Mercs' Frontline   作:発伝記

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銃種等の表記を和語で統一ではなく、語感や雰囲気重視(筆者の好みに左右される)の方針にしました。
例:突撃銃と拳銃→アサルトライフルと拳銃(突撃銃のままの箇所有り)
E.L.I.D感染体の呼称をE.L.I.Dsに変更しました。







第10話 2月16日〈前編〉

褐色の空気が遠くへ滲み、ゆるく吹き抜ける風が鉄と埃の匂いを運んでくる。

風化した施設群は骨組みだけを残し、かつて監視塔だった金属柱が斜めに折れて地平線に溶けていた。

 

Victorは古びた倉庫の前で、軽装甲付き輸送車を停めた。

 

角ばった箱型の車体は、砂に擦れた外装の下から太い溶接痕がところどころ盛り上がり、“軍用を民間で使い回した中古”という素性を隠そうともしない。

 

この車を入手したのは、年明けから間もない頃だった。

 

Rezoが「在庫で余ってた」と半ば押しつけるように持ってきたもので、曰く付きの割には状態が良く、荒地を走れる数少ない“掘り出し物”には違いなかった。

 

とはいえ、欠点も多い。

以前から使っている装甲車と比べれば、走破性も機動性も一段落ちる。

重い車体は荒地で鈍く、サスペンションも無骨で反応が遅い。

 

装甲に至っては、なお問題だ。

大口径を受ければまず抜かれる。

7.62mmクラスでも、徹甲弾なら角度次第で容易に貫通する。

あくまで“軽装甲”であって、過剰な期待は禁物だった。

 

それでも輸送任務には使い勝手が良かった。

フレーム自体は妙に頑丈で、直線路では車重が安定感へと変わる。

荷室は広く、積載バランスも取りやすい。

 

輸送だけに徹するなら、これ以上ない効率だ。

決められたルートを外さず、無理な近道を避けさえすれば、余計な危険は減らせる。

 

Victorはそう割り切り、この車を輸送専用として使うようになっていた。

そのおかげで、受けられる依頼も目に見えて増えていた。

 

車外に出ると、砕けたコンクリート片が靴底で転がった。

 

鼻を掠める油の匂いは、この施設が長く放置されていたことを物語っている。

地面には廃材が散り、潰れた弾薬箱が半ば埋もれていた。

 

黒く焦げた痕跡が、この場所で繰り返された襲撃と取引の履歴を示している。

崩れかけたゲートの鉄骨が風に揺れるたび、低い軋みを漏らした。

 

Victorは端末を一瞥し、指定された倉庫へ向かう。

 

「時間通りだな。道中、検問はなかったか?」

 

奥から現れたのは、くたびれたコートを羽織った仲介人だった。

 

皺の刻まれた顔に不精髭。

年齢以上に研ぎ澄まされた目。

荒れ地を長く生き延びてきた者だけが纏う、薄い警戒の色があった。

 

Victorは軽く顎を引いて応じる。

 

「問題はなかった。……荷を確認する。」

 

仲介人は無言で頷き、重いシャッターを引き上げた。

甲高い金属音が倉庫内に響き渡る。

 

中は外よりさらに荒れていた。

吊り下げられた蛍光灯は弱々しく瞬き、時おり火花を散らす。

 

砂の積もった床には金属片が点々と転がり、壁際の機械類は影の中で沈黙していた。

 

現れたのは木箱の山だった。

軍の刻印がかすれて残り、表面には長い時間の痕跡が刻まれている。

 

Victorは端末のチェックリストをなぞりながら、一つひとつ視線で確かめていった。

 

「帳簿上は廃棄品だが、中身は横流しの軍用品だ。火器にパーツ、灰色どころか真っ黒な代物まで混じってる。……まあ、お前さんにとっちゃ“荷が違うだけ”の話だろうがな。」

 

仲介人は肩をすくめる。

 

Victorは返事をせず確認を続けたが、不意に視線が止まった。

 

倉庫の奥。

薄闇に沈んだ“整った輪郭”が、他の木箱とは明らかに違っていた。

 

一歩踏み込む。

薄い照明が角度を変え、その輪郭が浮かび上がる。

 

そこには、“少女”が一人、座っていた。

 

淡い水色を帯びた長い髪が、規格通りに肩でまとめられている。

肌の質感は人間そっくりだが、頬や首元には細かな亀裂が走っていた。

近づけば、そのひび割れが人工皮膚のものであることを静かに主張していた。

 

「ああ、それか。」

 

仲介人が顎で示す。

 

「西側から流れ着いた、軍の試作機らしい。人型に詰め込めるだけの火力と機能を盛り込んだはいいが、結果はまあ、お察しだ。そいつも荷の一部だ。」

 

――戦術人形か。

 

Victorは短く思考を巡らせる。

 

軍時代、混成部隊で指揮を執ったことはある。

そこにいたのは、無骨な軍務用モデルばかりだった。

こんな少女の姿を模した機体は記憶にない。

 

むしろ、そういった類のものは、PMCの領分だ。

 

噂に聞いたことはあった。

人間に近い外見と疑似感情を与え、親しみや安心感を演出する擬態。

だが、その皮一枚の下に詰め込まれているのは、規格外の火力と冷徹な演算処理だ。

 

Victorはそれ以上の興味を向けず、仲介人の方へ視線を戻した。

 

「護送地点は?」

「南西の集配所だ。依頼人が荷を受け取る。期限は二日。検問はねえが……運んでるモノがモノだ。周囲の目には気をつけな。」

 

Victorは短く息を吐いた。

 

「了解した。」

 

端末の画面に署名欄が表示される。

指先でなぞると、送信音が小さく鳴った。

契約が結ばれる。

 

積み込みが始まり、Victorは荷室のバランスを確認しながら木箱の位置を指示した。

重量物は前寄り、脆い箱は中央――まだ見ぬ襲撃の弾道を頭の片隅で想定しながら配置を決めていく。

 

最後に、少女型の試作機が運び出された。

固定具に縛られたままパレットが持ち上がり、荷室の隅へ滑り込む。

 

暗い倉庫からさらに暗い車内へ移されても、その表情は微動だにしない。

 

――その時、瞳がわずかに揺れた。

 

積み込み作業を見守るVictorへ、視線が流れる。

 

だが、それだけだ。

視覚ユニットが追尾しただけの、意味を持たない反応。

 

Victorは何も言わず、荷室側のドアを閉めた。

控えめな金属音が倉庫に消える。

 

運転席に戻り、キーを捻る。

重いエンジン音が車内に満ち、計器が順に光る。

 

護送任務は、静かに動き始めた。

 

 

 

 

 

褐色の砂を蹴り上げながら、輸送車は荒野を進んでいた。

乾いた地面にタイヤが深く食い込み、跳ねた砂利が車体の下面を叩いては、鈍い金属音を響かせる。

 

側面を打つ砂塵は絶え間なく風に乗り、鉄板の継ぎ目から車内へ忍び込んでは薄茶色の粒子を薄く漂わせた。

そのざらつきは外の荒れ具合を伝えつつ、車内の静けさをいっそう際立たせていた。

 

運転席でVictorは、無言のままハンドルを握り続ける。

腕に伝わる細かな振動も、足元から響くエンジンの鼓動も、もう何度繰り返してきたか分からない馴染んだ感覚だ。

 

ふと、視線をバックミラーへわずかに逸らす。

 

暗い荷室。

その隅で、固定具に繋がれた少女の影が静かに揺れていた。

 

長髪が車体の振動に合わせてわずかに動く。

その色は光の角度で灰にも青にも変わり、冷えた素材の反射を思わせた。

 

表情は穏やかとも無表情ともつかず、瞳は開いているが焦点を結んでいない。

視覚ユニットは最低限の待機状態にあり、ただ“開眼している形”を保っているだけだ。

 

眠っているわけではないが、関節は沈黙し、姿勢は崩れず、補正動作のひとつも起きない。

まるで時間から切り離された像のように、ただ“そこに存在していた"。

 

その内部では、別種の静寂が続いている。

 

 

自己診断プログラム、起動……

 

CPU温度:安定域

演算稼働率:正常

冷却モジュール:稼働

損傷レベル:軽微。稼働継続可能

状況:輸送中

目的地:イエローエリア東端・集積所

予測結果:停止処分後、分解

回避率:極低

是正行動:不要

 

 

演算プロセスは現状を淡々と把握し、結論だけを返す。

そのどこにも感情が介在する余地はなく、自身の行く末に抵抗するという概念すら定義されていなかった。

 

――戦って壊れるか、廃棄されて壊れるか。

 

設計された存在にとって、その終端の差異は意味を持たない。

 

運転席のVictorはもちろん、そんな彼女の内部処理を知る由もない。

彼にとって今のところ、少女の形をしたそれは、他の木箱と同じ「積荷」のひとつに過ぎなかった。

 

無線機に一度だけ手を伸ばし、チャンネルを切り替えて受信状況を確認する。

砂嵐に遮られたノイズが途切れ途切れに返ってくるだけで、有意な通信はない。

 

荒野はどこまでも続き、答えのない褐色の地平と風だけが、延々と前方に引き伸ばされていた。

 

 

 

 

 

それから数時間、襲撃は一度もなかった。

 

危険が消えたわけではない。

ただ、今日は“風向きが違う”というだけだ。

 

時折すれ違う車両がある。

どれもVictorの車を一瞬だけ見て、すぐに視線を逸らしていった。

 

ここでむやみに手を出す愚か者は少ない。

荷台の量や走行パターンを見て、素人か玄人か、どれほど危険かを互いに判断している。

 

Victorも同じだ。

バックミラーに映る車体の揺れ、速度の変化、ライトの点滅――“狙う気のある動き”があれば即座に反応するつもりだったが、今日はどれも無難に通り過ぎていった。

 

とはいえ、荒野で何も起きない時間はかえって落ち着かない。

それでも任務の前半は、極めて順調だった。

 

 

 

 

 

さらにしばらく走り続け、陽はじわじわと傾き始めていた。

砂塵に滲んだ光は赤みを帯び、地平線の輪郭だけが鈍く際立つ。

 

Victorは計器の針を一瞥し、端末で保存しておいた安全地点の候補を呼び出した。

 

数ある廃施設のうち、今の位置と燃料残量から割り出した最適解――かつて鉱山の補給所として使われていた廃施設だ。

 

急斜面に囲まれ、高台に位置する。

見晴らしが利き、接近できるルートも限られている。

 

「……ここだな。」

 

舗装が剥がれて骨を晒した坂道を低速で登りながら、Victorは様子を探った。

 

崩れた外壁、砂に半ば埋もれたコンテナ、倒れたフェンス。

埃をかぶった燃料ドラムには、最近付いたような傷や擦れはない。

地面のわずかな凹凸に残るタイヤ痕も、風と砂に削られて輪郭を失っていた。

 

ここ数日は、誰も出入りしていない。

 

Victorは施設の中央付近に輸送車を停め、エンジンを切った。

唸りが止み、代わりに風の音が耳に広がる。

 

まずは荷室の固定具をひと呼吸かけて確認した。

積荷は安定している。

先ほどの揺れにもびくともしなかったようだ。

 

車の扉を静かに閉じ、外へ出る。

風が頬を掠め、砂の細粒が肌に薄く貼り付いた。

音のない夕暮れだが、その静けさがかえって周囲の“異物”を探りやすい。

 

Victorは徒歩で周囲の偵察に移った。

 

補給所跡の外周を歩きながら、壁の欠損箇所や地形の起伏をひとつひとつ拾っていく。

足元の踏み跡は残りにくいが、それでも勾配や土の締まり具合から“通り道”と“死角”は見えてくる。

 

はじめに西側へ向かう。

 

ここは切り立った崖で、ほとんど断崖に近い。

足場は砂利が層になっており、一歩踏み込めば崩れる。

人間でもそれ以外でも、ここを登ってくるのは現実的ではない。

 

Victorは足元の石を一つ蹴り、落下音の響きを確かめた。

深さより、脆さのほうが印象に残る地形だ。

 

ここはまず来ない。

視線を一度だけ巡らせ、最低限の確認で切り上げる。

 

次に北へ向かった。

 

ここは崖に刻まれた細い抜け道で、一人か二人が身を縮めれば静かに潜れる程度の幅しかない。

大部隊は通れず、裏取り向きだ。

 

壁に手を添えて質感を確かめる。

足元には小動物の古い跡だけがある。

最近人が通った形跡はなかった。

 

だが、他の方向に対処している最中にここを抜かれるのは最悪だ。

Victorは腰ポーチを開き、大量のワイヤーと“音の罠”の設置に取り掛かった。

 

丁寧に一本ずつではない。

高さも角度も無関係に、密度を作るように次々と張っていく。

低く、胸の高さ、斜め、頭上から。

 

錆びた空き缶に小石や金属片を入れ、触れれば鳴るものをワイヤーに括り付ける。

避ければ別のワイヤーに触れ、切れば缶が揺れ、どう動いても音が漏れるようにする。

 

あえて二、三本は見える位置に張った。

露骨な罠ほど相手は慎重になり、時間を掛けさせられる。

 

終わりに缶を指で軽く弾いて響きを確かめた。

問題なし。

 

北側は静かには抜けられない“音の密林”になった。

 

続いて東側へ向かう。

 

東の尾根は幅こそ限られてはいるが、岩が段々に連なっているため、複数人でも接近しやすい。

遮蔽も多く、距離を詰めるにはうってつけだ。

 

Victorは岩陰の形、足元の砂の溜まり方、風の抜け方を注意深く読む。

一見すると険しいが、それなりに慣れた者なら難なく進める地形だ。

 

ここは人数をかけられてもおかしくない。

視界を奪って位置を晒す罠を置く。

 

ポーチから細いワイヤーを引き出し、岩の影と折れた支柱の間に低く張る。

張力を確かめ、小型の起爆筒を接続した。

 

踏めば破裂音と閃光が夜闇を貫き、遮蔽物の影を剥ぎ取る。

その瞬間だけ、敵の位置が丸見えになる。

 

薄い砂をかぶせ、痕跡を馴らした。

東側はこれで十分だ。

 

最後に南側へ向かう。

Victor自身が来た方向だ。

 

ここは広く開けていて遮蔽が少ない。

だからといって、容易に捨て置くこともできない。

 

他より少し前へ出て、砂を払って地面を整える。

打ち上げ式の信号筒と細い糸を取り出し、低く這わせた。

 

踏まれればピンが抜け、数秒後に赤い信号弾が空へ昇る。

遠距離からでも視認できる、広域の早期警戒だ。

 

薄く土砂をかぶせて痕跡を消す。

 

ひと巡りして戻る頃には、日が真っ赤に沈みかけていた。

薄闇が地面の凹凸を飲み込み、遠くの廃墟の影が長く伸びる。

 

Victorは輸送車の横に立ち、短く息を吐いた。

“陣地”を整える。

 

車体を崩れた壁に寄せ、背後を塞ぐように角度を調整する。

これだけで、不意の射線を一方向に絞れる。

地面の細かな石を足で掃き、車体と壁の隙間に不用意な音が出る要素がないか確かめた。

 

こうした細かい工程の積み重ねが生死を分ける。

Victorは、それを骨の髄まで知っていた。

 

夕暮れが赤から群青へ沈む頃、野営の準備は整った。

車体の陰に腰を下ろし、膝の上にアサルトライフルを置く。

 

まず薬室を確認し、分解。

ガスピストンの根元に溜まった細かな砂粒を布で拭い、摩耗している箇所を指先で確かめる。

摺動部に薄く油を差し、ボルトを数度往復させて抵抗を均一にした。

 

音は静かだが、機械の呼吸が整っていくのが分かる。

 

次に拳銃。

 

こちらも砂を徹底的に払い、金属音の純度を確かめるように組み戻す。

終わりにスライドを軽く引き、閉鎖音の澄み具合で状態を判断し、腰のホルスターへ戻した。

 

携行弾、予備弾倉、投擲用の小物――腰回りと胸の装備を順に手に取り、重さと状態を確認する。

次に目を閉じて取り出しの動作を何度か反復し、無意識でも届くかを確かめた。

 

点検を終える頃には、空は濃紺に沈んでいたが、月はいまだ昇らない。

 

続いて食事に移る。

焚き火は論外だ。

この荒野では、光は格好の的になる。

代わりに車内灯を必要な時にだけ短く点け、その明かりで携帯食を取り出す。

 

Victorは包みを開き、無言のまま口に運んだ。

温かさも味も期待していない。

ただ身体を動かすための燃料として、淡々と噛んで咀嚼するだけだ。

 

視線は常に周囲をなぞる。

危険の前兆は、いつもどこかに潜んでいる。

 

飲み水を少量だけ口に含み、喉へ落とした。

荒野の乾いた空気は容赦なく体力を奪ってくる。

 

食事を終えると、Victorは銃を膝に戻し、外壁に背を預けるように姿勢を低くした。

 

荒野の音は薄れ、補給所全体が深い静寂に沈み始める。

 

ゆっくりと目を閉じ、呼吸を落とす。

眠るのではない。

意識を最小限だけ巡らせる“浅い休息”だ。

足音、砂の擦れ、罠の金属音――どれが鳴っても即応できるように。

 

荒野の夜は静かに、深く落ちていった。

 

 

 

 

 

それからどれほど経ったか。

荒野は完全な静止を保ち、補給所跡には微動さえ感じられなかった。

 

――ほんのわずかな変化が生まれるまでは。

 

空気が微かに“よれた”。

 

Victorは静かに目を開き、膝上の銃を指先だけで寄せる。

背を預けていた姿勢をわずかに浮かせ、神経だけを前方へ走らせた。

動脈も呼吸も、乱れはない。

 

まだ動き出しはしない。

敵の位置と数の確度を得るまでは、射線に乗るのは早い。

 

数秒後。

東側で、小さな石が跳ねる音がした。

続いて、乾いた砂を踏む細かな擦過音。

 

距離は四十から五十。

歩幅に揺れがあり、単独ではない。

 

数にして五か六。

いや、もっと後ろに続いている気配がある。

 

――十はいる。

 

他はどうか、と思った矢先――。

 

チリッ。

 

北の細い抜け道の奥から、金属が軽く触れ合う音。

まだ遠いが、罠の配置を考えれば、あの音は偶然ではない。

 

二方向。

ただし、同時に踏み込むほど連携されてはいない。

一方が誤って音を鳴らし、もう一方は様子を見るように動きを止めている。

 

対策を理解しているプロの動きではない。

かといって、完全な素人でもない。

荒野で生きてきた“半端者”の動きだ。

 

昼間にすれ違った車両のいくつかが、ふと脳裏をよぎる。

 

小さな輸送トラック。

武装したバギー。

装甲板を雑に貼り付けた車列。

 

次いで、仲介人の言葉が蘇った。

 

――昼間に尾を引いていた連中のどれかだろう。

 

狙いはおそらく、積み荷だ。

価値が分かる者なら、奪おうと考えても不思議ではない。

 

確信した、その時。

 

チリ……ン……

 

北の缶が、続けざまに小さく鳴った。

密林を抜けようと罠を慎重に避けながら進んでいるようだが、避けても避けても必ずどこかが鳴る。

 

まだ遠い。

優先は東だ。

 

Victorは位置を取ると銃口を壁の隙間から突き出し、射線を闇の奥に滑らせた。

銃の冷えた金属が、体温でじわりと温まっていく。

 

岩陰が、わずかに揺れる。

一つ、二つ、三つ――。

夜目が良い者でも、車体の輪郭がやっと見える程度の暗さ。

 

東側の罠はまだ反応していない。

だが、それも時間の問題。

夜の静寂は、何かが踏み出す合図を待って、張り詰めたままだった。

 

踏み出す音が、東の闇でかすかに膨らんだ。

 

その一歩目が“飛び出しの合図”に変わるより先に、Victorの指が冷たい引き金をしなやかに絞った。

 

一撃が闇を裂き、前列の影が倒れ込む。

悲鳴はない。

倒れる音だけが、岩肌に鈍く散った。

 

「……一人。」

 

敵は一拍遅れて反応する。

相手の出鼻は挫かれた。

 

位置を掴めていないまま反撃せざるを得ない敵の弾は、瓦礫の影へ散り、砂を削るばかりで実を伴わない。

焦りが混じり、射線は揺れていた。

 

遮蔽の縁をかすめる弾をやり過ごしながら、Victorは静かに呼吸を整える。

 

銃撃の合間、東側の影がじり……じり……と距離を詰めてくる気配が増した。

奇襲の勢いを取り戻したいのは明らかだ。

岩陰を伝い、少しでも射線を確保しようとしている。

 

その足が――罠に触れた。

 

パチン。

 

張っておいたワイヤーが弾けた直後、白い閃光が尾根を裂く。

明滅する刹那、岩陰の影が複数、輪郭だけ露わになった。

 

Victorは即座に身体を乗り出した。

一発、二発。

狙いは粗くていい。

殲滅ではなく、動きを止めることを優先した撃ち方だ。

 

胴でも腕でも脚でも構わない。

当たりさえすれば、その個体は攻勢に加われなくなる。

 

影が崩れ、のけぞり、隠れようとして姿勢を乱す。

短い隙に、Victorは光源の周囲にいた六つの影へ八発叩き込んだ。

 

「……二人。」

 

一人は確実に沈み、他の数名も傷を負い、動きが目に見えて乱れた。

 

北側は依然として沈黙。

缶の金属音だけが時折鳴り、慎重に抜けようとして失敗しているのが分かる。

 

敵の勢いは、この一瞬でほぼ死んだ。

 

閃光が尾根を裂いたあと、世界は再び闇に沈む。

 

ただその暗さは、ほんの数秒前とは明確に質が違う。

風が運ぶ気配に、敵の呼吸と焦燥が混じっていた。

つい先ほどまであった“押し込む意志”は、もはや残っていない。

 

Victorは遮蔽の影に身を寄せ、じっと耳を澄ませる。

 

――敵が本当に“戦い慣れている”部隊なら、一度態勢を崩されたとしても、反応はまったく違うはずだ。

 

即座に散開し、射線を複数に割って挟み込む。

一方が制圧射撃を続け、もう一方は罠を踏み潰してでも強引に距離を詰める。

夜間であろうと、罠を踏むリスクより“主導権を奪い返す”ことを優先する。

 

躊躇なく前に出る者。

射撃を安定させて薄闇を切り裂く者。

そして仲間が撃たれても声を荒げず、すぐに役割を入れ替えるはずだった。

 

しかし、そうはならない。

 

銃撃は散発的で、照準の甘い弾が壁面を削るだけ。

射撃の間隔は乱れ、合図も、役割分担の再編もない。

射線は細く、圧力も弱い。

 

射撃音の合間には、押し殺した呻きや、仲間を引き寄せる声が混じる。

混乱を隠しきれていない。

 

北の細道でも、ワイヤーの揺れる音と缶の金属音が不規則に響く。

罠を強行突破するでもなく、かといって引き返すでもない。

 

進もうとしながらも苛立ちが募っているのが手に取るように分かる。

いずれにせよ、まだ距離はある。

 

やがて、闇の中で応酬そのものが膠着した。

銃声は止み、荒い息づかいだけが残る。

敵は前へも後ろへも動かず、岩陰で固まっていた。

 

敵の意図は完全には掴めない。

だが、奇襲の形を維持できなくなったのは明白だった。

 

決定打こそ与えてはいない。

けれども勢いと初期プランは完全に折れている。

 

しばらくして、尾根の向こうで砂がざり、と大きく崩れた。

 

引き摺られる音。

岩陰へ戻る影が擦れる音。

重い足取りが退く音。

 

すべての音が、遠のいていく。

 

誰かが撤退の判断を下したのだろう。

 

判断は速い。

相手なりに筋は通っている。

 

Victorは追わなかった。

罠にかかり、奇襲の優位を失い、負傷者まで出した状態で彼らが再突入を選ぶ可能性は低い。

 

体勢を崩した敵を撃つのは容易だが、無用なリスクだ。

わざわざ位置を晒してまでする必要はない。

このまま退いてくれるなら、それに越したことはなかった。

 

尾根の気配がさらに遠ざかり、やがて完全に闇へ溶けた。

 

Victorは息をひとつ吐く。

 

これで一段落――そう思った直後だった。

 

尾根の向こうへ消えたはずの影が、次の瞬間には、騒音と火花を撒き散らした。

乾いた連射音が立て続けに叩きつけられ、破裂音が砂と岩に跳ね返る。

足音は混線し、節度を失って暴れている。

 

「……何だ?」

 

Victorが眉を寄せ、遮蔽から様子を窺おうとした――その前に。

 

カランッ。

 

北の細道で、空缶が激しく揺れた。

罠の密林を乱暴に掻き分ける音が連続し、足音は焦りに満ちている。

慎重さは完全に消え失せていた。

 

そして次の瞬間、Victorの潜む遮蔽へ乱暴な制圧射撃が叩き込まれる。

 

石が削れ、砂が跳ね、遮蔽の縁が削られる。

角度は荒いが、途切れない連携だけは必死に保たれている。

銃火の質は雑でも数と密度は、先ほどの東からのそれをはるかに凌ぐほどだった。

 

Victorは射線を切ろうと移動するが、すぐに別の角度から弾が縁を舐めてくる。

 

何が起きているのか。

思考が輪郭を結ぶ前に、南から。

 

パンッ。

 

信号筒の光弾が夜空へ跳ね上がった。

 

Victorは反射的に感覚をそちらへ向ける。

 

「新手……挟撃か……!」

 

依然として北の射撃は止まらない。

遮蔽から顔を出すこともできない。

投擲で射線を散らそうにも、まだ数メートル距離が足りない。

 

……まずい。

 

この時に初めて焦りが芽生える。

退路はない。

 

このまま押し潰されるのも、時間の問題――そう思った矢先。

 

Victorの背筋に、凍るような違和感が走った。

 

南から近づいてくる気配が、“人間”ではなかった。

 

足音に規則性がない。

体重の乗り方も不自然だ。

 

そして風に乗る、あの臭気。

金属と血が腐敗したような、独特の“生温い臭い”。

 

皮膚が微かに粟立つ。

 

―― E.L.I.Dsの群れ。

経験がそう断言していた。

 

東の銃声も、原因は同じだろう。

撤退した尾根側の隊が再び銃火を巻き起こした理由が、ここで繋がる。

 

そして北の唐突な豹変ぶり。

Victorを無理やり押し込もうとした理由も分かった。

 

東の連中は群れと交戦に入った。

遠目に見た北の連中は、その状況下でVictorが追撃してきたら、東側が挟撃で壊滅すると考えた。

 

そこへ上がった南からの信号。

 

……群れだと気づいていない。

 

憶測だが、敵はその光を“Victorが呼んだ味方接近の合図”だと誤認した可能性が高い。

それでも援軍到着までには猶予がある――そう信じたのだろう。

 

彼らにしてみれば、“Victorが挟撃に動く前に動きを止め続けること”こそが唯一の生存策だ。

そのため南のE.L.I.Dsの存在に気づかないまま、ひたすら制圧射撃を続けていたと考えるのが自然だった。

 

Victorは遮蔽に沈んだまま、静かに息を吐く。

 

遮蔽のすぐ側を、複数のE.L.I.Dsの影が素通りしていった。

Victorには目もくれず、血と音のする東と北へ吸い寄せられていく。

 

ほどなくして、北側から悲鳴が上がる。

銃声が先ほどよりも密度を増す。

 

敵の襲撃と群れの乱入が重なり、戦況は一気に三つ巴へ崩れた。

 

――今回は積み荷を諦める。

ほとぼりが冷めるまでは下手に刺激せず、この遮蔽でやり過ごす。

Victorは迷わず結論を下した。

 

惨状はすぐには収束しなかった。

 

襲撃者達は互いの位置すら把握できないまま群れに押し込まれ、銃声と叫びが反響して乱雑に入り混じる。

撃った弾が誰に当たるのか、自分たちでも分かっていない。

 

金属を叩くような音。

誰かの喉が潰れる悲鳴。

岩の表面を爪で引っかく、尋常の生物とは思えない摩擦音。

 

闇の奥で、影と影がぶつかり合っては崩れ、また別の何かが喰らいつく。

 

Victorは遮蔽から一歩も動かない。

ただ耳だけで、戦場を読むしかなかった。

 

そんな混沌が、数十秒にも数分にも感じるほど続いた。

 

ドガン、と鈍い衝撃音が、すぐ近くで響く。

輸送車の車体が、わずかに揺れた。

 

Victorの心臓が一拍だけ強く脈を打った。

視線だけをそちらへ滑らせる。

 

群れの一体が、乱戦に押し出されるようにして車体へ激突したのだ。

歪んだ腕で金属を叩きながら、濁った呼吸音を漏らしている。

闇の端で別の影がそれを追い、ぶつかった個体を引きずるようにさらに奥へ消えていく。

 

Victorは無意識に銃へ手をかけかけたが、すぐに止めた。

現状、どんな行動を取っても悪手にしかならない。

ただ静かに、音も立てず、闇の中でやり過ごすしかない。

 

そのとき――。

 

視線の先、カシ、とごく小さな金属の擦れとともに、荷室側上方のハッチが押し上げられた。

次いで、ひとつの影が這い上がってくる。

 

――いつの間に入り込まれていたのか。

 

最初に浮かんだのは、群れの一体が荷室に潜り込んでいた可能性。

だが、一瞬でその推測は霧散する。

 

暗闇から這い上がってきた影の輪郭は、人間のものだった。

 

痩せた肩の線。

ゆっくりと起き上がる細い首の角度。

あの攻撃的な異形の動きとは決定的に違う。

 

この混沌の戦場には明らかに“場違いな存在感”だけが、まとわりついている。

 

雲の切れ間から、月光がひと筋だけ差し込む。

影の輪郭が淡く切り取られ、その正体が露わになった。

 

細い肩。

風に揺られる髪。

無表情の横顔。

 

そして、その体格には不釣り合いなほど角ばった“複合銃”。

肩に預けられたフレームは厚く、細身の銃身の上に短く太めの筒状の砲身、そのさらに上部には、見たこともない形状の光学照準器が一体化して載っている。

 

――あの“少女”だった。

 

 

 

 

 

 




前編です。

描写乾きすぎ問題。
舞台が荒野だから仕方ないとはいえ、毎話必ずどこかしらで「乾いた」が入っているのにはなんだかなと思ってたりします。銃声も乾いてるしどうしよ。

案の定長丁場になったので、再び分けました。
これで新しく作品タグに「オリジナル戦術人形」が付きます。やったね(?)
後編はまた24時間後に出します。

草案があったとはいえ、我ながら今までからは想像できない投稿スピード。
何があったの?

ちなみにこの回で銃の名前は明記しませんが、後編の描写も含め、わかる人にはわかると思います。

それではまた後編で。
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