごに入れながらも、視線は陽田から離せない。今はただ、陽田に喜んでもらえる物ならば、片っ端から買ってしまいそうだ。
「えへへ。うーん、せっかくですけど、モノはもういらないです。それより、この写真立てに入れるセンセと2人で撮った写真が欲しいです。ここで撮れば、幸せなデートの思い出をいつまでも閉じ込めておけるでしょう?」
「写真ン? ……今日だけ特別だぞ?」
「えへへ、やた♡」
喜び過ぎたのか、陽田は構えたスマホを落としてしまう。
「あ……」
「ったく、なにしてンだよ」
「…………うぅぅ、画面が」
「後で送ればいいかぁ?」
「え?」
彼女の肩を抱き寄せ、その場でアタシのスマホで写真を撮る。
「センセ、あとで写真おくってくださいね……」
「あー、あんま上手く撮れなかったけど…これでいいのかぁ? 写真撮るの下手ですまん……」
「! はい! センセが撮ってくれたのでそれだけで価値が跳ね上がりますから」
「そ、そうかぁ?なら、よかった……」
「えへへ」
ああ、可愛い。コイツはなんて可愛いんだろう。この美術館の絵は全部見た。もうここには用がない。なら、この後はどうしようか。あァ、そうだな。せっかくだから、このままコイツを連れ帰ってーー
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さあ、これからどうすっな。もちろん陽田と共にいるのは確定事項なのだが。2人で手を取り合い、軽い足取りで美術館を出ようとする。すると、出口付近に人影が立っているのが見えた。 美術館から出ようとする来館者に何かをしているように見えるが……。
「あァ? なんだァ?」
よーく目を凝らしてみる。どうやら人影に何かされた来館者は、それまでの狂気じみた笑みを引っ込め、きょとんと瞬きを繰り返ししきりに首を傾げてながら、そのまま出口から出ていく。
「まったく、なんで私がこんな尻拭いをしなければいけないのかねえ……」とぼやく声も聞こえてくる。
「ンだぁ?」
さらに出口に近づいてみれば、ひらひらと『ソイツ』が手を振って来館者を見送った後、アタシらに目を向ける。目が合った瞬間、まるで歯の神経に直に刃を突き立てられたかのような凄絶な痛みに似た感覚を受けた。ひゅ、と勝手に喉が鳴る。
「ッ、なん、だッ、こりゃ……ッ」
「センセ……っ」
陽田がぎゅう、と腕にしがみついてくるのがわかった。 そのおかげで意識がハッキリとする。陽田、コイツだけは守らねぇとな。
『ソイツ』を睨み付ける。見れば『ソイツ』は非常に美しい顔をしていて、なのに今にも意識が飛びそうなほどの恐怖を感じさせてくる。友好的に見える笑顔を浮かべてすらいるのに、だ。
「お熱いお二人さん。美術館は楽しかったかな? ま、楽しめただろうね、何よりも執着している人と一緒に行けたんだからさ。それでも、はあ、なんという! 君達が楽しんだ分、私は労働をしなければならないのだよ。これが奉仕活動、かもしれないな」
ツラツラと言葉を並べながら、長い足を持て余すような歩き方で迫ってくる。しかし、体が凍り付いたように動かない。だが、せめて、せめてこいつだけは守らなければと、なんとか一歩、足を前へ出せた。
「っ、センセ……っ」
「な、ンだアイツ…」
「ああ、すまないね。そう怯えないでいいよ。私は主人からの命を全うするだけ。狂気に犯された人間を極端に増やすべきでない、というのが主人のお考えさ。はは、まったく笑えるね」
笑える、なんて言いながらも、『ソイツ』の目は笑っていない。
「『今の私』は高名なる魔術師だからね。出来ないことなど何もない。そんな姿で後始末をしているというわけ」
「?」
主人からの命? 狂気? 後始末?
何を言ってるのか訳が分からねぇ。混乱するアタシに構わず、『ソイツ』は続ける。
「さあ、けれど、どうしよう? ねぇ、狂気に犯されているというのは非常な快楽だろう? 1組くらいなら見逃してあげてもいいかな~なんて思ってたんだ。面白いし」
パンと1つ手を叩いてから『ソイツ』は問うてくる。
「どう? 君達さ、このままと元に戻るのと、狂気に浸っているの、どっちがいい?」
美しさすら感じる『ソイツ』はそうまくしたてると、唐突に黙りこくって沈黙で問いかけてくる。正直、言っていることをすべて理解するのは難しい。だが、その問い自体はシンプルなものだとは分かった。それに頭に声が響いてくるのだ。
『あなたたちは、この極彩色の狂気と執着に呑まれたままでいたいか?』
「……センセ」
ぎゅっと腕に彼女の弱々しい力を感じる。
「私はセンセの望むようにします。センセが決めて?」
「………………」
一度目を閉じて、アタシは考える。そして、すぐに答えを出した。
「テメェ……変なことしたんなら早く戻せ! 陽田に危害加えたらゼッテェ許さねーからなァ」
答えはシンプルだ。陽田に危険があるなら、それを排除する。それが陽田をiするアタシの答えだ。
「あっは。ねえ、くっそつまんな~い。せっかく例外を作ってあげたのに。今の状態が尋常じゃないの、狂気に陥ってるのにわかってるんだぁ?」
ひとしきり『ソイツ』はこちらを冷笑した後、心底つまらなさそうにため息をついて、ぞっとするほど冷たい真顔でこちらに手をかざす。 その瞬間、すべてのものが色褪せていくのが分かった。
違う。あの狂気の色彩が拭われていっているのだ。 世界が、正常に戻っていく。 心を占めていた狂気と執着が、そして、i情の波が引いていくように遠ざかっていく。
「あ?」
「…………あれ?」
どのくらい経ったのか分からねぇ。ただアタシは呆然と直立していた。ふと気づく。恋人繋ぎされた手を慌てて振りほどく。
「はいはい、正気に戻ったムーヴとかいらな~い。とっとと出てってくだ~い」
営業スマイルを貼り付けた『ソイツ』に急かされるがまま、アタシらは美術館を出る。混乱したままの頭。だが、それでもさっきまでよりはマシだ。ありゃあらしくなさすぎた。
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帰り道。
しばらくの間、何を言っていいのか分からず、気まずい沈黙を味わっていた。十数分後、陽田がゆっくりと口を開く。
「……ね、センセ。なんだか、私たち、変になってたみたいですけど……」
「あァ、ンだなぁ」
「だから、また今度、仕切り直し、しませんか? 次はもっと写真が映えるところに」
「仕切り直しぃ? それは別にいいけどよォ……ただ写真はカンベンしてくれ」
アタシは自分のスマホに入っていた写真を思い出し、苦笑を返す。満面の笑みで、陽田の肩を抱き写る自分など二度と見たくない。気でも触れてたんだろうなァ、本当に。
「……ね、センセ?」
「あァ?」
ポツリと陽田は呟いた。ただ、その呟きは夜の訪れを知らせるようなカラスの一鳴きにかき消されてしまう。聞き直しても、なんでもないです、なんて、陽田は笑うだけだった。
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「……ね、センセ?」
「わたしの心は変わってませんからね、フフッ」
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END『展示された狂気、極彩色にて』
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