Mercs' Frontline   作:発伝記

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小説情報にあった余計な予防線を削りました。
前編ですでに北と東がごっちゃになっている箇所が三つあったので修正しました。







第10話 2月16日〈後編〉

Victorは息を止めた。

 

荷室の隅で“積み荷”として横たわっていたはずの輪郭が、今は月光の縁でゆっくりと形を結んでいる。

闇に浮かぶ横顔は、あのときと寸分違わない。

 

違うのは――その瞳だけだ。

 

「……なぜ、今出てきた。」

 

疑問が喉元までせり上がった刹那、少女は銃口を群れへと向けた。

制止の言葉を挟む隙もない。

無言のまま肩に銃を預け、闇の奥へ躊躇いなく引き金を絞る。

 

ヒュッ――。

 

放たれた弾が、一直線に闇を貫いた。

 

放物線ではなく、レーザーに沿って吸い込まれるような完全直進。

 

狙った位置に到達した瞬間、破裂音とともに空中で花弁のような白い炸裂が開き――その閃光が、荒野と少女の輪郭だけを一瞬浮かび上がらせた。

 

榴弾にしては爆風が小さい。

群れをまとめて吹き飛ばすほどの破壊力はない。

 

だが、計算された至近弾から弾ける破片の精密さが、その威力不足を完全に補っていた。

 

前列の数体が崩れ落ち、後列が一瞬立ち止まる。

そのわずかな硬直の隙に、少女は立て続けに次弾を放つ。

 

二発目。

遮蔽裏の個体へ、角度を変えつつも軌道はあくまで直線。

指定距離で空中爆裂し、瓦礫の影に潜んでいた影を暴き飛ばす。

 

三発目、四発目、五発目――。

すべて狙点まで真っ直ぐ飛び、設定距離でピンポイントに炸裂する。

全弾がまるで“計算された落雷”のようだった。

 

六発目で榴弾を撃ち切ると、少女は滑らかに銃のモードを切り替える。

 

間髪入れずに夜を裂く連射。

跳ね上がった反動を、一度で完全に収束させて次弾へ移る動き。

わずかに揺れる髪以外、体勢はまったくブレない。

 

逃げ惑う影の脚を撃ち抜き、突進する個体の額を正確に撃ち貫く。

 

群れが怒号と砂を巻き上げて車体へ体当たりするも、車体が揺れた衝撃の中、少女は轟音に負けずに行動を続ける。

 

二つ目の弾倉を装填すると、そのまま荷台から車体の外へ飛び降りた。

 

足場を選ぶ気配もなく、自然な高さで着地。

流れるような一連の動作で、榴弾とライフル弾を組み合わせて群れを押し返していく。

 

崩れた影の山を踏み越えながら、少女は迷いも焦りも見せない。

動きながら撃ち、踊るような軌跡で群れを片端から蹴散らしていった。

 

狙いは当てずっぽうではない。

いずれも最大限の打撃になるよう、撃つ前から位置を読んでいるような動きだ。

一瞬ごとに逐次、最適解を選び取っている。

 

――およそ、人間には辿り着けない領域。

Victorは胸の内で静かにそう評した。

 

やがて二つ目の弾倉を撃ち尽くす頃には、群れの一波がほぼ壊滅していた。

 

その後も少女は群れを切り崩していく。

動きは止まらず、むしろ徐々に研ぎ澄まされていった。

 

しかし――三つ目の弾倉を半ば撃ち尽くしたあたりから、変化が生まれた。

 

少女の足が、わずかに遅れる。

連射の間隔が不規則になる。

視線は素早いのに、腕の動きが追いついていない。

 

Victorが思わず眉を寄せる。

 

そして三十発を撃ち切り、再装填に入ろうとしたところで――少女の身体が、ぴたりと止まった。

 

銃口は敵を捉えたまま。

視線も逸れていない。

だが、身体だけがまるで見えない枷に縛られたように動かない。

 

その一瞬の硬直を群れが見逃すはずもなく、瓦礫の影から跳びかかった個体が、少女の喉元へ迫る。

 

少女は視線に反して、避けようとする素振りすら見せない。

完全な無防備。

 

「チッ……!」

 

考える前に、身体が遮蔽を捨てた。

 

遠間から一体の喉を撃ち抜き、続けざまに二体目を崩す。

閃光手榴弾を投げ込み、閃光で群れが怯んだ隙に、少女のもとへ駆け寄る。

 

そこでようやく思考が追いつく。

 

――なぜ、飛び出したのか。

 

助ける理由など本来どこにもない。

見捨てれば、自分一人なら逃げられた。

それでも足は止まらなかった。

 

理由は分からない。

今考えるべきことでもない。

 

「立てるか。」

 

返答はない。

ただ、少女の瞳がゆっくりとVictorを捉えた。

 

それだけを確認すると、Victorは迷わず腕を伸ばした。

立ち往生している暇はない。

状況が一瞬でも止まれば、次の波が押し寄せる。

 

彼女の肩へ腕を差し込み、一息に担ぎ上げる。

 

接触した瞬間、手袋越しに“焼けた金属”のような熱が刺さった。

肩口の人工皮膚はじんわりと赤く染まり、その周囲の空気が蜃気楼のように揺らいでいる。

 

額の生え際には、いつの間にか細かな汗が滲んでいた。

水色の髪の下で、雫がこめかみを伝い、頬を静かに滑り落ちていく。

 

それは人間のような息切れの結果ではなく、内部の冷却ラインが処理しきれず溢れ出した“過負荷の滲み”に近かった。

 

――オーバーヒート。

 

群れが跳びかかる気配が背後から迫る。

 

Victorは担いだまま身体をひねり、右手の銃で至近の影を撃ち抜いた。

反動を殺しながら二射目を放ち、道を切り開く。

 

そのまま遮蔽物へ飛び込むように滑り込む。

砂塵が跳ね、視界が一瞬白く染まった。

 

少女をそっと地面へ降ろす。

膝が砂をわずかに散らし、崩れた姿勢のまま動きが止まった。

肩や腰のあたりからまだ熱気が立ち上り、短い呼吸のように排気が漏れている。

 

「冷却に専念しろ。」

 

返答はないが、呼吸がわずかに整い始めた。

肩から熱気が漏れ、汗が静かに顎へ落ちる。

 

敵の影が、砂煙を切り裂いて迫ってくる。

Victorは立ち上がり、手早く再装填を済ませると、遮蔽の外へ飛び出して迎撃に移った。

 

遮蔽を背に、弾倉の残りを慎重に数えながら撃ち続ける。

銃声を途切れさせれば一気に押し潰される。

半ば背水の陣だが、少なくとも包囲よりはマシだ。

 

遮蔽の縁を掠める影が増えていく。

砂塵の向こうで、嗅ぎ分けるように頭部を振る個体が数体。

さらにその後ろの闇で、ざらり、と何十もの爪が砂を掘る音が重なる。

 

無駄弾は許されない。

一発でも外せば、そのまま突破される。

 

無意識に銃の残弾数を指が数える。

薬室の温度、反動の戻り方、弾倉の重み。

どれも“終わりが近い”ことを告げていた。

 

敵は再装填を待ってはくれない。

弾の切れ目は死を意味する。

 

十五。

いや、十四か。

もう一度数え直す余裕もない。

 

影の一体が割れたコンクリ片を蹴り飛ばし、半ば跳躍するように迫る。

 

Victorは銃口を跳ね上げ、一射で頭蓋を砕いた。

飛び散ったものが灯りもない空間へ散り、砂に吸い込まれていく。

 

続けざま、二射、三射。

銃身が熱を帯び、手袋の内側に熱が透けてくる。

避けきれず接近した個体の腕を、半歩退きながら二射で粉砕した。

 

だが、押し寄せる数は減らない。

むしろ、明らかに増えている。

 

銃声のリズムに紛れ、“そろそろだ”と言わんばかりに、影が一斉に低く姿勢を取る。

 

Victorは銃口を正面へ向けたまま、呼吸を一段落とした

残弾はわずか。

拳銃も合わせればもう数秒は持つ――が、それだけだ。

 

カシャン……

 

背後で、弾倉を差し込む音がした。

 

次いで立ち上がる気配がはっきりと伝わる。

足取りはまだ不安定で、重心も揺れている。

熱の残った排気のような荒い呼気が、背中越しに感じられた。

 

無理をしている。

まだ完全には復旧していない。

 

だが――少女は立っていた。

 

Victorは振り返らず、手短に指示する。

 

「無理に撃つな。再装填の援護から入れ。」

 

返答の代わりに、背後でわずかに重心が動く気配。

 

Victorは自分が今、どれだけ危うい賭けをしているかを理解していた。

本来なら、他人に背を任せるなど論外だ。

ましてや、その相手は“何者かすら判然としない少女”。

 

だが、自分で招いたこの状況では、今や少女の行動が自らの生死を左右する。

逃げ場も、援軍も、退路もない。

 

ここで少女を拒絶する選択肢はなかった。

 

腹の底で短く息を押し殺し、再び引き金へ集中を戻す。

前方の影が咆哮し、一斉に地を蹴る。

 

Victorと少女――二つの射線が、荒野の闇で初めて交差した。

 

 

 

 

 

遮蔽の縁を削りながら、迫る影の群れが距離を詰めてくる。

Victorは一定のリズムで射撃し、残弾を指の感覚で読んでいく。

 

……あと二発。

 

再装填に入る瞬間だけは、どうあっても少女の援護に賭けるしかない。

 

影が跳びかかった瞬間、Victorは一発を確実に撃ち込み、銃口を下げてしゃがみ込む。

 

「――今だ。」

 

直後、背後からライフル弾が連続して吐き出される。

 

少女の射撃は不安定でありながらも、速度も精度も落ちていない。

跳躍した影の喉を撃ち抜き、別の個体の膝を砕き、さらに奥へ駆け込もうとする影の側頭部を正確に射抜く。

 

その一瞬の“壁”を得て、Victorは弾倉を抜き、新しいものを差し込んだ。

銃が腹で短く鳴り、再び息を吹き返す。

 

次の瞬間には、少女の射撃が一瞬だけ途切れる。

おそらく反動と内部負荷が、再び限界へ近づいている。

 

長くは持たないだろう。

だが、今は十分だ。

 

二人は言葉もなく、自然と左右の射線を分け合っていく。

 

Victorが距離を詰める個体を優先し、少女は跳びかかる角度の高い影と側面へ滑り込む影を抑える。

 

射撃音と息遣いが交錯し、数十秒にも満たないはずの時間が異様に濃く流れた。

 

砂が跳ねる。

咆哮が割れる。

爪が岩を裂く音が近づき、また遠のく。

 

影が五体、六体と連続して飛び込んでくる。

 

Victorは遮蔽を離れ、踏み込みざまに二体を撃ち抜き、振り向きざまに一射で別角度の個体の足を砕く。

少女はその僅かな硬直を正確に撃ち抜き、頭蓋を粉砕する。

 

即席の連携にしては異常なほど噛み合っていた。

互いの癖を知るはずもないのに、空白を埋めるように射線が補い合っている。

 

そして――最初に押し寄せていた勢いが、徐々に鈍り始めた。

 

砂煙が風に剥がれ、闇の奥行きが戻っていく。

蹴り込む爪音も、砂を掻く足音も、先ほどのような押し寄せる“面の圧”はもうない。

 

残るのは散発的な影だけだった。

それらも疲弊し、動きの鋭さを失っている。

 

Victorは呼吸を整えながら、射線を左右へ滑らせる。

 

終わりが見え始める。

だが、気を抜きはしない。

こうした群れは、沈む直前ほど牙を立てる。

 

一体が砂を跳ね上げて突進してくる。

肩を砕かれ、それでも腕を伸ばして迫る異形。

Victorが二射で脚を折り、最後の一射で脳幹を撃ち抜く。

 

直後、少女の側方から別の影が滑り込む。

少女の射撃は一拍遅れたが、銃口の揺れが一瞬だけ収束し――鋭い一発が闇を裂き、影の眉間を貫いた。

 

その反動で、少女の膝がわずかに沈む。

それでも撃つべき瞬間だけ、身体が無理やり動く。

 

残った影は三体。

瓦礫の影にしがみつき、唸りながら距離を測っている。

 

Victorは一歩前に出た。

少女はその背後で揺れる重心をなんとか支え、銃口だけを前へ向ける。

 

風が一瞬止み、砂が流れ落ちた。

 

咆哮とともに、三体が同時に飛び出す。

Victorは最左の影へ一射、続けて中央へ二射。

少女は最後の一体へ、わずかに遅れたタイミングで弾を送り込む。

 

Victorの射撃で姿勢を崩した個体の頭部を、少女の弾が正確に止めを刺した。

砂が舞い、三体が同時に崩れ落ちる。

 

……音が消えた。

 

 

 

 

 

風が戻り、瓦礫の間をさまようだけの静寂が広がる。

群れの足音も、爪の引っかきも、もう聞こえない。

 

Victorは銃口をわずかに下げ、周囲を一周見渡した。

 

影はない。

闇はただの闇へ戻り、砂塵がわずかな光を反射するだけだ。

 

「…………ッ。」

 

背後で、少女の身体が小さく震えた。

肩から立ち上る排熱が、まだ薄い湯気のように揺れ、月光を受けてかすかな白い膜になっている。

 

額に張り付いた前髪の裏側には、さきほどまでの汗が乾きかけているのか、人工皮膚の表面だけが不自然に光を拾っていた。

すでに雫となって落ちるほどの量は残っておらず、代わりに高熱に晒された表面だけがじんと火照っている。

 

少女は膝を落としかけながらも、まだ銃を手放していなかった。

 

Victorは少女へ一瞥だけ送り、短く告げる。

 

「ここにいろ。」

 

群れは散ったが、まだ足掻く影がどこかに残っている可能性は高い。

 

そして――東と北の連中。

あれだけの混戦なら、生き残りがいても不思議ではない。

 

少女は銃を抱えたまま、崩れ落ちそうな姿勢でその場に留まった。

 

Victorは遮蔽から出ると、慎重に足音を殺して東側へ向かう。

いまだに微かに火薬の漂う空気の中を、ゆっくりと踏みしめた。

 

岩陰の向こうで何かが蠢く。

即座に銃口を向ける。

 

呻き声。

伏せた男が片腕を押さえながら、砂に爪を立てて身を引いた。

 

Victorは何も言わず、一歩だけ踏み込む。

男が口を開いた瞬間、乾いた一発が夜気を裂いた。

銃声はすぐ砂に吸い込まれ、痕跡だけを残す。

 

周囲を見渡しながら、さらに進む。

倒れた群れの死骸が折り重なる中、別の呻き声の方向へ向かう。

 

二体。

まだ動いている。

片方は腕が折れ、這おうとしている。

もう片方は上半身だけでこちらへ向かってくる。

 

躊躇いなく一歩踏み出し、順に一射ずつで処理した。

 

生き残りがいないのを確認し、北に回る。

 

砂煙の奥で、わずかに蠢めく影。

瓦礫にしがみつき、身体を起こそうとしている。

 

近づくと、それは北の襲撃者だった。

胴をかすめられ、血を吐きながらも、まだ銃を探すように手を伸ばしている。

 

Victorの影に気づいたのか、男は怯えたように顔を上げた。

 

「ま、待っ――」

 

返答の代わりに、銃声が響く。

男は崩れるように横へ倒れ、静かになった。

 

Victorは耳を澄ませた。

 

風の音。

砂のざらつき。

それ以外は、何も聞こえない。

 

――これで、一区切り。

 

銃を下げはしない。

東も北も沈黙し、群れの残党もすべて片付いたが、荒野で“完全な安全”など存在しない。

 

Victorは小さく息を吐き、ゆっくりと少女のいる遮蔽へ戻り始めた。

 

夜気はまだ冷たいが、東の空がわずかに色を帯び始めている。

砂の粒が淡く光を拾い、戦場の残滓が静かに輪郭を取り戻していく。

 

歩を進めるたびに砂がわずかに鳴る。

地表には、戦いの痕跡がまだ温度として残っていた。

 

遮蔽の影に戻ると、少女はまだそこにいた。

崩れ落ちてはいない。

銃を両腕で抱え込むように保持したまま、肩をわずかに震わせている。

 

Victorが近づいた瞬間――少女の銃口がこちらへ向いた。

 

反射的な動作。

敵味方の識別プロセスが、まだ正常に戻っていない。

濁った瞳は焦点が合っておらず、戦闘の余熱だけが残滓のように揺れている。

 

Victorが足を止める。

そのわずかな間に、少女の瞳が細く揺れ、焦点が結ばれていく。

 

Victorを“味方”として認識したらしい。

銃口がゆっくりと下がった。

 

だが疲弊した腕はその重量に負けかけ、銃身が膝へ落ちそうに傾ぐ。

 

「動けるな。」

 

少女はすぐには反応しない。

しかし一拍置いて、ほんのわずかに顎が上下した。

頷いた――ように見えた。

 

Victorは少女の肩へ腕を回して支える。

少女は抵抗せず、静かに体を預けた。

 

身体は軽い。

ただ、過負荷から冷却へ移ろうとしている内部の熱が、皮膚越しにまだ微かに感じられた。

 

輸送車へ戻るあいだ、少女は一言も発しない。

足取りは不安定で、銃が何度か沈みかけたが、そのたびにVictorが支えると、少女は小さく体勢を戻した。

 

東の空はさらに明るみ、瓦礫の影が長く伸びていく。

薄い光が、戦闘後の静かな緊張だけを淡く照らしていた。

 

輸送車の後部へ到達すると、Victorはまず積み荷の状態を確認した。

コンテナのロックは乱戦にも関わらず無事で、内部にも致命的な異常はない。

 

ひとつ息をつき、少女を荷室へ収めた。

元の位置へそっと座らせ、銃は抱えたままにさせる。

 

Victorは固定具へ手を伸ばしかけ――止めた。

固定はしない。

銃を抱えた姿勢のまま、背もたれに預けるだけに留めた。

 

再び何かがあったとき、即応できる方が今は正しい。

 

「そこで休め。」

 

少女はその言葉に反応したのか、しなかったのか。

ただ、銃を抱えた腕がわずかに力を取り戻し、銃身が安定した角度で静止した。

 

荷室の薄闇に、排熱の名残が淡く揺らめく。

 

Victorは運転席に戻り、エンジンをかける。

低い唸りとともに前照灯が砂塵を照らし、薄闇を押しのけた。

 

鈍重な車体が軋みながら動き始める。

高台を離れれば、戦場の痕跡は徐々に闇へ沈んでいく。

 

後方ミラーには、銃を抱えたままの少女が映っていた。

 

撤退を考えた戦闘で――気づけば彼女と“背を預け合っていた”。

その事実だけが、妙に重く胸に残った。

 

フロントガラスに砂が叩きつけられ、褐色の粒子が光に舞う。

輸送車は砂塵の中を、再び西へ向けて進み出した。

 

 

 

 

 

早朝。

 

かつて物流や研究に使われていたのだろう施設の残骸が、荒野の縁にひっそりと横たわっていた。

 

壁面は風雨に削られ、ひび割れたコンクリートには蔦のように錆の筋が走っている。

割れた窓枠にはガラスは残らず、吹き込む冷気が鉄骨を鳴らしては空洞に沈む。

床には剥がれかけのタイルと、砕けた什器やケーブルの断片が散らばり、足を踏み出すたびに乾いた音を立てた。

 

中央には木製パレットと鉄板を雑に組み合わせただけの机。

その向こうに立つ依頼主は、厚手の外套の襟を片手で押さえ、派手な赤のマフラーを巻いていた。

 

荒野の埃にまみれて場違いに浮いたその色は、むしろ虚勢を張る滑稽さを際立たせている。

 

「ほら、これで完了だ。」

 

Victorは片手で端末を受け取り、視線を落としたまま無言でサイン欄をなぞる。

指先が端末から離れ、送信の電子音が小さく響いた。

 

輸送任務は完了した。

荷は破損もなく届き、報酬のやり取りに移ろうとする。

 

その瞬間、Victorの視線がわずかに横へ逸れた。

 

倉庫奥――積み荷の列の端、青髪の戦術人形が静止している。

排熱を終えたのか、薄暗がりの中で微動だにせず立っていた。

 

「……あの戦術人形の処分は?」

 

Victorの問いに、依頼主は一拍おいてから口角を吊り上げ、わざとらしく笑った。

 

「あれか。軍ですら持て余した代物だ。買い手もつかないだろうから、バラして使える部品だけ抜いたら廃棄だろうな。」

 

その言葉に続けるように、依頼主は芝居じみた仕草で首を傾げた。

 

「まさか、気になるのか?」

 

軽口のつもりで投げられた言葉だった。

 

Victorはすぐには答えなかった。

視線だけが、倉庫奥の少女へ縫い付けられたように動かない。

 

ただの積み荷だ。

そこで終わりのはずだ――そう結論付けるのに、ひと呼吸分の時間が要った。

なおも言いようのない感覚が、喉の奥に小骨のように引っかかっている。

 

理由を探すより先に、別の言葉が口をついて出た。

 

「報酬はいい。代わりにあれをよこせ。」

 

依頼主は笑みを固まらせ、一瞬だけ瞬きを止めた。

軽薄さの皮膜が剥がれ落ち、代わりに訝しむ色が滲む。

 

「……あんた、本気か?」

「よこすのか、よこさないのか。」

 

低く抑えられた声が、空気を一段冷やした。

短い沈黙ののち、依頼主は両手をひらりと上げ、苦笑を混ぜた。

 

「やるよ。処分の手間が省けるしな。」

 

依頼主が軽く頭を掻く。

 

「やれやれ、しかし譲渡の書面なんざ用意してなかったな……今作るから待ってくれ。」

 

机の下を探り、引き出しを乱暴に開ける。

中から古びたバインダーや、折れたペン、くしゃくしゃになった伝票がばらばらとこぼれ落ちる。

 

依頼主は舌打ちしながらも使えそうな紙を引き抜き、埃を払うと机の端に無造作に置いた。

 

「――ほら、これでいいだろ。」

 

Victorは署名欄を一瞥してペンを走らせた。

インクのかすれた筆跡が紙に残る。

 

依頼主は書類に署名がされたことを確認すると頷いた。

 

「よし、これであんたのもんだ。……正式な記録には残らねえがな。」

 

口調は軽くても、その裏には「何があっても自己責任だ」という含みがあった。

 

Victorは無言で書類の控えを受け取り、依頼主に背を向けると、倉庫奥の積み荷の列へと歩を進めた。

 

薄暗い空間の中、少女は直立したまま、まるで待機命令が解除されるのをただ静かに待つ端末のように動かなかった。

 

排熱を終えた身体は静かで、肩の上下も最小限。

淡い水色の髪が、崩れた窓から差す朝風にわずかに揺れている。

 

Victorは少女の前に立ち、手にした紙片を掲げて見せた。

 

「書類上は、今からお前は俺の所有物だ。」

 

少女の反応を見届ける前に、Victorはその書類を目の前で細かく破いた。

乾いた紙の裂ける音が、静かな倉庫に不自然なほど大きく響く。

 

「――だが、こんなものに意味はない。」

 

落ちていく紙片を、少女の視線が追う。

その瞳の奥で、演算がわずかに滞ったように影が揺れた。

 

Victorは少女を真正面から見据えた。

 

「選べ。」

 

声は淡々としていたが、一切の逃げ道がない直線だった。

 

「付いて来るなら、俺はお前を最期まで使い潰す。嫌なら――この場で離れろ。追いはしない。」

 

言いながら、Victorは胸の奥でわずかに苦味を感じていた。

 

……我ながら無責任な物言いだ。

 

所有権を要求し、自分の都合で破棄して、挙げ句に選択を押し付けている。

全てが矛盾だらけで、筋も通っていない。

自分で自分の行動原理が分からない。

 

だが、それでも口から出た以上、後には引けなかった。

 

少女は動かない。

ただ、瞳だけがわずかに揺れていた。

 

内部で高速に走る演算が、揺らぎを作り出しているのが分かる。

廃棄という確定した未来から、突然投げ込まれた「分岐」。

その変数は、本来彼女のアルゴリズムには存在しない。

 

わずかな沈黙。

そして――少女は初めて唇を動かした。

 

「……承知しました。」

 

その声は驚くほど落ち着いており、均一な響きを保っていた。

 

「あなたの――戦術資源として、以後従属します。」

 

反射的に口を開く。

その言葉を、否定しようとした。

 

……では、何だ。

 

雇用か。

違う。

 

協力か。

それも違う。

 

対等――などという綺麗な言葉は、この状況に当てはまらない。

 

自分は彼女を連れていく。

使う。

戦わせる。

先に待っているのが、危険と消耗であることも分かっている。

 

喉元まで上がった言葉は、そのまま落ちた。

 

「……好きに解釈しろ。俺は訂正しない。」

 

背後のシャッターから差し込む白い朝光へ向け、顎で示す。

 

「乗れ。仕事は山ほどある。」

 

少女は一拍遅れて頷いた。

その動きにはぎこちなさが残るが、迷いはなかった。

 

Victorは確認すると、ゆっくり踵を返す。

朝の風が流れ込む出口へ歩み出し、その背に少女の足音が静かに続いた。

 

シャッターを抜けると、朝の光が砂塵の上で薄く揺れ、夜の冷たさがまだ地表に貼り付いていた。

 

輸送車の横まで来たところで、Victorは荷室へは向かわず、そのまま助手席のドアを開く。

 

少女は一瞬だけ立ち止まったが、次の瞬間には乗り込み、銃を抱えたままシートにゆっくり腰を下ろす。

 

背もたれへ寄せる動作は硬い。

けれども拒絶の気配はなかった。

 

Victorは何も言わず運転席へ回り込み、キーを回す。

エンジンの低い唸りが朝焼けの光と混じり、褪せた色合いが荒野の上に淡く広がる。

 

少女は無表情のまま座り続けていた。

朝の弱い光が淡い髪を照らし、車内に静かな影が生まれる。

 

ブレーキが外れ、車両はゆっくりと動き始めた。

 

少女は一度だけ、横目だけでVictorを見た。

Victorは微動だにせず、ハンドルの感触だけを確かめている。

 

互いに言葉はない。

 

ただ、二つの影が並んだまま、荒野の静けさを背に――輸送車は朝の光へ溶け込むように進んでいった。

 

 

 

 

 




後編です。
やっとここまで来れた......
思えばこれまでかなり展開を先延ばしにしましたが、どれも必要だと考えてやったことなので今は良しとしましょう。

予告通り、年末までの間ここからしばらくはお休みです。
設定資料的なのは出すかもしれませんが、やるべきことがことなので多分そんな時間ないです。

山場です。吐きそう。
またニッコニコで戻って来れることを心から祈ります。
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