暗黒錬金術師伝説3 暗黒!ロロナのアトリエ   作:dwwyakata@2024

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過酷すぎる過去の真実。

それを受け止める暇すらなく。

ロロナは次の課題に向かうこととなります。





1、ほの昏き世界

流石に真実を知った後の数日は、まともに頭が働かなかった。

 

人類の罪業の、あまりの深さ。

 

全てを忘れ去って、のうのうと同じ事を繰り返そうとしている者達さえいる。

 

状況を考えると、愉快な気分ではありようがなかった。

 

事実、その日は何も喉を通らなかった。水さえも、体が拒否したくらいである。何も食べず、一晩を過ごして。

 

翌日から、ようやく、少しずつ体が動き始めた。

 

どれだけダメージを受けたとしても。体は生きようと努力する。精神に打撃を受けても、修復を試みる。

 

まずは、少しだけ水を飲んだ。

 

ホムが心配したから、だろうか。師匠に、ロロナの様子がおかしいと、話していたらしい。

 

師匠がおもしろがって状態を見に来たので。

 

まずは好物からと思って、パイを焼いた。もう、錬金術を使っても、普通に料理したのと遜色ないものが作れるようになっている。種類も、以前よりぐっと増えていた。

 

「何だ、完全に寝込んでいると思ったのに。 パイなど焼く元気があったか」

 

「師匠の分も焼いていますよ」

 

「ふむ、そうか」

 

じっとロロナの事を、師匠は見る。

 

そして、いきなり核心部分に踏み込んできた。

 

「お前、パメラから、全て聞いたな?」

 

沈黙は、すなわち答えだ。

 

師匠は悲しんでいるか。否。ロロナが苦しむ様子を見て、むしろ喜んでいる。事実今も、とてもにこにこしていた。

 

「人間の罪業を知った感想は?」

 

「あまりに酷すぎて、言葉もありません」

 

「そうかそうか。 まあ、それが普通の人間の考え方だ。 違う考え方をする奴も、世の中にはいる。 たとえば」

 

「その力を使えば、世界を再び人間だけが好きにする事が可能だ、ですか?」

 

満足そうに。

 

そう、とても満足そうに、師匠は目を細める。

 

アストリッド。この人は、やはり本質的には、スピアにいる錬金術師達と、同じ穴の狢なのだろう。

 

どうしてそのような性格になってしまったのか。

 

わかりきっている。以前、師匠が話してくれた、愛する人に対する、周囲の仕打ちが原因だ。

 

悲しみは、人をこうも変えてしまう。

 

パイが焼けた。

 

釜から、普通のミートパイを取り出す。良い香り。だが、まだ食欲は、殆ど湧いてこない。

 

作ったばかりのパイを、冷ましてしまっては最悪だ。

 

普段だったら、ホールパイを丸ごと食べるくらい、朝飯前なのに。今日はそれぞれに切り分けて、テーブルに出して。

 

ちょっと囓るだけでも、吐き戻しそうだった。

 

「それでお前は、真相を知った上で、どうするつもりか」

 

「……今まで通り、課題をこなします」

 

「まだくそ真面目に、課題などこなすつもりなのか。 まあその辺りは、私が調整した通りの性格だな」

 

くつくつと、師匠が笑う。

 

もはや怒る気力もわき上がってこない。

 

この人にとっては、もう倫理とか、そういうものは世界の彼方に投げ捨ててしまったものなのだろう。

 

そしてそれは、悲しい事なのだ。

 

パイをもう一度見る。これにはいろいろな材料が使われている。お肉も。いずれもが、世界から渡された贈り物。お肉に到っては、これを生産するために、狩りで他の生物の命を奪ってもいる。

 

食べなければ、ならないのだ。

 

無理矢理に口に入れて、水を飲んでおなかに押し込む。強烈な拒絶反応があったけれど。それでも、耐え抜いた。

 

とにかく、作業どころでは無い。

 

寝台で転がって、頭の中で何が起きていたか、反芻する。人類は、一万分の一にまで減った。パメラは恋人と最悪の形で引きはがされた。

 

この世界は、人間の思い上がりが原因で、一度地獄を経験したのだ。

 

二度と、引き起こしてはならない地獄を。

 

思い出したのは、悪魔達から受けていた依頼。

 

王宮の課題は、既にクリアした。

 

だから、今度は悪魔達に受けた話を、少しでも進めなければならない。よろよろとアトリエに出ると、資料を漁りはじめる。

 

まるで、頭に入ってこない。

 

まず空気を造り出す道具なんてものが、今まで見た資料の中にあっただろうか。それが、思い出せない。

 

まるでもやが掛かったようで、文字を見ても解読するのがやっと。しかも、読んでも右から左へ流れてしまって、記憶の中には全く留まる気配が無かった。

 

クーデリアが来てくれた。

 

彼女も、相当に疲弊しているようだけれど。どうにか、両の足で立っている。

 

乾いた笑いを浮かべ合うと、一緒に資料を調べはじめた。クーデリアの頭は、こんな状態でも、しっかり働いているようだった。

 

「何ならあたしが調べるわ。 あんたは休んでいて」

 

「ううん、平気」

 

「どうみても、平気な顔色じゃ無いでしょう。 無理はしないようにね」

 

クーデリアだって、人の事は言えない。ホムが心配して、此方を見ているのがわかった。

 

そういえば、作業の指示を出していない。席を立つと、ホワイトボードを見て、進捗を確認。

 

そして、指示を出し直した。

 

幸い、まだコンテナに、材料はいくらでもあるはずだ。

 

資料を調べている内に、少しずつ頭がクリアになって行く。やっぱり、友達の存在は、偉大だ。

 

隣に最悪の悲しみを共有したクーデリアがいる。

 

それだけで、ぐっと心が楽になる。

 

午後から、リオネラも来てくれた。彼女はお茶を淹れてくれたり、掃除をしてくれたりと、雑用をこなしてくれて。更に作業が楽になる。

 

少しずつ、気持ちも上向いていくのがわかった。

 

 

 

リオネラにも、過去に何が起きたのかは話した。

 

流石にショックを受けていたようだったけれど。これは、きっと最終的には、人間全員が共有しなければならない情報の筈だ。

 

ただ、一度大きな出来事に直面して、心が鍛えられているからか。リオネラの受けたショックは、ロロナよりは小さいようだった。

 

リオネラは、全てをはき出してから、ぐっと強くなっている。

 

そんな彼女が、親友でいてくれるだけで。心強い。

 

作業を進めていく。

 

今回は、アトリエでの実験と、現地での実験を、何回かに分けて行う必要があると、クーデリアと話して結論した。

 

というのも、空気が溢れてくる錠剤は、作る事が出来たのだけれど。

 

それが有害かどうか、いまいち判別がつかないからである。

 

それに、悪魔達に指定された待ち合わせの日時も近づいている。一度中間的な実験を行って、それで次につなげていきたい。

 

作業を進めていく内に、期日が来た。念のためにステルクにも声を掛けて、アトリエを出る。

 

リオネラは、まだ実験の段階ならば、来てもらわなくても大丈夫だろう。彼女は彼女で忙しいようだったので、クーデリアとステルクだけに同行を頼んで、必要な荷物だけを持って、ネーベル湖畔へと向かう。

 

途中の荒野で、悪魔達と合流。

 

指定の時間通りに来たからか。悪魔達も、さほど不機嫌ではないようだった。

 

かって、ただ恐ろしいだけの存在と、ロロナは彼らを考えていた。確かに見かけは、異形そのものだ。

 

しかし、今は真実を知っている。出来るだけ人間として、彼らと接したい。

 

相手も、ロロナの態度の変化には、気付いているようだった。多少、反応が柔らかくなったのは、嬉しい限りだ。

 

話はすぐについた。

 

特に問題があるような交渉をしなければならないような事も無かったし、ロロナとしても作業にそれほど不安も無い。

 

ただ、何度か実験を行わなければならないというと、悪魔達は顔を見合わせた。

 

長老格の髭が生えた小柄な悪魔が、難色を示す。

 

「貴方の技量を疑うわけではありませんが、具体的な期日は示せますかな」

 

「今回の実験で、それを計るつもりです。 一応、最終的な計画までは、練ってあります」

 

「なるほど。 それならば、お任せしましょう」

 

半信半疑の様子ではあったが、納得してくれたようで嬉しい。

 

現地へ、案内してもらう。

 

ステルクはその間、ずっと黙り込んでいた。話をしている際に、時々クーデリアは補助してくれたけれど。これは、対照的な態度だったかも知れない。

 

 

 

水は、光を遮る。

 

どれだけ澄んでいても。どれだけ透明度が高くても。

 

チューブの底へと進みながら、ロロナはそれを悟らされていた。

 

持ち込んでいるのは、幾つかの道具。

 

いずれもが試作品で、まだ実験の段階である。

 

そして、此処は悪魔達が作った、一種のトンネル。魔力を使って、水を遮っているらしいのだけれど。

 

確かに、深く進めば進むほど、空気が薄くなっているのがわかる。クーデリアが口を押さえる。

 

「気をつけて」

 

顔を上げると、それがいた。

 

チューブの向こう側に、人間など一呑みにできそうな、巨大な魚がいる。向こうも此方をじっと見ていた。

 

チューブは相当な強度だと聞いているけれど。あまり良い気分では無い。

 

側にいるステルクは、剣に手を掛けている。チューブの向こうに雷撃は通せると説明を受けていても、気分が良い光景ではないのだろう。

 

水の底へ到着。

 

ネーベル湖は、かなり深いのだと、はじめて知った。既に周囲は夜のように暗い。しかも悪魔達にいわれて、カンテラは持ち込んでいない。話によると、カンテラを付けると、なけなしの空気が一気に減ってしまうそうなのだ。

 

まず、荷車から取り出したのは、錠剤である。

 

正式名称はエアドロップという。

 

百三十年ほど前の錬金術師が開発した道具を、再現したものだ。元々の錬金術師は、口に含む事で水に潜れる道具を、と考えていたらしい。しかしながら、口の中で空気が出るくらいでは、深く潜る事なんて出来ない。何度かの失敗でそれを悟った錬金術師は、悲しみに暮れながら日記に恨み言を綴っていた。

 

確かに、口に含んで潜る事は出来ないかも知れない。

 

しかし、空気を出すというのは、それはそれで画期的な発明だ。全て捨ててしまうのは、もったいない。錬金術師は、悲しみにくれるあまり、そう柔軟に考える事が出来なかったのだ。

 

とてももったいない話だけれど。

 

成功の影には、無数の失敗がある。どんな天才だって、最初は上手く行かないものなのだと、ロロナはいろいろな錬金術師の手記を見て知っている。

 

天才だって人間なのだ。

 

ましてやロロナのような、失敗の多い人間なんて。何度も試行錯誤を繰り返していくのが当然だ。

 

エアドロップは、複数種類用意してきた。これが上手く行ったら、次の段階に進む予定だけれど。まずは実験。

 

使い方は簡単。

 

水に入れるだけである。口の中に入れれば、唾液と反応して、空気を出す。

 

チューブで自ら守られているので、持ってきた水筒から、撒いたエアドロップに水を注ぐ。

 

しばらくすると、少しは息苦しさが緩和されたように思えた。

 

「A薬はこのくらい、と」

 

エアドロップは、中途で研究が放棄されてしまった発明だ。

 

作り方はそう難しいものではなく、何種類かの素材を、中和剤を介して混ぜ合わせるだけでいい。

 

だが、その素材の配合や中和剤についてが、非常に不完全なのだ。

 

主な素材として、このネーベル湖畔で取れる泡立つ水が使われる。ただしこれをそのまま錠剤にすると、あまり体に良くない空気が出てしまう。そのため、いろいろな処置が必要なのだけれど。

 

発明した錬金術師は、自由自在に泳ぐという夢が破れたからか、研究のモチベーションを喪失したのだろう。研究を投げ出してしまったのである。

 

以降はロロナが、四苦八苦をしなければならなかった。

 

場所を移して、今度は次の薬を試してみる。一応、出てくる前に毒ガスが出るようなものは省いておいてはあるけれど。地道で、時間が掛かる実験だ。

 

今度のは、先と比べると、効果がぐっと薄いようだ。

 

これは駄目と、ロロナは×を付けた。

 

チューブの外では、物珍しそうに、此方を見ている多くの魚たちがいる。何度かチューブに噛みついた後、諦めて遠ざかっていった大きな魚もいた。チューブはこれ以上伸ばせないでいる。

 

それは、事前の説明通り、空気が薄くて作業が出来ないからだ。

 

十種類ほどのエアドロップを、順番に試していくけれど。どれも、効果は劇的に高くは無い。

 

ただ、幾つかのエアドロップについては、明らかに息が楽になる。

 

メモを取りながら、ロロナはこれなら次の段階に入れるなと思った。毒性がある場合を考慮して、意図的に噴出する空気の量を減らしておいたのだ。

 

第一段階はクリア。

 

有望な幾つかのデータを検証して、それらから、より強力なエアドロップを作って。

 

その後に、ある道具を作る予定だ。

 

一度、チューブの外に出る。

 

湖底に触る事は出来たので、珍しそうなものは採取を済ませてはおいた。この辺り、ロロナは自分でもわかるほどに、したたかになっていた。

 

外では悪魔達が待っていた。

 

「状況をお教えいただきますか」

 

「どうにか、実験は成功しました。 これから改良を重ねて、次の実験に備えます」

 

悪魔達には、何度か実験を行って、最終的に空気を造り出す装置につなげると、説明はしてある。

 

第一段階が上手く行ったと聞いて、悪魔達は胸をなで下ろしていた。

 

少し前に、彼らとは、約束をした。

 

ロロナの協力で、失われた民の都に辿り着く事が出来たのなら。其処に何が眠っているのか、説明してもらうと。

 

彼らは承知をしてくれている。

 

もしも嘘をつかれたら。

 

その場合は、ロロナも相応に対応するしか無い。彼らが人間と同じメンタリティの持ち主である事は、もうロロナも理解している。だから、無茶は言わない。嘘だって言うだろうし、悲しむ事もある。

 

次の実験についての日取りを軽く打ち合わせした後、その場を離れる。

 

ステルクは話が終わった後、ぼそりと感想を漏らした。

 

「次は同行できるかわからない」

 

「えっ。 どうしたんですか」

 

「近々、大きめの作戦があるかも知れない。 私やエスティ先輩は、その時にはかり出されるだろう」

 

きっとその作戦とは。

 

ジオが悪魔の王と話していた、スピア連邦に対する攻撃に関するものだろう。出来れば、あまり人が死なないで欲しい。勿論、悪魔達も。

 

しかし、スピア連邦がしていることは、話を聞く限り許されるものではない。

 

ロロナも、嫌だけれど。誰かがどうにかしなければならないのだ。ましてや、真相を知った今では、なおさらにそう思う。

 

「わたしやくーちゃんは、参加しなくても……良いんですか?」

 

「今の時点では、君達の参戦は必要ない。 ただ、ロロナ君の作った道具に関しては、必要になるかも知れないな」

 

ステルクは最近、前よりは喋るようになってくれたし、表情も柔らかくなってきたけれど。

 

それでも、無駄なことは殆どいわない。

 

後の帰り道は、何も言うことが無かった。

 

アトリエについてからは、お茶を出そうかと思ったのだけれど。それさえも断られたくらいである。

 

さっさと帰って行くステルクを見送ると、ロロナはクーデリアと、次にどうするか、作業について詰め始めた。

 

世界は、どんどんきな臭い方向へ動いている。

 

大陸の中枢部では、多数の兵を有する列強が、仁義なき争いをしているのだから、それが波及してきてもおかしくは無いけれど。

 

この世界を一度食い尽くしてしまった人間が、再生前にさらなる暴挙を働こうとするのは、間違っているとロロナは思う。

 

だから、出来る事はしなければならない。

 

それは、真実を知ったロロナには、厳然たる義務だった。

 

 

 

エアドロップの改良版を作成。

 

毒を出さない事はわかっている。成分を圧縮して、一気に大量の空気を出せるようにもした。

 

此処まで、かなりの試行錯誤が必要だったけれど。

 

今まで苦労した課題の品に比べれば、随分と楽だったような気がする。

 

とりあえず、出来たものを、用意してきた機具に入れる。

 

これも、この間の実験で、性能を試したものだ。

 

マリンナイザーという。

 

むき出しのエアドロップを使うのでは無くて、実際にはこの機具を使って、チューブの中の空気をコントロールするのだ。

 

道具としては、簡単である。

 

エアドロップを固形成分として、中に入れてある筒状のものだ。これに、水をいれたタンクが接続してある。

 

そして、バルブを捻ると、水がエアドロップにかかる。

 

当然空気が生じる。

 

筒の上部から空気を放出するわけなのだけれど。これも、バルブで量を調節する。

 

水を掛ける量によって、どれだけの空気が出るか、わからないのが現状だから、コントロール出来るようにしたのが、この機具だ。

 

勿論これは安全措置を兼ねている。

 

もしも毒の成分が、あふれ出る空気に混じっていた場合。空気が元々薄い水底のチューブでは、致命的な事になりかねない。

 

最悪の事態を防ぐために、必要な機具でもあるのだ。

 

構造自体は簡単なので、外側は親父さんに作ってもらい、後はロロナとクーデリアで、すぐにくみたてることができた。

 

工場で売っているバルブやチューブなどを組み合わせて、完成。

 

第二段階の実験を行うべく、ネーベル湖畔に向かう。今回はステルクが忙しいという事なので、タントリスに来てもらった。

 

マリンナイザーはかなり重い機具で、荷車に積み込むとき、タントリスも眉をひそめていたけれど。

 

それでも、アーランド人なら誰でも持ち上げられる程度のものだ。

 

ただ、チューブを、これを背負って降りていくとなると、かなり骨かも知れない。

 

街道を北上しながら、進む。

 

タントリスは、マリンナイザーの説明を受けて、あまり感心したようには見えなかった。前はいちいち甘ったるい声で接してきたのだけれど。ロロナがあしらい方を覚えてからは、少し態度を変えてきている。

 

「道具としては、それほど複雑なものではないようだね」

 

「はい。 量産も可能だと思います」

 

「それで、どう使うんだい? あまり多くの使い道があるとは、思えないのだけれど」

 

「そうですね。 たとえば炭鉱とか」

 

ロロナも聞いているけれど。

 

たとえば炭鉱などの深部では、空気が薄くなって、労働者が苦労することが多いと言う。それならばマリンナイザーを実用化すれば、彼らも作業がしやすくなるはずだ。ただ、空気が多くなると、ものが燃えやすくなるともいう。

 

あまり安易な提案は出来ないだろう。

 

実験を重ねて、検証をしていく必要がある。

 

途中、荒野で見つけた兎を捕らえておく。

 

食べるのでは無くて、空気の実験に用いるのだ。今回はある意味とても危険な実験なので、動物にも協力してもらう。

 

勿論、大丈夫なはずだけれど。

 

駄目な場合、死んでしまった兎は、感謝しながら食べるつもりだ。

 

ネーベル湖畔へ到着。

 

此処まで、かなり距離もある。往復は後一回で済ませたいところだ。

 

見張りの悪魔に一礼して、中に。今回で、実験を完遂したいと話すと、悪魔は鷹揚に頷いていた。

 

不安なのだろう。

 

この奥には、悪魔にとってとても大事な宝があると言う。それはおそらく、宝石の類では無くて、技術だ。

 

一体何をするための技術なのかは、よく分からないけれど。いにしえの時代に起きたことを知った今では、他人事では無い。

 

チューブを降りていく。

 

階段があるわけでもないので、傾斜がきついところはかなり降りるのが大変だ。ただ、彼方此方に置かれている魔法のカンテラが、暗闇に落ちた水の中で、幻想的な光の空間を作り出している。

 

集まってきている魚は、どれも物珍しい。

 

網に掛かった魚はどれだけでも見た事があるけれど。実際に泳いでいる姿は、上からしか見たことが無い。

 

悪魔達の技術は凄い。

 

タントリスは、目を細めた。

 

「これは凄い。 チューブがもっと安定したら、デートに来たいくらいだ」

 

「今、誰か特定の女性はいるんですか?」

 

「一晩の友はたくさんいるけれど。 結婚を前提におつきあいしたい相手は、今のところいないねえ」

 

タントリスらしい。

 

苦笑いするロロナに、クーデリアが咳払いした。

 

まともに相手にするな、というのだろう。クーデリアはこういう話が嫌いのようだし、無理も無い。

 

湖底に降り立つと、マリンナイザーを設置する。

 

側には縛り上げた兎を。

 

そして、バルブを捻る。

 

安全のために、すぐに避難。いきなり大量の空気を出さないように調整はしてあるけれど、何が起きるかわからない。

 

元々辺りは空気が薄くて、非常に過ごしづらい。

 

しばらく、遠くから様子を見る。

 

チューブを通じて上から少しは空気が来るけれど。もしも毒が発生していたら、ひとたまりも無い。

 

「どう、平気そう?」

 

「うん……」

 

何だろう。

 

あまり良い予感はしない。

 

近寄ってみると、兎は生きていた。あまりにも異質な空間に連れてこられて、恐怖ですくみ上がっているけれど。まだ、ぴんぴんしている。

 

それよりも、空気は。

 

深呼吸してみる。

 

さっきより、多少は過ごしやすい。もう少し、バルブを捻ってみて、少しおかしいなと思った。

 

「ねえ、くーちゃん」

 

クーデリアが噴き出す。

 

視線をタントリスがそらした。

 

気付いた。何だか、声がおかしい。凄く高くなっている。

 

口をつぐんだクーデリアが、顔を真っ赤にして、そらす。ロロナも、その場でゆでだこになりそうだった。

 

この空気は、毒は無いかも知れないけれど、変だ。

 

一旦外に出る。外で深呼吸して、しばらくしてから喋ると、ようやく声が元に戻った。クーデリアが、マリンナイザーを、しげしげと眺める。

 

「失敗だったけれど。 これはこれで、面白いんじゃ無い?」

 

「もう!」

 

さっきのは、本当に恥ずかしかった。

 

珍しく本気でロロナが怒っているのに気付いたか、クーデリアはすぐにその話題から離れた。

 

タントリスはしばらく無言。

 

女の子といる時は散々喋り倒すのに。

 

ロロナも流石に頭に来て、縛り上げていた兎を荒野に放す。兎は此方を見た後、すぐに逃げていった。

 

悪魔が、逃げていく兎を、しらけた目で見つめている。

 

「失敗したのですかな?」

 

「空気を出す実験そのものは上手く行きました。 問題は空気そのものの質が、毒では無いんですけど、声が変になるものになっていて……」

 

「声が変に」

 

「はい。 もう少し、サンプルを調整してきます」

 

毒性は無かったけれど、あれは本当に大丈夫なのか、気になる。

 

それにしても、さっきの声は、思い出したくない。

 

ロロナだって女だから、声くらいはコントロール出来る。女の子が好きな男の子の前で、声が高くなるというのは本当だ。人によっては若い声を作る事だって、男の子の声を真似ることだって出来る。

 

だけれど、さっきの声は、それとは少し違っていた。

 

「次で成功させます」

 

「わかりました。 次は、此方も探索チームを連れてきます。 貴方の力量には、皆期待しています。 お願いしますよ」

 

悪魔達の目には、わずかな不審が浮かんでいた。

 

多分彼らは、声が変になるくらいで、と思っているのだろう。しかしロロナにしてみれば、何があるかわからない以上、慎重になるしか無い。

 

或いは、このマリンナイザーにじょうごか何かを付けて、出てくる空気を直接吸い込んでみるのはどうだろう。

 

実験としては、それも良い。

 

マリンナイザーの能力自体は、これで証明できたのだ。次は、きっとうまく生かせる。

 

それに、データも集まってきた。

 

アトリエに戻った後、すぐに作業に取りかかる。勿論、湖底で拾い集めてきた珍しい素材も、コンテナに大事にしまった。特に虹色に輝く珊瑚は、とても強い魔力を秘めている。或いは、何か非常に貴重な素材として重宝するかも知れない。

 

タントリスにはもう良いと言ったのだけれど。

 

彼は珍しく、仕分けなどを手伝ってくれた。

 

「今日は暇でね。 君の仕事ぶりを見せてくれないだろうか」

 

「別に構わないですけれど」

 

わずかに警戒したロロナを安心させるためか、何もしないとタントリスは言う。信用できないけれど。クーデリアもホムもいるし、大丈夫だろう。

 

クーデリアと話して、すぐにデータの検証に取りかかる。

 

錬金術師の研究データも引っ張り出す。それによると、どうやら、少し余計な成分が多すぎたらしいと言う事がわかってきた。

 

素材の量を調整して、エアドロップを作り直す。

 

圧縮したエアドロップは、わずかな水を掛けるだけで、爆発的な量の空気を噴き出す。これは冗談でも何でも無い。本当に、爆発するかのようなのだ。マリンナイザーのバルブをあまりに勢いよく捻ると、実際に吹っ飛ぶかも知れない。そうなったら、大けがをしてしまうだろう。

 

バルブの調整を、ロロナがやっている内に。

 

クーデリアが、資料をまとめてくれた。

 

ホムがお茶を淹れてくれたので、茶菓子を食べながら、検討する。クーデリアは錬金術師では無いけれど。データにはとにかく強い。元々の記憶力もあるから、ロロナが作ってきたレシピは、そらで全て暗記しているかも知れない。

 

タントリスは、何もしないで、ただ作業を見ていた。邪魔はしないけれど。役にも立ってくれない。

 

「音楽でもどうだい?」

 

「ええと……」

 

「もう良いわ。 五月蠅くないのをお願い」

 

「かしこまりました、フラウ」

 

クーデリアが、一番怒りそうな呼び方だったけれど。そうはならなかった。

 

タントリスはいつもキタラのような楽器を作っているけれど。今日は笛だ。横笛を器用に使って、深林に差し込む日の光のような曲を奏でてくれる。

 

確かにこれなら、邪魔にならない。

 

クーデリアと作業を進めていく。幾つかの材料を慎重に混ぜ合わせて、エアドロップを作成。マリンナイザーに入れて、バルブを捻る。

 

緊張の瞬間だ。

 

出てきた空気を、何度か深呼吸してみる。

 

意識が飛ぶようなこともないし、声が変にもならない。

 

念のため、捕まえてきた野良ウォルフを使って、一日動物実験をすることにする。マリンナイザーを、ウォルフを入れた小屋につないで、しばらく放置。もしも毒性があるなら、ウォルフは死ぬ。

 

ウォルフは逃げ出せないように、両足を縛っておいておく。

 

中庭に作った小さな小屋。

 

わずかに掘って他より低くしてあるのは、毒ガスが出た場合の対処を楽にするため。それに、毒ガスが出た場合、すぐにウォルフに効果が出るようにするためだ。

 

少し可哀想だけれど、モンスターが相手なのだ。これくらいはしておかないと、後でロロナが怒られてしまう。

 

空気は、かなりの量が安定して出ている。

 

エアドロップそのものの調合は、上手く行った証拠だ。問題はその空気の質。しばらくロロナは、縛り上げられたウォルフの側に座っていた。

 

もしも異変が出るようなら、助けてあげたいと思ったからだ。

 

「ハニーは優しいね」

 

側に、タントリスが座った。

 

クーデリアは時々此方を見ながら、データを整理してくれている。ホムに到っては、黙々と作業を続けていて、此方には興味がなさそうだ。

 

満天の星空。

 

いつの間に、音楽を止めたのだろう。

 

少なくとも、作業の邪魔にはならなかった。

 

「タントリスさんは、どうしてわたしに近づいてきたんですか?」

 

「これは直球だね」

 

「だって、タントリスさんの好みに、明らかにわたしは入らない筈です。 女の子のことが何よりも大事そうなタントリスさんがわたしに近づいてきているのは、やっぱり仕事だから、ですよね」

 

何のために、側に来たのか。

 

もう、結論は出ているけれど。タントリスから、直接聞いておきたい。

 

タントリスは、不意に真顔になる。

 

「確かに君はまだ乳臭い子供だけれど」

 

「……」

 

「だが、いずれはとても美しい女性になると思っているよ。 あまり自分の事を卑下するようなことは、言わない方が良い」

 

すっぱり言ってくれるものだ。

 

ロロナとしては、どう反応して良いのか分からない。ただ、タントリスは、真剣なようだった。

 

「まあ、君の言うとおりだ。 僕はね、仕事で君に接近したのさ。 仕事の内容は、君の周囲の人間関係を引っかき回すこと」

 

「どうして、そんな事を」

 

「君により大きなストレスを与えるのが、理由さ」

 

何故か、までは応えてくれない。

 

ただ、それだけで充分だった。

 

何となくはわかった。

 

要するに、ロロナが順調に作業を進めるようではいけないと、誰かが考えたのだろう。其処で、わざわざタントリスが足を運ぶことになった。

 

この人は本職の諜報員だろうと、ロロナはにらんでいる。

 

既に、ジオがロロナの周辺環境に絡んでいることは、掴んでいる。つまり、王が直接関わってくるほどの何かおおきなものなのだ。一諜報員が、関わってくる事くらいは、不思議でも何でも無い。

 

「ただ、今は少し難しい立場になっていてね」

 

「難しい、立場?」

 

「要は、僕の父上が、この任務から僕を外したがっている。 でも、僕自身は、この任務を続けたい」

 

何故だろう。

 

立身のためだろうか。

 

ロロナだって、クーデリアの立場をしっかりしたものにするという目的があって、モチベーションを維持している。

 

そう考えてみれば、立身のために動いているのと、あまり変わらない。

 

どうして、とは。

 

だから聞かなかった。

 

しばらく様子を見たが、ウォルフは苦しむこともなければ、暴れ出すようなことも無かった。

 

念のため、丸一日をおくつもりだけれど。

 

多分実験は成功とみて良いだろう。

 

「僕は仕事とは言え、君に散々迷惑を掛けてきた。 リオネラくんの一件だって、僕が裏から糸を引いていたからね」

 

「えっ……」

 

「酷い事をしたとは思っているよ」

 

だから罪滅ぼしを少しはしておきたい。

 

そういうと、タントリスは立ち上がり、アトリエに戻っていった。

 

既に夜も更けている。

 

どうするつもりかと聞くまでも無く、タントリスはアトリエを出て行った。

 

そうか。あの人が、ロロナの側にいたのは、そういう理由だったのか。それならば、少なくとも今は、心配しなくても良さそうだ。

 

クーデリアは泊まっていくと言っていた。ロロナはどうするかしばらく悩んだけれど。タントリスは、もういい大人だ。彼は彼なりに考えて、今の結論を出しているならば、それを尊重しなければならないだろう。

 

だから、追わないことにした。

 

罪滅ぼしか。

 

記憶が戻った今では、それがどれだけ苦しいことか。ロロナには、よく分かっていた。







原作でも其処までの悪人ではありませんが、本作のタントリスさんもそれなりに責任は感じていたりします。

ロロナに真相を告げたのは、タントリスさんなりのけじめです。




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