【完結済み、第二部連載中】新皇帝陛下の蛮族平定の御親征において第八軍団アウグスタ及び第二十軍団ティベリウスが合流予定時刻を過ぎ未着の議   作:お話を聞かせて

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感想くれろ、あと次回最終話


第九話 確約を得ず

 昧爽の空は俺達の窮地など関係なく、晴れがましく、和やかだった。その中に地上から昇る幾筋もの煙が溶けている。

 通常の行軍ではあと三日ほどかかる場所で、禁軍は宿営をしていた。開けた台地に簡易な柵が張り巡らされている。朝食の用意が始まっているらしく、煮炊きの煙がそこここに見られた。

 俺は馬に乗ったまま、宿営地の入り口まで勢いを緩めることなく駆けた。にわかに門の辺りが騒がしくなる。

 兵士が数名立ちはだかり、槍をこちらに構えた。

「何者だ?」

 誰何する声は厳しく、兵士たちは警戒心をあらわにしている。

 俺は懐から懐中時計を取り出し、先頭の兵士に放った。

「参謀本部所属、ハヤシヒデノリ作戦参謀少佐。グナエウス・グロウメルス・カト及びユーリア・コルネリウス・アルビウス両中将の命を受けて、軍団合流地点から参上した。皇帝陛下に至急ご報告しなければならないことがある、取り次いでもらおう」

 兵士たちは明らかに戸惑った様子だった。時計を確かめていた兵士が答える。

「確かに身分を確認いたしました少佐。しかし、皇帝陛下の謁見と言われましても……」

 俺はじれったくなって叫ぶ。

「この陣にはフメリニウス・クィントゥス・ファビウス作戦参謀大佐がいるはずだ、彼を呼べ」兵士たちはなおもまごついている。俺は怒鳴りつけた「何をしている、兵卒ども。さっさとしろ。走れ」

 後方の二名の兵士は慌てて走り出した。先頭の兵士が時計を返してくる。彼は他の兵士に比べ落ち着いていた、年齢からして軍務に就いて長いのも推量できる、彼が現場責任者なのだろう。

「何かあったようですな」

「ああ、大ごとだ。貴様もすぐ知ることになる」

 俺はそれだけ言うと、視線を空に向けた。大神ヘリオガバルスは日の沈んでいる時間は女神だが、日が出ている時間は男神であり、その時は戦争を司る。ここは帝国の地、ヤマトの主神であるヤマトノ国魂神より、彼に祈った方が効き目がありそうだ。ヘリオガバルスよ、何の頼りもない作戦参謀少佐にお力添えを、願いが叶った暁にはヤマトの干物でも捧げます……。

 しばらくして兵士たちが戻ってきた。

 門から姿を現したのは白髪を固めた壮年の男、俺の直属の上司であるファビウス作戦参謀大佐だ。

「ここで貴官の顔を見ることになるとは思わなかった」大佐は大袈裟に驚いた仕草をした。この大仰な態度が彼の本心を隠すための偽装手段だ「何かあったのかね」

 俺は馬を降りて敬礼する。

「はい、大佐。問題が起こりました、非常に繊細な問題です。皇帝陛下の指示を仰ぎたいと思います」

「まずは私に報告するべきだと思うが」

「小官もそう考えます。しかしながら、グナエウス・グロウメルス・カト及びユーリア・コルネリウス・アルビウス両中将より皇帝陛下に直接ご報告申し上げろと厳命されております。何卒お許しください」

 大佐は顎に手を当て、首を傾げている。

 大佐に考える隙を与えてはならない。俺は言い募った。

「大佐、事態は分秒を争います。いますぐ陛下に拝謁を許していただきたく。カト中将、アルビウス中将に手を掴まれ頭を下げられ頼まれたのです」

 嘘も方便だ。

「ふむ、構わんよ。両中将がそこまで言うなら」

 大佐はいとも簡単に首肯する。もう少し問答があるかと思ったが、肩透かしを食らった気分だった。

 俺は大佐につられて陣中を進んだ、進むほどに警戒中の兵士が多くなる、彼らは我々に鋭い目線を向けている。ただ皇帝にのみ忠誠を誓う禁軍の兵士にとっては参謀本部の将校だろうが心を許す理由はない。

 俺たちは宿営地の中央に円形に張られた陣幕の前で止まった。

「ここで少し待て」

 大佐はその中に姿を消した、なかなか戻らない、金粒より貴重な時間が過ぎていく。だが、落ち着かなければ。

 ようやく大佐が戻って来た。

「陛下は進言をお許しになられた、私の口添えのおかげだぞ。感謝してくれ」大佐は快活に笑う「ついてこい」

 幕をくぐって進むと、さらに陣幕が現れる。その前に椅子が置かれ、将官や官僚が座していた。陣幕に面する位置の椅子には、近習長、禁軍司令官、そして皇帝の家庭教師であり相談役でもあるセネガ老師が控えていた。彼らは疑わしい目で俺を見ている、属州出の少佐が皇帝に拝謁を望むのは烏滸がましいとその目は言っていた。俺は表面上は動じることなく、その視線を受け止める。内心は緊張で張りつめ、身体は吐き気を催していた。だが、やるしかない。

 俺は大佐に促されて、陣幕の十歩ほど前で跪いた。この陣幕の内に世界で最も権力を持つ人間が隠れている。彼は俺の報告に耳を澄ましているはずだ。俺は首を垂れて言葉を発する。

「この世界で第一の御方に拝謁の許可をいただきまして恐懼の至り。臣はハヤシヒデノリ策戦参謀少佐であります。グナエウス・グロウメルス・カト及びユーリア・コルネリウス・アルビウス両中将の命を受けて、軍団合流地点から火急の件について御報告するため参上いたしまた」

「頭を上げたまえ、大佐に聞いたが分秒を争うのだろ?」

 セネカが言う。

「恐悦至極」

 俺が頭をあげると近習長の鋭い視線にぶつかる。 

「報告というが中将からというのがそもそも解せんな。二人の大将はどうしたのだ」

 彼は厳しい口調で言った。

「はっ、両大将は陣に合流しておりません。確証はありませんが、得られた情報から考えると戦死したものと思われます」

 俺の言葉に陣が騒がしくなる。居並ぶ者が隣の者と小声で何かをささやきかわす。

あえて衝撃的な情報から報告し、続きを聞かざるを得なくした。ここからが勝負だ。

「何があったか報告してくれるかな」

 動揺する近習長が言葉を発する前にセネカが俺に問いかける、口調は柔らかいが内心ではどう思っているだろう。

 俺は、二軍団の合流が遅滞したこと、斥候の未帰還とその全滅を確認したこと、そしてエンヴィルが裏切りが発覚し、彼女が衝撃的な事実を発して死んだこと、その他、合流地点で判明した様々なことを説明した。

 幕内は静まり返った。近習長は顔を引きつらせている、セネカは瞑目し溜息を吐いた、禁軍司令官だけが表情を変えず落ち着いた態度で座している。

「……なるほど、我々は速やかに撤退する必要があるようだ」

 セネカが静かに呟く。

「いえ……いえ。グナエウス・グロウメルス・カト及びユーリア・コルネリウス・アルビウス両中将及びハヤシヒデノリ作戦参謀少佐は皇帝陛下にご進言申し上げます。二軍団は合流地点にて防衛戦の最中です」「

 俺は居並ぶものに宣言した。

 

「至急、禁軍に来援をいただき、かの地で蛮族どもと決戦を行いましょう。これぞ帝国を救う唯一の策です」

 

皆が驚愕の表情を浮かべる、数瞬後、驚きは怒りと批難に変わった。

「貴様は自分が何を言っているのか分かっているのか」近習長の顔は激怒で真っ赤になっていた「皇帝陛下を勝敗が不確実な戦場に引きずりこもうとしているのだぞ」

 昨夜のアルビウスの言葉と同じだ、俺は宿営地での軍議の様子を思い出していた。

 

「小官は両中将に具申します。我々はここで防衛戦を行い、禁軍に至急の来援を要請するのです。これが最善の策と愚考します」

 天幕が静まりかえった。皆が俺の言葉の意味を掴みかね、ゆっくりと咀嚼している。しかし咀嚼が終わった彼の反応は激的だった。

「断固拒否(ノン・ポスムス)」アルビウスが怒号を発した「貴様は自分が何を言っているのか分かっているのか。二個軍団が全滅、敵のことは氏族と数しか分かっていない、そのような状況で皇帝陛下の来援を願うだと? ふざけたことをぬかすな」

 軍団の別なく将校たちがアルビウスの言に同調して俺を散々に罵る、愚か者、不忠者、能無し……能無し? 俺はエンヴィルの言葉を思い出す。死んだエンヴィルよ、見ているか。俺はこの提案でお前の評価を覆すつもりだ。

 この反応は予想ができていた、援軍により兵数を敵に匹敵させて決戦、これはむしろ、軍事の常道、しかし彼らがこの案を思いついた様子はまったくなかった。なぜか。それはアルビウスの態度が示すところが答えだ。帝国生まれの彼らにとって皇帝は至尊の存在。その身を危険にさらすなど、そもそも発想の外。これは比較的最近に帝国に組み込まれた属州の出身者ではなければ、言ってしまえば、心の中ではけして陛下と敬称を使わず、皇帝と呼ぶような人間でなければ思いつかない策なのだ。

 罵声に耐えながらカトを瞥見する。カトは他の人間と違って怒りをあらわにしていない、腕を組んで俺の提案をじっくりと検討している様子だった、良い兆候だ。ここから俺の提案を通すにはカトの協力が必要なのだ、冷静さを失ってもらっては困る。

 俺は大声張り上げる。

「カト中将が陛下のお命を守るため殿軍を務めようとされているのは理解できます。しかしアルビウス中将の言うように、軍団の損失による皇帝権威の失墜は防がねばなりません。でなければ誰かが皇帝位の簒奪を狙うかもしれない」アフリカヌスがとはさすがに言えない「そうなれば、最悪の場合、帝国内戦です。そのような事態はなんとしても防がねば」

長机を叩く「両中将の提案では、陛下の生命、陛下の権威、その片方しか守られません。しかるに、小官の策はいかがでしょうか」いつの間にか天幕が静まっている、皆が黙って俺を見つめていた「ことは単純な足し算、軍事の正道です。第4軍団、第12軍団、合わせて一万六千人、禁軍は一万二千、合算すれば、二万八千の兵力、蛮族とほぼ同数です。加えて禁軍は精鋭を集めた、帝国において……いえ、世界最強の軍団です。第4軍団、第12軍団も実戦経験が豊富な歴戦の軍団、これらが合流できれば、敵集団に後れを取るとは思えません。我々の勝利は約束されたようなもの、陛下の身に危険は及びません」俺は最後の一押しをする「この決戦に皇帝陛下が勝利すればどうなるでしょう? 二個軍団を壊滅させた蛮族連合を初陣の御親征で撃滅した……陛下の御稜威は帝国全土に轟きます。これが私の提案する陛下の生命と権威も守る起死回生の策です。何卒ご認可いただきたい」

「お前の提案は穴だらけだ」アルビウスは激情をあらわに叫ぶ「エンヴィルは敵数を三万と言ったが、蛮族が奴に全ての情報を打ち明けていたかは分からない、いや、エンヴィルを信用しきっていないために数を偽った恐れは十分考えられる、明日の朝この陣を取り囲んでいる蛮族が倍の六万だとしても私は驚かない。加えて、二つの軍団を撃滅したことから考えても敵の強さは侮れないではないか、質の点でも我々が彼らを凌駕している保証などどこにもない」彼女は同意を求めるように室内を見渡した、諸将が頷く「これはすでに勝利が約束された安全な御親征ではない、明日の命が保証されない危険な戦場だ。そんな場所に陛下を招くなど断じてありえない。少しは見所のある軍人かと思ったが、とんだ見込み違いだ。所詮は属州出か、皇帝陛下は唯一無二、万が一のある場所にお呼びになって言い方ではないのが分かっていない。重ねて言おう。断固拒否(ノン・ポスムス)」

 アルビウスの反論に勢いを得て、将校たちが次々と反論の声をあげる。俺はその一つ一つに耳を澄ませていた。その反論の中に、俺の提案が認められるための決定的な要素が紛れ込むことを、俺は確信をもって予期していた。その発言があるまで、俺は傲然と胸を張り、批判を黙殺する。

 そして。

第四軍団の騎兵大佐が唾を飛ばしながら俺が待っていた台詞を言った。

「そもそも我々が来援を要請しても皇帝陛下が危険を冒してこの場に来る可能性は限りなく低いではないか。その程度のことも分からんのか」

 俺は静かに大佐を見つめた、内心を喜色に染めながら、大佐は俺の視線にたじろぐ。その言葉を待っていたのだ。

「なるほど、大佐の発言はごもっともです。確かに、我々がこの陣で皇帝陛下の来援を待ちながら必死の防衛戦を戦っていたとしても、陛下が要請を断っていた……という事態は十分考えられますね」

 そう言って俺はカトをじっと見た。カトは俺の視線の意味が分からず怪訝な表情をしている。

 俺は願いを込めて視線をカトから離さない。気付け、カト、アンタなら、俺の提案の利用価値が分かるはずだ。

 カトは大きく目を見開いた。ゆっくりの口の端が吊り上がる。彼は椅子を倒しながら立ち上がった。大きく溌溂とした声が天幕に響き渡る。

「ハヤシ少佐の献策を至当と認め、第四軍団グナエウス・グロウメルス・カト中将の名において陛下の至急の来援を要請する。陛下が到着するまで我が軍団はここで防衛戦を敢行する。技術将校、今すぐ兵士たちを叩き起こし防御陣地を形成しろ、投石機も組み立てを急げ」

 将校たちが息を呑んだ。

「何を言っているカト中将」

 アルビウスが悲鳴に近い声をあげた。明らかに狼狽している。

「陛下の安全が一番だと言っていたのは貴方ではないか」

「考えを改めた。我々は陛下のお命だけでなく、その権威をも守らねばならん。それを満たせるのはハヤシ少佐の立案した計画だけだ」

 アルビウスは呆然と立ち尽くす。カトは追撃をかけた。

「さて、第12軍団は如何する? 各軍団長には独立した権限がある。私と行動を共にする必要はないが」

 アルビウスはしばらく呆然としていたが、目をかっと剥いた、そして怒りで形相を一変させる。射殺すような瞳でカトを睨んだ。

「貴様」そして俺を見る、憎悪に燃える瞳で「貴様らあ」

 彼女は気づいたのだ、カトが皇帝に来援を願うとどういうことになるか。

 その場合、第12軍は撤退が不可能になる。もし皇帝が援軍の要請に応じたならば、軍団はその時、防衛戦の最中でなければならないのだ。もし、皇帝が来援したのに第12軍団は撤退中などということになれば、間違いなくアルビウスは敵前逃亡により軍法会議で処刑される、彼女の氏族にも累が及ぶかもしれない。 

 カトの理想は、皇帝軍に援軍要請を行い第4軍団及び第12軍団がこの陣地で防衛戦を決行、そのうえで援軍要請は却下される、という展開だ。結果的に第12軍団を殿軍に巻き込め、皇帝陛下の撤退が安全のうちに行われる。

 大佐が言った通り、俺の提案が皇帝の幕僚に承認される可能性はけして高くない。カトはそれを諒解したからこそ俺の提案を受け入れた。確かにこれはカトにとって一種の賭けだ、しかし賭けに負けたのなら、皇帝のために決戦に勝利すればいいだけのこと、やることは結局一緒だ。だからカトはこの提案を呑んだ。

 アルビウスは俺達の真意を理解した……だが、取りえる手段は何もない。この最後の軍議における勝者は俺とカトで、敗者はアルビウスだ。それはもはや覆らない。

 アルビウスはしばらく俺たちを睨んでいた、そして、叫び声を上げながら拳を天板に叩きつける、拳を中心に長机は真っ二つに破砕された。大理石の細かい粒子が彼女のかんばせを隠した。

 粉塵が収まる頃にはアルビウスは威儀を正している、彼女は血に染まった拳を拭いもせず告げた。

「失礼。いささか動転していたようだ。お見苦しいところを見せたね」いつもの気だるげな態度を取り戻している。「第12軍団軍団長、帝国中将ユーリア・コルネリウス・アルビウスはハヤシ少佐の進言を受け入れ、カト中将と連名で皇帝陛下に来援の要請を行う、よろしいかカト中将?」

「無論だとも」

 二人は笑みを浮かべた、勝者の勝ち誇る笑みと敗者の破れかぶれの笑みがぶつかる。しかし、決着を見た彼らの表情はどこか爽やかで相手に敬意を払っているようにも見えた。

 俺はこの陣に来て初めて気持ちがすいた。両中将相手に俺の意を通したのだ、胸が騒いで、指先が熱い、これが勝利の感覚か。

「さて、ハヤシ少佐」カトは俺に向き直る、その視線に精神が引き締まる「事は重大だ、すでにこの陣が蛮族に囲まれている恐れもあることも考えると、伝令兵は50名ほど送り出そうと思う」彼は不思議な笑みを浮かべる「だが陛下の幕僚団がこの作戦に抵抗を示すことは容易に想像できる、彼らを説得するのなら貴官でなければ難しいだろうな。分かったなら、早急にこの陣から出発したまえ。健闘を祈る」

 

 そして、いま俺は皇帝の陣にいる。

 皇帝の幕僚の非難と拒絶の声に、両中将を前にした時のように自らの策の利点を早退する、俺は自説の正しさを粘り強く説く。だが昨夜と今朝の会議では明らかに異なる点がある、それはカトを味方につけることができたような、討論に勝ち抜くための要素を今の俺は手中にしていないという事だ。

 議論は続いたが形勢は俺の不利だった、彼らは俺の献策を認めるつもりが毛頭ない。やはり、俺は勝利者にはなれないのか……すぐ目の前に待つ敗北を悟って目の魔に暗闇が広がっていく。

「話にならん、議論はここまでだ、急ぎ撤退しなければ。禁軍司令官、指揮をお願いする」

 近習長がしたくもない議論を打ち切るため、大声を出した。

 俺は叫んだ。

「何卒お頼み申し上げます、陣中の兵士は陛下の来援を待ち望んでおります」

 近習長が叫び返す。

「黙れ」

 

「いや、近習長。貴公が黙れ」

 

 その声が陣幕から響くと陣幕は静まり返った、けして大きくはない若い声だったが、他人を圧する響きを含んでいる。

 幕が割れ、一人の青年が姿を現す。純白の寛衣を身に纏い、頭上には貴石を嵌めた黄金の帝冠、右手には自信が帝国総軍の総司令官であることを表す短い指揮杖を持っている。

 

 ルーム帝国五代目皇帝、ネロ・ユリウス・カエサル・アウグストゥス。その人だった。

 

 彼は俺に目を向けた、その白皙の美顔には皇帝の責務からくる疲労のためか濃い隈が浮かんでいる。しかし、その目は16歳の青年らしく強く光り輝いていた。

「ハヤシ少佐、議論は聞いていた。貴公の忠心を嬉しく思う。余は貴公の献策を要れようと思う」

 近習長は落ち着き払った態度で進言した。

「陛下、臣は反対です。御身に危険が及ぶかもしれません」

 皇帝も落ち着いて答える。

「そなたの危惧は分かる。しかし、帝国を救うにはこれしかないのではないか」幕僚たちを見回す「初陣の親征で四個軍団を失うとなれば、皇帝の権威を維持できない。そうなれば、別の誰かを皇帝に担ぎ出そうと考える不埒な者も出てくるだろう。帝国を二つに割っての内戦などという事態が生じれば、罪のない命が多く失われる。それは許容できない」

 俺は彼の態度に。皇帝としての義務感だけではなく、若者らしい分別のない高潔心を見た。彼はまだ夢の世界に生きる若者なのだ、俺はそれを利用する。

「陛下のおっしゃるとおりであります、ただいま防衛戦を敢行中の兵士達は陛下を信じております」

「うむ、その期待を裏切るわけにはいかない」

 皇帝は頷いた。そして禁軍司令官を見る。

「よもや負けるとは言わんだろうな、司令よ」

 禁軍司令官は深々と首を垂れた。

「ただ勝てと御命じください、御身に勝利を捧げます」

「よし。皇帝として命じる、ただちに第四軍団、第12軍団の来援に向かう。さあ、動け」

 将官は皇帝の命令を受けてすかさず立ち上がり行動を始めた、官僚たちもそれに続く。近習長が去りざまに俺の顔を瞥見したが、意外なことにその顔に怒りは見受けられなかった。

「ハヤシ少佐」

 ファビウス大佐に肩を叩かれる。

「さあ、忙しくなってきたぞ。貴官も手伝ってくれ」

 俺はファビウス大佐に連れられて彼の天幕に移動した。

「思い切った提案をしたなあ」

 彼は従卒に用意させたコーヒーを俺に勧めながら、感心とも呆れともつかない声音で言った。

「申し訳ありません、火急の事態でしたので、事前に大佐に相談することも出来ず」

「いやいや、相談してくれなくてよかったよ。相談されてたら止めざるを得ないからね」

 彼は笑いながら言った。

「貴官の献策は、帝国を救うための最善の策、しかし、上官としては承認できない類のものだからね。貴官と両中将が全ての責任を被ってくれるなら有り難いよ」

 随分率直にものを言う人だなと呆気にとられる。

「参謀本部としても、貴官の提案が最善だと認めるだろうよ」

「しかし、陛下を危険に晒す策には変わりありません。果たして、これでよかったのか」

「なんだ、分かっていなかったのか」大佐ははっきりと侮蔑的な笑みを浮かべた、俺は彼の真の表情を見た気がした「陛下が敗死すれば、皇位継承権第一のアフリカヌス殿が何の諍いもなく皇帝に即位する。それだけではないか。帝国の安全は守られる」大佐は身を乗り出す「参謀本部は皇帝陛下に忠誠を誓っているが、頂く皇帝を選ばんよ」

 あはははは、と大佐は高い笑い声をあげた。

 俺は足元に穴が開いた気分だった。

 帝国の上級将校たちはどいつもこいつも化け物どもだ。果たして俺はこの世界でやっていけるのだろうか。

「さあ、我々も幕僚として活躍しなければな、いくぞ少佐」

 天幕を出ていく、大佐を追いかける。そうだ、泣き言を言える立場ではない、俺はこいつらの背中に何としても追いつかねばならない。

 俺は決意を新たにした。

 

 強行軍により、同日の15時ごろ、軍団合流地点に禁軍は到着した。

 我々は勝った。記録的な大勝利だった。

 

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