先日の骨董品コレクター事件での出来事以来、私の日常は薄氷の上のモノであるという認識を強く持った。しかしそう認識した所で私はそれに抗う気はほぼ無く、殺人鬼に落とされてしまうなら仕方ないと考えているあたり既にネジは何本か吹き飛んでいるんだろうなと感じさせられる。
諏訪さんを殺しそうになった事は幾分かショックだったが、もし諏訪さんが伝次郎氏を殺害していなく、私の紅椿を取り上げられたとしたら私が殺人犯になっていただろう。
「それにしても災難よね。この前の別荘の事件も、松本先生の結婚式でも事件が起きちゃうなんて」
「私達もだが蘭が参ってしまわないか心配だ。いくら小五郎さんが探偵だといえ私達より数倍も事件に遭ってる」
学校で蘭の話を聞く度に心配になる。彼女は私みたいな性質ではなくとてもいい娘だ。心を痛めてないか友人として心配になる。
「そういえば松本先生、あんな目に遭ったのに高杉さんの事を待つみたいよ」
「恋は盲目という言葉通りかもしれないな」
振られたのは最近私達が経験した事件。中学時代の担任である松本先生の結婚式に園子と蘭と私は招待されていた。
正直私は先生に合わせる顔が無いのですっぽかそうと思っていたら園子と蘭にバレてやや強引に連れていかれた。中学時代の私は節操がなく、近所で活動していたため不良狩りと言われたり、殺人事件の被疑者になったりと松本先生の胃に穴を開けかねない問題児であった。
二人は「あんたが行かなくてどうすんのよ」と言っていたが、むしろ行った所で私にどうしろというのか?過去を悔いて立派な高校生活を送ってます?そんな歯が浮く台詞吐けるはずがないだろう。言った所で直ぐバレる。
実際松本先生に会えば「雪さんは相変わらずなのね」と苦笑された。その上で松本先生の父である松本警視正からは敵のように見られていた。大事な娘の頭痛のタネだったんだからさもありなん。
披露宴の最中に松本先生は毒を盛られ倒れたが一命はとりとめ、毒を持った犯人の新郎は捕まり、先生は新郎の出所を待ち新郎と結婚する気らしい。
これを愛というのか恋というのか正直なところ私には理解できなかった。
「それにしても工藤君は何処に居るのやら。蘭に愛想つかされても知らないわよ」
「蘭が工藤君に愛想をつかすことはないと思うが」
「でも工藤君がいないという事は雪にとってチャンスじゃない?」
「冗談だぞアレは。しかもそれをコナン君にも言うのは趣味が悪いぞ」
話の矛先は今は居ない工藤君と蘭に向く。そう、それは他愛のない女子高生の姦しい恋愛話だった。校門を出ようとする時、私達の会話に乱入するように声がかけられる。
「なあ、あんたらは工藤の知り合いか?」
「何よアンタ?工藤君になんの用」
声をかけてきたのは浅黒い肌で帽子をかぶっている、年のころはおそらく私たちと同じくらいの少年だった。そんな彼からは明らかに上級者の剣の気がしてとっさに園子の前に出て彼女の前に立つ。話をしていた園子との間に入った私に彼は邪魔をされたと思ったのか顔を上げて私の方を睨んでくる。
「なんやアンタ。俺は今このねーちゃんと話している⋯⋯」
その顔に見覚えがあった。出会った場所は全国高等学校剣道大会。男子の部で1年生にて優秀選手として注目を集めた大阪の天才剣士。そして相手もどうやら私の顔に見覚えがあったらしい。
「君は、服部 平次君か」
「そういうお前は冷泉 雪か」
そしてコレは私にとって運命であった。
私と手合わせしてくれ。
私の申し出に工藤君を探す彼は難色を示すが、工藤君と親しい蘭を紹介するという条件を提示したらヤル気になってくれたようで私たちは再び道場に戻ってきた。
「それで確認や、冷泉。オレが勝ったらお前は工藤の女のところに連れていく」
「⋯⋯私が負けても連れてくよ。でもそうだな、私が勝ったら」
「その時はもう一回私と、本気で立ち会ってくれ」
そう言うと園子に目配せをする。園子がしょうがないわねという顔で始めと合図をする。
合図とともに動き出すことはしない。気合の声とともに互いに間合いを図る。と言っても比較的女子では体格のいい私も、男子である服部君には劣る。間合いは体格、跳躍力などを加味しても私の方が劣る。
一般的には不利な要素だが剣道において間合いは相手が動けば近づいてくる。つまり私が服部君に勝つには後の先で打ち勝つことが基本である。しかしそんなことは服部君ほどの相手なら当然理解している。
だから待ちの一辺倒ではいけない。竹刀での中心、主導権の取り合いをしながら崩しを入れながら私が先に動く。私が近づけば当然服部君にとっても打ちづらい間合いになる。
そして4分ほどが経つ。短いようで長い時間が経った。高校の公式戦では1試合は5分だ。だから私も服部君もその体で試合をしている。つまり焦りが出る時間。そして疲労感というのはどれほど自分の空気で試合を進められたかによるところが大きい。
――来ないのかい?服部君
――ぬかせ、ごっつ攻めてきおってからに
攻撃的に打ち込んでいった私の方が疲れているが、揺さぶったり不規則な動きに服部君も乱されているはずである。面の隙間から服部君の瞳がのぞく。互いに気合の声は上げているがそこに言語的な意味はない。しかし主導権争いをする服部君の剣はとても雄弁だ。
息を吸う。
――ここや
――ここだろう
その瞬間を待っていたかのように服部君は振りかぶって打ち込もうとする。読み切った。
短く止めた息を吐きながら出鼻の小手を打つ。完全に打ち気を捉えた後の先だ。しかし服部君は私の竹刀を中心から逸らし真っすぐ面を打ってくる。
スピードが足らなかった、予想より消耗が激しかった。私の剣先が中央を捉えられてなかった。その一合に対する反省はいくらでも出てくる。
服部君は打ち切り、残心を取ったうえで私に言う
「一本やな」
「ああ。一本だ」
面を外した服部君の顔は晴れやかで、今の試合の高揚感もありとても魅力的に映った。
私も面を外して服部君に近づいていく。ああ、服部君。君はとても強い剣士で君との試合はとても楽しかった。
だから私の心も熱に浮かされていた。
「よっしゃ冷泉、はよ工藤のところに案内し」
それと同時に服部君の言葉はこの二人だけの空間に水を差すようで少し許せなかった。
だから二の句が継げないように小手をはめた手で服部君の口元を遮る。そのまま体重をかけて押し倒す。
「⋯⋯これは一目ぼれ、という奴だと思う」
馬乗りになり服部君の頸に手を沿える。勝負の蒸気に蕩けた顔で、互いの汗臭い道着を交わせて。じっとりとした湿気と熱量を纏い服部君の目を真っすぐ見る。
「私は、君の頸を⋯⋯墜としたい♥」
次の瞬間私は服部君に吹き飛ばされる。そのまま道場に仰向けで倒れる。そんな私を服部君は困惑と嫌悪の混ざった瞳で見下ろしている
「なに戯けたこと言っとるんやドアホ、流石に自分気色悪いで」
「はは、すまないすまない」
着替えた後、蘭のもとまで服部君を案内したが終始ベタベタするな、うっとおしい、おっかないと言われてしまった。
『真っ白な雪も色を知る季節かしら』