・序の描写を、場所や戦術、報告書などの因果が明瞭になるように全体的に微改修しました。
・第5話以前の主人公の情緒を微調整しました(まだ順応していない段階なのに極端に感情が薄い)。
・第15話前編の、なんで炸裂弾使わないの?問題に理由だけ加えました。
・あとがきにも示した通り、第22話後編の地図周りの情報描写を削って差し替えました。
隠れ家の照明は、半分しか生きていない。
天井に吊られた細長い作業灯が、白とも黄色ともつかない不安定な光を落としていた。
換気扇が地下空間で回り続けてから、もう三日になる。
「隊長。非稼働状態が続いています。そろそろ何らかの依頼遂行を挟むべきかと。」
「……“繋ぎ”程度ならな。」
装甲車は奥に沈んだまま、動く気配すらなかった。
消費されたのは、備蓄と時間ばかりだ。
Victorは工具箱を取り寄せた。
「そこに立て。」
Seleneは一瞬Victorを見た後、指定された作業灯の下へ歩き出す。
金属床を踏む足音は一定。
歩幅も乱れない。
少なくとも外見上は、普段と変わらない。
Victorは診断器を取り出し、端末と接続する。
数秒後、同期表示が立ち上がった。
「状態。」
「主要駆動系――正常。神経接続――遅延なし。感覚同期率――基準値内。」
「腕を上げろ。」
Seleneは両腕を水平に保つ。
肩。
肘。
手首。
診断器を滑らせながら、Victorは表示された数値を追った。
いずれも異常はない。
応答速度も、出力伝達も平常運転だ。
申告内容との齟齬はなかった。
今度は冷却循環の履歴を呼び出す。
その瞬間、表示欄に赤いピークが並んだ。
「冷却系――短期での臨界超過を複数回確認。現在は安定域へ復帰しています。」
Selene自身が淡々と読み上げる。
「……違和感は。」
「ありません。」
確かに、現在値だけ見れば安定している。
熱量そのものも、すでに危険域を外れて久しい。
それでも、履歴に残った負荷痕だけが気に入らなかった。
「しばらくはここで安静にしていろ。繋ぎは俺一人で拾ってくる。」
Seleneは瞬きを数度返した。
返答までに、僅かな空白が生じる。
「同意しかねます。各機能いずれも正常値、負荷履歴も許容範囲内です。」
「負荷は蓄積する。一度限界へ触れた系統は、次も同じとは限らない。」
Victorは診断器を工具箱へ戻し、留め具を押し込む。
「新しいモジュールが入るまでの間だけだ。」
「ですが――」
そのとき、手元で端末が細かく震えた。
Victorは通知を開く。
《悪い。例の冷却補助モジュール、まだ流れてこねえ。便が遅れてる》
Rezoからだ。
Victorは文言を読み終えると、短く打ち返した。
〈何日だ〉
《現状なんとも言えねえ。モノがモノだ。あと五日は見積もっとけ》
〈急ぎではないが、入ったら最優先で回せ〉
《はいよ》
横から覗き込んでいたSeleneが、静かに言う。
「“急ぎではない”、は事実と異なります。」
Victorは取り合わず、重なる通知に目を通した。
《そういや、前にお前が荷運んだ南の相手、返事寄越さねえんだよな》
〈電装品輸送の相手か〉
《そうそう。あっち経由で顔繋げる予定だったんだが……》
少し間を置いて、追記が届く。
《付き合い浅ぇし、別口掴んで潜った可能性もあるけどよ。お前、顔合わせしてたよな》
〈一度だけだ。事情は知らん〉
《ならいい。また仕事で見かけることでもあったら言っといてくれ》
〈わかった〉
それ以上の返信は来なかった。
Victorは端末を机へ放る。
その瞬間を見計らったように、Seleneは言葉を差し込んだ。
「私は問題ありません。戦闘継続も可能です。」
Victorは小さく息を吐き、改めてSeleneに向き直る。
「俺は問題ありだと思っている。可能と適正は違う。」
「では、非戦闘系依頼だけでも――」
「駄目だ。“今のお前”を前提に依頼は組めない。」
Seleneは口をつぐんだ。
演算処理にも、ただ言葉を探しているようにも見える静止。
換気扇の唸りだけが続く。
「不服か。」
Seleneは反射的に否定しかける。
「いえ……そう主張したいわけではなく――」
「なら――」
「不服、です。」
言った後で、目を逸らした。
Victorは思わず眉間の皺を揉む。
今度は、深く息を吐いた。
手を戻し、机上の端末を再び引き寄せる。
指先が数度、画面を滑った。
Seleneは黙ってその動きを探っていた。
青白い表示光が、横顔を照らす。
Victorは表示を見たまま口を開いた。
「……一件だけ拾う。ただし、条件付きだ。」
Seleneは顎を引いた。
「随伴のみ。武装使用は俺の指示が出た場合に限る。独断行動は禁止。」
口は挟まない。
「負荷上昇が確認された時点で即帰投。異論は認めない。」
視線が合う。
提示された条件を一つずつ整理するように、瞳だけが揺れていた。
「それは、実質的に――」
「休養だ。俺の監督下での。」
さらに何かを言いかけたところで、Victorは無言で画面を向けた。
Seleneはしばらく表示を見つめ、唇を引き結ぶ。
「……意図的ですね。」
「妥当な依頼を選んだ。」
先ほどまで残っていた反発が、ゆっくりと行き場を失っていく。
「……同行条件を、受諾します。」
昼前の光が、装甲車の装甲板を浅く撫でていた。
車体は土塊を噛みながら減速する。
先に映る集落の輪郭は、記憶の中のそれとは違っていた。
継ぎ接ぎだった外壁には、規格の揃った補強材が一定間隔で打ち込まれている。
歪んでいた鉄板は張り替えられ、崩落しかけていた箇所には新しい支柱が通っていた。
外壁の上には新設の見張り台。
その近くには、細い柱が何本か立っている。
辺境の集落らしい粗さは残っている。
だがそこに漂う空気はもはや、“場当たり的な生存拠点”のものではなかった。
装甲車を路肩へ寄せる。
見張り台の上で、人影がこちらに気づいた。
双眼鏡らしきものが一度こちらへ向き、柱の一つへ手が伸びる。
ゲート脇にも、人影が二つ。
こちらを警戒している様子はない。
装甲車が完全に停止する。
Victorたちが地面へ降り立つなり、あのときの老人と若い男がこちらへ歩み寄ってきた。
若い男がふっと息を漏らす。
「まさか、あんたらがまた来てくれるとはな。」
「依頼だ。“設備搬入補助”。」
「ああ、組合から聞いた。助かる。」
老人は頷きながら視線を流す。
壁際には、木箱を積んだ台車が何台か並んでいた。
その側で、住民の一人が蓋の刻印を読み上げ、別の者がチョークで印を付けていく。
済んだそばから、台車が一台ずつ入口をくぐっていった。
Victorは直上の見張り台を見上げる。
傍らの柱からは被膜コードが伸び、集落の内側へと渡されていた。
「……随分変わったようだが。」
そう言うと、男は肩をすくめる。
「まあな。マグニの巡回が来るようになってから、かなり落ち着いた。」
そのまま壁際へ顎を振った。
「とにかく歓迎するよ。……ついでに、そこの台車も運んでくれると有難い。」
「わかった。」
Victorが短く返すと、老人はどこか気を抜いたように微笑んだ。
「今回は単に搬入の手が足りないだけだ。ゆっくりしていくと良い。」
Seleneが当然のように台車へ歩み寄る。
持ち手に手を伸ばし――。
「駄目だ。」
声と同時に、Victorが横から持ち手を奪った。
「……補助程度であれば、負荷上昇には該当しません。」
「“程度”を決めるのはお前じゃない。」
台車は既に動き出している。
Seleneは口を閉ざし、やや遅れて後ろについた。
男がその様子を見送り、片眉を上げる。
結局は何も言わず、自分の持ち場へ戻っていった。
内部へ入る。
瓦礫と補修材で埋まっていたはずの通りには、今では台車同士が避け合える程度の余裕が生まれていた。
足元のぬかるみには板が渡され、塞がっていたはずの横道にも人が出入りしていた。
板を叩く音。
工具の所在を呼ぶ声。
その隙間に、作業の割り振りとも昼飯の支度ともつかない声が混じっていた。
通路の端を、子どもが一人駆けていく。
台車とすれ違い、積まれた箱を避け、最後は大人の足元を回り込むように速度を落とした。
「おい、走るな!」
声は飛んだが、誰も本気で顔をしかめてはいなかった。
Victorは台車を所定位置まで押し込む。
「これはどこに運ぶ。」
「ああ、そいつはそこで下ろしてくれ。こっちでまとめておく。」
男の一人が近づき、荷をほどいた。
「巡回の連中が次持ってくる分の空きも作らなきゃならなくてな。最近は物が入る分、置き場の方が足りねえ。」
別の男が、下ろされた箱から抱え上げていく。
「次の巡回、明日だったか?」
「そうだが、補給車の方が先に来るらしい。」
「なら、南側の資材をさっさと固めておかないと。」
「分かってるよ。ただ、先にそっちを除けておけよ。」
声は忙しない。
だが、切迫した硬さはなかった。
そんなやり取りの間にも、子どもたちの関心はSeleneに集まっていた。
前回のように物陰へ隠れたままではない。
Victorが目に入ると足取りこそ鈍ったが、それでも最後は好奇心が勝った。
「今日は重いの持たないの?」
「現在、一部行動に制限が設定されています。」
子どもたちが顔を見合わせた。
「……こーどー?」
「せいげん……?」
「特定の動作が、許可されていない状態を指します。」
目が点になる。
余計に分からなくなったらしい。
その輪の向こうから、小さな足音が近づいてくる。
「あっ――お姉ちゃん!」
「Yuri。」
Seleneは自然にその名を呼んだ。
「ほんとに来た!」
Yuriが駆け寄る。
勢いのまま抱きつきかけ、直前で慌てて足を止めた。
Seleneは特に動じる様子もなく、その姿を見下ろしている。
「あれ? 時計は?」
首を傾げるYuriの前に、Seleneが跪く。
懐から、懐中時計を取り出した。
傷は綺麗に均され、歪んでいた縁も整え直されている。
長く使い込まれた古さだけが、表面に名残として残っていた。
その中央で、針が静かに時を刻んでいる。
「あ! 動いてる!」
周囲の子どもたちまで覗き込む。
「ほんとだ!」
「どうやったの!?」
Seleneは首を巡らせた。
「隊長に修復していただきました。」
数人分の注意が、一斉に別方向へ流れる。
木箱を下ろしていたVictorが、面倒そうに顔を上げた。
「直したのは俺じゃない。職人だ。」
「修理依頼および回収は、隊長が担当しています。」
「繋げたのはRezoだ。」
Victorはそこで、次の箱へ手を掛ける。
周囲の口元は、むしろ緩んでいた。
「使ってくれてたんだ……」
Yuriは時計をじっと見つめている。
「現在も携行を継続しています。」
「……たぶん、ずっと大事に持ってるってことだと思う。」
横にいた年長らしき子供が、小声で補足する。
Yuriの顔が、ぱっと明るくなった。
Victorはそれを視界の端で確認し、空になった台車の持ち手を握る。
「Selene。」
「はい。」
「お前はそいつらの相手をしていろ。」
「了解。」
言うなり、入口側へ台車を押していった。
輪の中に残されたSeleneは、去っていく姿をしばらく見送る。
台車を押す背が、妙に早かった。
正午を過ぎる頃には、搬入口の土は何度も台車に踏まれ、轍の形が潰れていた。
固定材に規格支柱、コード類。
搬入されたそばから仕分けられ、手の空いた者がそれぞれの持ち場へ運んでいく。
何度か往復を繰り返して設営に移った頃、見覚えのある顔が工具を抱えて近づいてきた。
以前、Yuriの捜索で同行した案内役の男だ。
「そっちは根元を支えてくれ。」
「了解。」
Victorは支柱を押さえ、男が基部を固定する。
工具が金属を叩き、乾いた拍子を刻んでいった。
その背後を、長物を抱えた住民が二人、横向きになって通り抜ける。
「通るぞ。」
「先に言え。」
短いやり取りだけを残し、二人は壁の奥へ消えた。
作業場の外れでは、Seleneが子どもたちに囲まれていた。
言葉を投げられるたび、律儀に返答している。
その輪へ、Yuriの母親まで加わっていた。
子どもたちが揃って首を傾げるたび、苦笑混じりに言い換える。
すると今度は納得したように頷き、また次の質問が飛んだ。
ただ、その最中でもSeleneは作業場を気にしていた。
工具音が鳴るたび、肩が小さく動く。
支柱が持ち上がれば、視線が作業側へ走る。
けれども、次の動作には移らない。
命じられた制限が、反応だけをそこで止めていた。
「……今日は、あの嬢ちゃんは働かせないんだな。」
作業の手を止めず、男が口を開いた。
Victorは次の固定位置を確認し、支柱を支える。
「今回は見学だ。」
「意外だな。前はあっちの方が動いてたくらいだろ。」
工具を打ち付ける音が続く。
「無茶をさせた。」
――止まる。
背後では、空の台車が軋みながら搬入口へ戻っていく。
その音だけが、間を埋めた。
「……そうか。」
続く言葉はない。
代わりに、工具が二度、三度入る。
次いで、支柱が軽く揺すられた。
「なら、その分俺らが張り切らないとだな。」
別の支柱が持ち上がる。
工具の拍子が、また作業の流れを戻していった。
金属音の間隔が開いていく。
頭上の光は角度を変え、端に寄せられた資材の影を通路へ引き延ばしていた。
やがて、最後の固定具が打ち込まれる。
「よし。これでここは問題なしだな。」
軋みを確かめ、男は満足げに頷いた。
次の作業場へ向かおうとして、Victorはふと視線を流す。
先ほどの人だかりが、さらに大きくなっていた。
その中心で、Seleneが子どもたちに袖を引かれている。
Seleneは動かない。
引っ張られながらも、こちらを見つめていた。
Victorは適当に片手を払う。
間を置いて、Seleneは子どもたちに引かれるまま、通路の向こうへ消えた。
Victorも踵を返す。
男と共に東の壁沿いを進むにつれ、搬入口の声は背後で小さくなっていった。
しばらくは、二人分の足音だけが続く。
かつてあったはずの裂け目は、既に塞がれている。
壁面そのものも、厚みを増しているようだった。
Victorは歩きながら、何気ない調子で口を開く。
「向こう側はどうなった。」
「ん?」
男は歩調を緩め、Victorの視線の先を辿った。
「ああ……あっちな。資材置き場になったよ。」
思い返すように笑う。
「巡回帯入りしてすぐ工兵連中まで来てな。崩れた地盤ごと埋め立てやがった。」
壁上から時おり規格材の端が覗き、次々と奥へ回されていく。
「藪も刈られたし、廃棄場も潰された。今はもう面影もない。」
男はその流れを見上げた。
「最初は、定期巡回が来るだけでも十分だと思ってたんだがな。……わからないもんだろ?」
「……徹底しているな。」
「最近は、整備域編入の話も来てる。」
一度、言葉を切る。
「正式に通れば、補給も補修ももっと安定するらしい。ここまで面倒見てもらえるのは、正直ありがてえよ。」
言葉の端には、隠しきれない安堵が乗っていた。
「まあ、頼り切りなのも良くねえんだろうけどな。来るもん来るなら、そりゃ使うさ。」
「そうか。」
Victorは特に評価を返さない。
向こう側から、人の声が風に乗って漏れてくる。
壁はもう、風に鳴かなかった。
壁沿いを伝った先では、別の作業が進められていた。
新しい支柱の足元に、コード類が束ねて置かれている。
その脇には、金属枠で囲まれた棒状の器具が数本、布を掛けられたまま横たえられていた。
他の資材と違い、地面へ直置きはされていない。
木片を噛ませ、揺れないよう両側を押さえてあった。
「俺は資材を寄せてくる。そっちは通し頼む。」
「わかった。」
Victorはコードを引き出し、支柱に沿わせ始めた。
余分を巻き取り、締め具で固定する。
繰り返す傍ら、別の班は布を掛けた器具を支柱の根元へ運んでいく。
さらに奥では、数人が空箱を解体する。
支柱の列は、内側にかけて伸びていく。
作業の声もそれに合わせ、徐々に集落の中心へと移っていった。
気づけば、通路へ差し込む陽は薄まっていた。
昼の照り返しを残していた地面を、建物の影が覆っていく。
台車の往来は減り、代わりに設置済み器具の接続部を覗き込む姿が増えていた。
「接続、こっちは終わりだ。」
「まだ入れるなよ。向こうが確認中だ。」
Victorは余ったコードの切れ端を脇に退け、壁際から一歩下がる。
「そっち終わったか!」
飛んだ声へ、片手で返した。
器具から布が外される。
金属枠の留め具が順に確認され、最後に透明な面が布で拭われた。
「子どもを下げろ。試すぞ。」
箱を抱えたまま止まる者。
工具を握ったまま振り返る者。
別々に動いていた住民たちが、そこで初めて同じ方向を見た。
「試験点灯、入れる――!」
仮設照明が一つ、また一つと立ち上がった。
明かりの帯が通路を繋ぎ、夕闇を押し返していく。
「おお……。」
壁際で、通路の奥で、誰かの口から同じような声が漏れた。
Victorは照らされた通路を見渡す。
「照度は……十分か。」
「問題ありません。夜間視認性は大幅に向上しています。」
いつの間にか、Seleneが隣に戻っていた。
Victorはそれを横目に収めるだけで、通路幅と影の落ち方を拾い続ける。
「東側は詰めた方がいい。死角が残る。」
「導線も再調整した方が効率的かと。」
「だな。」
それきり、会話が切れた。
点灯は終わった。
接続不良を訴える声はない。
配置の修正点も、おおよそ見えている。
搬入補助として請けた分は、ここまででいい。
VictorはSeleneを呼ぼうとして――口をつぐむ。
Seleneはまだ、明るくなった通路を見ていた。
いや、見ていたのは通路ではない。
端に寄せられていた子どもたちが、灯りの内側へ戻っている。
白い光の枠の中を、小さな影が横切っていった。
誰かの足元を回り込むことも、箱の影でためらうこともない。
今度は、途中で足を緩めなかった。
Seleneは、じっとその様子を追っている。
――指先が、動いた。
いつもの位置を、無意識に確かめるように。
周囲では、片付けを急かす声が続いている。
奥からは、煮炊きの匂いまで運ばれてきた。
かつて、この場所の夜は、闇をやり過ごすだけの時間だった。
「……帰るか。」
そう言って、搬入口側へ足を向けた時だった。
「まあ待てよ。」
背後から声がかかる。
振り返ると、案内役の男が立っていた。
「急ぎじゃないなら、飯くらい食ってけ。今日は人手が増えると思って、多めに炊いてる。……なんなら泊まっていってもいい。空いてる部屋もあるしな。」
Victorはすぐには答えなかった。
戻ったところでやることはない。
隠れ家に籠もり、半分死んだ照明の下でモジュールの入荷を待ち続けるだけだ。
隣を見る。
Seleneは何も言わない。
否定も肯定もしない。
それでも、また地下へ連れ戻して置き続けることが、適切かどうかは別だった。
「……迷惑にならなければ。」
男は目を丸くし、それから笑った。
「迷惑なもんか。前はこっちが無理を言ったんだ。今日は普通に客としていてくれりゃいい。」
「客、か。」
Victorは短く呟き、入口から踵を戻す。
「……一晩、世話になる。」
「十分だよ。」
男はそう言うと、奥へ向かって声を張った。
「おい、二名ご案内だ! 器を出してやれ!」
その言葉に、何人かが振り返る。
すぐに、通路の奥から賑やかな返事が返った。
「隊長。」
「予定変更だ。」
Victorはそれだけ告げて男に続いた。
進むにつれ、器の触れ合う音と煮立ちの気配が近づいてくる。
さきほどまで資材を積んでいた一角で、空になった木箱が裏返されていた。
布を被せられ、その脇に器が重ねられる。
作業を終えた者から順に、手近な場所に腰を下ろしていく。
「一つ、伝えておく。」
Victorが、前を行く男にだけ届く声で言った。
「なんだ?」
「Seleneは食事ができない。水だけでいい。」
男は一度だけSeleneへ目を向ける。
理由は聞かなかった。
「分かった。」
短く返し、男は奥へ声を投げる。
「片方は水だ。汲み置きじゃないやつを頼む。」
「はいよ。」
返事は、壁際の鍋の方から返ってきた。
鉄板を組んだ風除けの内側で、煤けた大鍋が低い火にかけられている。
湯気には塩気と油、それに煮戻した保存食に似た匂いが含まれていた。
鍋のそばでは布袋から硬い保存パンが取り出され、籠へ移されている。
横から子どもが手を伸ばしかけ、すぐに軽く叩かれて引っ込めた。
つい先ほどまで荷を置く場所だった一角が、そのまま夕食の場所へ変わっていた。
案内役の男は、空いた木箱を一つ足で寄せる。
「そこ使ってくれ。椅子なんて上等なもんじゃないがな。」
Victorは頷き、出入口と通路の両方が見える位置に腰を下ろした。
Seleneはその隣に立ったまま、周囲の動きを走査している。
「お前も座れ。」
「了解。」
Seleneが木箱の端へ腰を下ろす。
ほどなくして、器が一つ運ばれてきた。
持ってきたのは、Yuriの母親だった。
「熱いから、気をつけて。」
Victorの前に器が置かれる。
中身は、雑穀を煮崩した粥だった。
豆の皮と、細かく裂いた塩漬け肉のようなものが入っている。
表面には油が細い輪を作り、灯りを鈍く返していた。
続いて、保存パンを載せた小皿が添えられた。
それから母親は、Seleneの前に欠けた金属杯を置く。
中には、汲みたての水が満たされていた。
「足りなかったら言ってね。」
Seleneは杯を見つめ、小さく頷いた。
「ありがとうございます。十分です。」
その背後から、Yuriがひょいと顔を出す。
Victorの器と、Seleneの杯を見比べる。
「お姉ちゃんはご飯食べないの?」
Victorのスプーンを握る手が、一瞬止まった。
「現在、食事用モジュールを搭載していません。水分摂取のみ可能です。」
「もじゅーる?」
「食べるための機能部品です。」
「じゃあ、お腹空かないの?」
「空腹感に相当する反応はありません。」
Yuriの目が、もう一度Seleneの杯へ移る。
澄んだ水面は揺れていない。
「味はわかるの?」
「味覚機能も未搭載です。」
Yuriは少し考え、自分の器を両手で持ち直した。
「じゃあ、教えてあげる。」
Victorは器の中身を掬った。
湯気がスプーンの先でほどける。
「これはね、ちょっとしょっぱい。」
口に入れた粥には、塩気がある。
携行食のような頼りない味ではない。
控えめだが、芯があった。
「豆のところは、ちょっと変な感じ。」
豆の皮が、煮崩れた穀物の中で舌に引っかかる。
柔らかいだけのはずの食感に、小さな段差ができていた。
「肉のところは当たり。」
細く裂けた肉片を噛む。
油がそこだけ強く、粥の塩気を包んでいる。
その差だけで、粥はただの熱い塩水ではなくなっていた。
「パンは固いから、スープにつける。」
保存パンの端を器へ沈めた。
汁を吸った部分から硬さがほどけ、噛むと穀物の香りが口の奥へ広がる。
「塩味。豆類由来の食感差。肉片を高価値部位として認識。保存パンは単体摂取時に硬度が高く、汁物への浸漬で評価が改善する、と。」
「それだと、食事っていうよりは報告書ね。」
母親は困ったように笑い、器を配り終えた手でYuriの肩についた埃を払った。
その間、Seleneはしばらく考え込む。
「……では、“おいしい”を付記します。」
Yuriは満足げに頷き、それから思い出したようにVictorを見た。
「隊長さんは?」
視線が器に落ちる。
「おいしい?」
「……ああ。」
「どんな味?」
塩、豆、脂、穀物。
どれも口の中には残っている。
「温かい。」
「それ、味じゃないよ。」
Yuriが呆れて眉を寄せる。
母親が堪え切れずに吹き出し、近くで器を受け取っていた男が何事かと顔を向けた。
Victorは否定せずに、もう一口運ぶ。
Seleneは一定量だけ水を摂取し、金属杯を同じ位置へ戻した。
音はほとんどしない。
喉を通った水の量も、動作の幅も、測られたもののように正確だった。
その動作が、妙に目につく。
「嬢ちゃんは、ずっと起きてられるのか?」
器を片手に通りかかった男が、足を止めている。
「電力残量に応じて、継続稼働は可能です。」
「寝ることはないのか?」
「機能維持のための低負荷状態への移行は可能ですが、人間の睡眠とは異なります。」
鍋の方へ戻りかけていた女が、横から入る。
「休むことはできる、ってこと?」
「可能です。ただし、現在の制限は私の希望によるものではありません。」
「なんだそりゃ。」
男が息を抜き、女も器を口元に寄せたまま肩を揺らした。
「あの車、燃料食うだろ。」
案内役の男が、Victorへ問いを向けた。
「食う。」
「やっぱりな。どれくらいだ。」
「悪路なら倍を見る。」
「あれだけ重けりゃそうだろうな。」
「重い方がいい時もある。」
「なるほど……」
男は返す言葉を探し、結局黙って粥を啜った。
Victorもまた、粥を運ぶ手を緩めなかった。
Seleneの方では、別の声が飛ぶ。
「嬢ちゃん、暑いとか寒いとかは分かるのか?」
「温度変化は検知可能です。」
「痛いのは?」
「損傷警告として認識します。」
「それは、痛いのとは違うのか?」
「分類が困難です。」
「本人がわからなきゃお手上げだな。」
「はい。」
器の縁が鳴る中で、何人かが息を抜いた。
いつの間に、人が増えている。
その輪の一人がVictorにも声を掛けた。
「外は、今も危ないのか。」
「ここらはましな部類だ。」
「野盗の話もあるもんな。」
「野盗に限った話じゃない。」
「なら、一番危ないのは?」
「慣れたと思い込むことだ。」
男は笑うつもりで口を開きかけた。
だが、言葉は出なかった。
Victorもそれ以上は続けない。
器の中で、豆の皮がスプーンの縁に引っかかった。
Seleneの周りでは、また別の質問が飛んでいた。
時計の手入れはいつするのか。
服は誰が選んだのか。
どれだけの荷物を抱えられるのか。
Seleneは一つずつ答えた。
答えるたびに誰かが笑い、誰かが言い換え、誰かがまた別の質問を足していく。
金属杯が、時折持ち上がる。
食事の輪の中にいて、食事はしていない。
それでもSeleneは、誰よりも自然にそこへ収まっているように見えた。
笑い声は近い。
鍋の匂いも、器の熱も、足元を行き来する子どもたちの気配も、すぐそばにある。
Victorは器を見下ろす。
底が見え始めていた。
粥の残りをスプーンで寄せ、掬う。
口元に流し込み、嚥下する。
器は空になった。
食べ終えれば、食事は終わる。
そういうものだと思っていた。
だが、場は終わらなかった。
それが、どうにも収まりが悪かった。
貸し出された空き家の一室は、静かなものだった。
元は倉庫だったのか、部屋には乾いた木材と埃の匂いが微かに漂っている。
床は掃かれていた。
壁際には古い毛布が二枚、きちんと畳まれている。
布地は擦り切れかけているが、湿り気はない。
窓の隙間には布が詰められ、風が直接入り込まないようになっている。
上等とは言えないが、雨風を凌ぐには十分だ。
今出せる範囲で、客人用に整えられた部屋だった。
外では、設置されたばかりの照明が通路を平たく均していた。
遠くで声がする。
見張り台の足場板が鳴る。
別の方角で、戸が一つ閉まった。
いずれも危険を知らせるものではない。
生活が夜へ沈んでいく、その残響だった。
「隊長?」
Seleneが壁際に座ったまま、こちらを見ていた。
Victorは、半端に壁へ預けていた背を戻す。
「……休んでいろ。」
「しかし――」
「異常はない。」
数秒、何かを確認するような間があった。
「了解。低負荷状態へ移行します。」
姿勢が整う。
次いで、表情から細かな動きが消えた。
Victorはそれを確認してから、窓の外へ目を向ける。
見張り台の上を、人影が歩いていた。
警戒というより、決められた順路を回っているだけに見える。
この集落にとっては、ようやく迎えられた普通の夜なのだろう。
安全圏。
その内側にいる。
穴の開いた壁を睨み、闇の奥を測り、音のない方角に耳を澄ます必要はない。
それが、どこか落ち着かない。
食事の場でも、同じだった。
飯は美味かった。
少なくとも、携行食よりはずっとまともだ。
その美味さが、馴染まない。
湯気の匂いは覚えている。
鍋の位置も、出入口までの距離も、通路に残った箱の高さも。
誰がどこに座り、誰がいつ立ったかも拾えている。
けれども、誰がどんな顔で笑ったのか。
どの問いが冗談で、どこからが気遣いだったのか。
そこだけが曖昧だった。
場の空気が悪いわけではない。
むしろ、良すぎるくらいだ。
だからこそ、余計に遠く感じた。
――三日、隠れ家にいた。
“待機”はしていた。
“休息”だったかと問われれば、答えに詰まる。
依頼は受けなかった。
戦闘も避けた。
けれども、あそこは地下で、外は荒地だ。
扉一枚の向こうに、何が来るか分からない。
ここは違う。
壁は塞がり、灯りは点き、夜は誰かの手で管理されている。
今夜くらい、自分が張る必要はない。
それなのに、身体のどこかがずっと、次の音を待っていた。
――染みついている。
Victorは喉の奥で息を逃がした。
Seleneは動かずにいる。
――休め、と言った。
可能と適正は違う、とも言った。
その言葉は間違っていない。
ただ、それを口にした本人が、休息を適正に扱えるとは限らない。
笑えない話だった。
窓の隙間から、外の明かりが線になって差し込んでいる。
毛布は、二枚とも畳まれたままだった。
夜は何事もなく過ぎた。
空が白む前に、Victorは身を起こしていた。
身体に淀みはない。
装備を確かめ、しばらく室内で外の気配を拾う。
やがて、窓の隙間に外の色が戻り始めた。
Victorは空き家を出る。
照明は朝の光の中で、既に役目を失っていた。
通路では、何人かがもう動いている。
空箱が壁際へ寄せられ、台車が一列に並べ直されていた。
昼前に来るという補給車を受け入れる準備だろう。
昨夜の余韻を引きずる者はいない。
代わりに、慣れた朝の段取りがあった。
「隊長。」
振り向くと、Seleneが戸口に立っていた。
低負荷状態からの復帰に乱れはない。
「状態は。」
「主要系統、正常。冷却循環、安定域を維持。負荷上昇は確認されていません。」
「ならいい。」
それだけ確認し、Victorは集落の入口側へ向かった。
「もう出るのか。」
案内役の男が、通路の向こうから歩いてくる。
片手には工具袋を下げていた。
「ああ。世話になった。」
「こっちこそ助かったよ。照明の調整、もとは朝から見直すとこだったが、おかげでだいたい済んじまった。」
男は壁沿いに並ぶ支柱を見上げ、目を細めた。
その向こうから、Yuriと母親が歩いてくる。
母親は畳んだ布を抱え、Yuriは空の籠を両手で持っていた。
Seleneに気づくと、Yuriは籠を抱え直して足を止めた。
「お姉ちゃん、もう行くの?」
Seleneは一拍置いてから頷いた。
「はい。帰投します。」
「また来る?」
問われて、Seleneはすぐには答えなかった。
一度Victorに視線が寄り、向き直る。
「……可能であれば。」
Yuriはそれだけで納得して頷いた。
「うん。」
Seleneは軽く頭を下げる。
「ご無事で。」
「あなたたちもね。」
母親が穏やかに微笑んだ。
案内役の男が、工具袋を肩に掛け直す。
「また寄れよ。依頼じゃなくてもな。」
「用があればな。」
Victorはゲートを通り抜け、装甲車へ向かう。
Seleneが半歩後ろに付いた。
見送りの輪は、前ほど大きくはならなかった。
何人かが作業の手を止めてこちらを見ただけで、すぐに自分の持ち場へ戻っていく。
それで良い。
Victorは運転席へ乗り込む。
Seleneが助手席へ収まる。
車体が震え、土道へ動き出した。
ゲート脇の見張りが手を上げる。
Victorは片手で応じる。
外壁が後ろへ過ぎていく。
集落を抜け、装甲車は土道へ出る。
「隊長。」
「なんだ。」
「今回の滞在は、私の負荷軽減に有効だったと判断します。」
「そうか。」
「……はい。」
装甲車は進路を修正し、崩れた轍を避けながら荒地へ戻っていく。
背後の集落は、もう見えない。
それでも、夜を越えた照明の列だけが、しばらく目の奥に残っていた。
[2065-05-04-9:35]
区分:任務
状況:依頼任務「設備搬入補助」完了
依頼人: 現地住民(組合経由)
経過:2065-05-03~2065-05-04
11:27 対象集落到着
11:35 資材搬入開始
12:10 仮設照明支柱設置作業支援
15:32 照明配線・固定作業支援
17:41 仮設照明試験点灯成功
18:03 全作業完了
18:28 依頼完了確認
18:35 集落側要請により食事ののち滞在
06:06 集落離脱
結果:報酬受領済
損耗:なし
弾薬消費:なし
備考:対象集落は巡回帯編入後の整備が進行中。防壁・照明設備・補給体制の改善を確認。集落内に一泊滞在。Selene状態異常なし。
お待たせしまくりました。お久しぶりです。
いよいよ笑えない投稿ペースになりましたが、生きてます。
このまま行ったら一部だけでも終わらせるのにどれだけかかるんだとなりますが、今は考えないことにしましょう......
自分はどうにもゴールから逆算して伏線というか、情報を段階的に開示していくのがヘッタクソなようで、第20話然り22話然り、情報出し過ぎであとから直してやらかす場面が増えています。
気づき次第直しはしていますが、毎回詰めが甘いせいで、その度に振り回してしまうのはかなり申し訳なく思っています。
今回は投稿した瞬間にログ貼ってないやんけと気づいて一度消してますし......
とはいえ、綺麗な形で区切りをつけようという気持ちは変わらず続いているので、また気が向いたときに思い出してもらえたら幸いです。
余談
刀!刀!おっp 刀だ!!
これで近接キャラは3人目か?(パイルバンカーも含めると4人か、スキルのみも含めると何人になるのだろうか)
無印では融合勢力以外にあまり見なかったような気がする光景なので、なかなかにワクワクするものがあります。
ストーリーもなかなかに重くなってきたようですし。
なお、全部は追えていないのでアーカイブから必死に追いかけています......
そのうち第三世代人形のプレイアブル化もされていくんだろうか。
楽しみだ。
DP系(意味深)をいち早く所望します。