Mercs' Frontline   作:発伝記

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第15話 3月2日〈前編〉

荒野の東側を横切る補給路は、地図の上では単なる一本線に過ぎない。

ところが実際にその上を走ってみると、それがただの「通路」ではなく、「削り残された生存可能域」であることを否応なく理解させられる。

 

集合地点は、その補給路から少し外れた小さな窪地に設けられていた。

給水設備の名残と思しきコンクリート片が風よけ代わりに残り、その外側を低い段丘がぐるりと囲んでいる。

 

見通しは利く。

かといって、丸裸というほど無防備でもない。

周囲を眺めれば、非常時に使えそうな逃げ道も数通り描ける配置だ。

 

いかにもRezoの選びそうなところだ、とVictorは思う。

「やるべき最低限」と「最悪を見据えた現実」の折り合いが、自然に取れている場所だった。

 

装甲車を停めて外に出ると、先客の車両がすでに三台、横一列に並んでいた。

地味な灰色の車体だが、造りの良さが滲む輸送車が二台。

そして、追加装甲を貼り付けて、護衛用に徹した角ばったシルエットが一台。

 

その脇には、知らない顔ぶれが数人、散らばるように立っている。

肩をいからせて威嚇するでも、だれた様子を晒すでもない。

「いつでも撃てる状態を当たり前としている人間」だけが持つ、張り詰めた風情を纏っていた。

 

その空気を割るように、灰色の車体の陰から片手がひょいと上がる。

 

「よお。壮健そうだな、隊長さんよ。」

 

Rezoだ。

 

Victorは足を止め、眉ひとつ動かさずに返す。

 

「御託はいい。概要を言え。」

「つれねぇなぁ。」

 

形だけの軽口を挟み、Rezoの調子はすぐに仕事のものへと冷えた。

 

「――大筋は端末で送った通りだ。物資輸送の護衛。俺の“本命”を真ん中に、あんたらと、別口の護衛。そんで――」

 

顎で列の端を示す。

 

「“ダミー”。見た目は本命と同じ。非常時は後ろの護衛と一緒に囮として離脱。そこまでが契約だ。金はもう払ってある。」

 

Victorは全体の並びを流し見て、条件を組み直す。

 

「……本気だな。」

「そりゃそうだ。今回はしくじれねぇ類の案件だ。」

 

Rezoの声の芯が重くなる。

 

「荷の種類がどうこうじゃねぇ。無事届けたって事実が大事なんだ。今回落としたら、その先が丸ごと死ぬ。だから、賭けは最小限にしてぇ。」

 

Victorの目つきが一段締まる。

 

「だとしても念入りだな。お前なら、少し野盗が活発になったくらい、悪知恵のひとつでも捻って切り抜けるだろう。それに、なぜ部下を一人も連れていない。裏はなんだ。」

 

Rezoは苦笑いして、頭を掻いた。

 

「今日は別口で走らせてるだけだ。裏なんかねえよ。――ただ、その“野盗”ってやつが、最近どうにも妙でな。」

 

視線が荒れ地へ逸れる。

 

「前はただの烏合の衆だった。好き放題撃って、ビビったら勝手に散る。こっちがやりやすい、ありがたいバカどもだ。――腕っぷしそのものは、今でも大して変わっちゃいねぇ。」

 

語尾を飲み込み、続きを零す。

 

「ただよ、場当たり同然なのに、“踏んでる場所だけはやけに合ってる”って場面が増えてきてんだわ。退きどころも、読みが当たってんだか……動きそのものは汚ぇのによ、全体だけ妙に“形”になり始めてる。」

 

Victorは顎を引いた。

 

「相手をするのも面倒だから、当面は“こっち側”の抜け道で誤魔化してきた。……今は、そうもいかねぇ。」

 

荒野の湿り気のない風が、割れたコンクリートを撫でる。

 

「“塞がれたら困る要所”を、まるで実務で覚えたみてぇな手つきで的確に押さえてきやがる。終いにゃ、うちの輸送隊にまでじわじわ手が届き始めた……だから、リスクを切り分けるためにも、今回あんたに声を掛けたわけさ。」

 

Victorは思考を一巡させ、結論だけを口にする。

 

「……事情は把握した。どうあれ、やることは変わらん。」

「そいつは頼もしいこった。」

 

Rezoは指を鳴らし、簡潔に説明する。

 

「隊列はこうだ。先頭があんたら。次に俺の本命。三番手がダミーで、最後尾がその護衛。場が捌けねぇと判断したら――ダミーと最後尾が引き付けながら外れる。」

 

Victorは、無言でダミー側の傭兵を一瞥する。

Rezoが肩をすくめた。

 

「安心しな。安物の切り捨て駒を投げた覚えはねぇ。“逃げ切らせるために雇った”連中だ。やるべきことだけ、きっちりやる。」

 

Seleneは横で黙って聞いていたが、一度だけ本命とダミーを見比べた。

何かを測る。

だが、口には出さない。

 

「作戦は理解した。――それと、報酬の件だが。」

「おっと。」

 

Rezoがわざとらしく片口を釣り上げる。

 

「忘れたと思ってんのか? 任せとけ。今は向こうの良い腕のところに回してある。到着までには仕上がってるだろうよ。」

「粗は許容しない。」

「ああ。壊しやしねぇよ。保証する。約束だ。」

 

話はそこで畳まれた。

会話は自然と実務に引き戻される。

 

Seleneが首を傾げるが、Victorは説明しない。

Rezoも笑ってやり過ごした。

 

やがて各車両のエンジンが順に火を入れ、腹の底に響く重低音が窪地に居座る。

点呼と確認、了解のやりとりはあくまで必要分だけ。

それが済めば、あとは走るだけだ。

 

列はゆっくりと動き出す。

砂煙が尾を引く中、四つの影が一本の道筋へと細く伸びていった。

 

 

 

 

 

序盤は拍子抜けするほど静かだった。

無線には最低限の報告だけが流れ、その合間を風と駆動音が埋める。

 

日は高く、荒野の照り返しがフロントガラス越しにじりじりと目を焼いた。

砂と岩が熱を抱え、空気が薄く震えて見える。

車内の温度は上がりきらないが、外の熱気が皮膚にまとわりついた。

 

走行が続いたのち、無線にRezoの声が乗る。

 

『――おい、隊長さんよ。そっちは退屈してねぇか?』

 

Victorは前を見据えたまま、素っ気なく返す。

 

「任務中だ。無駄口は控えろ。」

『そりゃそうだがよ。棺桶に運ばれてるみたいな雰囲気は性に合わなくてな。』

 

冗談めいた言い回し。

その裏にあるのが、自分の緊張を誤魔化すための習慣だということは、とっくに知れていた。

 

Seleneが視線をVictorに寄越す。

Victorはひとつ息を溜めてから、無線を開いた。

 

「なら好きに喋れ。聞くかどうかは別だ。」

『はは、つれねぇ。……けどまあ、そうこなくっちゃな。』

 

Rezoの声から、角が取れる。

 

『――しかしまぁ、この半年は参るな。補給は細る、道は減る。……なのに人間だけは増える。』

 

Victorは何も返さず、耳だけを向けた。

 

『本土で居場所のねぇ連中が、“賞金ハンター”なんて看板ぶら下げて雪崩れ込んでくる。腕利きも中にはいるが、ほとんどは“傭兵の皮を被った難民”だ。結果、荒れるだけ荒れて、“回す仕組み”が追いつかねぇ。銃の数は倍増、なのに戦力は横ばい……いい時代だろ?』

 

乾いた笑いが、無線越しにこぼれる。

 

『で、そういう“半端にかじった”連中が、今度は野盗側にも流れてく。上辺だけそれっぽいこと言うくせに、実際は手と足が付いてこねぇ――知恵は浅ぇし動きは雑。普通ならそこで頭打ちだ。』

 

一度、言葉が途切れた。

 

『……まあ、“最近の野盗が賢くなった”ってだけで片付く話なら、それでいいんだがな。』

「どういう意味だ。」

 

Rezoは、肩を落とすような声で続ける。

 

『見た方が早ぇよ。ただ――できりゃ、今回は見なくて済むのが一番だ。』

「……違いない。」

 

会話が切れ、荒野に音のない時間が戻る。

 

その沈黙を破ったのは、Seleneだった。

 

「……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか。」

 

Victorが横目を向ける。

Rezoは少し意外そうな調子で返した。

 

『ん? なんだい、お嬢さん。』

「今回、私たちに声を掛けた判断について。“戦術的な評価”として、どの程度を見込んでの依頼でしょうか。」

 

Rezoは苦笑混じりに答える。

 

『誰かさんに似て真面目だなぁ。……まあいい、答えるよ。まず前提として、腕は買ってる。そこは嘘じゃねぇ。』

 

言葉が少し柔らかくなる。

 

『火力も、場の捌き方も、退きどころの見極めもな。“勝てる戦いしかしねぇ”ってツラしながら、その実、“負け方の工夫”もちゃんと積んでる。』

 

Victorは口を挟まない。

Rezoは続けた。

 

『……で、もう一つ。こっちが本命。』

 

からかうような声色で、さらりと言い足す。

 

『嫌な勘が働いた時は、“嫌な思考回路を持ってる奴”と組んどくに限る。寿命と引き換えに、縁起でもねぇ展開を先回りで想像してくれるからな。』

 

Seleneが瞬きをし、Victorが鼻を鳴らす。

 

「……褒め言葉には聞こえないな。」

『褒めてるさ。少なくとも俺の商売ではな。楽観で現場は救えねぇ。運だけで繋いでる場は、あとでまとめて請求書が回ってくるもんだ。』

 

冗談めかして言いながらも、その一節だけは本気だった。

 

Seleneは小さく頷き、簡潔に締める。

 

「……評価、了解しました。以降、想定に反映します。」

 

それを区切りに、会話は再び任務中らしい口数の少なさへ沈んでいった。

 

 

 

 

 

『――四番、位置良し。進行、このまま継続。』

 

最後尾から、落ち着いた声が届く。

 

「一番、了解。前方、異常なし。」

 

Victorも要点で返す。

 

無線は、次第に定型だけになっていく。

先頭車両のVictorが、地形や視界の変化を事務的に伝え、三番手と四番手が「異常なし」を重ねる。

往復するのは規定文ばかりになり、沈黙が増えた。

 

――その均衡が揺らいだのは、日差しがじわじわと鈍り始めた頃のことだ。

 

Seleneの注意が、斜め前方へ流れる。

 

「……隊長。」

 

Victorが視線を切らずに返す。

 

「来たか。」

「断定は保留。前方二〇度および三一五度。微弱ながら観測値に揺らぎ。……あわせて、地形の“遮蔽配置”に不自然なパターン。」

 

前方に目を凝らす。

風に削られた丘、岩礫の並び。

見た目には、荒れ地以外の何物でもない。

 

しかし、尾根の切れ目と岩陰の配置が、途切れずに続いている。

視界が抜ける区間と遮られる区間が、一定の間隔で連なっていた。

 

襲う側としては、確かに襲撃地点としてここを外す理由はない。

 

「Rezo、聞いたか。」

『ああ、聞いてる。嫌な話をしたそばからこれだ。ほんと、景気の悪い口だよ、俺は。』

 

軽い調子を装っているものの、その奥には笑いが消えていた。

 

「隊列運用はお前の領分だ。判断はそっちでやれ。交戦の判断は、こっちで引き取る。」

『へいへい。走らせる責任は俺、撃つ責任はあんた。……それでいいな?』

「異論はない。」

 

短いやり取りで、線が引かれる。

 

『――よし……全車、隊列はこのまま続行。警戒を一段階上げろ。』

 

Rezoの声が無線を抜ける。

Victorが続けて指示を重ねた。

 

「構えは常時交戦前提。発覚時の初撃の合図は、俺が出す。」

「了解。」

 

Seleneが即応し、ダミー側の護衛も手短に応じる。

それだけで、車内の空気が一段硬くなった。

 

外見上は先ほどと変わらぬ前進を続けながら、列全体が、見えないところで張りを増す。

荒野の静寂が、“待ち”の静けさに変わった。

 

緊張した気配がそのまま、時間の感触そのものをねじ曲げ始める。

時計の針では測れない。

それでも、確実に「近づいている」。

 

音が細くなり、視覚の焦点が研ぎ澄まされていく。

列の誰もが、同じ方向へ意識を持ち上げていた。

 

――そろそろだ。

 

一線を越えたと判断したのは、車列が浅い窪地を抜け、視界が微かに開けた瞬間だった。

Seleneの虹彩が一点に収束する。

 

「――来ます。」

「全車、制圧射撃。撃て。」

 

号令を境に、火線が走った。

開いた側面ハッチから、Seleneの銃口が火を噴く。

呼応するように、三番と四番の車両の射撃が重なった。

 

狙うのは人影ではない。

岩陰、尾根の切れ目、影が溜まる窪地。

“撃てる場所”そのものを、射線ごと削り取る。

 

反応は遅れて返った。

伏せていた影が揺れ、立ち上がりかけた姿勢が崩れる。

引き金だけは引き切ったらしく、散った銃火が空を裂いたが、弾道はまとまりを欠いたまま風に散った。

 

Seleneの連射が、空いた隙へ素早く滑り込む。

覗き込んだ頭が岩陰へ叩き戻され、射線はそこで途切れた。

 

――立ち上がりは殺した。

 

通常なら、ここで流れが緩む。

初動が崩れれば、どこかに一拍の間が生まれてもおかしくはない。

 

Victorは状況を組み立て直しながら、淡々と告げる。

 

「右方、射線は抑えた。残り、再配置の――」

 

その言葉を、別の音が切った。

 

――エンジンだ。

 

一基。

続いて、もう一つ。

さらに一つ。

 

丘の裏側、浅い谷、遮蔽の影。

地形の陰で息を潜めていたそれらが、段を踏むように姿を現す。

 

Seleneが数値を追い、報告する。

 

「複数。五……訂正、六。反応、さらに増加傾向。後方より同時接近。追撃車両と判断。」

 

Victorの手の内が締まる。

 

伏兵を叩いた瞬間、戦闘が鈍るどころか――最初から、そこまで織り込まれているような運びだった。

止まるはずのところで、流れだけが前へ押し出されていく。

 

『まったく、嫌な予感ってのは当たるために存在してるのかねぇ……! ――全車、速度維持! むやみに散るな、隊列はこのまま保て!』

 

Rezoの号令が、全車両を縫う。

 

直後、車体の下をかすめるような違和感が走った。

コン、と鈍い跳ね上がり。

続いて、硬いものを擦る音。

 

Seleneが即座に反応を拾う。

 

「路面異常。散布物検出。」

「撒菱か。」

 

痛手にはならない。

タイヤは貫通を許さず、鈍い抵抗を踏み潰して進む。

軍規格の重装輪を前に、撒菱は無力だ。

後続車も同様にそれを砕き、残骸が後ろに転がっていった。

 

さらに後方で、金属が跳ねる音がもう一度した。

撒いたはずの散布物を、追撃側の一台が自分で踏みかけたらしい。

 

背後のエンジン音は、なおも増えていく。

一台、二台、三台――互いに距離を詰めたり開いたりしながら、獣の群れのように隊列の“裂け目”を嗅ぎ回る。

 

「後方、圧力維持。撃ち返しすぎるな、無駄弾になる。」

 

Victorの声は、あくまで落ち着いている。

 

荒野はまだ開けている。

それは同時に、追う側にとって都合のいい条件でもあった。

追跡車を“一本線”にまとめて捌ける地形までは、まだ遠い。

 

逃げ道があるはずの場所で、逆に逃げにくい。

走っている感触そのものが、“向こうに用意された流れ”の上にあることは、もはや否定のしようがなかった。

 

『冗談じゃねぇ、多すぎだ。ここを“狩場”に選んでくるなんざ、俺と同じ地図持ってる奴が向こうにいるみてぇだ。』

 

Rezoの苛立ちが、無線越しに舌打ちになって漏れる。

 

伏兵の配置。

間を置かずに重なる追撃。

退路を意識した路面工作。

先の地形も見据えた襲撃地点の選択。

 

――ただの偶然で、ここまで展開が噛み合うことはない。

「野盗」という言葉を当てはめるには、この並びだけ妙に整いすぎていた。

 

少しだけ迷う気配を残しつつも、すぐにRezoの声色が定まる。

 

『――三番、四番。予定より早いが、手筈通りにやるぞ。』

 

矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 

『進行二キロ先、左へ浅い斜面、その先に砂礫帯。タイヤは殺さず、速度だけ吸ってくれる。あとは電波塔を目印に、左回りで迂回すれば無事に帰れる。それ以外のルートは保証できねえ、踏み外すなよ。』

『三番、四番、了解。できるだけこっちで引き受ける。……まあ、縁があれば、またどこかで。』

 

ダミー車両が身を振り、進路を外れる。

護衛車両が射撃を重ね、“追う視線”をそちらへ引っ張るように火を撒いた。

 

餌に食いつくように、追撃車両の半数が向きを変える。

二手に割れた砂煙が、荒野の一本線を裂いた。

 

Seleneがすぐさま数値をまとめる。

 

「追撃車両、九のうち五。ダミー側へ移行。残存四、こちらを追尾。射撃継続。」

 

負担は確かに軽くなった。

だが、それだけだ。

 

追撃そのものは止まらない。

距離を取ろうとすれば、同じ速度で這い寄ってくる。

制圧射撃を浴びせれば散開し、すぐに形を立て直した。

 

撃ち散らして、その隙に抜ける――そんな雑なやり方では、流れは変わらない。

 

一台一台を見れば、脅威と呼ぶほどの動きではない。

詰めも甘く、撃ちも荒い。

 

しかし、まるで決められていたかのように、踏み込めない間合いだけが、不快なほど正確に保たれていた。

 

『このままずっと撃ち合いっぱなしってのは、さすがに堪えるぜ……どこまで“ヤル気”出してやがる、あいつら。』

 

Victorは黙ったまま、呼吸を深くする。

 

「――Rezo。」

 

短く名を呼ぶ。

ハンドルを握る指先に、わずかな力がこもる。

 

フロントガラスの向こうで砂煙が揺れ、背後から迫るエンジンの唸りが喉を鳴らし続けていた。

 

『おう、なんだ?』

 

余裕ぶってはいるが、乾きが隠しきれていない。

 

「Seleneをそっちに移す。お前の要には、引き続き“撃ち返せる盾”が要る。」

『は? じゃあお前は――?』

 

言葉より早く、Victorの車両が減速し、Rezoの輸送車両の側面へ寄っていく。

金属同士が擦れそうな距離まで詰める。

 

「俺は残って殿をやる。非常時の逃走経路くらい、もう組んであるんだろう。ここから先は、Seleneと行け。」

 

車内の空気が変わった。

 

Seleneは口を開かない。

代わりに、その視線がVictorに縫い留められる。

 

この先は“予測不能の領域”――演算では枝分かれが示されても、その向こうに何が残るかは見通せない。

「もう一度、同じ席に並ぶ未来」が保証されていないという事実が、誰にも拾えないまま残った。

その現実を前に、Seleneの目の奥に迷いの色が滲む。

 

Victorは、それを見逃さなかった。

 

「行け。」

 

低く、揺れのない命令。

任務のために編まれた言葉。

情はきれいに切り落とされ、冷たさだけが残っていた。

 

Seleneの喉が、微かに動く。

別の言葉を探しにいった思考が、もうそこまでせり上がってきていた。

 

その立ち上がりを、Victorの次の声が断ち切る。

 

「任務優先だ。本命は――」

 

言葉を切り、言い直すように語を置く。

 

「――“お前に頼んだ”。」

 

Seleneの瞳が揺れる。

機械仕込みの虹彩に、本来組み込まれていない“熱”が差し込んだようだった。

 

内側まで込み上げたものを押し留め、応答を形にする。

 

「……了解。」

『なんだよ、水臭ぇなぁ。そこは素直に“Rezoを頼む”って言ってくれてもよかったんだぜ?』

「ほざけ。」

 

Seleneがロックを外す手つきは、滑らかで正確だ。

余計な逡巡は削ぎ落とされ、動きは任務のために最適化されていた。

 

車体同士が並び、互いの風圧がぶつかり合う一瞬の帯。

跳ね上がる砂礫が視界の端を白く曇らせ、世界の輪郭が戦闘に絞り込まれていく。

 

ドアを開く。

外気が雪崩れ込み、車内の温度と一気に混ざり合った。

 

「移動タイミング、三秒後。」

 

Victorは答えない。

その沈黙が、「それは決定事項である」という肯定でもった。

 

Rezoがハンドルを切る。

並走していた二台の間に、跳び移るための距離が生まれた。

 

『……チッ。やるならさっさと済ませろ。こっちの心臓がもたねぇ。』

 

ルーフハッチが開く。

悪態を吐きながらも、芯には腹を括った覚悟が通っていた。

 

次の瞬間――跳躍。

 

Seleneの身体が弧を描き、流れ込む銃火のわずかな隙間を抜けて飛ぶ。

 

着地。

衝撃を殺し、そのまま滑り込み、身を反転させる。

ハッチから上体を出す頃には、すでに照準が固まっていた。

 

『移乗完了。援護に移行します。』

 

無線の報告とほぼ同時に、Victorはアクセルを抜く。

速度差が生まれ、前方の車列との間に“意図的な間隔”が開いた。

 

その変化に、追撃車の挙動が揺らぐ。

即座に詰めてくるはずの距離が、一拍だけ保留される。

照準が揃い切らない。

“本命”を見失わないための視線配分に、ノイズが混じった。

 

Seleneがその隙を逃さない。

要所だけを撃ち抜く、短い連射。

一台が蛇行し、もう一台が反射的に距離を空ける。

 

隊列全体は壊れず、すぐに再編が始まる。

だが、形を整え直すまでにごく短い停滞が生じ始めていた。

 

殿が、その流れの縁に踏み込んだ。

砂礫を噛みながら、Victorの装甲車が斜めに切り込むように走る。

追撃車列の側面へ肉薄し、その進路を叩き潰すようにぶつけた。

 

車両が歯を食いしばるような音を立てる。

一台がバランスを崩し、そのまま横倒しになって転がり、砂煙を引いて動きを止めた。

 

――一台、無力化。

 

Victorはハンドルを切り戻し、視線を前へ置き直す。

一台落とした程度で、流れが崩れるとは考えていない。

殿としてやるべき次の手は、もう頭の中にあった。

 

しかし、次の反応が来ない。

 

詰めてくるはずの車両が、間を空ける。

一台が前に出かけ、途中で減速する。

減速した車両を避けるように、別の一台が外へ振れる。

その動きに被さる形で、後続が距離を詰め、短くブレーキランプが瞬いた。

 

ミラー越しに、身振りが見えた。

腕を振る影。

進路を指す仕草。

その向きは揃っていない。

 

弾が飛ぶ。

射線はまとまらない。

殿へ向く銃口と、本命側を追いかける銃口が、同時に揺れる。

 

――崩れ方が、露骨すぎる。

 

一台落とされた程度で、ここまで動きが悪くなるはずがない。

先程までの運びと、目の前の光景が噛み合わない。

同じ連中がやっているとは思えないほど、動作が重なり、ぶつかり合っている。

 

それでも既に、取るべき手は決まっていた。

Victorはアクセルを踏み込み、そのちぐはぐに空いた“間”へ車体を滑り込ませる。

詰めきれず、下がりきれない車両の脇を抜け、流れをさらに掻き回す。

 

動きはますます荒れる。

落ち着こうとする挙動が、進路と射線を食い合う。

隊列は保とうとしているが、その形が定まらない。

 

やがて、ようやく照準が一つに絞られていく。

殿へ。

銃口が、Victorへと集中する。

 

そこへ、Seleneの火線が割り込んだ。

今度の目的は、散らすことではない。

Victorに向きかけた銃口を、一つずつ縫い止めるための射撃だ。

 

狙撃、制圧、牽制。

役割の異なる弾丸が、必要最小限の消費で繋がっていく。

 

『……贅沢な護衛だよ、まったく。』

 

Rezoのぼやきが無線を掠める頃には、追撃の形は、もはや最初のそれとは別物になっていた。

 

詰めきれず、下がりきれず、散ったままの動きが、まとまり切らないまま前へ流れていく。

崩れた理由も、立て直す合図もない。

ただ歪な形のまま、戦場が次の局面へ押し出されていった。

 

Rezoの車両は少しずつ距離を稼ぎ、Victorと追撃側は荒野の中央で互いを拘束し合ったまま、“別の光景”へと切り離されつつある。

 

ほどなく、Rezoが前方を睨みながら声を上げる。

 

『前方。地形、細くなるぞ。』

 

広がっていた荒地の輪郭が、ゆっくりと変わる。

複数の丘陵が互いに寄り、地形が喉のように狭まっていく。

 

車両が横並びで自由に走るには、窮屈な幅。

実質的に、進路が“一本しかない場所”。

追撃戦の舞台としては、相手にとってほとんど「詰み」に近い条件が揃っていた。

 

「……いい場所だな。」

 

ここまで来れば、Rezoは抜けられる。

「ここより後ろで、誰かが蓋をする必要がある」という意味でもある。

 

Rezoの車両が先に、その狭窄部へ踏み込む。

 

『突破する。通るぞ。』

 

本命が、谷間へと吸い込まれていく。

 

――今だ。

 

Victorは妨害をいったんやめ、アクセルを踏み込み、追撃車列の横から入口へと躍り出た。

 

荒野と狭路の境目。

わずかな余白しかない喉元。

 

ハンドルを一息に切り込む。

金属が擦り合う悲鳴と、タイヤが地表を削る音が重なった。

車体が斜めに流れ、そのまま岩と路面の間に楔のように食い込む。

装甲車が、横滑りした姿勢のまま、入口を塞いだ。

 

一本線の喉元。

そこに、殿が立つ。

 

追撃車列は、前進の勢いを殺しきれないまま、その手前で一斉にブレーキランプを噛み潰すように赤く灯した。

砂煙が巻き上がり、車両の鼻先が横一列に並ぶ。

 

砂が落ち着くと、闇のような銃口が、ぶれることなくこちらに向けられていた。

荒野と狭路の境界で、睨み合いが成立する。

 

Rezoたちは、もう見えない距離まで先にいる。

 

残されているのは――Victorと、まだ収まりきらない殺意の群れだけになった。

 

膠着が、その場に根を張った。

風が砂を撫で、複数のエンジンが低く唸る。

その音の底に、割れた声が混じり始める。

 

怒鳴り声だ。

内容までは聞き取れない。

苛立ちと焦りだけが、距離を越えて伝わってくる。

低く回していたエンジン音に、不揃いな吹かしが被さる。

 

一台がじり、と前に出かけて止まり、その動きに釣られるように、別の車両の銃口が揺れた。

狙いは定まっているはずなのに、引き金にかかった指先だけが、落ち着きどころを探している。

 

Victorはハンドル越しに息を整える。

唸るエンジン音の位置を測り、それぞれの間合いを頭の中に置いていく。

いつでも「動ける」状態が、極限まで焦点を当てたまま保たれていた。

 

互いに引き金を引かない時間が続く。

数十秒か、それ以上か――感覚が伸びていく。

 

不意に、前方の一台がライトを一度瞬かせた。

それだけだ。

それが合図だったのかは分からない。

 

すぐに何かが変わるわけではなかった。

低く抑えた怒鳴り声が、途切れ途切れに混じる。

言い切れない言葉が、空気の中で引っかかり、次に続く形を探している。

 

その間に、先頭がわずかに下がり始める。

それを皮切りに、周囲の車両がようやく「型」を思い出したかのように、距離を測り直した。

はじめのうちは間合いが揃わず、砂を余計に噛み、進路が小さく揺れる。

 

しかし、その揺れは長く続かない。

一台、また一台と、次第に動きが噛み合っていく。

無駄な踏み込みが消え、射線が自然に外れる。

 

いつの間にか、怒鳴り声は聞こえなくなっていた。

順番が定まり、後退という動作が均質に重なっていく。

砂煙は薄く、エンジン音は揃っている。

 

その列は、気づけば気味が悪いほど綺麗になった。

 

――撤退。

 

砂煙とエンジン音が遠ざかり、最後の一台が丘の影に飲み込まれる。

荒野から、戦闘の気配が引いた。

 

Victorはその場に留まり、まだどこかに残滓がないか、目と耳で探る。

それからようやく息を落ち着けて、無線を開いた。

 

「……こちら一番。追撃――退いた。完全に撤収した。」

 

数秒遅れて、Rezoの声が返ってくる。

 

『助かった、って言うべきかね。』

 

張り詰めていたものが、一息に抜けたような声音だった。

 

『道は確保できた。念の為様子見してから、こっちは予定通り進む。――で、あんたは? 追いついてくる気はあるのか?』

 

Victorはすぐには答えず、横合いへ視線を滑らせる。

 

荒野に横倒しになって転がる、先ほど沈黙させた車体。

焼けた金属の匂い。

まだ熱の残る砂礫。

 

「少し、気になることがある。この場を離れる前に、確かめておきたい。」

 

声に起伏はない。

 

「……しばらく無線は切る。位置の追跡はいらない。お前たちは、そのまま進め。」

 

「命令」と名指しはしていない。

それでも、選択の余地を与えない響きだった。

 

『……わかった。』

 

短い沈黙を挟み、Rezoが続ける。

 

『無茶はするなよ、とは言わねぇ。どうせするんだろうしな。せめて、死ぬほどの無茶だけはやめとけ。』

「善処する。」

 

それを最後に、無線が落ちた。

再び余白が荒野を支配し、風が横倒しの車体を撫でる。

 

窓の向こうでは、すでに陽が傾いていた。

荒野の色が、熱の白さから、赤茶けた鈍い層へ色が鈍っていく。

影が伸び、輪郭の境目が曖昧になる。

 

Victorはドアを開け、砂を踏みしめて外へ降り立った。

 

(……野盗の手触りにしては、手順が噛み合いすぎている。なのに肝心の動きは、釣り合わないほどに粗い。)

 

――ここまで見せられて、見過ごすほど楽観的ではない。

 

視線を残骸へ移し、足を運ぶ。

 

確かめるべきものがある。

それだけは、既に決まっていた。

 

 

 

 

 




はい。三度目になりますかね。
非っっっ常にお待たせしました!
前編です。後編はまた明日に上がります。

ここからは言い訳タイムですが、これまでに何があったのかを簡潔にまとめますと、以下のようになります。

方針転換→難産→リライト→大晦日、作業中に首が逝く→静養→動けるようになって間もなく演習発表→ひと段落して話を整形→イマココ

方針転換については、もともとそれぞれ別の話だった2話分を一つの出来事の流れに統合した1話にした上で、前編と後編を分けた、という感じです。
どういうことやねんって話ですが、長い目で見た流れとしては大して変わってないけど、1話としての内容はかなり変わった、という意味になります。

首については、マジで地獄を味わいました。
ほぼ治りましたが、まだ完治ではないです。
ぎっくり首ってなんだよ。ぎっくり首ってなんだよ。

意外と首って何にでも使うもので、ご飯を食べるために口を開ける行為だけでもかなり堪えました。
そして、一番マシな姿勢を探しながら行う就寝ガチャ(なお、調整の回数ごとに激痛を伴う)。マジで何なん?

そんなわけで、最悪の年末と年明けを同時に迎えました。
みなさん、常に姿勢には気をつけましょう。

それではまた明日。
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