白銀の髪に、泥濘を思わせる黒い瞳。折れた右腕、大火傷した腹部。
満身創痍のアダマスは、担架に固定されたまま静かに搬送されていた。
勝敗の宣言が実況から響いた直後、彼は糸が切れたように崩れ落ちた。
慌てて回収係が場内に駆け込むも、足元には散乱した無数の破片が行く手を塞ぐ。
魔力の残滓がこびりついた破片は、敵意の有無すら関係なく侵入者を攻撃しようと伸び上がるため、並の係員では近づくことすら困難だった。
やむなく、高ランクの元闘士で構成される回収班が呼び出される。
彼らにとって、下位帯の魔力残滓など紙同然。振り払うように薙ぎ払い、砕け散った破片を踏み越え、ようやくアダマスを担架ごと治療所へ運んだ。
この世界に蘇生魔法は存在しない。
事切れた狼人は別の処理施設へ移されてゆく。
厳密には肉体のみなら修復可能だが、脳死はどうにもならない。死ねば終わりだ。
治療所へ着くなり、アダマスは勢いよく大型の水槽へ沈められた。
中には緑にきらめく下級治癒ポーションが満ちており、顔には酸素の瓶につながった管のついた仮面が取り付けられた。
意識とは無関係に浮き上がろうとする体は重たい蓋で押さえつけられ、完全に液中へ封じ込められた。
この世界のポーションは本来、飲むか塗るかのどちらかで使用する。
広範囲の細かい傷には飲用が有効だが、一般的には患部へ直接塗布する方法が使われる。重症部位等に塗布するとよく効く。
ただ、効果の原理は未だに不明。
最初に飲んだ人間が治ったために「治るから使う」という理屈で普及しただけである。
最上級ポーションが四肢を瞬時に再生させた事例もあり、ポーションの回復作用は現行魔法体系では説明がつかない。
ゆえに良いことは「神の御業」、
悪いことは「ダンジョンの仕業」。
それがこの世界の常識だ。
重傷者をポーションへ漬け込む治療法には、二つ理由がある。
ひとつ、全身の細かな傷を一気に癒すため。
もうひとつ、ポーション一瓶あたりの回復量がまったく一定でないためだ。
錬金術師が作るポーションは完成した瞬間に必ず瓶詰め状態で出現する。例えば下位治癒ポーションの製造であれば蒸留水に夕闇草を細かく刻んだものとすりおろしたフゲンタケを加え、回復魔法を当てながら加熱し、撹拌する、という工程を経る。しかし、大鍋で調合しようが、フラスコで調合しようが完成した瞬間に容器から中身が消えうせ、瓶に封入された状態で真横に出現する。
これは調合者のイメージに左右され、大きな器を想像すればその形で生成されることがある。アダマスを沈めている水槽は、この性質を逆手に取って造られたものだった。
器のサイズは内容量に関係がないが、回復量は個人差によって大きく揺らぐ。回復魔法の力量、蒸留水の純度、各材料の品質などが大きく影響を与えるが、魔法以外の技術進歩が進まないために品質の均一化はできていない。
一方、ダンジョン産のポーションは瓶のサイズが均一で、消費途中で保存ができない。
飲むなり塗るなりした瞬間、体が勝手に全部使い切ってしまう。
融通のきかない特性ゆえ、重傷者には錬金術師作のポーションによる漬け込みが最も確実だった。
回復魔法を使わない理由は単純だ。
人体に害を出さないレベルで扱える使い手が極端に少ないからだ。
回復魔法とは肉体の再生能力を活性化させ、魔力蓄積細胞に干渉して組織そのものを書き換える術である。
そのため、死体の肉体を修復することはできても、脳機能は戻らず蘇生にはならない。
高度な魔法制御を持たぬものが生者に使えば老化の促進や腫瘍の増殖など過剰回復が起きる。
初めて使う者はほぼ例外なく暴走を起こすため、一般人への使用は固く禁じられていた。
偉大な古作の例えを借りるなら、
欲しいのはホイミなのに、この世界の基本は常にマホイミである。
そんな魔法制御能力を持つ使い手は各国が囲い込み、闘技都市でも数えるほど。
アダマスの主も一人抱えてはいるが、今回は安価で安全なポーション漬けが選ばれた。
水槽の中ではポーションがゆらりと減り、揺られながらアダマスは悪夢に沈む。
先の戦闘での失敗。死に至る瞬間。
別パターンの死を延々と反芻させられていた。
鍔迫り合いにならず、爪で木剣ごと切り裂かれる未来。
魔力が剣に流れず爆発しない未来。
噛みつかれた痛みに耐えられず、魔力を保持できず霧散する未来。
勝てたことの方が異常だった。
だから何度も死の瞬間を夢に見る。
いや、見せられているのかもしれない。
倒した狼人の怨霊が、こちら側へ引きずり込もうとしているのか。
うるさい。
死んだなら引っ込んでいろ。
今からでも殺し直してやる。
明確な殺意とともに銀色の剣を片手に大きく振りかぶる。
ギラギラと輝く銀の光が、狼人を照らす。
悪夢か、それとも怨霊かはわからないそれは、銀の魔力に蝕まれ、身動きが取れないままにずたずたに叩き斬られた。
しかし斬り裂くたびに、怒りは逆に勢いを増した。
失敗の瞬間を繰り返し見せられた苛立ちが胸を灼く。勝利したのに余韻に浸るのを寄りにも寄って敗者に邪魔されている。
怒声にならない怒声が心中で荒れ狂い、銀の魔力が逆巻いた。
激烈な殺意がアダマスの全身から魔力とともに漏れ出す。
銀の魔力が体表にまとわりつき、周囲のポーションを変質させる。闘技の最中に見せた破片の変質と同様に使い手にとって利のある変異が起きている。
液体は中級治癒ポーション級の回復力を備えたものへと変わり、ぬるりと意思でも宿したように動き始めた。
ダンジョンにいる、スライムのごとく。
銀の魔力に関しては解明されていることがまったくないが、モンスターを作るようなことはそもそも誰もできない。
モンスターはダンジョンから生まれるもの。
では、銀の魔力はダンジョン由来なのだろうか。
大成した銀の魔力の使い手は公式には誰一人として存在していない。
それを扱う魔法陣も、詠唱も解明されていないためだ。
この世界では、魔力を魔法に変換するために必要な媒体がある。
声に出すことで魔力を変換する詠唱方式。
魔石を粉砕し魔法陣を描く材料として利用する描写方式。
魔石自体に魔法陣を彫り込む、彫刻方式。
この3種類がメジャーな方式となる。
魔法陣や詠唱はどこから得るのかに関しては、神の加護によって得られるものと判明している。
ダンジョンに入るのに必要な資格の加護は、加護を受けた存在が成長するにつれて知識を授けるようになる。
戦神ならば筋力増強の魔法、魔術神なら中級までの各属性魔法、といった具合に詠唱の知識を授けるのだ。
では魔法陣はどうなのか。
こちらもまた加護ではあるが、与えられる存在が限定されている。
国家に務める高位魔導師、彫刻師、装飾師。
そういった者たちが加護を受け、知識を広めるのにふさわしい存在として認められれば魔法陣の知識を授かることができる。彼らをめぐって争いが起きることもあり、極めて貴重な技術であるといえる。
ちなみに、普通は魔法陣も描かれていない魔石に魔力を通すことは難しい。ましてや木を経由してなどできるものではない。
話を戻そう。
変質した流動体は敵意を示さなかった。
全身を行ったきたりしつつ、傷口へ溶け込むように染み渡り、最後の一滴までアダマスの体内へ消えていった。
傷が消えると同時に悪夢から解き放たれたのか、アダマスは清々しい顔で良い夢へと落ちていった。
古き神話は語る。
創造神の名はない。
ダンジョンを生んだ邪神の名もない。
数多の神々の名が残る中、その二柱だけが欠けている。
いや、欠けているのではない。
削り取られていた。
まるで不都合な事実を誰かが隠蔽したかのように。
響く歌声、騒々しいことこの上ない。