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レトロな街並みの中、暗い一本道を進むと、足元に桜の花びらが増え始める。一歩一歩進めるごとに、道の桜色が濃くなっていく。しばらく進むと、目の前には大きな桜。10m ほどある本当に大きなしだれ桜だ。そして、その木の麓には人影が見える。この桜の木ほどじゃないけれど、わたしよりも圧倒的に大きな背丈のその人は、木の幹に背を預けて、片膝立てて桜を眺めながら酒を飲んでいあ。
「……あの」
「ん?」
振り返る女性。髪は夜のような黒。瞳は燃える炎のような紅。服装は巫女のようにも見える和風の服で、少しはだけて腹が見えていた。大きな杯と大太刀にも目がいくが、それよりも目を惹くのが、耳の上から伸びる牛のような2本の大きな捻れた角。人じゃ、ない。一瞬、気圧されるけれど、声をかけないわけにもいかない。
「こんばんは」
そう声をかけると、その人はこちらに気づいたみたいで、返してくる。
「あぁ、こんばんは。お嬢ちゃん」
「……あなたがここの管理者さんですか?」
「そうだね、アタシはここの管理者を任されているよ」
よかった。やはりこの彼女が、あのベンチの女性のいう管理者のようだ。なら、
「わたし、この世界に迷い込んでしまったんです。ここから帰る方法、知りませんか?」
「なるほど。この酩酊街に迷い込んだのなら、それなりの理由があるもんでね。迷い込むヤツは決まって『何かを悩んでる』のさ。アンタも多分、そうなんだろう?」
「悩み……ええ、そうですね」
確かに彼女の言う通り、悩んでいることはある。もちろんそれはセンセのこと。どうやったらセンセをーー
「悩みを聞いてやる…と言いたい所だが……」
「?」
「呵々、アンタみたいなのは初めてだ。今まで来た奴らは大抵、それなりの善性があったがーー」
「ーーアンタ、魂が真っ黒だね」
異形の彼女はそう言って、こちらを見る。まるで、こちらの心の内を見透かすようにただ、見つめてくる。少しの沈黙。向こうはきっとこちらを値踏みしてるんだろう。こっちは今の状況からどうやって誤魔化そうか……いや。
「フフッ……そうですか、そういうのも分かっちゃうんですね」
「魂の在り方が、人というより鬼に近いように見えるよ。アンタ、本当に『人』かい?」
「失礼な方ですね。わたしは人間ですよ。愛しい愛しい人に恋する、ただの女子高生です」
「……なるほど、愛か。ならば、さもありなん」
「ええ。『愛』です。わたしはどうしてもセンセと結ばれたい。わたしはそれを叶えようとしているだけですよ」
「どんな手を使っても、ね」
にこりと笑顔を向ける。完璧に作った笑顔を。人でないその人はまたじっとこちらを見つめる。そして、意味深に笑った。
「へぇ…?」
「それで、わたしの恋の悩み、聞いてくれないんですか? せっかく本音で話せそうなので」
せっかくの現実ではない世界。しかも、悩みのある人間が訪れる世界の管理者が目の前にいるんです。普段は話せないことも愚痴ってしまおう、なんて、思ったり。そんなわたしの心中を察してか、彼女は肩をすくめて、ひとつため息を吐いた。
「あんまり気乗りしないんだけどねぇ……。まぁ、居座られてもイヤだし、出られないときに何しでかすかはわかりきってるからねぇ……。しょうがない、聞いてやるよ。ま、その前に」
「?」
早速、口を開こうとしたわたしを制して、その人はこちらの前に杯を差し出した。白く濁った飲み物。これは、甘酒?
「ご挨拶だ、一杯呑みな」
「……これ、毒じゃないですよね?」
わたしを人でなく鬼と称した相手だ。ここで始末されるかと聞けば、その人は呆れながら、アタシが呑むために、アタシが造ったんだ。毒なんぞ入れて、何が楽しいんだい。そう答えた。見るからに酒好き。まぁ、そんなことはしないか。覚悟を決め、少しだけ口に含む。
「…………へぇ、美味しいですね、これ」
ふわりと優しい味が口に広がる。確かに酒精、甘酒だ。ただくどくはない。
「だろう!」
わたしの言葉で気を良くしたのか、その人は得意気な表情を見える。それにしても、
「人じゃないのに、未成年に甘酒を出す良識があるんですね。意外です」
「元は純粋な人間で、巫女をしていたからね。常識くらい備えてるさ」
へぇ、巫女……ああ、だから、魂なんてものを見ることができるのか。そう尋ねれば、その人は首を横に振る。
「それはまた別だよ。鬼の共感と、年の功さ」
「ふーん」
「それで、聞いてくれる、でいいんでしたっけ。わたしの悩み」
「ああ。聞いてやるよ」
どうやら聞いてくれるらしく、わたしは口を開く。
「わたし、きょーかセンセって人に恋をしてるんです。中学の時に一目惚れした相手だったんですけど。些細なことがきっかけで、1年前にそのきょーかセンセと仲良くなることができて。だから、もっと仲を深めたくて『色々』試してるんですけど、なかなかうまくいかないんですよ」
そこまで一息。はぁ、とため息をつけば、その人は眉をひそめ、聞いてくる。
「……その子、無事なのかい? 生きてる?」
「? 何言ってるんですか。元気ですよ、きょーかセンセは。今日もちゃーんとお仕事がんばってますよ…………お仕事なんて行かなくてもいいのに」
本当に、お仕事なんて辞めて、ずーっとわたしと一緒にいればいいのになぁ。でも
「それはそれで…キョーカとやら、よほど丈夫な人間なんだねぇ」
「丈夫。まぁ、そうですね。お医者さんですから。薬だって盛られたら気づいてしまいますし」
「ほう、医者かい」
「はい。精神科医さんです。わたしの主治医さんですね」
「なるほど……そりゃ手強いわな」
「はい。だから、もしできることなら、このお酒の世界で強いお酒をいただいて、既成事実でも作ってしまおうかと」
「……ホントにとんでもない子が来たもんだ」
今度はその人がため息を吐く。深い、深いため息を。なんでこんなのが来たのかとか、どこかで弾けなかったのかとかぼやいている。だいぶ不名誉なことを言われてません……?
「未成年に手を出したら、いくらセンセでも弱味を握らせてくれるかなって」
「アンタに惚れられた男は、なんというか……」
「ああ、いえ、女の人ですよ、きょーかセンセは」
「女かい」
「とっても美人さんです♡」
「私らは男だ女だ言えないから、そっちには口は出さないが……既成事実って、どう証明するんだい……? 子は成せないだろう?」
「証拠映像でも残しとこうかと。あとは一応、センセの子を身籠るための薬も手には入れてるんですけど。それは既成事実を作ってから、と思いまして」
「……ほんと、益々ヒトであることが疑わしい子だね」
「本当に失礼じゃないですか?」
……まあ、センセを手に入れられるなら人外にでもなりますし、世界だって滅ぼせますよ。なんて冗談ですけどね、フフッ。
「……そういえば、人外になるのってどんな気分ですか?」
せっかくだから聞いておこう。人外と話せる機会なんて、そうそうなさそうでしょうし。
「人外になった気分?」
「はい、これは完全に興味本位ですが、参考までに」
「まぁ、胸糞悪いもんだったよ。アタシは魂は捻じ伏せてやったが、肉体は勝てるわけもなかったからね。望まぬ融合は苦痛だよ」
「胸糞悪い……ですか。まぁ、それはきっと本人にしか分からない感覚なのでしょうね」
「ま、アンタみたいに望んでバケモノに成ったヤツは、大抵幸せそうにヒトの殻を捨てたよ。苦痛だったかは知らん、その場で祓ったからね」
「祓う?」
「祓魔の巫女だったからね、鬼などの怪異殺しをしていたのさ」
「ああ、巫女ってそういう……まぁ、安心してください。わたし、別に人外になりたいわけではないですから。あくまでひとつの手段の話ですよ」
センセと幸せに結ばれるなら、それに越したことはないですから。人外を安心、ではないですね。わたしが化物になりそうだから祓います、では敵いませんから。その釈明ですね、これは。そんな心中を察したのか、その人は口を開く。
「呵々、鬼になったらアタシに祓われるとおもったのかい?まぁ、鬼と成って現代に戻るならそうしたがね」
「フフッ、明日もセンセの診察が入ってるんです。鬼になってしまうのは勿体ないです」
「はぁ、そうかい」
またもため息。その後、独り言のように、彼女は呟く。幸せに結ばれる、ねぇ……と。だから、わたしはそれに答える。
「誰しも願うことでしょう? 好きな人と幸せに結ばれるって」
「…………」
沈黙が流れる。少しして、また問われる。
「アンタ……ちょいと言葉を間違えちゃあ、いないかい? 幸せって誰にとっての幸せだい? 結ばれて、どうしたい?」
なにかと思えば…そんなこと、簡単です。
「幸せはもちろん、わたしとセンセ。2人のですよ。結ばれて末長く仲良く暮らす。それ以上なんて求めません。ただ、そのための手段は問わない、というだけで」
「はぁぁ……アンタ、謙虚で慎ましいのを装ってるようだけどね。アンタは今まで一度も『先生に好かれる自分になりたい』とか、『先生に何かをしてあげたい』とは言わなかったね」
「それは、本当に『愛』かい? 恋、支配、愛玩、何か別のモノのように思えてならないよ」
「……………………」
先ほどまでと空気が違う。厳かながらも多少緩みのあった雰囲気が、ピンと張り詰めたそれを変わる。返答次第では、というやつですかね。
「………………」
それにしてもーー
「フフフ、フフフフフフ」
「………………」
「なーんだ、長く生きているのに、そんなことも分からないんですかぁ」
本当に拍子抜け。長く生きて、人ではなくなったというのに、そんなことも分からない。
「恋も、支配も、愛玩も、独占も、加虐も、奉仕も」
「ぜーんぶ、『愛』に決まっているじゃないですかぁ」
さっきよりもずっと長い沈黙。それを破って、その人は嘆息と共に言葉を紡ぐ。
「……悪いね、アタシは恋愛より祓魔の人生、神生はずっとここで過ごしていたからね。経験は大してないんだよ。ただ、それでも1つ言える」
彼女はこちらを指差し、告げてくる。
「アンタ、やはり魔性の類だよ。現代ではどんな言葉で飾られているかは知らないが、それは鬼の思考、鬼の愛し方、鬼の性だ」
「…………なんとでも。それでも、わたしは人間で、ただの恋する乙女ですから」
「なぜ、アタシがここまで鬼か否かに拘るか……アンタ、分かるかい?」
「さぁ?」
「鬼は人に害を成す。それを祓うのが、アタシの役目だった。アタシは今、アンタを祓うべきか迷ってるのさ」
「それは困ります。さっきも言ったでしょう? 明日はセンセの診察が入ってるんです。もしここでわたしが死んだら、きっとセンセに心配をかけちゃいます。センセは優しいですから」
「………………」
そんなやりとりの後、その人はまた酒を飲む。もう瓶には酒が残っていないようで、軽く瓶を揺すってからため息を吐いた。そして、どこかから酒瓶を取り出し、もう一杯だけ呷り呑む。それからまた口を開いた。
「アタシが危惧してる理由は1つじゃない。キョーカという人間の命や尊厳を守ること。それにアンタが完全に魔性に堕ちるのをただ見ているだけではいられない」
ここで関わって、アンタという人間を知ってしまったからね。そして、と言葉を続け、こちらをまた指差してくる。
「そして、キョーカが何らかの理由で死んだ時だ。アンタ、その時どうなる?」
「キョーカセンセの命? フフ、変なことを言いますね。わたしがセンセの命を危険に犯すわけないじゃないですか。というか、むしろ逆ですよ。わたしはどんなことをしてでも、センセを守ります。だって、生きてなきゃその先の幸せはないでしょう?」
でも、まぁ……そうですね。
「もし万が一、センセが何かの理由で死んだら……わたしも後を追うでしょうね」
「……なるほどね。で、守るってのは、その血塗れの手と錆びた斧でかい?」
「…………フフ、ええ」
どうやらわたしのことはもうバレてしまっているみたい。わたしへの値踏みは終わったのか、その人は目を閉じた。
「まぁ、なんとも言えないね。応援はしないが、邪魔もしないよ。アンタの罪は『यमराज』の奴が裁く。アタシのやるべきことじゃない」
「…………そう。まぁ、もしわたしがその鬼になった時には殺しに来てもいいですよ。本音で『恋バナ』できたのなんて、初めてでしたから」
「『恋バナ』というには、随分と鳥肌がたったけどね。あと、アタシはここから動けない。動けば、この『酔桜』が野放しになる。現世までもが酔い狂わされちまうからね。だから、今ここで鬼の芽を摘むか悩んだのさ」
そう言うと、彼女は『酔桜』と呼ばれたその桜に触れ、見上げた。そこから感じ取れる感情は分からないけれど。
「フフ、もしかしたら、わたしたちお友達になれるかも、しれませんね」
本音の『恋バナ』をした相手とは友達になれる、なんて話をクラスメートが言っていた記憶があって。
「お友達に関しちゃ遠慮させてもらうよ。邪魔はしないが、応援もしないからね」
「そうですか。それは残念。なら、そうですね。鬼にでもなったらわたしから出向きますね。ここは悩む者が来るところなんでしょう? きっとわたしも人外になってしまったら、多少は思い悩むでしょうから」
「そうならないことを祈るよ。鬼となりゃ、もう人には戻れない。人に危害を加えない鬼など、滅多にいないからね。そして鬼が現世に戻りたがるなら、アタシが祓わなきゃいけないからね」
「……そうですか。わたしも気を付けますね」
作り笑顔。少しでも媚びて……なんて冗談でも言いませんけどね。って、あ!
「そうでした。帰り道はどこですか?」
「ああ、そうだったね。ついこっちも話し込んじまった。……まぁ、その前に、最後にもう一献」
そこでその人は、また杯をこちらへ渡してきた。わたしはそれを躊躇わずに飲み込んだ。
「美味しい」
「さて、なら……」
その人は指差す。そこには道があった。ほの暗い道じゃない。奥からは光が差し込んでいて、そこからはお酒の匂いがまったくしなかった。
「……本当に帰していいのか、悩ましいけどね。人に危害を加えないのなら、引き留める理由もない。悩みはあれど、あってないようなもんだったしね」
「…………またどこかで、お会いしないことを願ってますよ」
「あぁ、じゃあね」
背中にそんな声を聞きながら、まぶしい光と桜吹雪に包まれながら、道を歩いて、気づけばーー。
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目を覚ますと、わたしは神社の真ん中に立っていた。街外れにぽつんとある寂びれた小さな神社のようで、人がまったくといっていいほどいない。ただ、ふと周囲を見渡すと、管理人さんが来ていたようで話しかけてくる。
「おや、参拝のお客様かね。由来のわからん神様だが、君にもきっとご利益があるだろうよ」
ほっほと笑う管理人さん。見れば、側には桜の木。特に大きいわけでもなく、どこかで見たような荘厳さは感じない。とくになんの変哲もない小さな神社を後にしようとして、ふと何かを感じた。桜の木の側に、女性の影を見たような気がして。
「……気のせい、ですね」
何もいない。わたしはその桜に投げかけるように、ポツリと言葉を投げた。
「……見ているといいですよ。わたしの『愛』が、センセを包むのを……フフッ」
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END『酔桜』
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