昇格戦。
いわゆるランク上昇のためのスペシャルマッチ。
勝利数が多いもの、あとは殺害数の多いものから優先的に行われる。
奴隷主達にとってはこのランク帯において最も稼ぎどきであることが多いが、今回は話が別。
あの場荒らしとも言えるやつの試合であるなら、あまり自分たちの懐は潤わない。
けれども、彼らとしては喜ばしいことだ。
試合に負ければ多少なりとも傷は負うし、無敗を邪魔できる。勝ったとしてもこのランク帯からはいなくなる。いい事ずくめ、と言ったところか。
そこに血の女王が加わる。
彼女は自分の奴隷と少年を戦わせて、負けたほうを相手に差し出す、というルールをペラードに取り付けたのである。
その奴隷がべラードの想定を遥かに超えるとんでもないのでなければ。
奴隷とは血の女王、本人の娘であった。
末の子供であるがために年齢層は同じ。
気まぐれに奴隷を食い殺しつつも、その奴隷の子を産みながら育てるその猟奇性が彼女の強さを引き立てる。
その子である娘もまた、嗜虐性と血に飢えた獣である。
なんせ親直々に人の味を覚えさせられた存在であり、死亡者の少ないFランク帯でのキルリーダーである。
ここで狼人の特徴についていくつか説明していくこととする。
狼人をはじめとした獣人は只人に比べ身体能力が高い傾向にある。
瞬発力、移動速度、腕力など、ほとんどのスペックが只人を凌駕する。
さらに嗅覚、聴覚においては獣のそれと寸分たがわぬ。
ただし、武器を使うことが下手であり、スタミナもある特定の種以外はかなり低い。
武器を使うことが下手であるということは武器に関する文明もその分必然的に停滞しており、只人に侵略され、奴隷となるケースが多い。
武器がない代わりに、鋭い牙、爪、角が備わっている。一般的な獣のそれに比べ、鉱石を溶かし込んだかのような硬さと鋭さを兼ね備えており、鉄を穿ち、肉を切り裂き、骨を容易く噛み砕く。
故に彼らは初期ランクをEから始めさせる傾向にある。
木剣で鉄超えの相手に勝てる方法はない。
強いて言うなら防具を着るのが嫌いという弱点がある程度。
徒党を組んだ彼らとミラは、確実に彼を再起不能にさせるつもりだった。
運営側も何故Fランク帯に狼人を置くことを黙認してきたかといえば、実績と金と現役Sランクの暴力による脅しに屈したとしか言えない、哀れなものであった。
奴隷主達はFランク帯の邪魔者2人を追いやれるし、ミラとしては上手く行けば上質な血と肉、悪くなったとしても出来損ないの処分は出来るし、より血肉を上質に育てられる環境になる。
どちらに転んでも双方に得であった。
ただ、ペラードもただでは転ばぬ男であった。
昇格戦ということで対戦相手の情報を奴隷に教えること、Fランク帯にいるべきではない相手ということで、装備品を変更するように申請していた。申請通りに通るかどうかはさておいて、権利を最大限に主張する男である。
その頃件の少年は、資料室にて書物を読みふけっていた。
ランクによって読んでいい書物は異なる。
Fランク帯は絵本など娯楽系の本が大半を占めるが、彼が読んでいたのはとあるサイコキラーの本であった。他にも本はあるが、彼は疑似母に行かない分、どうしても暇で読書で時間をつぶすしかない。なので、すでに他の本は読破済みであった。
その本は、一見すれば子供向けの料理絵本だった。
愛らしい挿絵、鮮やかな色彩、そして「祝祭の日のおいしいフルコース」という無邪気な題名。
だが、触れた瞬間に才ある者の脳に叩きつけられるある一つの感覚がある。
ひたすらに重く、ひどく濃い血と死の香りだ。
香りと形容したが、本そのものから漂うものではない。触れたものの脳に走る、香りとしか呼びようのないひどくおぞましい感覚だ。
本の通称は『万奇食覧(ばんきしょくらん)』。
あらゆる知性ある生物の「殺し方」と「食べ方」を記した書である。
著者たるディーパーバーについて知られている情報はない。この世界のどこにも、何も。
本の中身には伝説上にあるような植物や大邪龍すら記載されている。ただ、公式の他の文書においてそれらをディーパーバー以外の人間が討伐した記録や発見した情報が残っている。けれどもそれら全員、顔や性別、すべての身体的情報が何一つとして残っていない。
ゆえにこの本は他人の功績を載せただけの戯言とも取られる本であるが、本の通りに解剖すると瓜二つの光景が目の前に広がる。
ゆえに、この本は状況証拠だけが正しさを証明する。
この本の異常性は、内容だけではない。
ページそのものが多層構造になっており、触れたものの魔力が条件に合致していれば勝手にその魔力を吸い上げて隠れたページを露わにする。
そこに現れるのは、単なる料理手順ではなく臓器の構造、骨格の配置、血管の全体図、そして致命傷になりうる部位。
すべてが図解され、脚注のように「適温」や「最良の部位」が添えられている。
食べるための最良、犯すための最良、道具としての最良。
ありとあらゆる利点欠点含め事細かに書き記されており、無意識下での欲求を駆り立ててくる。
【狼人の頸椎は七つ。第五節の下、ここを斬れば劇的に動きが鈍る。しかし鮮度が落ちるため推奨はされない。】
【首を絞めるのは有効である。呼吸をしようとするがあまり武器たる口が使えないからだ。鮮度もよく活け造りにも最適であるがため、新鮮なうちに楽しむ場合は推奨される。】
【飛竜は肉質が硬すぎる上にどこを食べても血の味しかしない。霊薬とよばれる竜の血と同様の効果はどこを食べても得られたが、どう調理してもまずいものを食べるより血を飲んだほうが手っ取り早い。】
【蟲人は哺乳類から派生した種ではなく、独自の生態を構築している。人間をはじめ人類とカテゴライズされる種との交配は難しいように思われたが、案外そうでもなかった。ハナカマキリ種の彼女が本能に抗いつつ乱れる様は私を酷く昂らせたものだ。背中の傷跡は今も彼女に見せると顔を赤らめて新婚当初の気分に浸れるので治さずにいる。】
時に感情を織り交ぜ、時に淡々と調理法を書き連ねられている。字はすべてが丁寧に書かれたものでありながら、内容の一部では荒々しく書きなぐったような文章も内包されており、規則性を感じさせない。惚気も多々織り交ぜられており、読むものの口を砂糖でジャリジャリにする。
精神の弱い者がこの本を読めば、理解の限界を超えて発狂する。
書かれている内容を試したくなる衝動に駆られ、自我を失うのだ。駆り立てられた欲望を爆発させ、隣人に襲いかかる。
過去の事例では一つの村がこの本による狂人の手に落ち、家畜小屋に人が繋がれて繁殖させられる、という見るに堪えないことすら起きている。
蟲人のコロニーに飛び込んだものもいた。ざっと二百年前のことであるが、現在も生存が確認されている。死ぬことも老いることも許されず、繁殖を繰り返させられているとのことである。
しかし、冷静さを保てる者にとって、それは恐るべき学術書であり、料理本であり、ただのエロ本となる。
この一冊で、あらゆる生命の仕組みを知ることができる。
あらゆる生命の弱点を、あらゆる生命の長所を、完全に把握することができるのだ。
それは知識という名の刃であり、読む者の理性を試す毒でもあった。
理解とは支配に通じ、記述とは殺意に等しい。
学ぶほどに、読者は生命という系譜そのものを凌駕していく。
だからこそ、少年はそれを読んでいた。
狼人を倒すために。
血の女王の娘を討つために。
彼にとって、この本は禁忌ではなく、ましてや料理本でも艶本でもなく教材だった。
頁をめくるたび、淡い魔力光が文字を浮かび上がらせる。
【獣人の嗅覚の限界距離】
【筋肉の収縮速度】
【皮膚の硬度に適する刃の角度】
これは木剣だからいらない。
【狼人の歯の硬度】
【顎の噛合圧と持続時間】
【骨髄を破壊せずに動きを止める角度】
悍ましくも理路整然とした実験結果に基づいた観測データの数々、その全ての記述が理論として彼の頭に刻まれていく。
全ての知識が無数のプランを織り揃えていく。
勝利の味を得るために。
この書は、宗教家たちの間で冒涜的な書物として認識されている。
神の創造物を『料理可能な生命体』として分類することは、信仰の否定と同義だからだ。
それと同時に、この本に記載されていないものはすべて絵空事であるという逆説的な論理もまた彼らにとっては目の上のたんこぶである。
幾度も焚書命令が出されたが、この本自体が怪異と化しており、時には羽ばたいて、あるときには転移魔法で消え去る。焼かれたとて最寄りの人間の脳を乗っ取り、自分を描き直させる。
ゆえにこの本自体も災厄の一種として扱われる。
しかも、定期的に更新されている。
ということはこの作者は現在も存命なのではないか、と一部界隈ではいわれている。
少年は本を閉じ、知識を反芻するかのように深く息を吸い込んだ。ゆっくり、できるだけ得たものを逃さないように、少しずつ息を吐き終えた。彼の目は狂気ではなく、理性で輝いていた。
彼は静かに呟く。
「攻略の糸口にはなるかな。」
裏表紙の銀色の鍵の装丁が、消え失せた。
テーブルマナーを学んだのなら、実践あるのみ。