欲しいものは、ただ勝利のみ。   作:ばリオンズ

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第12話

起き上がって、彼は笑う。

地面にぶちまけられた血反吐や、小手の下でただ滴るだけとなった銀を纏った血が、まるで沸騰したかのようにボコボコと泡立ち始めた。

 

泡の一つ一つが空中へと舞い上がり、アダマスの目線に届く高さまで浮かび上がる。

目線に辿り着いたものから一瞬、淡く輝き、頭部の傷口から体内へと還ってゆく。

高位の魔導師が、思わず顎を外して驚愕した。

 

あの輝きは、生活魔術の《清潔(ハイジーン)》。

しかし、それを血液に用いるなど、誰一人として考えたことがない。

この世界の衛生の概念は酷く遅れており、空気中に菌がいることを一般人は理解できていない。

それだけにとどまらず、血を泡状に分解してその一つ一つへ個別に魔術を賭けるなど、常軌を逸した所業だ。

 

魔術とは、元来大雑把なものである。

神が用いる魔法を、人間が扱えるように無理やり縮小したものが魔術だ。

大元たる神々が魔法を行使する際、その最低出力は街一つ分に及ぶ。

天候を変える程度の魔法ですら、強烈な日照りによって人を焼き殺しうるほどの存在である。

規模を落としたとはいえ、それが微細な単位に対応できるはずがない。

清潔であれば、本来は身体全体や家具など、ある程度大きなものを対象とする。

身体の一部を対象にすれば出力は過剰となり、削れ、抉れ、

肉をこそぎ落とし、血を奪い、結果として死に至る。生活魔術でさえもこの有様なのだ。

 

回復魔術がしばしば過剰回復を引き起こすのも、そもそも人間という存在用に完全に調整しきれていないからだ。神の傷を癒やし、大地の穢れを取り除く、その出力を抑えることに失敗していた。だから過剰回復で人が死ぬ。

 

そもそも人ならざるものが、人の尺度を真に理解することなど、たとえ全知全能を謳う神であっても不可能である。

持たざるものの弱さを、持つ者が理解しきれないように。

 

できてしまうがゆえの傲慢。

それこそが、神という存在の本質なのだ。

 

だから、魔術とは本来そういうものだ。

細部を扱うことを想定していない。

人が神から授かった未完成の宝物にして、

縮尺が狂ったまま固定された、不完全な道具である。

 

だが、アダマスにおいてはその前提は一つ崩れていた。

脳に溶け込んだ銀喰らいの本。

無数の術式、理論、失敗例、成功例。

それらが体系としてではなく、部品として流し込まれている。

そのなかには当然、魔術の細分化に挑んだものも多々含まれている。

 

もはや本は教えない。

使い方を示さない。

ただ、分解された知識を無秩序に放り込む。

 

結果として、

魔術という大雑把な仕組みを無理やり細分化して扱うための視点と経験だけが残った。

 

血液を泡に分ける。

泡を一つ一つ独立した対象として扱う。

一回の術式を、脳の細胞一つ一つに処理させることで微細化を行う。

 

本来なら思いついても実行できない。

処理が追いつかない。

制御できない。脳の容量を超えるから。

 

そもそも、そんな発想に至らない。

だがアダマスは考えなかった。

流れ込んでくる知識の中から、

使えそうな部分を無意識に掴み取り、

そのまま当てはめただけだ。

できるできないは今どうでもいい。

やるしかないのだから。

 

精密さはない。

整合性もない。

あるのは、量と速度だけ。

今必要なのもそれだけ。

 

血が戻り、酸素が全身へと行き渡る。

鉛のように重かった身体が、ようやく動き出す。

 

アダマスの視線が、走り出したリビングメイルを捉える。

ようやく立ち直ったアダマスの敵意を感知し、リビングメイルが再起動したのだ。

脅威度によって動くかどうかを決めるということは、今のアダマスは優先的に殺傷すべき存在として認識されていることとなる。

 

アイスリットに突き刺さっていた剣は引き抜かれ、既に左手に収まっていた。

両の手に刃を構えた、二刀流の姿である。

ただでさえ手数の多いその動きに、リビングメイル特有の剛腕が加わる。

受け止めることすら死を意味する連撃が、完成してしまった。

 

アダマスが先ほどまで手にしていた粗末な金属製の剣は、元々リビングメイルが持っていた不可思議な意匠の剣と比べれば、

まるで子供の玩具のように小さく、頼りなく、みすぼらしく映る。けれどそれですら使い手によって十二分に脅威になりえるというのだから、恐ろしいものである。

 

対するアダマスは、素手。

小手すら着けていない、ただの握り拳だ。

先ほどまで殴り続けていたことで、役割を果たせなくなった小手は地面に投げ捨てられている。

 

遂にあの小僧は正気を失ったか。

 

そんな声が会場のあちこちから漏れ聞こえる中、彼の拳の内側から銀色の光がほとばしった。

剣を握るかのように、指と指の間にわずかな隙間を空けて構える。

その隙間へと、魔力によって染め上げられた空気が流れ込み、やがて形を成していく。

 

象られたのは剣。

だが、先ほどまで握っていたものとは明らかに異なる姿だ。

 

大ぶりの片刃。

刃の表面では、魔力が絶えず流動し続けている。

流砂のようにざらついた粒が蠢き、定まった輪郭を拒むかのようだ。

これでは切れ味など、到底期待できそうにない。

 

行為だけを見れば、すでに本の知識を使いこなしているようにも映る。

しかし実際には、ぶっつけ本番で未知の技術を振り回しているに過ぎない。

剣の形を辛うじて保っているだけで、

魔力の不安定さは誰の目にも明らかだった。

 

動き出しの鈍いリビングメイルが、右腕を大きく振り上げる。

そこへ、作り立ての武器が叩きつけられた。

辛うじて弾かれることなく、鎧に傷を刻み、押し込んでいるようにも見える。

 

だが、ただの剣と鎧がぶつかる音にしては、あまりにも騒がしい。

 

雨は降っていない。

それでも耳に届くのは、土砂降りの雨音に酷似した響きだった。

砂粒が窓に当たるような、取るに足らない微細な音。

それが数千、数万と重なり合い、闘技場全体を満たしていく。

あまりの激しさに、耳を塞いでも指の隙間から侵入してくる錯覚すら覚える。

観客の中には、悲鳴を上げる者も少なくなかった。

 

しかし、その不快な音に耐えて視線を戻せば、

異形の刃はリビングメイルの左手首を、ほとんど切断しかけている。

いや、切り落としているのではない。

削り落としているのだ。

空気を含んだ微細な銀の魔力粒子が研磨剤となり、

金属を削る処理と酷似した現象を引き起こしている。サンドブラスト処理と言うやつだ。

 

一粒一粒は取るに足らない威力であっても、

その数が膨大になれば、削れないものなど存在しない。

 

数百年をかけて、雨垂れが石を穿つ。

それを速度と量だけで、無理やり再現したかのような光景だった。

 

一度成立した以上、

同じ理屈は他にも使える。

細かすぎて精密に扱えないなら、雑でいいから数を増やす。

刃を鋭くできないなら、削り続ける。

一撃で足りないなら、無数に重ねる。

 

 

片手を切り落とされたリビングメイルは、露骨に挙動がおかしくなった。

視界を塞がれた時よりもさらに、明確に、はっきりと。

 

右手を失ったことで内部の回路が異常を起こし、ほかの器官へ干渉を発生させている。完成したプログラムの一部をけしたことでバグが生まれているようなものだ。

 

その構造は、ある意味で魔術陣に近い。

各部位が独立しているようでいて、全身の回路が揃って初めて一つの存在として成立しているのが、リビングメイルというトラップモンスターなのだ。

 

ゆえに、胸部や中枢に大きな損傷を受ければ、即座に崩壊する例も多い。

中心部分の回路が破壊され、全体の同期が失われるからだ。

 

今回は違う。

末端部分の回路が切り離された。

即座に崩壊するほど致命的ではない。

 

だが、確実に歪みは生じた。

左脚と右腕の機能停止。

脚を引きずり、右腕は胴に貼り付いたまま微動だにしない。

歩幅が合わず、時折、自分の体重に耐えきれず転ぶ。

 

それでもなお、左手に握った剣は離さない。

目の前にいる存在を殺すためだけに、

ガタガタに狂った斬撃を振り下ろし続ける。

 

軽く後ろへ飛び退き、その一撃をやり過ごす。

アダマスは、地面に転がったままのリビングメイルの右手だったものへ視線を落とす。

そこに埋もれていた自分の剣を拾い上げる。

 

そして、剣の周囲の空気へと魔力を干渉させた。

剣という明確な形状が芯となることで、魔力の収束は格段に容易くなる。

 

脳内に刻まれた鍵の文様が陣の役割を果たし、

曖昧だった輪郭が、無理やり一つの形へと押し固められていく。

魔力収束(マギロカ・コンバージ)》と呼ばれる魔術の一つである。

 

形成されたのは、四角い剣。

この世界において、その形が使われる用途は一つしかない。

闘技場に持ち込まれることなど、まずあり得ない代物。

 

処刑剣、エグゼキューショナー。

死神の鎌よりも、人に恐れられる執行者の剣。

再現されたそれは、ある一つの性質を持っていた。

 

人型の存在の首を落とす時のみ、斬れ味が跳ね上がる。

鎧を着込もうと、鉄板を巻き付けようと、魔術で防壁を築こうと関係ない。

首である限り、一刀で断ち切る。

 

この世界では、ごく当たり前に付与されるエンチャントだ。

魔力で形を真似ただけで、その性質までもが再現されているらしい。

 

「必殺技が欲しいって思うことは多いんだ。」

「でも、殺せる威力の一撃って、そもそも撃つ相手があんまりいない。」

「やたらめったら殺したら恨まれるしな。」

 

不格好に足を引きずりながら、それでも前に出ようとする鎧。

その動きに合わせ、まだ動く脚を軽く剣で突き払う。

 

どたっ、と鈍い音を立てて転倒する。

アダマスはその上に片足を乗せ、逃げ場を完全に奪った。

処刑剣を大きく振りかぶる。

銀の魔力粒子が励起し、大気が震える。

ビリビリと、耳鳴りのような振動音が闘技場に響き渡る。

 

「黄泉送り」

 

金属同士がぶつかる音ではない。

卵の殻を踏み潰すが如く、軽やかな音を引き連れ斬撃が首を断ち切った。

限界まで込められた魔力と、エンチャントの性質が噛み合い、

剣はそのまま地面まで深々と切り裂く。

 

雪山に走るクレパスのような傷跡が刻まれ、

それを目にした者すべてが、言葉を失った。

中枢回路を破壊され、完全に機能を停止したリビングメイルはサラサラと金属粉へ崩れ落ちていく。

アダマスは、その残骸の中から剣を掴み取った。

 

先ほどの処刑剣より、さらに一回り大きい。

冷却用のパイプらしき細い管が各所から突き出した、奇妙な造形の剣。魔力導体としての性質は優秀だが、前世の知識にこんなものは該当していない。

 

そんな変わった戦利品を片手に引きずりながら、

ようやく噛み締められる勝利の味を、これでもかというほど味わった。

勝つことは、やはり楽しい。




殺戮機構人形の機黒大剣
ATK70 DEF 60 MP 00 CRT -05

現在の技術で作ることは不可能な武器。
自ら魔力を内包することはないが、魔力導体としての性質は優秀。
よくわからない機械が無数に組み込まれている。
未知を追い求めよ。
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