屍の山が積み上がる闘技場。
灰色の砂が血で濡れ、熱を孕んで煙のように立ち上る。
観客席の数千の瞳が、中央に立つ巨大な影へと注がれていた。
十人の闘士が取り囲んでいるのは――中位ミスリルゴーレム。
それは「ボスレイド」と呼ばれる闘技形態のひとつ。
ダンジョンから引きずり出したフィールドボスを複数の闘士に挑ませ、
その命の価値を見せ物として売る狂宴だ。
観客の一部は、既に飽きていた。
中堅ランクの闘士たちによる一方的な虐殺劇など、今や日常。
血と悲鳴の価値は下がりつつあり、娯楽としての寿命を迎えようとしていた。
だが、今回の相手は違った。
そのゴーレムは、まさに特級品と呼ぶにふさわしかった。
ミスリル製の装甲は魔法を大幅に減衰させ、あらゆる刃を弾く。
胸部には人の頭ほどもある宝石。
おそらく魔石そのものが埋め込まれており、
まるで神像のような輝きを放っていた。
その美しさの下で、闘士たちはひとり、またひとりと沈んでいく。
「押せッ! 脚を砕けッ!」
怒号が響き、一人の闘士が鉄製の大槌を振り抜く。
彼らは事前に刃が通らないと聞かされ、全員が鈍器を選んでいた。
だが、巨体は微動だにしない。
ミスリルの拳が雷鳴のように唸りを上げ、反撃の一撃。
鈍い音がして、槌を構えていた男の胴が折れた。
宙に血飛沫が弧を描き、観客の前列に降りかかる。
悲鳴と歓声。
それはまるで、戦場というより儀式だった。
Cランク闘士たちは、戦神の加護を受けた肉体強化魔術や筋力に秀でた戦士たち。
だが、その中でも屈指の怪力を誇る男の一撃が通らぬなら、今の彼らにはもはや勝ち筋など存在しない。
残る者たちは半狂乱で突撃した。
ただ一人、異なる行動を取る者を除いて。
彼は倒れた仲間の遺体を無言で引き寄せる。
まだ温もりの残るその肉体を見下ろす目には、悲しみも怒りもない。
まるで日常の作業でもこなすように、腰のロープを取り出して遺体をぐるぐると巻きつけていく。こんなときでなければ口笛すら吹きかねないほど軽やかに、作業を淡々と進めていく。
強くロープを引っ張れば腕が折れ、血が滴る。観客の一人が悲鳴を上げた。
「何をしているんだ?」
「まさか、それを……?」
彼は応えることなく、死体の足を掴み、ずるりと持ち上げた。
血に濡れた腕部が振り子のように揺れ、骨の軋む音がかすかに響く。
ロープを巻き付け出来上がったそれは、死体で作った大棍棒。
観客席にざわめきが走る。
「正気か……?」
「死体を武器にだと……!」
嘆息、嘲笑、罵声。だが、それらはすぐに恐怖の沈黙へと変わった。
何かが違う。
誰もが本能でそれを察していた。
【死塊大棍棒を装備しました】
澄んだ声が脳内に響く。
青白い光の画面が視界に浮かび、彼は指先で項目を滑らかに操作する。
俗に言うところの、ステータス画面を操作していたのだ。無数の文字と数字の羅列の中から必要な部分だけを調整し終える。
死塊大棍棒
ATK 30 DEF 20 MP 40 CRT 10
↓
ATK 80 DEF 01 MP 01 CRT 18
数値が跳ね上がる瞬間、彼の眼に微かな光が宿る。
口元がわずかに歪んだ。
「さっすが戦神のご寵愛受けた親分の体は違うな。死んだ後すら硬いのだな。」
その呟きと同時に、彼は地を蹴った。
血を跳ね上げ、滑るように加速する。
ゴーレムが闘士たちを踏み潰し終える直前、
獲物を襲う、油断しきったまさに絶好のタイミングで、
その肩に棍棒が叩きつけられた。
轟音。
ミスリルの右肩が砕け散り、巨体がよろめく。
観客席に衝撃が走る。
通常、Cランク闘士の武器は攻撃力20前後。
だが今の一撃は、その四倍。
さらに油断しきった急所への直撃。
総合破壊力は160を超え、
金属の巨人をも屈服させる一撃だった。
だが代償は大きい。
棍棒は粉砕され、彼の両腕も痺れ、返り血が蒸気を立てる。
それでも、彼は拭わず、笑った。
「楽しい。とても、とても楽しい。」
彼は重小手をはめ直し、斧を構えた。
「ゴーレム相手に刃物とか馬鹿じゃねぇの?」「ヒデェことしてたけど、結局は死んだ奴らとおんなじ運命辿るだけのアホだったってことだわな。」
観客席の野次馬が軽口をたたく。
好き勝手言い続ける彼らの視界を、閃光が焼き切る。
鈍い鉄の刃が、白光を放つ。
魔法計測器の反応は魔石ランプに光を灯す程度。
ならばこれは魔法ではない。
斧は無数の機械で構築されていた。
魔力を起爆剤として駆動する機械仕掛けの炎熱刃。
白光がうねり、空気を歪ませる。
この世界に生まれ落ちるはずではなかった異音が、会場全体の鼓膜を打ち、異様さをひしひしと放ち続ける。
「いと高き御方よ……この捧げ物、少しはお気に召すだろうか。」
血まみれの顔に、微笑。
振り下ろされた白炎の斧が、バターを裂くようにゴーレムの脚を断ち切った。
金属音ではなく、融解音が響く。
装甲の表面が液体化し、流れ落ちていく。
倒れ込む巨体。
砂塵の向こうで、結晶越しに見ていた観客や、会場で双眼鏡片手に食い入るように見ていた者たちは思わず立ち上がり、少しでも近くで見ようと駆け寄ろうとする。
彼は崩れ落ちたゴーレムに飛び乗り、首元へと刃を構えた。それはまさに、死刑執行人が首枷を嵌められた死刑囚に斧を振り下ろすのを連想させる一方で、光を放つ斧の神々しさは、宗教画を彷彿とさせることだろう。
「お前は良い供物だ。我が神もきっとお喜びになる。」
白光が奔り、ミスリルの首を溶断した。
巨体は断末魔を上げることもなく崩れ落ち、どろりと溶けた魔銀が闘技場の中央に池をつくる。
熱気と金属の臭いが混じり、まるで地獄の釜が口を開いたかのようだった。
胸部から外れた宝石が、ぷかりとその池の上に浮かび上がる。
男はゆっくりと歩み寄り、それを掴み取って高く掲げた。
眩い光が闘技場を照らし、観客の影が幾重にも揺らめく。
光は天井の結界に反射し、まるで神の降臨のように場を支配していた。
歓声、悲鳴、嗚咽、笑い。
感情の奔流が渦巻き、血煙と混ざって爆ぜる。
悲鳴を上げる者も、狂喜して踊る者も、誰一人として目を離せなかった。
その中心で、男はただ一人、静かに立っていた。
あまりの高温に溶けた斧の残骸を掌の中で丸め、小手から放たれる冷気の中で転がしつつ、ゆるやかに空を見上げる。
焼け焦げた空気の中で、彼の吐息は白く揺らめいた。
歓声が遠ざかる。
その瞳に映るのは、今の勝利でも栄光でもなく――ただ、次の戦いの勝利だけであった。
地下闘技場の上、王国の天気は大荒れ。
まるで番狂わせに憤る神々が、天を震わせて八つ当たりしているかのようだった。
黒雲が渦を巻き、稲妻が地を裂き、雨は滝のように降り注ぐ。
己のお気に入りたちはことごとく敗れ、あの異端の信徒だけが生き延びたのが、余程気に食わなかったのだろう。
それを知ってか知らずか、男は静かに顔を上げ、唇を開く。
「コマ遊びはそろそろやめにすればいいのにな。」
その呟きが雷鳴と共に掻き消える。
観客席の上層――貴族席からひとりの男が立ち上がった。
「だいぶ面白い見世物であったな。爺や、名前を控えておけ。」
「承知いたしました、坊ちゃま。」
貴族たちはざわめき、下層の民衆は歓声を上げる。
闘技場は嵐と熱狂に包まれ、まるで神と人とが一つに狂う祝祭のようだった。
Bランク昇格試験、生存者一名。
“魔人”と呼ばれる男の行進は、今もなお血煙の中を、まるで風のように軽やかに進み続けていた。
からくりじかけ。